千百六十話 チャレンジその1
セイルーン王国の遥か南……『人間界』と一括りにされている大陸の南部に位置する王政国家サウィスの、さらに南の辺境に、その町はある。
スノーバース。
寒さが取り柄のこの町の周りには、観光名所にもならない普通の雪山と森があるだけで、測量の必要がないと思ったのか面倒だったのか現地の者達から荒らすなと怒られたのか、周辺地域の地図からも町と山を一緒くたに記載される始末。
そんな町から30分ほど歩いた山の中に俺は居た。
「ハァ……今日も空振りか……」
粉雪のようなサラサラとした粉末状の乾燥したものとも、べた雪のような解けかけてベチョベチョしたものとも、ツルッとした氷とも違う雪原を眺めてガックリと肩を落とす。
気分はさながら、クワガタを捕まえたくてお手製樹液を木に塗ったのに、翌朝見に行くとカブトムシしかかかっていなかった時の小学生。
1日や2日ならともかく、1週間にもなるとこの樹液や木がクワガタの好みでない可能性を考えなければならないが、別の方法、別の場所でも同じ結果だと中々に絶望する。
べべ、別に欲しくなかったし、と負け犬の遠吠えと共にリタイアも十二分にあり得る。
が、しかし、それは諦めが許される場合のみ。
おそらく俺が手に入れるべき雪属性の手掛かりを持っている謎植物を捕まえなければ話が進まないのだから、どうにかして食いつかせる必要がある。
前世の雪に関する知識および人工降雪機にヒントを得て作り出した、ルーク=オルブライト特製の雪を仕掛けること、1週間。
町の人間でも滅多に訪れない場所だが、念のために『実験中』と書かれた看板を立てた大地には、今日もオクドレイクのオの字……もとい足跡もない。
「くっそぉ……雪が好きなら珍しい雪も興味を示すと思ったんだけどなぁ。そもそも前提が違うのか? 雪が好きじゃないのか?」
「嫌われてんじゃね?」
「黙れ、ラット。言葉には言霊が宿ってるんだ。憶測だろうと口にすれば現実になる。軽率な発言は控えてもらおうか」
今日も今日とて落胆する俺を慰めることなく他人事のように批難するラット。
もはや自分のテリトリーと化しているので案内など必要ないが、コイツも雪属性の因子を持つ人間なので、藁にも縋る思いで同行してもらっている。道中の雑談相手とも言う。食糧調達と魔獣討伐の仕事を手伝っているのだからむしろ金を払え。
「いや、軽率も何も、ファーストコンタクトからしてそんな感じだっただろ……」
「俺は過去を振り返らない主義だ!」
「研究者にあるまじき思想だな」
「でもやってることは凄いんだよね」
ヒカリの口にした『でも』が何を指す接続助詞なのか、小一時間ほど問い詰めたいところではあるが、褒めてくれていることには変わりないので先にそちらから触れて行こうと思う。
「魔術でも精霊術でもない方法で人工的に雪を作るなんて、しかもこんなに色んな種類作るなんて、ルークにしか出来ないことだよ。流石は研究者だね」
「ドヤ~」
理屈としては氷魔術に近い。
空気に含まれる水蒸気を魔力や魔法陣の力で凝結することで人工的に氷晶を作ることが出来るのだが、俺がやったのはそのさらに上。自然界では決して生まれない氷の結晶の生成だ。
自然界では、気温が0℃以下になり、空気に含まれる水蒸気の量が氷に対して過飽和となれば、雲の中に氷の結晶が生成されて雪になる。
しかし実際は、分子レベルで水分子が集まって氷になろうとしても、ある程度の大きさにまとまらなければ不安定のため分裂してしまう。
例えば微粒子を含まない清浄な空気では、上記の条件を満たしても凍結せず、過冷却の水滴のまま。-33℃でようやく凍結し始め、-41℃で完全に凍結する。
それはアルディアでも同じ。
つまり地球では大気中に含まれるホコリなどの物質を、アルディアではそれプラス精霊や微精霊を取り込むことで、初めて氷の結晶が生まれる。
俺が注目したのは微粒子を含まない方……精霊術で不純物を取り除き、純魔力のみで構成した氷魔術を気圧を操作して-41℃まで冷やすことで安定させる方法だ。
まさに異世界と現世の知識と技術の集合体! 魔科学の力!
「まぁオクドレイクには意味ないみたいだけどね」
「なんでなんだろーなー」
が、まさかの8連敗。
もちろん従来の氷魔術や、餌やエロ本を置くなど、原始的な捕獲方法も試してはいる。しかしどれもこれもオクドレイクを呼び寄せることは出来なかった。
山には居る。ただ近くに現れないので捕まえることが出来ないのだ。植物のクセに無駄にすばしっこく、ヒカリですら諦めるレベルである。
「ま、追いかけたりしないけどな。アイツは俺の科学力で捕まえてみせる」
「最初の2日間追いかけ回したヤツとは思えない発言だな。別チームの力まで借りようとしてたし。断られてたけど」
「俺は過去を振り返らない主義だ!」
「便利な言葉を頼ってるから嫌われるんじゃね?」
「ぐはっ!」
ルークの精神に9999のダメージ。
残り9,999,991しかない。
「ちなみに毎秒1万回復な」
「無敵じゃねえか。あと数字が切りよくねえぞ。1000万にしたいなら9,990,001だ」
これが正しいんです。私の精神力は1000万9998ですよ。
「というわけで今日もダメでした」
昼。いつものように宿屋で合流した俺達は、昼食を取りながら午前中の成果を発表していた。
残念だったな、と同情的な声を掛けられたのは最初の数日。最近では失敗が当たり前になっていて誰も気にも留めてくれない。良くない流れだ。
「『今日も』などと言っている内は失敗して当然だ。その空気を自分が作っていることに気付け。誰よりも先に諦めるな」
「やめろよ、コーネル。俺は過去をメチャクチャ気にする人間だぞ。ちょっとしたことでもすぐトラウマになる。寝る前に『あぁやっちまった』って後悔しちゃう」
………………。
…………。
はい。誰もツッコんでくれない。傷付きました。
「んで、そっちはどうよ? あれから何か進展あった? てかこのビーフシチュー美味くね? おかわりもらっていい?」
「光栄です」
言った瞬間、手に持っていた皿に、ドロッとした赤茶色の液体がなみなみと注がれていた。さすフィーネ。
「今調べている地層……貧乏人が以前話していた錬金術が使えそうだ。特殊五行の冥・時・無のいずれかに該当しそうだ」
あれあれ? コーネルさん、ぼくの呼び方が『ルーク』から『貧乏人』に戻ってますよ? どうしたんですか? 昔のクセでつい出ましたか?
と言いたかったが、真面目な話に水を差すのは好きではないので、俺はその疑問をそっと心の奥に仕舞い込んだ。
「特殊五行? なんだそれ?」
「お前この前難しい話は嫌いって言ってただろ!? なんで今更興味を示す!?」
「推測は嫌いだ。覚えても何の役にも立たない。でも目に見える成果は興味ある。もうすぐ形になりそうなんだろ? なら理解した上で一緒に喜びを分かち合おうとするのは当然じゃないか。『お、おう……そうか、良かったな……』とか寂しいわ」
それはそう。
ただちょっと良いとこ取りしてる気はする。
この1週間でラットという人間の人柄を理解した俺だから良いが、他の人間が同じことを口にしたら無視or説教していただろう。
「あ、もちろん要点だけまとめてくれよ。30文字以内で」
「…………」
語るなら口ではなく拳で。
そう言われたような気がしたので、俺はこのビーフシチューを完食、30分ほど休憩した後、ラットに殴り掛かることを決めた。
「つまり、この世界には精霊の存在しない特殊な属性があって、『冥』が精霊の生き死に、『雪』が精霊以外の生き死に、『天』がそれら魂の行方、『無』と『時』がもう1つの世界……精霊界への行き来で使われてるってのが俺達の仮説なわけよ」
「なるほどな。精霊が別の人生(?)を送りたいと思った時に発動するのが冥属性で、抗いようのない生と死を象徴するおが雪属性で、神界までの道を作るのが天属性で、往路だか帰路だかで使うのが無属性と時属性ってことか」
「そういうこと。理解が早く助かるよ」
「ふん。お前の説明がわかりやすかったお陰だ」
「へっ」
俺とラットは、夕日の見える河川敷で殴り合った後のような満足感と疲労感を前面に押し出して、リビングの床で仰向けになりながら話をまとめた。
拳での語り合い……思っていたより簡単でした。というか楽までありました。意志の疎通。
「これも精霊術?」
「広義ではそうなりますね。普段から利用している『言葉』より『暴力』の方が、想いを籠めやすく、慎重になりがちなので余計な情報を与えません」
「あまり流行らせたくないやり方ですね。まぁ流行らないからこそ効果があるわけですが」
「てことは私みたいに言葉と同じぐらい暴力を使ってる人間はダメってこと?」
「それは意識次第です。慎重になるか凶暴になるか非情になるか無になるか。喜怒哀楽の感情やそれ以外の想いをどのようにぶつけるかによりますね」
へぇ~。
ところでぼく達はいつになったら治療していただけるんでしょう。待ってますよ。錬金術の話とかしたいですし。一体何が見つかったんですか?




