千百三十七話 帰宅
婚約者のゴタゴタをこれまでの人生の集大成をもって片付け、久方ぶりに戻ってきた故郷で、覚醒したメンバーと共に一世一代の事業を始めようとしている。
これでもかというぐらいに新章の始まりを予感させる状況に、異世界再転生で精霊術を手に入れた時に勝るとも劣らないほどワクワクしていた俺は、その第一段階、リニア計画に必要不可欠な素材を返してもらうべく、ベルダンに向かっていた。
「それじゃあね。せいぜい頑張りなさいよ」
「おう」
その道中にある農場で、ルナマリアは宣言通り、ツンともデレとも受け取れる形で別れを告げ、
「……え? ここまで? 何故?」
「イブさんはベルダンに行く必要が一生涯ないからです~。そんなことより私達と地下迷宮について語らいましょう~。色々調べてましたよね~」
『チッ……なんで俺様が人間なんかと……ってなんかお前凄いな。本当に人間か?』
ベルダンの存在はともかく場所は伝えていないイブは、山と農地の境目で、ユキと、ユキに呼び出されたモグラと地下迷宮について話し合いをしてもらい、
「……じゃ」
ベルダンに到着したと思ったら、ニーナが出迎えてくれた魔獣達に軽く挨拶し、長きに亘って苦楽を共にした俺達との別れを惜しむことなく1人で奥へ。
残ったのは俺とフィーネ。
まぁそれは別に良い。
問題はそこで明かされたのは衝撃の事実だ。
『あ~、あれな。マスターがどっかに持ってったぞ』
「ハァ!?」
お土産を求めてくるメルディやセイレーン、努力と成果を称えると見せかけて青春したことをからかってくるハーピー、それ等を窘めるライムを無視してエーテル結晶の行方を尋ねると、前者3人の中間にいたホネカワがどうでも良さそうに答えた。
そんなことより早く王女争奪戦について語れと言っているようだ。というか間違いなく言っている。
出迎えてくれたジョセフィーヌさんが申し訳なさそうな顔をしていた時点で、イヤな予感はしていたのだ。
ダッ――。
発言や雰囲気からそれ以上尋ねても無駄だと即座に判断した俺は、フィーネの方を向き、彼女が頭上を見上げた瞬間、洞窟から飛び出して山を駆け上った。
ベーさんの居場所で思い当たるのは3つ……いや4つ。
1つ目はどこかの地下。
これは正直どうしようもない。事態に関係あることをするのが強者だが、ベーさんに限っては無関係のことをしている場合がある。『面白そう』という明確な行動理念を持つユキとは違い、あの人は本当に何も考えていない。人が大切にしている物を無断で持ち出して、どこかで無くして、「ま、いっか」で済ませるグータラだ。
しかしフィーネが見たのは頭上。
それは同時に2つ目となる、ここ、ベルダンも違うことを意味している。
大地を愛し、大地から愛されるベーさんがここより上に居るというのは、選択肢が残る2つに確定したということ。
3つ目は彼女の自宅。別名アイスハウス。
一応頭上にあるが、だとしたらフィーネはその方向を見るはず。同じ理屈でここ以外の山の可能性も消える。
つまりベーさんが今居るのは4つ目、この山の頂上にある謎のミルクロード!
「くっ……遅かったか……!」
物理法則どころか世界の法則を色々と無視したことにより、名の変哲もない山に牛乳の河川が生まれて幾年月。
地面から噴き出しているのか、循環しているのか、山頂に張られている結界に雨が触れたら変化する仕組みなのか、はたまた無から有が生まれているのか。
精霊術を手に入れてから調べたことがあるのだが一切わからなかった。
周りを構成している物質はただの土なので汚いかと思いきやそんなこともなく、当然のように牛乳のたんぱく質や脂肪は地面に吸収されず、しかして接地面が乳化しているわけでもない。
土を消化出来るほど精霊に近づいていないので試してはいないが、消化可能な生物にとっては至高の物質なのかもしれない。
まぁベーさんが許可するとも思えないが。もしこれが器だとしたら壊れてしまう。流れている牛乳ですら許可が必要なのだ。
そんな謎だらけの河川に、目的の人物と、目的の物質はあった。
「おかえりなすって…」
「『おかえりなさい』か『お控えなすって』かどっちかにしろ。なんか帰れって言われてみるみたいで嫌だわ」
と、寝転がっても全身は浸からないほどの浅瀬でゴロゴロしていたベーさんと、最低限の挨拶を終えたところで早速本題。
「俺の生み出したエーテル結晶は、『気化物質』って言葉がピッタリ来る、すべての物質に馴染むし反発するなんとも不思議なものだ。視覚化はもちろん物理的にどうこう出来るもんじゃない」
「はぁ…」
「それがなんで見えてるんだ? ん?」
白い川の中を漂っていたそれは牛乳を纏って丸い塊になっていた。
「水中なら空気の流れが見えるのは…常識ですが…?」
「俺が試してないとでも? やったわ。とっくの昔に。でもさっきも言ったように混ざったり反発したり、状態を維持出来なくなって消失したんだよ」
「それは…ルークさんの扱い方が下手なだけでは…」
言いながらベーさんはエーテル結晶を川上に放り、流れて戻り、また放り……まるで遊具だ。完全に普通の物質だ。
「すいませんね。未知の物質を扱うのが上手じゃなくて。転生者ってそこまで万能じゃないんですよ。どうせコツとか教えるつもりもないんだろ。バカにしてないでさっさと返せ」
「どうぞ…」
突然、川の中の土が盛り上がったかと思うと、アシカが芸でもするようにエーテル結晶が俺の手元に飛んできた。
当然、気化物質状態。
訳がわからない。たぶんわかったら四賢者とか必要ない。俺1人でリニア作れる。何なら世界を好きに変えられる。だから気にしない。
「洗っておきました」
「……ありがとう」
感謝出来る人間になれと昔から誰かに言われてきました。大きくなった今でも正しいと思っているので実践しています。
「ちなみに持ち出した理由とか一連の発言とかの説明は?」
「なっしんグ~」
「エーテル結晶を使用する時は牛乳に入れた方が良いとか?」
「のっしんグ~」
「馬車や飛行船で手元のボタンを押して色や音で相手に何かを知らせるのは?」
「ぱっしんグ~」
よし。
その後、俺とフィーネは何事もなかったように山を下りてイブ達と合流し、その足で研究所に顔を出し、何やら作業中だったコーネルとパスカルに計画始動を告げ、自宅へと帰還。
イブには研究所の裏にある寮に住んでもらおうと思ったのだが、道中で確認したところ一人暮らしは無理とのことなので、こっちに居る間はウチに住んでもらうことになった。
ただ、リニアが形になったらほぼ地下暮らしになると、俺は見ている。
箱づくりという意味でも、試験的に王都と往復するという意味でも、オルブライト家に入り浸ることはおそらくない。
「だからって説明しなくて良い理由にはならないのよ?」
「何を説明しろってんだよ……」
俺は、自室へと続く廊下を塞ぐ母親からの質問……もとい非難は不当だとして逆に説明を求めることに。
「婚約者を取り戻して来いと言われたから取り戻してきただけだろ。しかも前々から一緒に作業したいとも言ってた。なら天下一武闘大会で活躍することもわかってただろうし、イブがしばらく一緒に暮らす流れになるのは全然おかしくないじゃないか。それに、この場に居る全員がイブに王位継承する気がなかったのも知ってるんだから、もう王女じゃなくて息子や弟の友人として扱ってくれってのも自然だ。
その様子だと何もしてないな? 取材が殺到して辟易してたところに帰ってきたバカ息子って感じだし」
「わかってるじゃない。やってくれたわね」
八つ当たりも甚だしいが、それは流石に母さんも自覚していたのか、すぐに別の話題に切り替える。
「事前に連絡しなかった理由は? 何のためのケータイよ」
「王都は混線してて無理だった。地下は電波が微妙だった。ユキは知らん」
「え~? やらないことに理由って必要なんですか~?」
それは必要だと思う。誰かを助けるのには必要ないけど。
「別にイブちゃんの寝泊りを拒否してるわけじゃないのよ。こういう時のための客室だって空いてるし、衣と食も余裕あるし、ここに貴方を嫌ってる人間は居ないわ。何がどうなってるのか、記者からしか情報を得られていない状況が気に食わなかっただけで」
「だから今説明したじゃん。出来なかったって。どうせそっちからもケータイに掛けてたんだろ? 繋がらなかったんだろ? 着拒したと思ってブチギレたんだろ?」
「う、うるさいわね! 被害妄想甚だしいわよ! 本人が違うと言ったんだから違うのよ! イブちゃんが寝泊まり拒否されてると勘違いしてるのも一緒!」
逆説的に、イブ自身が拒否されていると思っていたら拒否されていることになるんだが……まぁ言わなくて良いだろう。
母さんもイブもタイプは違えど寝たら忘れる人間だ。
俺は違うけどな。精霊術で何があったか覗き見てやる。ケケケ。
……次の日試したら閲覧禁止になっていた。犯人は見当がついているが何も出来そうにない。




