ノブレス・オブリージュ
市場を端から端まで練り歩き、いよいよ目当ての買い物を始めようといった矢先に。
「きゃぁあああああああっ!!」
突然の悲鳴に、それまで買い物を楽しんでいた視線が一斉にそちらへ向かう。
「どっ、泥棒よ! 誰か捕まえて!」
そう叫んだのは道に這いつくばる年若い女性。彼女が睨み付ける先には、人々を掻き分けるように走り去る男の姿が。
買い物客の多くは咄嗟のことに狼狽え、中には押しのけられるよりも先に道を譲ってさえしまう。
「どけ!」
やがて男はチャーリーたちの目の前を駆け抜ける。すれ違いざま突き飛ばされたチャーリーの背中にメアリーが手を伸ばして支える。
「大丈夫ですか?」
「あ、うん。ありがと……さて」
人ごみに紛れていく男の背中を見て、チャーリーは小さく溜め息。
「……ま、誰も見てないかな?」
「マスター?」
訝しむメアリーに軽く笑って返すと、右手の人差し指でとん、と太ももを叩く。
次の瞬間――
「どうわっ!?」
間の抜けた悲鳴を上げて、それまで順調に逃走を続けていた男が走る勢いそのままに転倒した。
見れば、平坦に舗装された煉瓦造りの路で、何故かそこだけ僅かに煉瓦が浮き上がっている。そこに男の爪先が引っ掛かったようだ。
「っ、くそっ!」
略奪品と思しき篭をぶちまけた男は、悪態を吐くと獲物を諦めて立ち上がろうとしたが。
――ジャランッ!
「なにっ!?」
その周囲の煉瓦が突如形を歪め、幾本もの鎖となり男を締め上げた。
拘束された男は必死に地面を転がりながら抜け出そうともがくが、やがて脱出出来ないと悟ったのか力なく地に伏した。
「さってと……お怪我とかありませんか?」
男の末路を確認して、チャーリーは被害者の女性に近寄って手を差し出す。
「あ、どうも……ってチャーリーさんじゃないですか」
「そういうそっちは、ジェーンさんでしたか。制服じゃないから気付きませんでしたよ」
よく見れば、それは行きつけのカフェでウェイトレスをしている先輩学生だった。
掴んだ手を引っ張って立ち上がるのに助力し、怪我がないか軽く確認する。
「……怪我も服の破れもなし。問題なさそうですね」
「お気遣いどうも。チャーリーさんも買い物?」
「ですね。っていうか今は客と店員じゃないんですから、敬語じゃなくてもいいんですよ?」
「いやぁそれが、どうにもこの喋り方が馴染んでしまってるわけですよ、うん」
束ねた栗毛の先をくるくると指で弄びながら気恥ずかしそうにそう答えるジェーン。
「っとと。ところでそっちの子は?」
視線を彷徨わせていたジェーンは、チャーリーの後ろに侍るメイドに気付いたようだった。
「えーっと、その、実家のメイドなんですよ」
知り合いに遭遇した時のために考えていた台本を頭の中で反芻する。
「別に大丈夫だって言ったんですけど、一人暮らしが不安だってことで最近面倒を見に来てくれて」
「あぁーなるほど。なんだか納得です」
納得するのか、と内心思うチャーリーだが、親が心配するような素行には枚挙に暇がないので反論せず曖昧に笑って返すに留まった。
「えっと、初めましてっ。ジェーン・ケリーです。チャーリーさんにはウチのお店……あ、喫茶店なんですけど、よく使ってもらってるんです」
「メアリー・ブラッドクインです。こちらこそ、主人がお世話になってます」
子犬のようにぴょこぴょこと髪を揺らして挨拶するジェーンに対して、メアリーは相変わらず淡々とした、けれど少しだけ柔らかな対応。
「メアリーさん、すっごくキレイですねっ。お肌の手入れとか何使われてるんです? あ、もしよかったらウチでアルバイトとか興味ないです? あ、学生じゃなくても大丈夫ですよ。店長が黙ってればバレないと思いますし――」
「ジェーンさん、お話し中のところ大変申し訳ないんですが」
一方的に捲し立てるジェーンからメアリーを庇うように間に入り、
「ちょっとお尋ねしますけど、何か忘れてないです?」
「え? んー? うーん………………あ!」
本気で忘れていたのか、しばらく頭を捻ってようやく思い出す。
「そうだ、泥棒!」
「おや、そこにいるのは」
と、自分たちに向けられた声に三人が振り返る。
「誰かと思えばバベッジじゃないか。最近すっかり大人しいからてっきり退学したのかと」
「……やぁ、ハーシェル」
その青年の嫌味っぽい言い草に対し、チャーリーは努めて平静に挨拶する。
三人の少女を引き連れた青年は、手に持っていた篭をジェーンに差し出した。どうやら先程の捕り物は彼の功績らしい。
「これ、あなたのでしょう」
「あ! そうそう、そうなの! ありがとー!」
ぱあっと顔を輝かせて受け取るジェーン。
それに対して青年――チャーリーの同期生であるジョン・ハーシェルはにっこりと笑って。
「いやいや。ノブレス・オブリージュ……下賤の民への庇護は高貴なものの務めですから」
「へ?」
ぽかんとハーシェルの顔を見上げるジェーン。表情のころころ変わる人だなー、と既に慣れた様子でそれを観察するチャーリー。
「魔術を使う素質を持つ者として、使えない下々を守る。王家が掲げる使命は素晴らしいと思います。まぁ、そこの半端者に理解出来るとは思いませんが」
明らかに嘲笑と侮蔑を含んだ目でチャーリーを見る。取り巻きもくすくす笑いを隠そうともしない。
それに対してチャーリーは苦笑するだけで、やがてつまらなそうに鼻を鳴らす。
「……おや?」
と、そこでそれまで沈黙を保っていた少女に気付いたのか、ハーシェルの視線が横に移る。
「そちらの女性は?」
「実家のメイド」
端的な返答。そこでようやく渋々といった風にメアリーも一歩踏み出す。
「チャーリー様にお仕えしております、メアリー・ブラッドクインと申します」
スカートを摘まんで頭を下げる。心なしか、普段より三割増しで事務的、というより機械的な挙動。先ほどのジェーンに対するそれとは比べるべくもない。
「チャーリー様、ねぇ……キミみたいに可愛い子が、もったいない」
「………」
不躾な視線に対し無言を貫くメアリー。だがよく見ればその葡萄酒色の瞳の奥には得体の知れない黒々とした感情が渦巻いていた。
「そうだ、せっかくだからボクんとこに来なよ! 今よりもっといい待遇を約束するし、なんだったらメイドじゃなくても――」
名案を思い付いたと疑わない顔でメアリーに手を伸ばすハーシェル。
それに対してメアリーがアクションを取るよりも一瞬早く。
「申し訳ないけど」
チャーリーがその腕を掴み、押し留めた。
「この子は今は、僕の従者なんでね。勝手な勧誘はお断りしてるんだ」
「……ほー、言うじゃないか。魔術もロクに使えない半端者のクセに」
予想外の反応に面食らったハーシェルだったが、すぐに肉食獣のような笑みを浮かべる。
捕食者は手を引っ込めてその流れで襟を正す。その襟には縦に線の入った菱形のバッジ。
「こっちの星階は七位。いや、年明けには六位に昇格予定なんだ。で? そっちは?」
「八位。だけどそれが?」
臆面もなくそう切り返されて、しかしハーシェルは鼻で笑う。
星階とはロンディニウム大学における学生の階梯である。基本的には学年末の試験で一つずつ昇格するが、何かしらの功績を示すことで飛び級も可能である。
特に、個人が扱える架空燃素の量は査定に大きく響き、早い段階で昇級している者は魔術師としての才能と直結していることが多い。
研究予算や資料請求で優先されるなどの恩恵だけでなく、力量差を事前に比較することで不要な争いを抑える役割も担っている。
もっとも、そのために上位者が下位者に対して横暴に振る舞うという弊害も少なくないのだが。
「面白い。ならこうしよう。今夜二十二時、東の町はずれにある墓地。そこで話し合おう」
「話し合いね……いいよ、その案乗った」
二人の視線がぶつかり合い、火花が散る。だがそれもほんの数秒で、ハーシェルは踵を返すと取り巻きを連れて立ち去っていった。
「……ふぅ」
緊張を解くチャーリー。その横ではジェーンが「女の子を巡って決闘……やだ、ロマンチック……」と目を輝かせている。
「はっ、そうじゃなくて! ……あの、チャーリーさん大丈夫なんですか?」
「何が?」
「魔術の使えない私がいうのもなんですけど……彼、地の性格は最悪ですけど実際強いんじゃないです?」
どうやら『下賤』だの『下々』だの言われたことが腹立たしいらしい。確かにジェーンの星階は学年相応で、学費の補助として働く喫茶店も学生街の片隅の小店舗でこれといった名物もない。
それでも看板娘としてそれなりに人気であり、チャーリーたちのような常連客もいる。勝手に下に見られる謂れはない。
「まぁ、ね。でも、勝ち目がないってわけでもないですから」
「ほんとですかぁ?」
「まぁ、どうにかなりますよ」
訝しむジェーンにチャーリーは優しく答えた。
◇◆◇
「で」
ジェーンと別れ、買い物を再開しながら。
「途中からだんまりだったけど、どうしたの?」
もともと口数は少ないものの、それにしてもやけに静かだった従者を振り返る。
「……いえ、そうですね」
顎に指を当て、考える素振りを見せてから、
「マスターが男らしく私を庇ったことに乙女回路がときめいていた、ということでどうでしょうか」
「そういうのはせめて顔を赤らめるなりしながら言おうね」
呆れたように溜め息を吐くチャーリー。
(……まぁ、ちょっとだけ冗談ではないんですけど)
そう口の中だけで呟かれた音は誰の耳にも入らない。
「正直に言いますと、あの雑音をぶちまける汚物を細切れにしようかぺしゃんこにしようか考えてました」
「あぁうん。大方そんなところだと思った」
先に止めておいてよかったー、と内心で冷や汗を拭う。
「で、行くんですか?」
「行かなかったら行かなかったで面倒だからね。ま、適当にやり過ごすさ」
「では私も同行します」
「……本当は、連れていきたくないんだけどね」
事の発端が彼女であるし、何より今のメアリーには断っても無理やり付いていくという凄みがある。
この数日で、無表情な彼女なりの感情表現をチャーリーも理解し始めていた。
「しょうがない。でも、メアリーは後ろで見てるだけにしてよ?」
「……善処します」
それからは気持ちを切り替え、買い出しは賑やかに穏やかに過ぎ――夜がやってくる。




