十三話 風呂に入りたいⅠ
フィーネがいなくなって二週間が過ぎた。
俺はいつも通り、アリシア姉を頭脳でボコって、肉体で三倍返しされる日々を送っていた。
「アリシア姉、このあと暇?」
「…………雑草取りなら他をあたりなさい。私は魔術の訓練で忙しいわ」
「魔術の特訓? 魔力切れ寸前なのに?」
世界で一番アリシア姉のことに詳しいのは間違いなく俺だ。本人より詳しいかもしれない。
だからこそ断言できる。あと数分で魔力を使い果たしてフラフラになると。雑用に使われるのを嫌がっているだけだと。
「~~っ! なんで私なのよ!? マリクがいるでしょ!」
図星と弟からの疑いの眼差しのダブルパンチに心を揺さぶられたアリシア姉は、訓練場で新兵を殴ったり投げたりしているモンスターを指差して叫んだ。
「……あっちは本当に訓練で忙しそうだけど?」
俺達のように趣味でやっているわけではないし(俺は違うけど)、動きは俊敏で悲鳴にもハリがあるので、まだまだ終わりそうにない。
「なに!? 私のは違うって言いたいの!?」
怒鳴った瞬間、彼女の全身に力が入り、それと同時に残っていた魔力が溢れ出した。
感情と同調するのは制御が未熟な初心者にありがちなこと。
「し、仕方ないわね。少しだけよ」
まるで必死の説得に根負けしたかのような雰囲気で快諾したアリシア姉は、地面と友達になっていた俺を引き起こし、体についていた土埃を払ってくれた。
「ありがと。ちなみに頼みたいのは畑仕事じゃなくて魔道具作りなんだ。火魔術が得意なアリシア姉にお願いしたいことがあって」
「それならそうと早く言いなさいよ。ルークの魔道具って見てても楽しいから、いくらでも手伝ってあげる。もちろん私が最初に使っていいのよね?」
現金な姉である。
最初からこうしていれば早かった気もするが、何となく負けたような気がするので、言いくるめることを優先している今日この頃。
ふふっ、こうやって頭脳では敵わないことをそれとなく教えていけば、姉弟の力関係にも変化が……え? 無理? そうですか……まあ、魔力を使った実験ができるんだから実質勝ちだよな!
「さっきので空っぽになったから魔力はしばらく回復しないわよ? それでも良いの?」
「もちろん。むしろ魔力をほとんど使わずに発動できるかを知りたいんだ」
目的地までの道中。アリシア姉が力になれない可能性を示唆してきたが、日々身をもって体感している俺が、彼女の魔力残量や回復速度を知らないわけがない。
俺は笑顔で頷いた。
必要としているのはまさにその『力になれない力』なのだ。
「あ、そ。なら良いのよ。頼んでおいてできないからって失望するような弟なら、教育的指導する必要があるからね」
(こちらの意思に関係なく、いつもしてますけどね……)
「なんか思った!?」
「いいえ、何も思ってませんよ」
思ったて……。
基本的人権を侵害する気か、この姉は。
(ま、いいや。そんなことより生まれてから不満だった“アレ”を解決するとしますかね!)
俺達がやってきたのは裏庭にある井戸。マリクが毎朝一日に必要な分の水を汲み上げている、オルブライト家の貴重な水源である。
「じゃあアリシア姉、これに水を入れて」
俺は近くに置いてあった樽を指さして水汲みを頼んだ。
「何これ?」
「桶と樽」
「…………」
「こ、この実験には樽一杯の水が必要なんだよ。でもぼくには無理だからアリシア姉にお願いしたんだ」
どうやらアリシア姉は仕事に理由を求める人間だったらしい。でも自分では考えたくないから、納得できるけどネタバレにならない説明は必要……面倒な人だ。
「ぼくは別の準備があるから! よろしく!」
「あっ! ちょっとぉぉー!」
だからこそ俺は、肉体を動かすだけの単純労働を命じて、その場から走り去った。
追い掛けて来る気配はない。今の説明で納得して仕事を引き受けることにしたようだ。戻って来る頃には大量の水が用意されているに違いない。
あとは俺が部屋にある鉄板を……俺の身長と同じぐらい大きな鉄板を……。
(……無理じゃん)
手押しポンプまで手が届かず、例え汲み上げたとしても樽に移すまでに半分こぼす、水汲み。
一応円状だけど倒れた瞬間にアウトで、万が一下敷きになれば命すら危うい、鉄板運び。
どちらか選べと言われて即決できる人間がどれだけいるだろう? さらに片方を脳筋少女に任せる場合、自分はどちらを選択するべきだろう?
………………。
…………。
「遅い! とっくに汲み終わってるわよ!」
巨大な鉄板をエルと二人掛かりで転がして戻って来ると、水汲みを訓練の一環とでも思って急いだのか、早々に仕事を終えて暇を持て余したアリシア姉が退屈しておられた。
「ごめんごめん。中々エルが見つからなくってさ。ほら、こんなに大きな鉄板だから一人じゃ持ち運べないんだよ」
軟弱者と言うなかれ。こちとら三歳じゃい。
「おっきな板ねぇ~。こんなものいつの間に作ったのよ?」
「結構前だよ。フィーネとちょっとずつ進めてたんだ」
「ふ~ん」
怒りより好奇心が勝ったのか、アリシア姉は魔法陣だらけの鉄板をコンコン叩いて、これから始まる実験に心躍らせる。
この鉄板は両親に頼んで購入してもらった物だ。
以前は素材調達は全てフィーネを頼っていたのだが、それを知った両親から「必要な物があれば自分達に言うように」と怒られてしまい、それ以降は無理のない程度に頼むことにしている。
有難いことに、俺に道具を与えると魔道具として便利なアイテムに変換してもらえると思われているらしく、よほど高価な物でもない限りは大抵手に入る。お陰で研究が捗ること、捗ること。
実際オルブライト家のため、果てはヨシュアや世界のためになるような物を作っているので、商品化した暁には巨万の富が得られるだろう。
そしてそれを使ってまた役立つ道具を作るのだ。
なんて素敵な幸福スパイラル。
「では私はこれで。何をしたか夕食の時に聞かせてくださいね!」
「うん。ありがとうエル。助かったよ」
エルは「いえいえ」と言いながら自分の仕事に戻っていった。
「じゃあこの鉄板が水浸しになるぐらい水を撒いて」
「こ、こう……?」
アリシア姉は訝しみながらも言われた通りに散水。
「うん。それくらいで大丈夫だと思う。それじゃあ次は鉄板に魔力を流してみて。あ、鉄板には触らないように。水の様子もよく見てて」
素手で10回ほど撒いた頃、俺は終了の合図と共に次の指示を出した。
「むむむ……やあっ!」
アリシア姉が回復しきっていない魔力を鉄板の魔法陣に注ぎ込む。
魔力を注ぐこと数秒。
鉄板の上をびしゃびしゃにしていた水が湯気を出し始めた。
「――っ!?」
「やった成功だ! アリシア姉どうだった? 火属性に近い魔術になってた?」
アリシア姉のリアクションに満足しつつ、俺はその現象が普段使っている魔術と同じものか尋ねた。
「ううん、火魔術じゃなかった。でもたしかに熱くなったし魔力も全然使わない……な、なにこれ?」
「この魔道具の力だよ。火以外で熱が出せるんだ」
これがこの鉄板、というか鉄板に刻んだ魔法陣の力。
熱を生み出すには大量のエネルギーが必要になるけど、注入された魔力を回転させて鉄板との摩擦エネルギーも利用すれば少ない力で熱を生み出せるかもしれない。
そう思って作ったのが、この『加熱鉄板』だ。
レオ兄にあげた魔道フリスビーは、その過程で魔法陣を書いた板が浮いて生まれた副産物に過ぎない。
要するに回転エネルギーで発熱できる魔道具である。
(これで念願だったお風呂に入れる! なんで蒸し風呂しかないんだよ!)
この世界にも入浴の文化はあった。
ただ、風呂に入るためには水を大量に消耗するし、温めるには火属性の魔術で加熱するか薪を使うしかないので非常に効率が悪い。水属性と火属性の両方が使える魔術師を複数人雇うような貴族は稀。石を加熱して水を掛ける簡易サウナばかり。それだって毎日じゃない。
貴族ですらそんな有様なので、平民になると水浴びどころか濡らした布で拭くだけと聞く。
でも俺はお風呂に入りたかった。日本人ならば毎日熱々のお風呂に全身浸かりたい。手足を伸ばしてゆったりしたい。息止め勝負をしたり、両手で水鉄砲したり、タオルでボコボコしたりしたい!
だから加熱鉄板を作った。
これさえあれば毎日風呂に入れるようになる。
水は貯水ボックスを使えば楽々運べるし、ホースに繋げば井戸水汲み上げ魔道具と言っても違和感はない。加熱鉄板も魔力切れ寸前の子供が加熱できたんだから誰でも起動できるはず。
「すごいすごい! なにこれ、一瞬で熱くなる! 魔力も使わない!」
一度回転が始まるとほとんど魔力を使わなくても熱を維持できるので、アリシア姉は魔力を気にすることなく大喜びで遊んでいる。
「でも気を付けて。鉄板が熱くなってるから触るとヤケドするよ」
「わかってるわよ。これってもっと小さくできないの? 私の杖に付けなさいよ」
「いや、これが最小サイズなんだ。これ以外の魔法陣だと発動しなから設置するしか使い道はないよ」
この鉄板は回転エネルギーを得るために色々と試行錯誤したものの、一メートルほどが最小の大きさなので杖に付けるのは不可能である。しかも火と違ってあまり熱くならないので鍛冶や調理には向かない。
風呂専用の魔道具なのだ。
「良い武器になりそうなのに残念ね~」
仕方なく受け入れましたという雰囲気を隠そうともせず、アリシア姉が物騒なことを言ってくる。彼女の脳内イメージでは炎の大剣になっているのかもしれない。
途中までフィーネと一緒に作っていたから帰ってきたらきっと驚く。
楽しみが一つ増えたな。早く帰ってこないかな。