一話 ルーク=オルブライト
(ここは……? 俺は転生できたのか?)
目を覚ました瞬間、俺は前世の記憶があることに安堵し、そして自分に起った変化に動揺した。
両手両足どころか首すら動かせず、自分の身体を見ようと思っても身動き一つ取れない。
仕方がないので筋弛緩剤でも打たれたかのように力が入らない身体を諦め、唯一自由になる眼球を動かして周囲を見渡す。少しでも情報を集めないと。
(やけに天井が高いな。あと電球がない。壁のあれはランプ? それに俺を囲ってる柵は赤ちゃん用ベッドかな。背中にフカフカした感触あるし。本の背表紙は……うん、読めない)
動かない身体。巨大な空間。馴染みのある家具。見たことのない文字。
そこから導き出される結論は――。
(赤子に生まれ変わった直後で、家のベッドに寝かされてる?)
今の俺に出来るのはそれを信じてまな板の上の鯉になることのみ。
(…………ちょっと待て。信じる? “あれ”を?)
俺は転生する直前のことを思い出して愕然とした。
本当にあの駄目神を信じて良いのか。能力も与えられない廃れた世界の神を。やったことと言えば精神調整だけ。それだってやつの力か怪しいし、思い返してみれば転生についても順番が回ってきたと言っていたのでやつ自身は何もしていない可能性が高い。
転生先を間違えてもおかしくない。そもそも転生先について何も言っていない。ヤバい契約の常套手段だ。
ひたすら自分に言い聞かせていた俺は、転生する直前の事を思い出して愕然とした。
「あ……る……えい…………ね」
そんな俺の下に巨大な女性が現れた。
何か話し掛けたかと思うと、ふわりと抱きかかえられる。
顔には優しい笑みを浮かべ、全身から母性が溢れ出す、三十前後の女性。
(なるほど、彼女が俺の母親か)
本能で理解した。そして実感した。
俺は自分が赤ん坊として生まれ変わったのだ。体が動かせないのは生まれたばかりで筋肉がないからで、彼女が言っていることを何一つ聞き取れないのは耳や脳が未発達だから。
そこは成長するまでの辛抱だな。
そしてごめん神様。ちゃんとしたところに転生させてくれたんだな。能力授けてくれなかったのと、ろくに説明もなく放り出されたことは許してないけど。
意識を取り戻して2週間。
ようやく言葉を聞きとれるようになり、いろいろなことがわかってきた。
俺の名前はルーク=オルブライト。生後一カ月。貴族の次男坊らしい。
これまで会った人は瘦せ細っておらず身なりもきちんとしている。 使用人までいて、各々自分の部屋がある。俺が普段過ごしている部屋は俺専用。夜になると両親の部屋に連れて行かれるが、廊下も部屋も綺麗なものだった。
つまり金持ち。
これは勝ち組ですわ。平和に安全にいくらでもやりたいこと出来そうですわ。神様の話ではかなりヤバそうな世界だったけど、豊かな生活を手に入れるために頑張ってくれた両親に感謝。
「またルークが私をジッと見てるわ。ねえ、何かおかしな所でもある?」
そんな俺の気持ちが届くはずもなく、むしろ戸惑わせてしまう。
意識を取り戻して最初に見た女性はやはり母親だった。エリーナ=オルブライト。
茶色の瞳と薄い茶髪をした優しそうな美人さんである。
やれることがそれしかないからか、観察癖がついてしまったようだ。失敬、失敬。
俺は誰もなく言い訳をして、母さんの隣に居る少女に目を向けた。
「なんで私を見ないのー! って見たぁあああああっ!!」
いつも母さんと一緒に現れては俺にチョッカイを掛けてくる、このテンション高めの少女は、3歳になる姉、アリシア。金髪碧眼ツインテールの幼女さんだ。
よほど俺に覚えてもらいたいのか、登場する度に「お姉ちゃんよ~」と自己紹介を欠かさない。
「なにこれ、手ぇ小っちゃーい! 顔プニプニー!」
弟を可愛がるのはいいけど赤ん坊の頬っぺたを引っ張るなよ、泣くぞ。好奇心旺盛もほどほどにしとけ。
そんな構ってちゃんな姉とは違って、兄は数えるほどしか部屋に来たことがない。
もうすぐ6歳になる兄の名はレオポルド。愛称はレオだ。
将来を約束された金髪イケメンである。しかも優しい上に頭までよく、母さん曰く「頭が良いから将来は王宮に入れるかも」とのこと。
兄が優秀なのは大変結構なことなのだが、もしも俺の持っている知識が通用しなかった場合、格差が酷いことになりそうなのでほどほどにして頂きたいものだ。
まあ、アリシア姉がアホそうなので、三兄妹で上中下でちょうど良いのかもしれないけどさ。
「やあルーク。今日も元気そうだね」
最後に一家の大黒柱。アラン。
金髪碧眼のイケメンで穏和な性格だけど、毎朝の鍛錬は怠らないらしく、机仕事とは思えない身体つきをしていらっしゃる。しかも汗臭かったことがないので気遣いもできる。
魔法使いになりたい俺としては、将来同じ鍛錬に付き合わされるかと思うと今から憂鬱な気分になる。
レオ兄みたいな知識面ならともかく体づくりはちょっと……いや、頑張るけどね。生前は温室育ちってことを考慮した内容で頼むよ。
ここに俺を入れた五人がオルブライト一家。
まだ会ったことのない使用人が数人かいるみたいだけど詳しくは知らない。
でも俺の世話をしてくれているメイドさんならわかる。
緑の瞳と腰まで伸びた銀髪がとても幻想的な超絶美人なエルフのフィーネさんだ。
「あぅ~~」
「ルーク様どうされました?」
見た目は22歳ぐらいだけど、落ち着いた雰囲気や両親の態度から察するにもっと上っぽい。つまり年齢不詳。
だがそんなものは些細な問題。尽くしてくれる美人さんというだけで何でもOKさ。
「ルーク様は髪や耳がお好きですね。いえ胸でしょうか? ……まさか女性の体?」
……違うよ? 異世界で赤ん坊に転生したら美人のエルフメイドが世話してくれるようになったとか、甘える以外の選択肢ないじゃない! ご立派な、それはそれは大層ご立派なモノが胸部に二つあるから、そこに手をついて耳や髪を調べてみたくなるでしょ! 手すり代わりにしてるだけ! そう、あくまでも目的はエルフっぽい部分!!
というわけでもうひと触り。赤子らしさも忘れずに。
「きゃっきゃ」
「…………」
彼女は母さんが俺を身ごもった直後ぐらいに雇われたので、オルブライト家にきて一年も経っていないらしい。あまりにも有能で全員から絶大な信頼を寄せられていて、その腕を見込まれて貴族の赤ん坊の世話という重要な役目を与えられた天才魔術師なんだとか。
生活魔法ぐらいしか使っているところを見たことないけど、エルフでメイドで美人で優しくて周りからの評価高いのだから、是非とも将来は彼女を師事したい。これで無能や悪人だったら神様を恨む。
まだ自由に動き回れないので、ベッドの上で会話を聞いたり周囲を観察するだけの毎日。
しかし退屈はしない。俺には魔法の訓練という素晴らしい暇つぶし……いや、充実した時間を過ごす方法があるのだから。
この世界では魔力や魔法は日常的に使われている。
例えばランプ。魔力を込めれば光る照明器具で、この世界では電球や松明の代わりだ。
俺にも使えるんじゃないかと試しているうちに、全身の血液の流れを意識すると異常に疲れることがわかった。きっとこれが魔力を消耗するということ。使うほど上達するし、魔力容量だって増えるはず。
手応えを感じた俺は、人目を盗んでこの訓練に励んでいた。
「ルーク!? 誰か医者を呼んでぇーーっ! ルークが動かないのっ!」
その結果、枯渇したのか失敗したのか、意識を失って大騒ぎになった。
「落ち着いてくださいエリーナ様。これは熟睡しているだけです」
「そ、そうなの……? 疲労や魔力切れや空腹の衰弱に似てるけど違うのね?」
「はい。よく眠っておられます」
「よかったぁ~。でも今後も起きるかもしれないわね。みんなに言っておかないと」
これを解決したのもフィーネさんだ。身体状態の把握、外敵の確認、治癒魔術、慌てる母さんをなだめるのを全部一人で、しかもあっという間にやったらしい。
意識がなかったので後から教えてもらった話だ。周囲への注意喚起とも言う。
上限や落ちる寸前の感覚はわかったので、それ以降は魔力が無くなる前に終了するようにしている。
たまに母さん達が様子を見に来るので油断はできない。
おそらく赤子は魔力を使えない。
根拠はアリシア姉が一度も魔力を使っていないこと。
あの姉はそういうの絶対自慢してくる。室内で使うなと怒られても気にせず見せつけてくる。やらないということは、一定の年齢まで使えないとか、特殊な儀式が必要とか、何か条件があるのだろう。
天才扱いされるならまだしも、異常者ということでダークファンタジーに突入するのは嫌すぎる。慎重に行動していこう。
(にしてもランプか……値段とかエネルギーの消費ってどうなってるんだろ?)
さっそく知識を活かせそうなものを見つけた。
しかしまずは動き回れるようにならなければ始まらない。赤ちゃん生活は楽だけど、本読んだり外出したりできないし、どんな世界かわからないと下手なことはできない。
いつ立ち上がればいいのか、いつ喋り出せばいいのか、いつ魔力を使えばいいのか、普通がわからないって結構怖い。
(おかしいな……結局普通を求めてる。いやでも神様も言ってたしな。全部必要なことだって。普通が悪いわけじゃない。平均や常識を知った上でそれに囚われることなくやりたいことを探せばいいんだよな)




