三十五話 フィーネ先生になる3
修行すること六日。
最初はツルハシを振るうだけで息切れしていた三人も、今では朝から晩まで動き続けられるようになっていた。
洞窟も立派な拠点へと変わっている。
入口は外から見えにくいように偽装され、雨風を防ぐ扉を設置。内部は三つの小部屋に区切られ、それぞれに干し草を敷き詰めた寝床がある。中央には煙が外へ抜けるよう工夫された焚き火の窪み。さらに奥には、干し肉や木の実、薬草を保管する食糧庫まで作られていた。
近くには湧き水もある。フィーネによって作り替えられた、ユキの噴水である。
もはやただの洞窟ではない。
三人が自分達の手で作り上げた『拠点』だった。
そして今。彼等はその拠点を離れ、森の中にいた。
「……木に爪痕がある。新しい。ロックウルフの縄張りに入ったみたいだ」
周囲を警戒しながら、レインが低く告げる。
以前の彼なら気付きもしなかった痕跡。だが今は違う。視線は自然と地面と木々をなぞり、危険の兆候を拾い上げている。
「ったく、ガルムなら楽勝だったのによ」
「もうこの辺のガルムは狩りつくしたのかもね」
しゃがみ込み、幹を撫でて情報を集めつつ、持論を述べるレイン。
数が多いだけでさほど脅威ではない、新人冒険者にうってつけの魔獣、ガルム。
フィーネとユキのサポートを受けながら、アッシュ達はこれまで何十体と倒してきた。空いた縄張りに他の魔獣が入り込んでもおかしくはない。
「ロックウルフも大差ない」
マールが静かに言った。
この六日間。彼女は誰よりも多く敵を倒した。動きの癖。力の流れ。急所の位置。ただ振るうだけだった剣は、今や狙って斬るためのものへ変わっている。
「偶然孤立してたロックウルフを三人でボコしただけだろ! ガルムの群れでさえ、たまに怪我するくせによ。お前は突っ込みすぎなんだよ。敵を倒すより敵に倒されない立ち回りを心掛けろよ」
「アッシュの引きつけが下手なだけ。一対一ならロックウルフにも負けない」
「群れ全員を引きつけるとか無理だからな!? そういうのはせめて仲間を頼らず群れを全滅させられるようになってから言え!」
「アッシュを守りながらだから厳しい」
「こっち見る暇があるなら一秒でも早く目の前の敵を倒せ!」
「はいはい、そこまで。お互い頑張ろう。もちろん僕も含めてね」
「ったく……ま、最終試練にはうってつけか。数は?」
「四。多くても五」
今回の目標は自力で魔獣を倒すこと。
ロックウルフの群れを倒したことのない三人にとっては丁度良い難易度だった。
そしてその時はやって来た。
「……いた」
最初に反応したのは、マール。
視線の先。木々の隙間に、茶色の影。
数は予想通り、四体。
「わたしが一体ずつ倒す。その間、他をお願い」
「関節と喉元、忘れんなよ」
「ん」
アッシュの助言にコクリと頷く。
ロックウルフはガルムよりも一回り大きく、体毛は硬い。正面から斬り合えば刃が弾かれる。だがその二カ所だけは、自分達の武器でも致命傷を与えられる。
六日間、フィーネとユキに叩き込まれた“力”だ。
そして、アッシュがわざと足音を立てた。
バキッ、と枝が折れる音。
四つの頭が一斉にこちらを向く。低い唸り。
「来るぞ!」
先頭の一体がアッシュの下へ駆けてくる。
ドンッ!!
盾に衝撃が走る。腕が痺れるが、足は踏ん張る。
「重っ……!」
だが止めた。
「やっ!」
木の上に陣取ったレインが弓矢で牽制して散らす。
仕留められれば御の字だったが、さすがにそう上手くは行かない。放った矢はロックウルフの硬い体毛に弾かれて地面に落ちる。ダメージは入っているだろうが動きが鈍るほどではない。
しかし孤立させる目的は達成できた。
「あとはマールに任せて、僕はアッシュの援護か……なっ!」
高速で動き回るマールを見てこれなら大丈夫と確信したレインは、ロックウルフが近寄らないよう適度に牽制しつつ、アッシュの背後にまわったものを攻撃していく。
「ハアッ!」
この作戦の要となるマールは、確実に仕留められるよう回避を優先し、隙を見て少しずつ双剣でダメージを与えていく。
魔獣とて馬鹿ではない。そう簡単に弱点は叩かせてもらえない。彼女の実力では、数十数百にも及ぶ攻防によって、その俊敏な動きを鈍らせていくしかない。
(体が軽い。これなら……イケる)
今の彼女には目の前の一体のことしか頭になかった。
残りは仲間が必ず足止めしてくれると信じて、全力で仕留めにかかる。
「っ、今! はああっ!!」
「グルアア!?」
どれだけ攻撃しようとも必殺の一撃は避けられていたので時間こそ掛かったが、ついにマール単独でロックウルフを仕留めた。
さらに一息ついたところに襲い掛かる二体目。
「ふっ!」
が、これはアッシュ達によって送り込まれただけ。
連携もなく、背後からの襲撃に油断していたロックウルフは、一閃の下に倒れることとなる。
(でも……もう限界。体力つけなきゃ)
アッシュ達には一体ずつ倒すと宣言したものの、回避することがどれほど体力を使う行為なのか理解していなかったマールは、二戦で限界が来てしまい、そのまま地面に倒れ込んだ。
一方、三体を盾で足止めしていたアッシュは、ロックウルフに噛みつかれてボロボロになりながらもマールの初勝利の瞬間を見ていた。
マールと同じくよそ見をする余裕などないが、彼女に飛びかかろうとするロックウルフを盾で殴りつけて時間を稼ぐためにも、常に立ち位置を把握しておく必要があった。
お陰で絶妙なタイミングで追加を送り込めた。
「よっし! あと二体!」
「いや、あと一体だよ!」
開戦以降ずっと援護に回っていたレインが、アッシュの背後に回り込んだロックウルフを仕留めた。
(アッシュの立ち回りと敵の狙いがわかったからこそだね。うん、特訓の成果出てる出てる)
倒れているものの無傷のマール。
矢の本数が心許ないが同じく無傷のレイン。
そして三体を相手に時間稼ぎができたアッシュ。
ここまで完勝と言っていい戦いぶりに、残っている一体を見てアッシュとレインは思わず心を撫で下ろした。
(このまま押し切れる……!)
全員がそう思い始めた直後。
それは――倒れているマールに襲い掛かった。
「五体目!?」
レインの目が見開かれる。
(見落とした!)
己の失態を悔やむより一本でも多く弓矢を放たなくては、と構えた弓が極度の緊張で手からこぼれ落ちる。
(し、しまった! あんなに練習したのに肝心なところで!)
「……っ」
双剣と引き換えに初撃こそ防いだものの、巨体にのしかかられてしまったマール。ロックウルフが彼女の喉元を食い千切ろうとしている。
「マーーールッ!!!」
その瞬間、アッシュが地を蹴った。
盾をその場に放棄して、枝が顔に当たろうが、足場が悪かろうが構わない。ただ間に合えと願いながら走る。
ロックウルフの顎が開く。
牙が、マールの喉元へ――。
「させるかぁぁぁッ!!」
横からの体当たり。
ドンッ、と鈍い衝撃。
アッシュはロックウルフの胴に肩からぶつかるも、相手は微動だにしない。
その隙に、放置してきたもう一体のロックウルフが足に噛みつく。
肉を抉ろうとしているがアッシュは一向に気にすることなく、マールにのしかかっているロックウルフの口元へ、腕を差し出した。
牙が食い込む。
「――ッ!!」
激痛。
だが、噛まれたまま、もう片方の手でロックウルフの首にしがみつく。
「今だ! 二人とも逃げろ!」
それはアッシュの願望でしかない。
疲労で動けないマール。武器を失い、木の上から動けないレイン。手足に致命傷を負ったアッシュ。誰か一人でも助かる道すら、か細い。
誰もが命を諦めた――その時。
「合格~。合格です~」
ユキののんびりとした声が響いた。
三人が気付いた時にはマールに襲い掛かっていたロックウルフも、アッシュに噛みついていたもう一体も、氷の柱で覆われて絶命していた。
「仲間をかばう優しさと、厳しい訓練を投げ出さない根性~。合格です~」
「……もしかしてずっと見てたんですか?」
「モチのロンです~。いやぁ~、あのまま倒しちゃうんじゃないかとヒヤヒヤしました~。皆さん、想像以上に強くなってて、あと数匹ロックウルフ連れてこようか悩みましたよ~。あんなのを勝利と思われたら困りますし~。あ、その前に治療ですね~」
レインの問いに答えつつ、ユキがぱちんと指を鳴らす。
アッシュの腕と足に薄氷がまとわりつき、ひんやりとした感覚が走る。
「敵を倒すより敵に倒されない立ち回りとか言ってたのはどこのどなたでしたっけ~? 楽勝とか言ってたの誰でしたっけ~? 五体いるかもと言ってたのになんで忘れちゃうんです~?」
「うっせ」
「記憶にない」
「すいません。油断しました」
ブーメランが次々に刺さっていく。
「あっ! まさかガルムがいなくなったのって!」
三人の中で一番ダメージがあったらしいアッシュが、照れ隠しと閃きで、声を荒げる。
「ああ。あれですか~。もう修行相手にならないと思って事前に間引いておきましたよ~」
「何から何まで師匠達の手のひらの上ってわけか」
「違いますよ~。私達が与えた試練をアッシュさん達が自力で乗り越えたんです~」
ユキは、いつもの間延びした口調のまま言った。
その一言に、三人は押し黙る。
――確かにそうだ。
マールが押し倒され、アッシュが飛び込み、レインが必死に思考を巡らせていた、あの瞬間まで誰も助けてはくれなかった。
あれは紛れもなく自分達だけの戦いだった。
「……俺、盾捨てちまった」
アッシュがぽつりと呟く。
少し離れた場所に、投げ捨てた盾が転がっている。
盾役失格だ。
「そうですね。盾を捨てた判断は本来なら誤りです」
静かな声がすぐ後ろから聞こえた。
いつの間に現われたのか、フィーネが立っていた。
祝いの言葉でも、慰めでもない。ただ事実だけを告げる声。
しかしアッシュの背筋が反射的に伸びる。
「ですが――」
フィーネは盾の方へ歩み寄る。血に濡れたそれを拾い上げ、軽く付着した土を払った。
「あなたは盾がなくても盾であろうとした。あの状況で迷わず実行できたのは立派ですよ。この盾を使いこなせれば、二度と己の武器を手放すことはないでしょう」
そしてフィーネはもう一つの盾を差し出した。
それは練習で使っていたものと似ている、アッシュの身長ほどもある巨大な盾。ただ色が深く、縁には見慣れない模様が刻まれている。
受け取った瞬間、アッシュの身体が地面に叩きつけられた。
「ぐえっ!? お、重ッ!? なんだよこれ、全然動けねぇぞ!?」
「その盾にはクラーケンの魔石を組み込んであります。魔力を込めることで重量が変化するので攻防一体の武器として使えますし、魔術の触媒にもなるので戦略はより一層広がるでしょう」
「アッシュさんは戦術の前に基礎能力が必要ですね~」
横からユキが楽しそうに補足する。
「こんなクソ面倒くさい盾をありがとよっ! ちくしょう! ぜってぇ使いこなしてやるから見とけよ!」
なんとも彼らしいお礼だった。
フィーネは小さく頷くと、次なる生徒に視線を向けた。
「レイン」
「は、はい」
名を呼ばれ、レインが姿勢を正す。
「弓を落としましたね」
「……はい」
「敵も見落としました」
自分の失敗が、仲間を危険に晒した。
その事実に思わず俯く。
「それでもあなたは、思考を止めなかった。恐怖の中で状況を分析し、最善を模索した。恐怖は弱さではありません。制御できれば心強い武器になります」
「なので~、これです~」
差し出されたのは、一振りの弓。
細身で、美しい曲線を描いている。
握った瞬間、手に吸い付くような感覚があった。
「この弓には魔力生成の魔法陣を刻んであります~。魔力を込めれば弓を無限に生み出せるんですよ~」
レインが恐る恐る魔力を流す。
瞬間。光が収束し、弦の上に矢が現れた。
「うわあっ、すごい! ありがとうございます!」
「これなら矢の残数や強度を気にしなくて済むので落ち着いて行動できるかも~」
レインは弓を強く握りしめた。
「……はい!」
二度と落とさない。
「マール」
「ん」
「あなたは瞬発力と集中力に優れています。急所を見抜き、躊躇なく踏み込める」
フィーネは二振りの双剣を差し出した。
淡い緑の刀身と、深い青の刀身。
握ると、風が流れるような感覚が伝わってくる。
「風と氷の魔法陣を組み込んでいます。あなたの身体強化を合わせれば、機動力と攻撃力は飛躍的に向上するでしょう。今後の課題は持久力です。一瞬の勝機を逃さないように」
「……ん。強くなる」
短い言葉。
だがそこに迷いはなかった。
「というわけで~」
ユキが両手を叩く。
そして三人を順番に指差した。
「皆さんは今日から守られる側ではなく守る側です~」
ツルハシ一つで息を切らしていた三人は、魔獣の気配に怯えていた子供達は、もういない。
ここにいるのは、自分の意志で仲間を守ると決めた、駆け出しの冒険者達だった。




