二話 魔法のある生活
これと言った問題もなく半年が過ぎ、ハイハイを習得した俺は、これまでのストレスを発散するように家中を徘徊しては異世界の情報をかき集めていた。
……まあ、ドアを開けられない今の俺にできるのは、部屋から連れ出してもらった時だけなんだけど。
本を読んでもらうか、体を動かすか。結局その二択しかない。
「あ~ぅ」
「コラ。なんでそんなにベッドを抜け出すの? 布団が嫌いなの?」
そして見つかれば即ベッド送り。俺に自由はない。
ただし、本好きであることは伝わったらしく、アリシア姉やフィーネさんを中心に家族全員が入れ替わり立ち替わり本を持ってきてくれる。お陰で徐々にこの世界のことがわかってきた。
まずこの国について。
ここはセイルーン王国の領地、ヨシュアという町。
国王の一族を頂点とし、貴族の爵位は以下の通り。
<公爵>王族の側近。
<侯爵>町を治める領主。
<子爵>領主の補佐。
<男爵>大規模な村の村長
町の規模によっては複数の貴族が分担して統治するらしい。ヨシュアもその例外ではなく、東西南北を子爵が管理。オルブライト家は北部担当だ。その上にまとめ役の領主がいる。
ちなみに北部はスラム街もある田舎扱い。というかヨシュア自体が田舎。周りに何もない土地らしい。
魔力は本来、五歳の時に神託で授かるもの。つまり俺は特異なケースだった。神様は口ではあんなことを言っていたけど、やっぱり特別に力をくれていたわけだ。
時間の流れは地球と同じで、一日は二十四時間、一年は三百六十五日。ややこしい換算が不要なのは助かる。
それと最近わかったのが、レオ兄がほとんど会いに来てくれない理由。
五歳で魔力を扱えるようになった後は一年間は制御を学び、六歳になると基礎学校に入学。彼はその学校へ通っている。しかもオルブライト家の跡継ぎとしての勉強まで加わり、超多忙。そりゃ赤ん坊に構ってる暇なんてない。
有難いけど、青春を勉強だけに費やすのはどうかと思う。もっと遊んで、ついでに俺を甘やかしてほしい。
一般的な赤ん坊の成長速度がわからないから無理はしたくなかったが、聞き取れるだけで実は別言語の可能性もある。意思疎通ができないのは不便なので、少し早いが発声に挑戦してみた。
「ま~ま~ぅ」
「ッ!? 今、ママって言った!? アラーーーーン!! ルークが喋ったわぁーーーっ!!」
……大騒ぎになった。
「本当かい!? レオもアリシアも一年近く掛かったのに! ルークは天才だね! ほぉ~ら、パパだよ、パパ!」
「ルーク、おねえちゃんよ~。アリシアおねえちゃん」
「僕はレオポルドだよ! レオ! レオって呼んで!」
母さんの悲鳴で家族全員が駆けつけ、自分の名前を呼ばせようと群がる。父さんなんか鬼気迫る顔。普通の赤ん坊なら泣く。
これはもう一度喋らないと収まりそうにない。
(俺は誰かに流されるような人間じゃないから『パパ』は選択肢から外れる。そして二言目で『アリシアおねえちゃん』はあり得ないので却下。残るは『レオ』か『ママ』だけど……俺より勉強を優先してるやつの名を呼んでもらえると思うなよ、この野郎)
「ま~ま、まんま」
厳正な審査の結果、俺は先程使った単語を口に出した。
「「「しゃべった!!」」」
一家全員、狂喜乱舞。赤ん坊だから当たり前なのに、いちいち感動されたり喜ばれるのは……いや、素直に嬉しい。前世では味わえなかったものだ。
ただし、やりすぎは困る。
「きゃあああああああああああっ! また私を呼んだ! やっぱりママが一番ね!」
「ルーク! 僕がパパだよ! ママが言えるならパパも言えるよね!?」
「アリシアって名前ながい~! だから呼んでもらえないの~!」
「残念だねアリシア。レオは呼びやすいよね? ほら、レオ! レオレオレオ!」
両親はヒートアップし、アリシア姉は名前の長さを恨み、レオ兄は刷り込みに必死。
そんな彼らから目をそらし、癒しを求めて窓を見ると――。
『フィーネです』
緑色に輝く文字がフワフワ浮き、労働に勤しんでいるはずのフィーネさんの顔が映し出されていた。
(……うん、今度呼んであげるね)
結局その日はずっとおねだりされ続け、舌足らずながら頑張って全員の名前を呼んだことで、ようやく解放された。
流石に『アリシアお姉ちゃん』は無理だったので最後に「アリ~」と言ってやると、照れ臭そうに笑って頬っぺたを引っ張られた。
「うええええ~~!」
「ッ! ご、ごめんなしゃ~い! ルークごめんねーっ!」
彼女なりの愛情表現のようだけど、これ以上気に入る前に止めようと痛そうに泣いてやったら、彼女も泣いた。反省したようなので今後は引っ張らないと思う。
(はあ……疲れた……)
悔いのない人生を送ろうと心に決めたのに、早くも自分の行いを後悔してしまう事件だった。
「ふぃー。まほー」
一度喋ってしまった以上もう遠慮はいらない。人目がある時や魔力切れの時に何をしようかと悩んでいたけど、その時間を発音練習に充てた結果、数週間で意味が通じるぐらい喋れるようになった。
これとハイハイを併用することで書庫に行くこともできるのだが、本は最下段しか取れないし幼児一人で読書は怪し過ぎる。そもそも文字が読めない。
要望を出せば済む話だ。
赤ちゃんプレイっぽくて恥ずかしいが、背に腹は代えられない。
「魔法……? ああ、魔術について知りたいのですか?」
どうやら魔法と魔術は別物らしい。けれど舌足らずの赤ん坊が言うことなので怪しまれずに済んだ。
「ルーク様は勉強熱心ですねぇ」
フィーネさんはあやすように優しい口調でそう言うと、書庫から魔術の本を持ってきてくれた。そして俺を抱きかかえて講義スタート。
「私達の生活は、魔力によって支えられています。使い道は三つ。魔術、精霊術、魔道具です。ルーク様は魔法と仰りましたが、それはこれ等を総称した呼び方ですね。一般的には『魔術』と呼びます」
なにか違うんだろうか?
俺の疑問を他所に講義は進む。
「部屋を照らすランプ。これは魔道具ですね。物質に魔法陣を刻み、魔力を動力として特定の機能を発動させます」
言いながらフィーネさんは壁にかけられているランプに明かりを灯す。
「そしてこちらは魔術です。光よ、ライト」
呪文詠唱と共にフィーネさんの手のひらに光の玉が生まれる。
「ご覧の通り、魔道具より魔術の方が明るくなります。魔道具は誰でも簡単に使えますが出力が低く高価。魔術は調整できる上にどこでも使えますが、術式を覚える必要があり魔力も大量に使います」
つまり一長一短だと。
魔道具は電気の代わりに魔力を流す電化製品って感じだな。そして複雑な魔法陣を刻み込める精密機械があるとも思えないので、おそらく手作り。高級品だ。
さっそく知識を活かせそうなものを見つけた俺は、さらに世界発展の役に立ちそうな知識を得るべく、フィーネさんに質問を続ける。
「しぇぃれー」
「精霊術ですね。これは世界中に無数に存在する精霊にお願いする術です。魔力を使用せずに魔術以上の力を使えますが、気に入られるかどうかは精霊の気分次第。扱いも難しく、適性者は数千人に一人と少ないです。ルーク様はもう少し大きくなってから調べましょうね」
これはどうしようもない。発動しづらいとか威力が弱いならまだ考える余地があるけど、相手にされないのは知識どうこうの問題じゃない。相手に好かれる方法とか俺が知りたい。
ただ、適性次第というのは俺にとっては有難い話。魔力がなくてもいろいろできそうだ。
「魔力は身体強化にも使えます。魔術の一種ですね」
フィーネさんはテーブルの上の俺を置いたと思うと、片手でテーブルごと楽々持ち上げる。
前にアリシア姉が俺を落としかけた時、一瞬で移動してきて片手で楽々キャッチした彼女なら、素の状態でもやれそうだけど気にしないでおこう。
「魔術と身体強化は魔獣と戦うために必須技術です。大きくなったらルーク様も身についてください」
魔獣――それはこの世界の外敵だ。
見た目は普通の獣だが、体内にある魔石のお陰で凄まじい力を発揮する。一匹で国を滅ぼすほどの力を持つ魔獣もいる。小さな村などは家の外に出るのも怯えなければならず、ヨシュアのような街でも安全とは言えない。
そんな外敵から人々を守るのが私兵を持つ貴族であり、王国騎士団であり、冒険者。
彼等は鍛えた肉体と魔力で魔獣を倒し、生活に役立つアイテムを手に入れてくれる。魔石は膨大なエネルギーが籠っているので魔道具の動力や魔法陣に、牙や皮はその材料や武具に、肉は食料になる。
脅威でありながら、生活になくてはならない存在でもあるなんて、皮肉な話だ。
「ふぃー、あぃがと~」
「フフフ、どういたしまして。わからないことがあれば何なりとお聞きください」
このお礼を終了の合図と受け取ったフィーネさんは、勉強を切り上げて俺をベッドへ寝かしつけてくれた。
(俺でも魔法陣作れたらなぁ。そしたら電化製品を片っ端から作って、加工力や生産効率を上げて、魔力操作が上手だから強くなって……素材集めて……)
そう考えながら、俺は夢の中へ落ちていった。




