八話 初めての魔道具Ⅰ
順調なスタートを切った異世界初の砂糖づくりだが、三日目にして早くも問題が起きた。
「今すぐ魔道具の作り方教えて! 思ってたより水やりが大変で!」
現状俺の唯一の仕事である水やりだが、幼児の力では一度に運べる水も限られる上、井戸から汲み上げることが不可能。
マリクやエルが自分達の汲んだ水を使うように言ってくれたけど、これは自分の我がままで始めたこと。甘えるわけにはいかない。そもそも何カ月も毎日、日に何度も手伝ってももらえないだろう。
少しぐらい苦労する方がやりがいがあるってもんだ。
そう自分に言い聞かせて二日乗り切ったけど、もう限界だ。散水魔道具作って楽々水やりしてやる。
「お任せください。ルーク様がご存知の機械構造を魔法陣で再現できるよう、全力で指導させていただきます」
なんて心強いお言葉だ。
「が……」
「が?」
全てをひっくり返す逆接の接続詞。そんな憎いあん畜生のご登場に、まさか反対されるのではないかとビクビクしながら聞き返す。
「水は扱いが難しいので、おそらく一朝一夕には作れませんよ?」
「そう簡単に作れるとは思ってないさ。そこは努力と時間で解決していくつもりだ」
「いえ、そうではなく……その間の水やりはどうされるおつもりで?」
「あ……」
言われて気付く。
勉強や試行錯誤には時間がかかるものだと。畑の世話には手間暇がかかるものだと。
自分がやると言い出したことだし、投げ出すのは体裁が悪い。魔道具を作っているとも言えない。放っておいたら枯れてしまう。でもこのままも無理。八方塞がりだ。
「楽するために苦労してるし、人生ってままならないよなぁ……」
「しばらくは私が精霊術で地面の湿度を上げておきますね」
「お手数おかけします」
まあ、今も水を運んでるだけで、汲み上げるのはフィーネにやってもらってるけどな! 井戸から菜園まで運ぶってことに意味がある! たぶんね!!
さっそく、サトウキビを上手に育てるための、効率的に水やりをする魔道具を作るための、魔法陣の基礎を覚えるための、授業のための準備を始めよう。
……うん、人生なんてそんなもんだ。
「魔法陣の基本は数式と属性です。例えば熱。存在しない熱精霊より、存在する氷精霊から変換する方が簡単です」
「え? 真逆の現象に変換するのって無理だろ?」
それはエネルギーの法則で最難関な課題のはずだ。ブラックホールからホワイトホールは作り出せない。
「…………なるほど、ルーク様は別世界の常識で考えておられるようですね。そういった面ではむしろ知識が邪魔になるかもしれません」
結構な一般常識らしい。これは思ったより勉強しなきゃいけないこと多そうだ。
そしてまさか活躍するどころか前世の知識が邪魔になるなんて。
ただ『地球の物理法則もエネルギー法則も関係ない』ってのと『干渉できれば魔法陣には無限の可能性がある』ってのがわかったのは、魔道具ライフが前進したと言っても良いぐらい革命的な情報だな。
俺の予想通り、そこからはスムーズなものだった。
「ははーん、わかったぞ。文字と同じで一つ一つに意味があるから、それ等をどうやって繋げるかで魔法陣は変化するんだな? 科学と数学と語学だな? 元素記号と外国語と古典文法を全部覚えろって話だな?」
「素晴らしいですルーク様。早くもその領域に辿り着きましたか。おっしゃる通り、模様には全て意味があり、正しく刻まなければ発動しません」
「任せろ! さては魔法陣を刻む時に使う魔力ってのも、これを生み出すための方法だな? やり方次第では道具や自然現象を頼ってもいいんだな?」
「正解です」
さすがに俺の知ってる元素じゃなかったけど、一度理解してしまえば簡単なもの。俺は時間を忘れて魔法陣の勉強に没頭し、既存の術式の習得に飽き足らず、応用させた教本に載っていない魔法陣も作れるようになった。
ニート時代に色々勉強してて良かった……学校での勉強は無駄じゃなかったよ。転生したらめちゃくちゃ役に立ったよ。
「では次の段階に進みましょう」
「……え?」
で、それが基礎中の基礎だと知って絶望した。調子乗ってスイマセン。井の中の蛙でした。
魔法陣を組み上げるのがジグソーパズルみたいで楽しかったことが救いか。
とりあえず、豆電球のような出来損ないのランプは作れたので、続いて散水魔道具の製作に入る。
「よし、まずは基本設計からだ」
自室の机に紙とペンを広げる。
俺が目を付けたのは水魔石。
魔石――魔獣から採れるエネルギーの塊で、水魔石であれば数リットルの水を生み出せる。それを応用することで、貯水したり放出したり吸水したりできるはず。
魔石は必ず中心に置き、周囲に回路。属性術式は魔石と同じものを用いることという、教本で学んだ法則に従って、慎重に図面を引いていく。
魔法陣は数学に似ている。法則があり、パターンがあり、正解がある。だから計算さえ間違わなければ必ずできる。
「……こんなもんかな」
何度か描き直し、ようやく図面が完成する。
中央に水魔石を据え、吸水と増幅の術式で取り囲んだ、シンプルな水生成装置の設計図。
下書きができたら、次は木材加工。
作業台にはフィーネが集めてきた素材が並んでいる。魔獣の牙や皮、鉄片、魔石、木材。市場で手に入るありふれたものだが、組み合わせ次第でまったく別の機能を持つ。
先日渡されたばかりの使い慣れない彫刻ペンで板に魔法陣を刻んでいく。一画でも歪めば魔力は流れず、ただの落書きになってしまう。震えそうになる手を深呼吸で落ち着かせ、一筆ずつ丁寧に線を刻む。
「入口はここで……水属性の術式を経由して……吸水はこの回路で繋げば……」
すでに頭の中では、水がぽたぽたと滴り落ちる光景が浮かんでいる。
そうして出来上がった土台に魔石をはめ込む。
青白く輝く水魔石をやや大きめに研磨し、微調整を重ねる。やがてぎっちりと収まった感触が指先に伝わる。
全ての線が繋がったのを確かめ、最後に深呼吸。
「……いくぞ」
魔力を送り込むと、魔法陣が淡く光り始める。
やがて装置全体へと広がっていく。
「……っ」
指先ほどの水滴が、ぽたり、と板から生まれて落ちる。
「で、できた……!」
一滴。だが確かに、水が生成された。続けざまに数滴、ぽつ、ぽつ、と作業台の上に落ちて小さな水溜りを作る。想定より出力は低いが、術式は正しく機能している。
出力の弱さ、持続時間の短さ、材料の耐久性。
水魔石の調整や魔法陣の精度を良くすれば、もっと効率が上がるはずだ。
「……次は改良版だな」
水滴の残る作業台を見下ろしながら、自然と口元が緩む。
「おめでとうございます。まさかこんなに早く水魔石から水を取り出すことに成功するとは思いませんでした」
「はっはっは、そうだろうそうだろう。これが転生者の力よ。改良すれば散水装置に……ん? フィーネ今なんて?」
仕事から戻ったフィーネが、称賛の雨を浴びせてくる。そのせいで気付くのが遅れたが、俺の耳が妙な単語を拾った。
「えっと……取り出すことに成功した、と」
「いやいやいや。違うだろ。俺が目指していたのは生成だぞ。魔石に蓄えられた水を引っ張り出すんじゃなくて、無から水を生み出す仕組みなんだ」
フィーネは小首を傾げ、困ったように微笑んだ。
「ルーク様。魔石に備わる属性は源そのものです。水魔石なら水を、火魔石なら火を。術式はそれを引き出す経路に過ぎません。無から水を生み出す術など、少なくとも現代の魔術体系には存在しません」
「……マジか」
言われてみれば当然の理屈だ。
教本に載っていた水生成という言葉を、俺は完全に誤解していたらしい。生成ではなく抽出。つまりこれは変換装置に過ぎない。
「じゃあこの魔法陣……俺がやったのは、蛇口を取り付けただけってこと? 自分で魔力を流せば数分で済む抽出を、わざわざ何百倍の手間と時間を掛けてやる仕組みを作ったってこと?」
「はい」
「……駄目じゃん」
魔石を買い漁って自力で抽出した方がずっと早い。
そんな金も時間もないけどな!
「しかし、蛇口がなければ水魔石はただの石です。誰に教わることなく、こうして自在に引き出せる装置を作れたのは、間違いなく凄いことですよ」
そう言ってフィーネは、ぽたりと落ちる水滴をすくい上げ、俺の前に差し出した。
「生成と抽出。言葉の違いはあれど、成果は揺らぎません。ご自身を卑下なさらずに」
「……不本意だけど、確かに」
俺がやりたかったのは奇跡の創造だ。空気中の水分を集めたり、魔力を水に変換したり、そういうことを夢見ていた。
だが実際に作り上げたのは、誰もが必要とする便利な蛇口だった。
(……いや待て。蛇口こそ人類史上最大級の発明だろ。ならこれだって、もしかすると?)
そう思った瞬間、ふっと肩の力が抜けた。
――無からの創造はできなかった。だが、蛇口を自在に作れる技術はきっと役立つ。
問題は……今すぐ役立つ状況が一つもないってことだ。
「じゃあ何か良いアイディアが出たら相談に行くから」
「は、はい……ごゆっくり」
俺は一人、部屋に籠って使えそうな知識を漁り始めた。
その直前に見えたフィーネの表情は、ほんの少し引きつっていた。けれどそれは、厄介な転生者と関わってしまったと後悔する顔ではない。むしろ期待と不安が入り混じった、未知のものを前にした時の顔。
(……面倒臭がられてない。たぶん)
そう思い込むように、俺は図面を新しく描き出した。