二十話 ユキの力
「さて、今回の旅でいろんな進展があり、問題が浮かび上がったわけだけど……それを踏まえて今後の予定を決めよう」
風呂上がり。俺は自室にフィーネとユキを呼んで、秘密の会議を開いていた。
「まずは塩だ。食事改善と石鹸生産、この二つを軸に進めていく。食事は保存性と味の向上、石鹸では衛生と付加価値。どちらもオルブライト家の地位向上と世界復興の地盤固めには欠かせない。ただ問題は――供給量だな」
「貯水ボックス、ですね」
「そう。現状ではユキの協力ありき。数もサイズも質もすぐには揃えられない。特にサイズ。巨大な水魔石なんてそうそう手に入るんじゃ――ってなんだお前等その顔?」
俺が説明するにつれて、二人の表情が曇っていく。疑問や指摘があるなら話の途中でも遠慮なく言ってほしいと事前に伝えてあるし、そんな様子ではない。何かあるのだろうか。
「巨大な水魔石、道中で会った人にあげちゃったんですよね~。人助けで~」
「あー……まあ、そういうことなら仕方ない。不確かな計画より目の前の人助けだ。そもそも使うなんて知らなかったんだし気にすんな」
と、申し訳なさそうにしているフィーネにフォローを入れつつ話を続ける。ユキは「あーあ、やっちゃいましたねー」と他人事の顔だったので対象外だ。
「そこでだ。本体ではなく付属品に力を入れるのはどうだ? 貯水ボックスに汲み上げるパイプである程度ろ過する仕組み。ユキほどじゃなくてもそれなりの速度と品質の塩が作れそうじゃないか? 深層水も効果が薄かっただけで多少改善されたんだろ?」
それは以前から考えていた案だ。箱形式は家庭向けなら有効だが、商業化するならパイプとの併用は必須。むしろないとおかしい。
もちろん功績はフィーネに譲る。表舞台はノーセンキュー。トラブルの予感しかしない。
計画を聞いたフィーネは顎に手を添えて考え込み、真剣な声で答えた。
「……なるほど。たしかに貯水ボックスの改良は難しくても、ろ過装置なら材料次第で可能かもしれません。アクアでも小粒の魔石を給水パイプに複数取り付けて出力を確保していました。そこに石材や砂利、魔法陣などでろ過を付与すれば、貯水ボックスの性能は格段に上がるでしょう」
「おぉ~! つまり蛇口から飲める海水が出るんですね~?」
「そ、そこまではちょっと……」
そんなレベルのろ過装置を期待されても困る。てかそれもう海水じゃない。
「ろ過をどう魔道具化するかが鍵だな。地球だと砂や炭でやるんだけど、それだと塩分や栄養素まで抜けそうだし……いっそ古代の塩づくりを真似るか? 海水を砂場に撒いて濃度を上げてから煮詰めるとか。もしくは蒸発と加熱でちょちょっと」
「揚げ浜式ですね。アクアでは現役でしたよ。おそらくルーク様が思われているより魔術的ですが」
そうだった。ここは衰退世界でありファンタジー世界だ。原始的と思っている技術や文化が普通に使われていたりする。
「むむむむむ……」
「……今度はなんだよ」
いっそそっちの方向でどうにかならないかと考えていると、ユキが唸った。
「ユキはその名の通り雪精霊なので、火や熱に対して並々ならない敵意を持っているのです。逆に冷気や水が活躍すると喜びます。今回は両方役立つので嫉妬と歓喜がせめぎ合っているのでしょう」
「知らんがな」
個人の趣味嗜好は勝手にしてくれって感じだけど、他人のやることにまで口出ししてくるようなら容赦しないぞ。やっちまってくだせえフィーネ先生。
「てかこれ、水が熱に負けるって話じゃ――」
「むきょぉぉーーっ!?」
しまった。余計なこと言った。
ユキは奇声を上げて手足をばたつかせ、ピタッと止め――ニヤリと笑った。
「フッフッフ~。全てを解決する秘策を思いつきましたよ~」
「ほほぉー、聞こうじゃないか」
こんなのでもフィーネが認める強者だ。しかも間違いなく熱を使わないろ過方法。聞いておいて損はない……はず。
「私がアクアに転移して海水を取って来ればいいんですよ~」
「便利っ!!」
宣言通り、全ての問題を解決する神の一手だった。何もかもを無視して力で解決したとも言う。
ユキによれば、水気の多い場所ならどこへでも転移可能で、水の都と言われるアクアには部屋の扉を開ける感覚で自由に行き来できるらしい。
「運搬も任せてください。私にとって水は親戚みたいなものですから~。このぐらいなら魔力に変換できますよ~」
そう言ってユキは、部屋を埋め尽くすほどの氷の塊を出現させた。
「……アクアの海水ですか」
「その通り! それも深層水をギュギュっと圧縮したユキちゃん特製ですよ~! これで塩を作れば効率百倍、味は三倍、使用期限は一生涯です~!」
フィーネが言ってたのはこれか。マジで有能じゃん。
「そのような形で持ち運びできるとは知りませんでした」
「そんな怒らないでくださいよ~。ちょっと隠しただけじゃないですか~。サプライズのためには仕方ないことですよ~」
フィーネの咎める声。どうやら事前に無理だと言われていたらしい。帰路で作業すれば数日早く戻れたのに、理由もサプライズとは。さすがに同情する。
ユキの気まぐれに振り回されてるのは俺だけじゃなかった。
「それに私が飽きたら崩壊する方法なんて頼れないでしょ~? 私なら出来ると言われても現地に残って塩づくり続けます~」
「……そうですね」
さすがフィーネ。俺ならキレてる。こんなにも自分の気まぐれに自信があって、他人事なやつ見たことないぞ。普通もっと気を遣うし改善のために努力する。
「フッフッフ~。怒られることを怖がってたら悪ふざけなんてできませんよ~。そして相手の期待を裏切るのは、何も悪ふざけだけとは限りませんよ~」
無理だと思っていたことを実現し、やれると思っていることはやらず、何も思わなければ自由に振舞い、止める術もない。究極の天邪鬼。生まれついてのフリーダム。それを長所とすら思っていそう。
なんて厄介なやつ。
「この量なら樽五つほどの塩が作れますね。石鹸の生産量にもよりますが、調達は数週間に一度で済むでしょう。むしろ貯水ボックスのろ過が追いつかないかもしれません」
「マジか。そこまで行くと今度は塩の調達ルートを怪しまれる可能性が出てくるな……」
フィーネの目算によって生まれた不安。
オルブライト家に大量の塩が流れ込み、同時に石鹸を売り始めたら絶対怪しまれる。人の口に戸は立てられないもの。作り方がバレるならともかく、最悪、裏で俺が動いてるのがバレる。
しばらくは希少品として細々売るつもりだった。でもそれは塩の数が限られていたからの妥協で、これだけの量が安定(?)して手に入るのに何もしないのは勿体ない。
「私の力はバラしてもいいですよ~?」
「そんなことしたらオルブライト家が狙われるわ! こんな能力、世界中の権力者が欲しがるだろ! しかも手に入るの塩じゃなくて海水だし!」
芋づる式に貯水ボックスや俺の存在までバレる。
「いっそ、アクアで石鹸製造まで一連の事業として行いますか?」
「んー……たしかにそれもありだな」
工場ならより多くの雇用が可能というだけで、流通や販売で雇用は生まれる。ヨシュアから人を送ったっていい。現地調達・現地加工ならコストもかからず、塩の出所隠しにもなる。アクアも豊かになって一石三鳥だ。
ただ――。
「でもさ、有名な観光地だろ? 土地の確保は難しいし、海岸限定だから景観や漁業の問題が出るんじゃないか? かといって町以外だと魔獣被害が怖い」
「なら領主を巻き込んで正式な事業にしちゃえばいいんですよ~」
「お前、アクア領主と知り合いだったの!?」
「今回の旅で知り合いました」
答えたのはユキではなくフィーネ。
トラブルがあったとは言っていたけど、本当にいろいろあったようだ。どうやったら町一番の権力者と知り合いになるのか。まあ夕食時に詳しく聞けるだろう。
「それに関連してご報告が。世に出回っていた安価の塩ですが、製造方法に深刻な問題がありましたので、企業ごと潰してきました。これで石鹸の不備も解消されるはずです」
「何してんの!? だ、大丈夫なのかそれ……?」
「危険なものでしたから当然です。当面の塩の補填も問題ありませんし、今なら塩産業に参入しやすいでしょう」
「そ、そっか……うん、それはいいことだな」
平然と武力介入しているメイドさんに畏怖しつつ、俺は「まあ悪徳企業が消えるのはいいことか」「これは商売チャンスだ」となんとかポジティブシンキングで心を落ち着かせる。高品質な塩を手に入れた今ではあまり意味はないけど、安物で石鹸が作れなかった原因が判明したのも収穫だ。
「そうなるとヨシュアで石鹸生産したいな。合法的に塩を運び込めるなら町も潤うし、物流や販売に一枚嚙めばオルブライト家もウハウハよ」
「あれれ~? もしかして私いらない子ですか~?」
「そんなことないぞ。ろ過装置が作れる保証はないし、塩が多いに越したことはないからな。しばらくは頼みたい」
「私が飽きる前に完成させてくださいね~」
くそっ、こんな気まぐれなやつを事業の要に据えるなんて、リスクが大きすぎる。
どこかの地下に巨大貯水タンク作るか? 精霊術あればすぐだろ。
「海水がどのぐらい持つか誰か知ってる……って使用期限は一生とか言ってたな。あれ本当か? その場のノリじゃなく?」
「モチのロンです~。ルークさんに向けての『一生』なので、何千年とか期待されると困りますけど、百年ぐらいなら余裕ですよ~」
「井戸に限界感じてたし丁度いいな。うちの地下か近所に塩工場作って、残った真水は家庭用に回す……どうだ?」
「良いと思います」
「私もまったく同じことを考えてました~」
胡散くせぇ……なんでフィーネみたいに素直に同調できないんだ。手柄を主張する分だけ信用を削ってるって気付かないのか。
「なのでこの氷玉、アランさんとエリーナさんには既に見せてあって、食糧庫近くに地下室を作って流し込む許可も取りました~」
「まさかの事実だとぉ!? 有能だとぉ!?」
「ルーク様、これがユキです」
「……なるほど」
いや、凄いわ。いろんな意味で。
「では私は石鹸販売の準備と、念のために塩の入手経路を調べておきます。アクアの海水をどのようにヨシュアに持ち込んだか、理由付けが必要ですから」
「頼んだ」
フィーネも負けてはいない。真っ当に優秀だ。
とりあえず明日からやるべきことは、今ある塩で石鹸を試作、収穫間近のサトウキビで砂糖づくり、そんでもって各種魔道具づくりだ。
「それじゃあ、話は一旦まとまったな。あとは――」
腹の虫がグゥと鳴いた。さっきまで頭の中が塩と石鹸でいっぱいだったせいで、すっかり忘れていたけど、風呂上がりの空腹はごまかせなかった。
「夕食にしましょう。領主の件も、その席で詳しくお話しします」
「そ、そうだな」
「はぁ~い! 私はお肉がいいです~! あ、でも魚も! アクアの名物ですし~!」
「お前は欲張りすぎだ。もしなくても暴れるなよ」
ユキの駄々っ子じみた要求をいなして部屋を出ると、廊下にはすでに香ばしい匂いが漂っていた。ローストされた肉の甘い香り、焼きたてのパンの香りが鼻をくすぐり、俺の腹の虫はさらに騒ぎ出す。
食堂に入ると、テーブルいっぱいに料理が並んでいた。肉のロースト、香草を詰めた焼き魚、野菜のスープ、そして焼きたてのパン。まるで宴会のような豪華さだ。
「おぉ……豪勢だな」
「フィーネとユキが沢山食材を持ち帰ってくれたからね。今日ぐらい贅沢しないと調達してくれた二人に申し訳ないわ。フィーネの帰還祝いを兼ねてね」
既に着席していた母さんが、優しく微笑んだ。
「では――」
「いただきま~す!」
皿が動き、湯気が広がり、笑い声が重なっていく。
その賑やかな食事も終盤に差し掛かり、父さんが背筋を正して切り出した。
「それじゃあフィーネ。この一カ月で何があったのか、詳しく聞かせてもらえるかい?」




