三十一話 フィーネ任せる
案内された執務室は、質実剛健という言葉が似合う空間だった。
木目の落ち着いた机と椅子、整然と並べられた書類、壁には領地の地図が貼られている。窓からは港が一望でき、昨日のクラーケン騒動の名残がちらりと見える。
「いやはや……まだ頭が追いつかん。アクアに伝わる勇者の正体が、今ここでお茶を飲んでいる少女とは……」
領主の視線の先には、運ばれてきたばかりの香ばしい海藻茶をくるくる回して、「いい仕事してますね~」などと器や味を絶賛するユキ。
そんな勇者の姿に、領主は再び深くため息をつく。
「領主殿。重要なのは過去の逸話ではなく、今回のクラーケンが討伐されたという事実じゃ」
「む……確かにその通りだな」
クレアの言葉に、領主は背筋を正し、引き締まった声を返した。
「まずは報酬の話だ。早期解決に加え、別個体の討伐、そして原因の解明。ギルド依頼の討伐報酬に加え、わし個人としての謝礼を上乗せしよう」
そう言って領主は机の引き出しから重そうな革袋を二つ取り出した。
「こちらが討伐報酬の金貨百枚。そしてこちらが上乗せ分で百枚だ」
「お気遣い、痛み入ります」
フィーネは丁寧に頭を下げたが、すぐに続けた。
「ですが、討伐報酬はお返しします。討伐隊の方々で分けてください。クラーケンを瀕死に追い込んだのは彼等です。私はそのおこぼれを頂いただけですから」
「じゃろうな! カカカッ!」
フィーネの対応にクレアが愉快そうに吹き出す。
「これでも譲歩したんじゃぞ。本当なら我も素材代として同額払おうと思っとったが、どうせ受け取らんから持ってこんかった。もし欲しければ後で店に取りに来るがよい」
「要りません」
「じゃろうな!」
再び笑いが弾け、領主が苦笑しながら口を開く。
「あー、フィーネ殿。心配には及ばん。こちらは別個体の報酬だ。討伐隊には修繕や治療費を含め、これ以上の額を払う予定だ」
「受け取っておけ。お主等にはこの後も働いてもらわねばならんからな」
クレアはそう言うと、何かを促すように視線を領主に向けた。
「ドギュン水産の魔道具がクラーケンを引き寄せたという話――真実なのか?」
「うむ。調査の結果、ポンプの吸水管から魔力の歪みが見つかった。ドギュン水産は否定しておるが、近海に悪影響を与えている可能性がある」
クレアの声は静かだが、怒りがひしひしと滲む。
「……まったく、金のために港を危険に晒すとはな」
領主も苦々しく呟く。
「それを確かめるためにも実際に海上で試験を行うつもりじゃ」
「許可しよう。事実であれば、ドギュン水産には商会組合を通じて営業停止を命じる。設備は没収、責任者には被害分も含めて罰金を科す」
「妥当じゃな。塩の問題は後日関係者を交えて話し合おう。もちろん、ゼクト商会は協力を惜しまんぞ」
「すまんな。助かる」
領主は深く頭を下げた。
年齢こそ親子ほど離れているが、実力や立場を尊重しているのが伝わる。
「塩の問題ってなんですか~?」
と、ここでユキが口を挟んだ。
「ん? ああ。例の給水パイプを使っておったのは、国でも有数の安価塩の工場でな。塩の供給と価格に影響が出ぬよう、代替手段を急ぎ考えねばならんのじゃ。他所の工場でも問題がないか調べねばならんし、てんやわんやじゃ」
塩の流通や魔道具の生産にもゼクト商会は関わっているため、今回の事件はクレアにとっても決して他人事ではなかった。
「つまり塩が足りないと~?」
「そうなるな。新たに給水パイプを作るか、臨時で作業員を手配するか……まったく、金と時間がいくらあっても足りんわ」
「……そうですか。今は塩が安く大量に作れないのですか」
「なんじゃ? フィーネ、まさか何か策があるのか?」
フィーネの呟きを見逃さず、クレアが鋭い目で詰め寄ってくる。
「いえいえ。アクアに来た目的の一つに、塩の品質が低下している原因の調査があったので、納得しただけです。もし安く大量に作る手段があれば儲かりそうですね」
「そうじゃな……」
「それより急いだ方が良いのでは? こうしている間にもアクアに強大な海洋魔獣が迫っているかもしれませんよ?」
露骨に警戒するクレアに対し、フィーネは素知らぬ顔で話題転換を図る。
「……まぁよい。今はあまり詮索しておる暇もない。予定通り、工場へ向かうぞ」
クレアはしばしフィーネを睨んでいたが、やがて肩を落とし、立ち上がった。
「フッフッフ~。大船に乗ったつもりで任せてください~。デストロイしちゃいますよ~」
「今言うと工場を破壊するという意味になるんじゃが!? そもそもお主に頼みたいのは船の護衛であって破壊ではない!」
「Aランク以下の雑魚は任せましたよ~」
「話を聞け! あとそれは雑魚とは言わん!」
(だ、大丈夫なのだろうか、彼女達に任せて……)
領主の不安を他所に、三人は執務室を後にし、騒がしい港へと向かっていった。
「ここがドギュン塩精製所ですか。思ったより静かですね」
三人を乗せた馬車は港の東端、煙突の並ぶ一角へと入っていった。白い結晶を積んだ荷車が行き交い、潮と熱気が混ざった空気がむわりと立ち込める。
その奥に、目的の塩工場があった。
「操業を止めさせたからな。外部調査が終わるまでは最低限の作業のみじゃ」
その時、門の奥から工場長らしき男が姿を見せる。
年季の入った作業服を着込み、腕に巻いた革手袋をいらついたように叩いていた。
「これはこれは、クレア様。何の御用で? パイプの件はお断りしたはずですがね。魔力漏れは魔道具によくある現象で、魔獣には何の影響もないと」
「それを今から確かめるんじゃ。領主から正式に許可が下りた。これがその書類じゃ」
クレアが懐から封書を取り出し、封蝋を指で弾くように見せつける。
赤い印章に刻まれた領印を見た瞬間、工場長の顔色が変わった。
「……いいでしょう。ただし、何も出なかった場合は覚悟してください。うちの工場はこれで数日止まるんです。損害を請求させてもらいますよ」
「好きにせい。その代わり、何か出たらお主の命が先に請求されるかもしれんがな」
「……たちの悪い冗談ですな」
顔を引きつらせる工場長を横目に、クレアは軽く指を鳴らした。外で待機していた数名の部下が動き、巨大な給水パイプを慎重に外していく。
「あんなこと言っていいんですか~?」
「実力に関してはお主等を信頼しておるからな。それにドギュン水産……いや関係各所含めてこやつ等は昔から気にくわんかった。黒い噂も絶えんし、魔獣の氾濫と時期も合致する。お主等の助言は踏み込む切っ掛けになっただけのことよ」
言い終わるとクレアはニヤリと笑い、勢いよく海上を指差した。
「さて――実験開始じゃ!」
「では私はこの辺で失礼します」
「う、うむ……フィーネも大概マイペースなやつじゃな。タイミングとか流れとか気遣いとか色々あるじゃろうに……で、どこへ行くつもりじゃ?」
突然の離脱宣言に呆気に取られながらも、クレアは現状できる最善を尽くした。
「市場です。帰りの分の食料を買っておきたいので」
本気で行く気満々のフィーネは、それだけ言うと、涼しい顔で工場を後にしようとする。
「まったく……って待て待て待て! どこへ行く気じゃ、ユキ! お主は手伝ってくれる約束じゃろ!?」
仕方なく見送ろうとしたクレアだが、ユキまでその後を追おうとしたのだから、堪ったものではない。すかさず手を掴んで問いただす。
「そっちの私がやりますよ~」
『こっちの私がやりますよ~』
「分身した!?」
いつの間にかクレアの隣にもう一人のユキが立っていた。
「あ、クレアさんの護衛もいります~?」
さらにもう一人増やそうとするユキ。
「い、いや、大丈夫じゃ。我は店の通信機で連絡を受けるだけじゃから」
クレアが慌てて手を振ると、ユキ(本体)は「そっか~」とあっさり引き下がった。
代わりに分身がツッコむ。
『なーんだ。クレアさんだって一緒に行かないじゃないですか~』
「観測も大事なんじゃ! 我がおっても足手まといじゃし、万が一の時は助けを呼ぶ必要もある! あと手間二倍ってどういうことじゃ! そこは意思統一しといてくれ!」
クレアが両手で頭を抱えながら叫ぶ。
やや涙目になっているのは気のせいではない。
だが、ユキ(分身)は悪びれた様子もなく分身の肩をぽんぽん叩いた。
『じゃ、私は海~。そっちは市場~。クレアさんは通信機~。それぞれ適材適所ですね~』
「……うむ、まぁ、そう……じゃな」
悔しそうではあるが、クレアも反論しきれず、小さく頷いた。
『じゃ、行きますよ~』
「いきま~す!」
分身は海へ向かい、本体はフィーネの後を追いかける。
クレアはその背中を見送り、ぽつりと呟く。
「……我、真面目に生きるのやめようかのぅ」
「「「ほわああああああああ!?」」」
悲鳴が重なり、海上に水柱がいくつも立ち上がった。
波が砕け、船体が大きく揺れる。
『思ってたより多いですね~』
船員達が右往左往する中、ユキは涼しい顔で杖を振る。もちろん意味などない。杖も身振り手振りも彼女のノリだ。
ひと振りごとに氷の刃が飛び、魔獣を斬り裂いていく。
「も、もも、もうちょっと穏便に倒せないか!?」
『文句言うなら自分達でどうぞ~』
「助かってるんだけど! 確かに助かってはいるんだけど!」
船員および討伐隊の悲鳴の半分は、魔獣ではなくユキの巻き起こす爆音と閃光、そして吹き上がる潮風のせいだった。
『はい次~、そこ動かないでくださいね~』
ユキが杖の先を明後日の方向に向ける。
直後、氷の竜が海面からうねりを上げて出現し、潜んでいた魔獣をまとめて串刺しにした。帆がばたつき、甲板に氷の破片がぱらぱらと降り注ぐ。
「な、なんで竜!?」
『効率より見た目かな~と思って』
「効率重視でお願いできませんかねぇ! 命がかかってるんで!」
『はーい了解でーす。じゃあ次は爆発で~』
「やめろォ!!!」
再び悲鳴と水柱が同時に上がり、海上が地獄絵図と化す。
「――って感じです、今」
「そうですか」
戦闘開始から三十分。ユキの状況報告を軽く聞き流しながら、フィーネは露店の値札に視線を落とした。
「いつ頃終わりそうですか?」
「たぶんあと五分ほどですね~」
フィーネは無言で頷き、ゼクト商会に向かうべく買い物を手早く済ませることに。
露店の台に並ぶ橙色の果実を指さす。
「すいません、こちらの果実を十個ください」
「まいどあり!」
店主が手際よく袋に詰めていく。
その横でユキは、ぶどうのような紫の果物を一つ手に取り、光にかざして眺める。
「いいですねぇ~。こういう素朴なの好きですよ――あっ、この形で思いつきましたけど、ポンプを沈めれば海底の魔獣を釣り上げれますけど、どうします? 今のうちに一掃しちゃいます? すぐ別の群れが棲みつきそうですけど」
「これからクレアさんのところへ行くので相談してみましょう」
「了解で~す」
ユキがご機嫌に果実をひとつ齧る。
二人がゼクト商会に到着した瞬間、通信機を握りしめていたクレアが、もうやめてくれと泣きついたのは言うまでもない。




