再来を告げる東風
さらに翌日のこと。
フランツとの約束を果たすためにメアリーを行き付けの喫茶店に連れて来たのだが……
「きゃ~っ! メアリーさんお久し振りです! 考え直してくれました!? 一緒に働いてく・れ・る・気・にっ!」
何故かバイト中のジェーンが一番の上機嫌で赤い従者にぐいぐい詰め寄っていた。
「い、いえ……申し訳ないですけど、私はチャーリー様以外に奉仕する気はないので……」
流石のメアリーもたじたじといった様子で勧誘をやんわりと断る。
「そっかぁ……でもまぁいいです。せっかく来てくれたんですからゆっくりしていって下さいね!」
そう言って店内に戻るジェーンと柄にもなくほっと一息吐くメアリーを、三者三様に見守る。
「相変わらずだなぁ、ジェーンさん」
「可愛いものなら人でもモノでも見境なし、とは本人も言っていたが、これほどとは」
「私も初めて来た時に勧誘されましたよ。まぁ、あれほど熱烈ではありませんでしたが」
「ほぅ……」
「ふむ……」
「二人とも、今何を想像しましたか? 返答次第では……『削ぎ』ますよ?」
「「何を!?」」
真顔で「冗談です」と言って紅茶を口に含むフローレンス。結局何を削ぐつもりだったのか……
「……それにあぁいう服装は、それこそメアリーさんの方がお似合いでしょうし」
『Vive hodie』の制服――といっても店員はジェーンだけなので実質オーダーメイドなのだが――は、確かにメアリーの着るメイド服に近い。
ただし、スカートは膝丈で袖も肩まで、胸元も大胆に開くなど気持ち露出多めで、ジェーンの趣味かあちこちにリボンやフリルもあしらわれている。
活動的なアンクルブーツにデニール低めのストッキングは、メアリーの編み上げブーツやスカートの下に隠された黒のサイハイソックスとは真逆だが、快活なジェーンに良く似合っている。
とはいえそれらが映えるのも素材がいいから、という前提がある。その点メアリーはこれ以上ないほど極上の素材と言っていいわけで。
「お言葉ですが、」
オープンテラスの四人掛けのテーブルで一人席に着かず、主人の後ろに付き従う少女の、
「フローレンス様も、ああいった服装でしたら充分にお似合いかと思われます」
「「「ぶっ」」」
臆面ない発言に残る三人が飲み物を噎せた。
「? ……何かおかしかったでしょうか?」
「い、いや。おかしくないよ……おかしくはないんだ、けど……」
見ればフローレンスは変わらず真顔で、しかし耳が真っ赤になっていた。
普段は化粧っ気もなく厳しい表情でいることの多いフローレンスだが、メアリーやジェーンとは別ベクトルに充分整った容貌ではあるのだ。
ただ本人がそれを認めないのと、以前そのことをからかったフランツが口にするのも憚られる事態になったので、三人の間では禁句となっていた。
その地雷原を今、この何も知らない従者少女は思い切り踏み抜いた。
「……カール、こういう時にどうしたらいいかわからんのだが」
「取り敢えず、笑っちゃダメだと思うよ」
話題の当人は腹を抱えて踞るフランツと、ついでにチャーリーをぎろりと睨む。
フローレンスとしても、何も知らないメアリーにあたるわけにもいかないという理性が働いているのだろうが、理不尽な、とチャーリー。
「そ、その話はここまでにしましょう」
落ち着くためか再び紅茶を飲むフローレンス。フランツもようやく回復したようで顔を上げた。
「いやしかし、フローの意見には同意するがね。せっかくだからジェーン嬢に頼んで着せてもらったらどうだ?」
メアリーとジェーンは背格好も近いので、その案も無理ではないだろう。
だがわざわざ借りなくともメアリーは自分の衣装に関してわりと自在であるし、そもそも本人にその気が無さげであるのだからチャーリーとしても無理強いするつもりはなかった。
というか着たら最後、ジェーンに無理矢理アルバイト契約を結ばされるまである。
主人と従者は一度だけ顔を合わせ、
「いくら主人といっても、メアリーの意思を無視してまで押し付けする気はないよ」
「私も、この服装はマスターへの忠誠の証。他人の前で着替えるつもりはありません」
きっぱりとそう言われて、チャーリーは誇らしさと同時に気恥ずかしさを覚え頭を掻く。
「愛されてるねぇ、お互いに。こりゃヘルシェルの倅が割り込む隙もなかろうに」
主従の様子をにやにやと眺めるフランツ。一方のフローレンスは遠い目で、
「まぁ彼もそうそう諦めないでしょう。軽薄なところはありますがあれで根性というか、ダメな方向に前向きなので」
「おっと、なんだか訳知り顔じゃないか」
「別に……以前言い寄られたことがあるので、二度と近寄って来ないよう『説得』しただけです。その時のこと、聞きたいですか?」
「あ、はい、大丈夫です」
わざとらしくフランツは最近出たばかりの『小惑星の力学』という論文を取り出して興味ないふりをする。
「……なんというか、仲良しなんですね。お三方は」
「楽しく付き合わせてもらってるよ。こんな感じで馬鹿な話ばかりだけど」
この喫茶店を溜まり場にしているのも、いつ来ても比較的空いていて騒いでもあまり迷惑にならないという点が大きい。はっきりそんなことを言えば看板娘は渋い顔をするだろうが。
今日も常連客は他におらず、ジェーンは奥で店長の食器磨きを手伝っている。
――と、
「あら、あなたは……」
「ん?」
声に振り返る。そこにいたのは一人の女学生だった。
黒髪黒瞳、世界中から学生が集まるロンディニウム大学でも珍しい極東系の顔立ち。
一目見てチャーリーはドルイト教授の講義で助手役をしていた先輩学生だと気付いた。
「チャールズ・バベッジさん、ですよね?」
「え、僕のことご存知で?」
「まぁ、その……有名人ですから、バベッジさんは」
オブラートに包んだ表現に思わず吹き出すフランツ。フローレンスはあからさまに笑いこそしなかったものの手が震えている。
そんな二人を半眼で睨んでから、先輩学生に向き直る。
「それで、ええっと……」
「あ、すみません。サナエです。サナエ・クロシダ」
「む、響きから察するに秀真人ですかな」
フランツの問いにこくりと頷く。
「珍しいでしょう。私の祖国はまだ海外渡航を規制しているので」
「それに、彼の国は独自の魔術体系……オンミョードー、でしたっけ? それが主流で僕らの魔術体系とは反りが合わないとか……」
「えぇ。そうなんですけど、私の曾祖父の代が密出国しまして。ドルイト教授の血筋とはその時の縁で今は私が助手を勤めているんです」
「なるほどなぁ」
なかなかにハードな経歴に感嘆の声が漏れる。
「でも、私自身が何かしたわけではないので。その点はバベッジさんの方が凄いと思います」
「いやいや、僕なんて失敗続きですから……名前が有名なのも変な意味でですし」
自虐するチャーリー。
と、そこでメアリーが一歩踏み出した。
「それで、マスターにどのようなご用件でしょうか?」
「……メアリー?」
フランツたちは気付かなかったようだが。
メアリーの声には、僅かに警戒するような響きがあった?
「い、いえ。大した用があったわけじゃないんです」
警戒心を察したわけではなく、無表情に無感情なメイドに詰問された驚きからサナエは縮こまる。
「ただ、たまたまそこを通りがかって見かけたので、墓場の王の軍勢に囲まれてどうやって逃げたのか少し気になっていたので……」
「「!?」」
その上級怪異の名前にフランツとフローレンスは愕然とする。
「……出来ればその話は、言いふらして欲しくないですけど」
「あっ……ご、ごめんなさい!」
二人の反応から不用意な発言だったと察したのか、サナエは両手で口を塞ぐ。
「そのお話……どなたからお聞きになられました?」
今度こそあからさまに圧力を伴って、メアリーが問い詰める。
「え、ええっと、誰かが話していたのを聞いて……誰だったかまでは……」
「……そうですか」
おそらくはハーシェルあたりが言いふらしたのだろう。そうチャーリーは判断した。
しかしメアリーはまだ納得していないようだった。
それからそのことは他言無用だと繰り返し言い含め、サナエも了承した。
ただ、
「気を付けて下さいね。っていうのも変な話ですけど、昨日の夜も襲われた人がいたらしいので」
「………」
立ち去り際に残されたその言葉が、主従二人の心に破片となって深く食い込んだ。




