十五話 風呂に入りたいⅢ
あの後、マリクとエルも露天風呂を堪能し、残る関門はこの素晴らしい体験をしていない父さんと母さんだけとなった。
恐れる必要はない。入りさえすれば納得してもらえる自信がある。
(クックック……さらば、サウナもどき。これからは入浴の時代だ!)
「この子はどこでこんな笑い方を覚えたのかしら……」
勝利を確信して笑みをこぼす息子に対し、母さんは悪徳政治家でも見るような目を向けてきた。というか言葉とため息で殴り掛かってきた。
幼児のすることに意味などないのです。イヤらしい笑みを浮かべたり、どこぞの覇王みたいなセリフを吐いたり、生活に役立つアイテムを作り出すことなんて、気分次第でいくらでもあります。
……最後のはあんまないかな。
「はぁ……」
まるでその心の声が聞こえていたかのように深いため息をつく母さん。
もちろん俺はそんなこと気にせず、精一杯の訴えをおこなった。
「ママ~♪ ぼくね、いっしょうけんめいお風呂つくったの♪ はいってはいって~♪」
「どこでこんな憎たらしいクソガキみたいなやり口を覚えたのかしら……」
おいマザー。それがカワイイ息子に対していうセリフか? こちとら少しでも機嫌取ろうと天使演じてんだよ。親なら赤ちゃん言葉で「しゅごいねー」「えらいでちゅねー」って褒めろよ。喜べよ。
……三歳相手には厳しいか。
でも罵倒は違うと思う。あと『やり口』って言わないで。成功すると思っていただけに凄く傷つく。
「親なら黙って子供からのプレゼントを受け取ってよ」
「これはこれでムカつくのよねぇ~」
どうしろっちゅーねん。もうアンタ親に向いてないよ。
まあ、こんな辛辣極まりない本音をサラっと出せるということは気心が知れていると言えなくもないし、仕事や育児のストレス発散に手を出す親より百億倍マシだけどさ。
とにかく伝えることは伝えた。あとは母さん(と父さん)が入ると言えばこっちのものだ。
「あ、それと庭のを見たけど、あんな外から丸見えの風呂に入るのは嫌よ。貴族の柔肌がどれほど大切なものかわかってないでしょ」
知らねぇよ。子供が一生懸命作った物に歓喜しないどころか、改善しないと利用しないなんて言う親聞いたことねぇよ。
――と言うわけにもいかず、俺はメンバーを再集結し、三日掛けて露天風呂に簡単な屋根と囲って脱衣所を取り付けた。
将来的には汗をかいた兵士達が使うという話だったし、近々もっと大人数が入れるように拡大する計画も持ち上がっていたので、マリク達が協力的だったのも助かった。
それに要求するというのはそれだけ前向きということ。既に浴室製作が決まったと言っても過言ではない。俺としても男達の裸体なんて見たくないしな。
ってポジティブに考えないとやってらんねぇよ!!
母さんの入浴条件は満たした、その日の夕方。
俺は二人を露天風呂に連れ出した。長風呂になることが予想される母さんは後回しにして、まずはササッと済みそうな父さんから。
「ここで服を脱ぐのかい?」
「そそ。急ごしらえだけど皆が頑張って作った脱衣所だよ」
俺のさり気ない苦労アピールと、反対派いないアピールを無視した父さんは、淡々と服を脱いで浴室へ向かった。
「へぇ~。すごいね。相変わらずルークは不思議なものを作る」
浴槽の中にある加熱鉄板に気付いた父さんは、スノコを敷き詰めることで水捌けと歩きやすさを両立させた浴室には目もくれず、性能を確かめるように指を入れる。
「……水だよ?」
「温めるところからやった方が手軽さ伝わると思って。ささ、どうぞ。鉄板の縁に触れながら魔力を流すだけの簡単なお仕事です」
言われたとおりにすると、すぐに熱を帯びていく。
「へー便利だね。これを売ったりはしないのかい?」
「未完成な物を売る気はないよ。欠陥が無くなったら考えるけど今は無理」
クレーム怖い。そして何より事故が怖い。
「そっか。たしかに事故にならないようにするのは大事だね。未完成品はウチで実験して、ゆっくり問題を解決していけばいいからね」
こちらの気持ちを察した父さんはそれ以上の追及はせず、今後に期待するような言葉と共に静かにお湯に浸かっていった。
「いい湯加減でしょ? いい湯加減だよね? 気に入ったんなら明日浴室作ろうよ。感想はよ」
「あ、あぁ……うん、良いね」
はい、言質取りましたー。製作決定でーす。嘘ついたら賠償金代わりに風呂場作ってもらいまーす。
「いやほんと、昔入ったお風呂そのものだよ。そこでは入れる度に数人の魔術師が何時間も掛けて準備していてね。とても大変そうだった」
久しぶりに入ったという父さんは、その時のことを思い出しながら目を瞑って、何やら語り始めた。
「でもこれなら子供でも簡単に準備できるよ。毎日入れるよ」
「そうだね。作ろうか」
「……そんな簡単に決めていいの?」
入る前はあんなに渋ってたのに。
この発言が風呂の和みパワーによるもので、また手のひらを返されては堪らないと念押しすると、父さんは笑いながら言った。
「大丈夫、大丈夫。実は僕も前々からお風呂は欲しかったんだよ。子爵として人前に出る機会が多いから清潔感が大事でね。でも専門の魔術師を雇う余裕はなかった。だから手軽に入れるこのお風呂なら賛成するよ」
本当に経済的な理由で諦めていただけらしい。
フィーネは……力を使うの好きじゃなさそうだし頼みづらいのかな。じゃなきゃ毎朝マリクが水汲みなんてしない。いやまあ筋トレのために断った可能性もあるけど。どっちにしても浴室改築必須だしな。
「それにエリーナだけ悪者にするわけにもいかなかったしさ」
「お優しいことで」
「だからエリーナが良いと言えば僕は賛成するよ」
そして父さんは笑顔のままラスボスの存在を明かした。『ヤツは手ごわい、心してかかれ』と忠告しているようにも聞こえる。
「大丈夫。母さんにはプレゼントを用意してあるから絶対にお風呂作れるよ」
「……今度見せてね」
出来れば僕の分も用意しておいてほしかったな~、と暗に訴えかけてくるような悲しみに満ちた声と目を向けてきた父さんは、予想通りの烏の行水で十分にも満たない入浴を終えた。
いよいよ最終決戦! 我が家の財布の紐を握るラスボスとの対決が始まる!
「ん~~、やっぱりお風呂は心が安らぐわね~。外はさすがに恥ずかしいけど家には欲しいわね」
中々の好感触。母さんも入浴経験があるらしく、簡単に入れるという環境だけで落ちそうだ。
「じゃあ作ろう! みんな気に入ってるなら必要な物だし、作らなきゃ損だよ!」
「あのねルーク、私はお風呂が嫌いじゃないのよ。そりゃ入れるなら毎日入りたいし、簡単に入れるのだって凄いと思うわ。ただ貴族として安い浴室は作れないの。ならそんな所にお金を使ってないで、貧困に喘ぐ人達を助けた方がいいと思わない?」
しかし財布の紐を握っている母さんは手ごわかった。
実はオルブライト家はかなり貧乏だ。
理由はスラム街への配給。父さんと母さんは『贅沢するぐらいなら一人でも多く助けたい』という素晴らしい思考の人間で、スラム街への援助をおこなっている。
風呂を作るとなったらかなりの額が必要になる。命と清潔さのどちらを優先するかと言われたら間違いなく前者だ。ましてや自分ではなく他人。そこに個人的な感情が入り込む余地はない。
ただし短期的ならの話。
「じゃあ母さんはスラム街の不潔な人と清潔な貴族で対応を変えない? もし彼等が同じ空間にいても誰も文句を言わないと思う? 最近マリクがお風呂に入って清潔になったけど嬉しくなかった?」
「と、突然何を言ってるの、ルーク?」
「いいから答えてよ」
戸惑う母さんに問答無用に、そして真剣に続ける。
「…………同じ対応が出来る人は少ないでしょうね。料理店や宿屋なら清潔感を理由に入れない所もある。身内が綺麗になるのはもちろん嬉しいわ」
そんな俺を見た母さんも同じように真顔になり、少し考えてから大人としてのちゃんとした答えをくれた。
実際、マリク達は訓練終わりに女性達から汚物を見るような目をされて肩身が狭いらしい。それだけ頑張っているということなので可哀想な話だが、仕方のないこともである。それが改善されて喜んでる時点で認めたも同然だ。
「この魔道具なら誰でもお風呂に入れるようになるよ。先の話だけど、お風呂屋を作って毎日入れるようにする計画なんだ。そしたらヨシュア全体が清潔になるし、仕事も増えるはず」
将来のことを考えれば清潔になるメリットは多い。ましてスラム街はオルブライト家の統治する北部にあり、仕事に困っている人が多いのだ。
施しをするのも大切だけど、現状を変えないといつまで経っても同じことの繰り返し。
「そのための資金はこれで稼げるはずだよ」
「これは……?」
母さんは渡された白い物体を訝し気に見つめる。
「ぼくが作った泡石。その名も『石鹸』だよ」
これこそが、現在主流の天然洗浄石に取って代わる、新しい洗浄用品。
母さんへのプレゼントだ。