百十話 とある雪の日に
年中雪が積もっている極寒の地に1体の精霊が生まれた。
『それ』は他の精霊達とは違い、自我を持ち、生まれた瞬間から『自分』という存在について考える変わった精霊だった。
(私はなんだろう?)
周囲の精霊に尋ねても「考えたことも無いし、考えるつもりもない」と言う。
しかしその精霊は何故か考えずにはいられなかった。
が、いくら考えても何も生まれたばかりの精霊にはわかるはずもない。
そんな精霊の下に、大雪であるにも関わらずスコップで雪をかき分けつつ1人の少女が現れた。
「精霊さん、こんにちは~。今日も寒いね~」
彼女は人でありながら清らかな心を持ち、生まれた時から精霊を認識できる女の子だった。歳は13、4歳の別段美形でもない普通の少女だ。
そんな少女にとって精霊とはどこにでも居るものなので、他の精霊も多いこの場所で自我を持つ精霊だけに話しかけたわけではないだろうが、その口から出た言葉を精霊は学んだ。
(こんにちは・・・・誰かに話しかける時に使う言葉)
「今日はね、お芋を掘りに来たの~。食料が無くてみんな困ってるから。人は何か食べないと死んじゃうんだよ~」
応える者の居ない独り言で説明しつつ、少女は持ってきたスコップで辺りの雪を掘り始めた。どうやらこの下に作物が埋まっているらしい。
(食料・・・・生物が生きるために必要な物)
先ほどと同じく学んだ精霊は、そのお礼に少女を手伝って雪を取り除いてあげた。
「精霊さん、ありがとう。またね~」
そして芋を掘り出した少女は来た道を戻っていった。
(ありがとう・・・・感謝の言葉。
またね・・・・再会の言葉)
そんな日が何日も続き、少女から様々な事を学ぼうとした精霊はついに家にまでついてきた。
(家・・・・少女が暮らしている寒さをしのぐ場所)
「あれ? 精霊さん、いらっしゃ~い。遊びに来たの~?」
少女は若干珍しがっただけで精霊の訪問を受け入れているが、彼女の家族は精霊が見えないので挨拶もない。
「フッフッフ~。ちょうど良いから、いつも雪かきを手伝ってくれるお礼として君に文字を教えてあげよう~」
(フッフッフ~・・・・人に話しかける時に使う言葉)
「ご、ごめん・・・・それは覚えなくていいよ。私の口癖みたいなものだから。
じゃあ最初は『ありがとう』ね」
少女が木の板に書いてくれた文字をなぞり、同じ文字を空中に魔術で書く。それを何度も繰り返すことで精霊は人が使う言語を覚えようとしている。
生まれたての精霊が使う微弱な魔術など少女ですら見えなかったが、精霊が喜んでいる事は理解できた。
少女達が寝静まった後、雪原に戻った精霊はプレゼントされた板をジッと見つめ続けていた。
次の日も、その次の日も、精霊は何をするわけでも無く少女の家を訪れる。
彼女に時間のある時は色々な事を教えてもらい、彼女が忙しい時はその様子を近くから眺めていた。
「精霊さん、私、今度結婚するの。『結婚』って言うのは誰かと一緒に暮らして家族になるって事。
近所の〇〇〇って言う男の子なんだけど、何度か会ってるよね?」
少女から告げられた名前も今となっては思い出せないが、この数週間後から少女の近くには常に同じ男性が居るようになった。
これが『結婚』と言うものなのだろう。
男性と暮らすようになってから、少女の(いやすでに女性と言える年齢だろう)お腹が大きくなり始めた。
(病気?)
「これはね。私のお腹に〇〇〇との赤ちゃんが居るの。人が子孫を残すために必要な事」
言葉はマスターしたが、まだまだ学ぶ事の多い精霊が気になって尋ねると女性は照れながらも丁寧に教えてくれた。
そんな虚空へ向かって喋り続ける彼女に対し、隣の男性は気にせず慣れた様子で見ている。
しかし最近は外で話す事が減っていた。
女性以外には見えない精霊と話しているその姿は独り言を言っている様にしか映らないので、見ず知らずの人からは精神が病んでいるのでは、と心配されるのである。
その事を理解した精霊も家でしか話しかけなくなっていた。
生まれた子供は小さな女の子。
見る見る大きくなったが、初めて女性と出会った頃と同じぐらいの年齢になっても娘が精霊を見ることはなかった。
(私の事が見えるのはアナタだけ)
「そうね。娘の〇〇なら話せるんじゃないかと思ったのだけど・・・・。
話し相手が私だけじゃ不満かしら?」
娘が生まれてから女性の口調が大人っぽくなった。
母親として子供の見本になりたい、と言っていたので今後はこの口調で生活するのだろう。
(口調・・・・周りに印象を与える話し方)
その後も女性のお腹が大きくなる、子供が生まれる、という生活を繰り返し、アッと言う間に子供4人を加えた6人家族になった。
最初の娘と同じで誰も精霊を見ることは無かったが、他の家族を知らない精霊から見えても幸せそうな一家で、例え自分が関われなくてもその様子を見ているだけで嬉しかった。
(幸せ・・・・みんなが笑顔で居る事)
しかし、ある日を境に夫の姿を見なくなった。
(どこへ行ったの?)
「・・・・戦争があったのよ。食料を求めて平和に暮らしてる土地を奪い合うの。
だからあの人もここを守るために戦わなくちゃいけなくて、でも戦いなんて出来ない人で・・・・」
だから遠くへ行って2度と帰ってこないの、と母親は泣き出した。
精霊はもちろん、小さな子供達に『永遠の別れ』などわかるわけもなく、突然泣き出した母親を見ているしかない。
しかしそんな精霊でも、彼とはもう会えないと言うのは理解できた。
(戦争・・・・食べ物が無いから起きる殺し合い)
精霊には『命』と言うモノを理解しようも無いが「争いが無くなれば良いのに」とは思う。
こんな悲しそうな母親を見るのは嫌だった。
家の庭に遺体の無いお墓を作り、夫の名前を刻んで一家揃って「さようなら」と告げる。
(さようなら・・・・別れの言葉。永遠の別れ)
愛する夫が亡くなった事が原因かもしれないが、その日を境に母親はドンドン弱っていった。
(体に異常はない。生きる気力がないだけ)
慰めるわけではないだろうが、人体に詳しくなった精霊は事実を淡々と告げる。
「・・・・そうね。子供達も大きくなって手がかからなくなったし、私が生きる理由も無くなってしまったから」
一時は6人もの大家族だったのだが、夫は亡くなり、先に生まれた2人の子供は遠くで暮らし、残る2人は亡き父の敵を取るために未だ続く戦争に兵士として参加すると言っていた。
近々全員バラバラになり、母親1人だけが雪の国に残されるのだ。
(幸せな家族は簡単に壊れる。永遠に続く事はない)
「それが人の生き方なのかもしれないわね。『寿命』と言うどうしようもない制限の中で昔からずっと続いてきた自然の摂理」
人はなんと脆いのか・・・・。
表情など存在しない魔力の塊である精霊は悲しそうな顔をした。
「でもだからこそ人は精一杯生きようと努力するの」
そんな精霊の雰囲気を感じ取った母親が「それが人よ」と言って静かに眠る。
それから母親は1日のほとんどを寝て過ごすようになった。
食料は精霊が運んでいたのだが、最近はあまり口を付けることもない。
寝ている彼女に向かって治癒魔術を使う人がやってくるが、精霊の目から見て母親の体は健康そのものであり、無意味な魔術で何をしているのか理解できなかった。
その頃にはどこに居ても遠くの場所の事がわかるようになった精霊は、力が高まる雪原から世界を観察するようになっていた。
母親とは数日に1度、食料を運んだ時に少し話をする程度である。
寝ている母親の相手よりも、知らない世界を眺める方が楽しかったのだ。
「精霊さん! 精霊さん居ますか!? ボクです、〇〇〇ですっ!!」
雪原に少年の声が響く。
彼は母親の下を離れて遠くで暮らしている息子である。母親以外の人を覚えていない精霊だが、たまに帰郷した彼に会っているので間違ってはいないはずだ。
そんな少年が何故か必死に雪原を駆けまわっている。
(どうしたの? は、聞こえないか)
一応呼ばれたので彼の目の前に現れはしたが、これまでに精霊の姿を見た者は母親だけ。当然少年にも見えるはずが無かった。
「母さんから呼べば現れると言われたので居ると信じます。
お医者様の話では母さんはもう長くないそうなんです。だから最後にお世話になった精霊さんに会いたいと言っています。至急、家まで来てください!」
少年は何度か同じセリフを繰り返し、早々と家の方へ引き返していった。
(長くない、つまり命が尽きそうになっている)
以前、母親が言っていた『寿命』と言うものだろう。
人の生きられる時間は決まっているらしいのだ。
世界を観察したことで多くの死を見てきた精霊は、これが永遠の別れになる事を理解した。
「あら? 精霊さん、こんにちは。なんだか久しぶりね」
数日に1度は会っているのだが、意識が朦朧としているのか、記憶が無くなってきているのか、彼女は久しぶりの再会を喜んでいる。
母親が横たわっているベッドの傍には、先ほど雪原で叫んでいた少年を含めて遠くに行ってしまった4人の子供達が集合していた。
「見えるか?」
「いいえ・・・・でも母さんは昔から精霊と話せるから居るんでしょ」
「って言っても見たり話せるだけで何が出来るわけでも無いんだけどな」
「これが何か役に立てばもっと良い暮らしが出来たんだろうけど」
思った通りあまり歓迎される能力ではないらしく、もしかしたら精霊が知らないだけで村人からは疎まれていたのかもしれない。
(精霊が見えても意味が無い・・・・役立つ力・・・・・・)
「ごめんなさいね、悪い子たちじゃないのよ?
ここでの生活に苦労してたからちょっと口が悪いだけなの」
(気にしてないから。私が干渉出来るのはアナタだけ。何も変わらなかったアナタだけ)
実は精霊がこの村に大量の食べ物を運んだことがあった。食糧難だと言うので喜んでもらえると思ったから。
しかし、ある者は気味悪がって村を出ていき、ある者は「神様が居るから働く必要はない」と自堕落な生活になり、またある者達の間では「不平等がある」と争いに発展した。
精霊が干渉したことによって村は悪い方に動いてしまったのだ。
それを知ってしまって以降、何もしていない精霊を見えるだけの力など『役立たない能力』と言われても仕方がなかった。
母親は初めて精霊と会った頃から今での人生を語り出した。
まるで最後に楽しい思い出話をしよう、と誘っているかのように・・・・。
(寿命? 死ぬの?)
「そうね。寿命とは違うかもしれないけど、死ぬと言うのは正解」
弱気な発言だが、実際そんな母親の発言を訂正する人物は誰も居なかった。
全員が諦めているのだろう。
手が無いから泣くしかない。
「でも私、嬉しいのよ?」
もうすぐ命が尽きようとしているにも関わらず母親は笑っていた。
「我が家に伝わる格言があってね。
『あなたが生まれたとき、あなたは泣いていて周りの人達は笑っていたでしょう。
だから、いつかあなたが死ぬとき、あなたが笑っていて周りの人たちが泣いている。そんな人生を送りなさい』
今それが出来てると思わない?」
たしかに彼女が4回赤ちゃんを生んだ時、生まれてきた彼らは泣いていた。その周りは新たな家族の誕生を喜んで笑っていた。
そして今、彼女は笑い、周りは泣いている。
(なんで笑うの?)
死んで無になる恐怖はわからないが、精霊が見てきた死の多くは絶望や虚無感で一杯だった。
しかし彼女は笑っている。怖くないのだろうか?
「もちろん苦労は一杯した・・・・けれど・・・・・・。
生涯の友達が居て。
愛する人が居て。
大切な子供が居て。
1人足りないけど、そんな人達に囲まれて最後を迎える人生って素敵でしょ?
むしろ死後の世界で愛する人が待ってるって言うのも良いわね・・・・フフフ」
そう言った彼女の表情は嘘偽りのない満面の笑みだった。
(・・・・・・ちょっと行く場所が出来たから。
待ってて、絶対待ってて)
そんな母親の言葉に何か思い立った精霊がどこかへ行くと言い出した。
「あ、早めにお願いね。素敵な最後を迎えられなくなるから」
(わかった)
たぶんこれが彼女の最後の願い。
絶対に叶えなければいけない、最後の・・・・。
母親、いや少女と初めて出会った場所にやってきた精霊。
初めてもらった思い出いっぱいのプレゼント、今ではボロボロになった『文字練習用の板』を見つめて考え始めた。
(私はなんだろう?
今ならわかる。
私は精霊。
幸せな人生を守る精霊)
そして精霊は人となった。
真っ白な髪で、真っ白な目で、真っ白な肌をした人に。
「急いで戻らないと」
人となった事に何を感じるわけでもなく少女は駆けだした。
すると周囲の精霊から声が掛かる。
「え? 服? たしかに、人は裸で外に居ない」
どんな服を着ようか迷っていると、幸せな人生を守る精霊なので口調も気になりだした。
「人を幸せにする精霊の口調・・・・あの子を真似すればいいかな~?
ん~。何か違う・・・・」
時間がないと言うのに無駄な事で悩み始めた。
いや、少女にとっては大切な事なのかもしれないが、そんな事より一刻も早く母親に会いに行くべきだろう。
「・・・・・・そうですー! 丁寧な口調をプラスすれば、和みながらも大人社会にだって通用するパーフェクトな口調になりますね~。これです~」
どうやら決まったらしい。
が、再び周囲の精霊から『待った』が掛かる。
「え~? この口調は気に入らない? 雪の精霊はクールじゃないとダメ? 直さないとストライキ起こす?
良いんですー! これが私の考え出したキャラクターなんですー! 服も自分で用意するんで存分にストライキしててください~。もう頼まれたって呼んであげませんからね~」
と言った少女は自ら真っ白なワンピースを魔術で作り出して、雪原には居るはずもない夏場の爽やかな少女へと変貌を遂げた。
「あっ、名前も必要ですね~。
・・・・雪の精霊・・・・・・雪・・・・ユキ!? 良い名前じゃないですかー!
今日から私の名前はユキですよーっ!」
そしてユキは母親が待つ家へと帰って来た。
人を幸せにする楽しい精霊として。
「フッフッフ~。精霊のユキちゃんが遊びに来ましたよ~」
「「「誰っ!?」」」
4人の子供達は突然やってきた不審者に声を揃えてツッコんだ。
今まさに母親との死別の時にも関わらず、先ほどまでのシリアスな雰囲気とは真逆の和やか空気へと一瞬で様変わりする。
「ッフ・・・・ッ・・・・・・フフッ!」
そんな子供達とユキのコントを見て、死に際の人とは思えないほど爆笑し出す母親。
彼女が今まで見ていた精霊とは似ても似つかない姿と口調で登場したユキに笑うしかなかったのだ。昔の口調を真似されたと言うことも原因だろう。
「・・・・ふぅ、面白かった。その姿では初めまして。精霊さんよね?」
「そうですよ~。アナタの親友ですよ~。役立つ精霊ですよ~」
役立たない発言を気にしないとは言ったものの、実は結構気にしていたらしく何度か『役立つ』というセリフを自己紹介に入れていた。
それから子供達も交えて母親の人生を色々話す。
人になったユキは言葉使えるので、今まで伝えられなかった思いをこの場に居る全員に伝えることが出来た。
「あ~、旦那さんと初めて着エロしたのはその時ですよね~」
「・・・・人の黒歴史を掘り起こさないでくれる? そんな冥途の土産はいらないの」
子供達も両親のエロ話を聞いてどう反応したものか悩んでいる。
「ありました~。これが旦那さんのエロ本を買うために隠していたヘソクリですよ~。20年もの間ずっと見つからなかったんですね~」
「・・・・・・だから下ネタから離れてくれる?」
当然子供達は聞かなかったことにしている。
「あの時、犬に襲われた息子さんを助けるために、ボス犬の真似をして遠吠えしたんですよね~」
「・・・・・・・・・・そうね。それで、人が集まってくれたのよね」
大声で人を呼べば良かったのでは? と思った子供達だがツッコミはしなかった。
「旦那さんが亡くなってから4人ぐらいの男性に求婚されてましたよね~。モテモテです~」
「・・・・・・・・・・・・・・・・大人の女の魅力、が・・・・あったでしょ?」
何故か子供達は静かに佇んでいる。
「結婚した当時は料理苦手でしたよね~。失敗したのを食べさせられた記憶がありますよ~。一生懸命魔力に分解したんです~」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ごめん・・・・なさいね。でも・・・・・・上達、したでしょ?」
「知ってました~? 実は教えてもらった掛け算が間違ってたんですよ~。私が間違えて覚えちゃったらどうするんですかー! これは責任問題ですよー!?」
「・・・・えぇ・・・・・・・教えて・・もらわないと、ね」
「最初に出会った時、私が雪かきを手伝わなかったら半日仕事だったんですよ~? これは感謝の証に美味しい料理を振舞ってもわないといけませんね~。あの白くてトロっとしたソースを所望します~」
「・・・・・・」
「初めてプレゼントしてもらったあの木の板、もうボロボロになっちゃいましたけど今の私なら魔力変換で永久保存が出来るんですよ~。あの汚い字が永遠に残っちゃうんですよ~。これは恥ずかしいですね~」
「・・・・」
「知ってました~? 実は私、魔獣とか結構追っ払ってたんですよ~?
私、役立ってますよね~?」
「 」
「楽しかったですよ。ありがとう・・・・。
そして、さようなら・・・・・・コレットさん」
初めて出来た親友との永遠の別れだった。
ユキはこの出会いを生涯忘れない。
その日もいつもと変わらず外には真っ白な雪が降っていた。
少女と初めて会った、あの日と同じように・・・・。
ごく稀に自我を持った精霊が生まれる。
その中でも数千年に1度、姿を変えられる者が現れると言う。
古来より伝承のみで伝わるその存在はこう呼ばれている。
『精霊王』と。
な、長かった・・・・今までで1番長いです。
でも途中で切る訳にもいかず1本にまとめました。
この話はユキを登場させた時から考えていたものです。
おバカキャラのシリアスな一面を書いてみたかったので。
昔とある漫画に書いてあった『あなたが生まれたとき~(略)』って文章が印象的で使いたかった、と言うのもあります。元ネタはネイティブアメリカンの教えらしいです。
たぶんユキのシリアスは2度とないので、今後はおバカキャラとしてこの小説を盛り上げてくれると思います。