閑話 食堂が変わった日
「あ、か、さ、た、にゃ――っ!」
朝。開店前の猫の手食堂で発声練習していたユチは、自らの発言が信じられないような顔をして固まった。
昨日までは普通に言えていた『な行』が気を配らないと言えなくなっていたのだ。
「斜めに並んだ鍋、斜めに並んだ鍋、斜めに並んだ鍋! い、いや全然余裕だし、言える……ニャ。
――っ!!!」
一応気を付ければ問題ない。
が、色々試していく内に思い知ったのは語尾が確実に『ニャ』になってしまうということ。
「あ~、ついに来ちゃったか~。前々から兆候あったもんね~」
彼女と同じく開店準備をしていたアンは、絶望する友人を見て祝福と同情の入り混じった声を出す。
ユチは慌てて頼れる友人に泣きついた。
「アン~、どうしよ~……ニャ」
「どうしようって言われても、どうしようもないって。
諦めてルークさんからの気持ちの悪い愛情を受け入れなよ」
同じウェイトレス仲間にしてニーナの次に年齢の近い(つまり若い)アンは、猫人族の中でも稀な普通に喋れる側の人間。
ここ最近『な行』が言いにくくなっていたユチの心配など他人事でしかない。
そしてそれを良しとしなかったルークは、『接客中は全員語尾にニャを付けること』という訳のわからない規則を作ったほど生粋のケモナーである。
普段から『ニャ』を付けるようあの手この手を行使してくる彼が、もしユチの変化を知ったらどうなるか。
「私、本当にルークさんと結婚させられるんじゃないの? ……ニャ。
あ~っ、もう! ニャを付けないと落ち着かないニャ! ビックリするぐらい違和感あるニャ!」
自分の事であるのに自分ではどうにも出来ない成長への苛立ちと恐怖が彼女をさらに動揺させる。
「ちょいちょい、そこのニャ~ニャ~言ってる猫さんよ。それは30超えても結婚出来ない私に喧嘩を売っているのかな? ん?」
「全然違うって……被害妄想も甚だしいよ……ニャ。
あああああっ! これっ、鬱陶しいニャッ! 寝違えて二重瞼が一重になるのと、花粉症で目がゴロゴロするのと、大量の砂埃が目に入るのが同時に起きてる上に、小骨が喉に詰まった状態でカラオケを披露しなきゃいけなくなった4次会ぐらい鬱陶しいニャアアアアッ!!!」
「ふははっ、リア充は不幸になれば良いのだよ」
「笑うニャーーーッ!!!」
頼れる友人からのまさかの裏切りにツッコミとしての実力をメキメキ上げていくユチ。
少しでも冷静になろうとする彼女の魂の叫びは、リリ店長が現れるまで続いた。
「で、どうするニャ? トリーに続いてユチまで離職するのニャ? 寿退社かニャ?」
「いえ……あの年寄りの戯言を信じないでください……ニャ。
私はルークさんと付き合ったりしないし、ましてや結婚なんてする気もありません……ニャ」
なんとか抵抗するものの結局語尾にニャを付けるユチは、「早くルークさん来ないかな~」とニタニタ笑う元友人を睨みながらリリに自分の意志をハッキリと告げた。
「ユチの成長うんぬんは置いといてこれだけは言っておくのニャ」
「……っ」
今、最も重要な話題から脱線すると宣言した店長を注意しようとしたユチは、そのあまりにも真剣な顔に何も言えず息をのむ。
「私の方が年上なのニャ。子供と同じ職場で働いてるぐらいの年齢なのニャ」
「……ごめんなさい」
ニャを付けなくて感じる違和感すら置き去りにさせるリリの怒り。
その標的となったユチは一刻も早く阿修羅から優しい店長に戻ってもらうべく……もとい相談に乗ってもらうべく、ひたすら謝罪する道を選んだ。
「――って感じなんだけど、どうかニャ?」
「いや『どうかな?』と言われても、突然職場内で立場を失った話をされた僕の方がどうしろと?」
頼るべき相手からことごとく祝福されたユチが次に頼ったのは、日夜研究に没頭している友人コーネル。
ルークの友人でもある彼なら何かいい案があるのではないか、と仕事終わりにコーネルの研究室を訪れた次第だ。
ちなみにここへ来る直前、彼女の両親が寮長をしているロア商会の寮へ向かったのだが、揃って「諦めろ」「おめでとう」という二言を長々と語られたので聞かなかったことにしている。
「話が通じてないようだからもう一度言うニャ。私が相談したいのは『ルークさんがどういう反応をするか』だニャ。そもそも別に誰とも仲悪くなってないニャ」
ほぼ愚痴に近い相談を受けたコーネルは、用件を端的にしてもらったことでようやく理解したのか「なるほど」と頷き、そして首を振った。
「知らないぞ。僕も奴とはそれほど親しい間柄というわけじゃない――いや、少し違うな。
普通の人間ならある程度は予想出来るが、あれほどの変態性・奇行性を前面に押し出している貧乏人が暴走するとどうなるかわからない、か」
「ニャァァァ……聞いた人全員から同じようなこと言われてるニャ……」
「だろうな」
それはユチ自身も思っていることであり、だからこそ少しでも助けを借りたくて知り合いをあたっている真っ最中なのだ。
未知とは恐怖。
ルークのケモナー愛とは獣人達にとってそれ以外の何ものでもない。
「まぁそう焦る必要はない。貧乏人は長期出張中で数か月帰って来ないんだ。その間にゆっくりと対策を練れば良いじゃないか」
「うっそ、マジで!? ……ニャ」
「猫人族というのは難儀な生き物だな。感情が昂ると平気かと思いきや我慢しきれずに語尾にニャを付ける。しかし必ずしもそういう人種だけではない。
これは長年研究者達が頭を悩ませている問題だ。この機会に調べてみるのも面白いか……?」
「ちょいちょいちょい。研究対象を目の前にして不穏なことを口走るの止めてくれないかニャ?
そういうのはその道のプロに任せて、私達みたいな凡人は日々を謳歌することに専念するべきニャ」
「だから謳歌するための対策を僕と一緒に練ると? 君はギャンブルを否定する僕のことが嫌いだったんじゃないのか?」
「今はそんな私情にとらわれている余裕はないのニャ。この際過去のいざこざは水に流して一から仲良くなっていくニャ。そしてルークさんが暴走した時の盾として活躍するのニャ」
「……おい、君の方が不穏なことを口走らなかったか?」
「気にしちゃダメなのニャ。お昼のお弁当作ってきてあげるから頑張るニャ」
ユチはコーネルからの指摘を素知らぬ顔で無視して話を続ける。
「材料費や手間賃、その他諸々を含めても月銀貨数枚だが!? それで会長、開発部長を説得しろと!?」
「おっ、一瞬でフィーネ様達を頼るルートを選んだコーネルさん、ぱねぇニャ。流石はロア商会きっての頭脳派集団ニャ。
ただ惜しかったのは、私の作る弁当はそんな安いもんじゃないってことニャ」
「なに? 腹に入れば同じだから高級食材を使う必要はないぞ?」
「チッチッチ~……ニャ。
『その他諸々』の部分に『愛情』が入ることで金貨数千枚の価値に跳ね上がるニャ!」
「あり得ないだろ!? 宮廷料理人でもないただのウェイトレスが作った弁当にそれだけの金を払う人間がどこに…………いや居るが、少なくとも僕はそうじゃない」
「ニュフフ~。ルークさんなら普通に出すことに気付いたようだニャ。
そして物の価値は一律じゃないとかよく言うけど、maxがそれならminもそれ相応に高くなるはずニャ? 美少女獣人の手料理は如何ほどかニャ~?」
暗に「自分の料理の値段を決めてくれ」と言っているユチは、コーネルの苦々し気な顔を見てほくそ笑んだ。
「……なるほど。こうなることをわかっていたから君の知り合い達はこの件に関わろうとしなかったわけか」
「いやぁ~、付き合いの長い連中は聡くって困るニャァ~~」
「…………わかった、協力しよう。どうせメンバーが半分居なくなった状態では仕事も何もあったものじゃないしな」
「はい、オッケーで~す」
「なんだ?」
懐から何か魔道具を取り出したユチは、そこに魔力を込める。
『わかった、協力しよう……わかった、協力しよう……わかった』
「僕の声だと!?」
そこから流れてきたのは紛うことなきコーネルのもの。
ユチが少しでも交渉のカードを増やすために録音していたのだ。
「ってわけで次は契約書。ここにルークさんが無理矢理結婚させようとしたら命を賭して守りますって書類あるからサインしてね~。
もちろん断ったら契約違反で罰金を支払った上で対策考えてもらうからね~。無料で。弁当無しで」
「なっ!?」
仕事の合間の話し相手程度になれば良いだろうと考えていたコーネルは、いつの間にか重要な責務を任せられていたことに戦慄し、震えた。
「さあっ、社会的にどっちがマシか考えよー」
感情が昂ると語尾に『ニャ』を付けなくなることもある。
獲物を罠にハメたギャンブラーはまさに今その状態だった。
「…………僕は二度とギャンブラーの交渉に応じない」
「もう手遅れだニャ~ン」
自分自身のどうしようもないこと以外計画通りにことを運んだ策士は満面の笑みで研究所を後にした。
この日以降、2人は変態ケモナーが帰ってくるまで対策を練り続け、週2で密会することになる。




