幕間~死者の王の研究室~
「くそがぁッ!」
その人物は目覚めるや否や深く腰掛けていた椅子から飛び起き、その勢いのまま振るった腕で机に積み上げていた本の山を崩す。
そこは三方向を本棚で埋め尽くし、中央に簡素な机と椅子を置いた書斎だった。天井にまで届く本棚になお収まらず積み上げられていた本の上に吹き飛ばされた本や紙束が散らばる。
「おのれ……おのれおのれおのれぇ!」
なおも激昂し続ける部屋の主。本人は気付いていないが、その精神はただの怒りだけでなく、ある種の恐慌状態に陥っている。
屍に自身の架空燃素――魂を注入し傀儡として操る。脱魂者の研究から派生したオリジナルの術式、その現状における最高傑作はつい今し方破壊されてしまった。
そのことへの憤怒は当然ある。だがそれを上回る感情――『死』への恐怖。
「あれが……あれこそが、死か」
たとえ器となった屍を破壊されようと、こちらの肉体にある大本の魂に引き戻されることで器に連られて死ぬということはない。それは研究の過程で――今ではストックの一つとして保管している子供を使い――証明している。
しかし、あの大学生と思しき男の一撃は魂に死を、滅びを刻み付けた。『いいからここで死ね』と命じてくる問答無用の圧を感じた。
「……カダスの使い手。与太話と思っていたが、実在したとはな」
世界の外側、この世界が生まれたとされる異界の素材を用いて新たに世界を定義する、魔術をも超えた万能の超能力。
あれほどの強制力、そうでもなければ他に考えようがない。
「もっとも、完全に自由自在というわけではないようだが」
もしも本当に自儘に現実が改変出来るのであれば、自分は魂の八割を器ごと砕かれ、こうして感情のままに暴れることも出来なかっただろう。
ならば充分に付け入る隙はある。
「むしろあのメイドの方が厄介そうではあるが……なんにせよ新たな器の調整が先か」
たとえ死者の軍勢を率いても、あの火焔で焼き尽くされては一も百も変わりない。
生前強力な魔術師であった器を使えばより強力な傀儡が作れるということは今回証明出来た。ならば伝説の魔術師やそれに匹敵する者の死体を手に入れることが出来れば。
かといって派手に動き回ってあの円卓にでも嗅ぎ付かれては――
「……ん?」
不意に、先ほど派手に散らかした紙の山を見る。そこに見覚えのない走り書きの記されたメモが紛れていた。
普通であれば見逃すような小さな紙片。しかし今は、何故だかそれを無視出来なかった。
「なんだこれは。こんなモノ書いた覚えは……」
拾い上げ目を通す。
そこに書かれていたのは雑多な数式。それも何の理論に使うのか、物理の方程式なのか魔術式なのかすら不明な代物。
だが。
「これは……そうか、そういうことか!」
屍を被り死者を統べる王を僭称する者であるからこそ、その数式の意味を理解した――否、出来てしまった。
「誰だか知らんがこれを放置した者に感謝せねば――これで、我が一族の悲願もようやく成就する! 死を超越した千年王国が!」
高笑いを上げる部屋の主、その後ろで。
小さな白い影が音もなく天井から滑り降り、やはり無音でドアを開けて去っていくのに、ついぞ誰も気付くことはなかった。




