三十話 フィーネ呼ばれる
翌朝。
日の出と共に目を覚ましたフィーネは、身支度を整えながら感知魔術を展開した。
魔力で編まれた仮想の瞳が映すのは、厨房の光景。
鍋の中でぐつぐつ煮えるスープ、素早く捌かれていく魚介類、振りかけられる香辛料、どれも彼女の知的好奇心を刺激するのに十分な代物だ。
「ふふ……やはり高級宿の厨房は手際が違いますね。あの火加減、あの包丁捌き、あの立ち回り、調理技術に魔力や魔術を取り入れています。水分の蒸発も最小限に……素晴らしい」
フィーネが感心しながら厨房の様子を眺めていると、背後で布団の山がもぞもぞと動いた。
「ん……ふぁぁ…… おはようございます~……朝から熱心ですね~」
ユキが寝ぼけ眼を擦りながら頭を出す。
髪はぼさぼさで、まぶたは半分閉じたまま。脳の起動はまだ半分といったところだが、フィーネが感知魔術を使っていることだけは、すぐに察したらしい。
「料理は文化の結晶ですからね。火の通し方ひとつで知識も技術も測れます。それに優れた料理には優れた魔術理論が隠れているものです。例え情報収集の任務がなくても覗き見ていますよ」
「力を与えちゃダメなタイプですね~」
「あなたに言われたくありません。私は悪用しませんよ」
「私だって悪用なんかしてないですよ~。正義と娯楽のために使うだけです~」
そう言いながら、ユキは寝癖を直すこともなく布団を脱ぎ捨て、どこからともなくフォークとナイフを取り出した。
「……まさか厨房に突撃する気ではないでしょうね?」
「えっ、駄目なんですか~? もう食堂利用時間ですよ~?」
「それは『食堂の利用』であって『厨房への侵入』ではありません」
「え~、似たようなものでしょう~? 入り口が違うだけで~。むしろ運ぶ手間や盛り付ける手間を省いてあげる思いやりですよ~。最近流行ってるんですよ、バイキング」
「根本的に何もかもが違います」
ばたばたと漫才めいたやり取りをしていると、コンコン、と扉がノックされた。
「あ、そう言えば朝食は部屋まで運んでもらうんでしたっけ~!」
ユキがルンルンスキップ(死語)で扉を開けると、そこには若い女性の従業員が手ぶらで立っていた。
「失礼します。お客様の知り合いとおっしゃる方がお見えです」
「なんですとーっ!?」
「ひっ!? す、すいません!?」
「気にしないでください。朝食と思っていただけですので」
「あ、そ、そうなんですね……」
それらしい理由に納得した従業員はおずおずと立ち去った。まだ少し怯えていたのはご愛敬。
「朝食でないことも、来訪者がクレアさんなことも、わかっていたでしょう。イタズラするのはやめなさい」
クレアは本日領主邸へ行く同行者。宿泊先は昨日ルーに伝えておいたのだ。そうでなくても自分達を訪ねてくる者など限られる。それにユキなら感知魔術を使わずとも知り合いの気配を感じ取れる。
「寝起きにそこまで頭回るわけないじゃないですか~。期待が重いです~」
「まだ解体作業は続いているはず……となれば領主への謁見か、パイプの手配が予想以上に早まったのでしょう。行きますよ」
軽くあしらうどころか相手にすらせず、フィーネはさっとマントを羽織った。
「フィーネさんはそれで準備完了ですけど、私には色々支度があるんです~。あと三十分待ってください。あ、そうだ、朝食もまだですね。帰る前にもう一度温泉入りたいです。クレアさんにはあと二時間待ってもらいましょう」
などと言いながら布団の上を転がるユキを、フィーネは無言でヒョイと持ち上げ、そのまま部屋を後にした。
「おはようございます、クレアさん」
案の定、ロビーではクレアが腕を組んで待ち構えていた。目の下にはくっきりと隈。昨日の興奮の余韻と徹夜の疲労が入り混じっている。
「まったく……こっちは一晩中、連絡と会議と手配に追われ、領主への謁見の段取りまで整えたというのに……」
「好きでやってるくせに~」
「ああ、ああ! その通りじゃとも! 充実した時間と目が飛び出るような大金をどうもありがとう! お礼にお主等を領主の館へ連れて行ってやろう!」
ユキに翻弄されながらも、どうにか本筋に話を持って行こうと頑張るクレア。若干の皮肉が混じっているのは仕方のないことと言えるだろう。
が、しかし、ユキに通じるわけもなく……。
「朝食と入浴、化粧、ドレスアップ、二度寝がまだなのでちょっと待っててください~」
「誰が待つかッ!」
クレアは入口に待機させている馬車をビシっと指差す。
「食事は用意してある。冒険者ということにしてあるから着飾る必要もない。全ての用事をキャンセルして待ちぼうけておる領主が可哀想だと思うなら今すぐ馬車に乗れ。たっぷり礼をしてやろう」
領主に関しては「急がないといなくなるぞ」とクレアが脅したせいなのだが、事実なので責任の所在については諸説あるところだ。強硬策を選んだのは彼等自身でもある。
「お礼って言いながら結局お仕事に巻き込んでるだけですよね~」
「……ユキ、もしかして我のこと嫌いか?」
「え? 何がですか~?」
ユキはキョトンとした顔で首を傾げる。
「クレアさん、ユキはこれが平常運転です。相手を弄り倒し、事態を引っ搔き回し、全ての責任を押し付け、当事者でありながら傍観者として特等席で楽しむのが彼女のやり口です。しかも放置すると本当に実行します」
「最悪じゃな! ただフィーネも大概じゃからな!? お主等が軽々しく片付けたせいで、町全体が今なお大騒ぎなのじゃ!」
「でもクラーケンが暴れてたらもっと大騒ぎでしたよね~?」
「……正論を言うな。なんか悔しい」
うなだれながらもクレアは二人の手を離さない。
こうして、朝食も二度寝も諦めた二人は、半ば強制的に領主の館へと連行されていくのだった。
馬車は立派な鉄門の前で止まった。
「うわ~、おっきいお屋敷! ここでかくれんぼしたら絶対楽しいですよ~!」
「やめなさい。即刻不審者として拘束されます」
「じゃあ鬼ごっこなら……」
「そういう問題ではありません」
門番がクレアに一礼し、馬車はそのまま敷地内へ。
石造りの玄関前で降り立つと、一人の男性が待っていた。
四十代ほど、キッチリ七三分けされた金髪に黒縁眼鏡。年相応の皺が刻まれた顔には短く整えられたアゴヒゲ。派手な装飾こそないが、纏う空気に確かな威厳がある。
「クレア嬢、そして勇敢なる冒険者達、よく来てくれた。わしがアクア領主、ダン=クルーガーだ。この度はクラーケン討伐、心より感謝する。お陰で我が領は救われた」
領主は深々と頭を下げた。
「はぁ~い、どういたしまして~」
ユキがひらひらと手を振るとほぼ同時に、クレアが慌てて割って入った。
「りょ、領主殿! この者はこういう性格でな! 無礼はご容赦を!」
「う、うむ……」
領主は眼鏡を押し上げて咳払いし、今度はフィーネへと視線を向ける。
「実際に手を下したのはそちらの女性と聞いている。お名前を伺っても?」
「フィーネと申します。領主様からの感謝のお言葉、我が主、オルブライト子爵もさぞお喜びになられることでしょう」
「ほほぅ、エルフか。やはり只者ではないな」
フィーネは落ち着いた声で一礼。 フードを脱いで名乗ると、領主が感慨深げに頷く。
――と、その時。
「ちょっと待てぇぇいッ!」
突如、横からクレアが吠える。
「我の時と対応違い過ぎないか!? 名乗るのも顔を見せるのも散々渋ったくせに! 礼も受け取らんし、むしろ鬱陶しがられたぞ! 当然雇い主の話など一言も出とらん!」
「ゼクト商会の偉大さを知らなかったもので」
「棒読みぃ!」
わざとらしい返し。だがそのわざとがバレているあたり、フィーネも彼女のことをかなり気に入っているようだ。彼女がその気になればこんな真似はしない。
むしろ、フィーネの方がボケたがりなのでは――とユキは密かに思う。
「まあまあ、クレアさん。相手は交易都市のトップですよ? フィーネさんが利用価値があると判断するのは当然のことじゃないですか~」
地団太を踏むクレアを宥めたのは、よりにもよってユキだった。
だがそれはフォローどころか燃料となる一言。
案の定、今度はフィーネが眉をひそめる。
「誤解を招く言い方はやめなさい。事前に伝わっているかもしれない情報を隠すのは逆効果だと考えただけです。主の名を出したのは信用を確保するため。私個人の力よりも、背後にある家の力を示す方が、領主様にとって安心できるでしょうから」
「な、なるほど……筋は通っているな」
領主は感心したように頷く。
「ぐぬぬ……」
「何を悔しがってるんですか~?」
歯噛みするクレアに、ユキが首を傾げる。
「だってそうじゃろ! 我がゼクト商会を後ろ盾にしても良いはずじゃ! 信用度で言うならむしろ我の方が……!」
「それは商会の信用じゃなくて、クレアさん個人の欲望では~?」
「ぐはぁっ!」
図星を突かれてクレアがのけぞった。
領主は苦笑しつつ、場を立て直そうと咳払いを一つ。
「ま、まずは執務室へ行こう。詳しい話はそこでゆっくりと」
玄関をくぐると、そこはまさに豪華絢爛という言葉がふさわしい空間だった。
磨き上げられた白大理石の床には、鮮やかな紅の絨毯が一直線に伸び、奥の階段へと続いている。壁には金糸で縁取られたタペストリー、天井からは巨大なクリスタルシャンデリアが下がり、朝日を受けて七色の光を散らしていた。
「……これはまた、見事なものですね」
フィーネが感嘆を漏らす。
装飾の意図や素材の由来を一瞬で見抜いてしまう彼女の目には、芸術と権威のバランスが完璧に映っていた。
「これ、まだ奉ってたんですね~」
その中で、ユキが目を留めたのは階段横の石像。
龍にも似た、2メートルほどの異形の像が、厳かに鎮座していた。
「ん? 水神のことを知っているのかね?」
領主が少し目を細める。
「知ってるも何も、倒したの私ですし~」
「んなっ!?」
「ま、まさかキミ……いや貴方は……二百年前の……?」
突然の爆弾投下に、クレアは大仰にのけ反り、領主は目を剥いて呆然とした。だが当の本人は気にする様子もなく、のんびりと続ける。
「あ、当時も言いましたけど、恩に着なくて良いですよ~。水神って美味しそうだな~という自己中心的な食欲が理由ですから~。神って付いてるので勝手に倒したら怒られそうだったので、町の人に聞いたらむしろ討伐してほしいって言われたんです~。だからみんなで仲良く食べちゃいました~」
もし守り神として崇められている存在を倒したら、怒られる程度では済まないだろう。
(……ユキにも一応、常識というものがあるのですね)
「なんですか~? フィーネさん、その信じられないものでも見たような目は~?」
「気のせいでしょう」
と、はぐらかしたフィーネは、「なるほど。その後、ユキは救世主として崇められ、やがて勇者の伝承に変わったと」と話をまとめた。
「みたいですね~。いやぁ、あれは苦戦しましたよ~。ギリギリの戦いでしたけど、とても美味しかったのは覚えてます~」
「……貴方が苦戦したのですか?」
クレア、領主に続いて、今度はフィーネが驚愕する番だった。
ユキほどの強者がギリギリと言うなら、それは災厄級の怪物だったに違いない。もし今、同じ魔獣が現れたとして、自分はルーク達を守りながら倒せるだろうか。
そんな不安が一瞬よぎる。
だがユキは、そんなフィーネの思考など気にも留めず、朗らかに続けた。
「え? 弱かったですよ? この屋敷より大きなサメの魔獣だったんですけど、魔石が一番美味しいヒレの近くにありまして~。あまりにも柔らかくて、危うく削ってしまうところでしたよ~」
「……確かに『苦戦』で『ギリギリの戦い』ですね」
フィーネはもう何も言うまいと決め、静かにため息をついた。昔からこうなのだ、この人は。
少しでも多くの食材を確保するための苦労を苦戦と言わないでもらいたい。
「なぁ、領主殿……我等は今、歴史的な瞬間に立ち会っているのではないか?」
「……うむ。アクア最大の謎――勇者の正体が判明したな」
領主はわずかに震える声でそう呟いた。
「言っておきますけど、私の姿を広めたら不幸になりますよ~。『正体不明な美少女』って肩書で旅してるので、よろしくです~」
自分で言うな。
そうツッコミたい気持ちをグッと堪えて、二人はここだけの秘密にすることを誓った。
こんなのでも一応アクアを救った勇者なのだ。もしかしたら水神を倒した時も、こんなやり取りがあったのかもしれない。
「謎が解けて良かったですね」
「「……」」
フィーネのさらりとした一言が、なぜか二人の胸に妙な疲労感を残した。




