九百一話 文明開化1
「まずは『そういうもの』を無くせ。お前等、周りのこと何も知らないだろ。すべてのことにはちゃんと理由がある。それを言葉や文章で説明出来るようにするのが研究であり開発だ」
効率よく進めるためにグダグダ話し合うのは素人のやること。
ココとチコへのプレゼントである『魔道チェイサー』の開発をしながら新人3人と素人のリンに教育を施し、使えそうな技術を見つけたら吸収性ポリマーやリニアモーターカーのための魔道具づくりに着手するという方針をものの数十秒で決めた俺達は、早速心構えを教えることから始めた。
「例えば?」
「そうだな……例えば、氷が滑るのは水のせいだ」
教育方法は、ラッキー・ミドリ・カルロス・リンの4人が俺とコーネルのおこなう作業を見て、わからない部分をフィーネとユキに質問するというやり方だが、作業に入る前なら俺も答える。というか俺が答える。
師匠として、先生として、生徒達の尊敬を集めておくことは大切なことだから。
俺は、早速質問をしてきたリンに俺的ポイントを1ポイント贈呈し、当たり前のことを言うなという顔をしたのでマイナス2ポイント。詳しい説明に入った。
「体重の圧力で氷が溶けて水となり、それによって摩擦が減って滑る? いいや違うな。像がハイヒールを履いたとしてもそれほどの圧力は得られないし、直立不動でも滑る。そもそも水が滑るという理屈がおかしい」
もちろん通常時より摩擦力は減るだろうが、アスファルトの水溜まりだろうと床に溢した水滴だろうと氷の上ほどは滑らない。
では何故氷の上だと滑るのか?
それを説明するためには分子について知る必要がある。
氷の分子結晶は水分子同士が水素結合して出来たもので、周期的に並んでいるそれは正四面体の形を取っているのだが、結合可能な方向は決まっているので分子配列的にどうしても隙間が多くなる。
しかも本来4点で繋がっている水分子は氷の表面では2つとしか繋がれず、水分子が転がって自由にお互いに引っ付いたり離れたり出来る状態となっているため、氷の表面はまるでフローリングにベアリングボールがばら撒かれているようにツルッツル。
これ等の分子と滑りやすさは水の氷点を下回らないと生まれないものなので、分子が自由に表面を転がれる状態は『三次元的な液体』ではなく『二次元的なガス』と言える。
「つまり氷は隙間だらけだから、通常体積は固体<液体<気体だけど、氷の場合は液体の水より体積は大きく密度は小さくなるってわけだ」
「「「へぇぇぇ~~っ!!」」」
そんな導入を経て、俺とコーネルはあえて一切の説明をせずに見せるだけの作業に取り掛かった。
ノミドも言っていたが『学ぶ』というのは絶対に受動的になってはいけない。何がわからないかを本人が理解し、質問する積極性が必要なのだ。
俺達がこんなことをしているのはそのためだし、フィーネ達は強者スキルで生徒達のわからない部分をわかっていてもわからないフリをしなければならない。
まぁ要するに『聞かれたこと以外教えない』だ。
――と、知ったかぶりをしてるけど、俺も作業開始前に今から何をするのか説明しようとして、フィーネに「地下施設で何も学ばなかったのですか?」って怒られたよ。
もう何から何まで彼女達の手の平の上ですよ。
(くっくっく……果たしてそれはどうかな?)
(なんで上に見てんのに否定すんだよ。天邪鬼か。何でも否定したがるネトウヨか。匿名じゃないと何もできないネラーか)
(マイネーム、イズ、ユキ=オルブライト)
(勝手に家系図に名を刻むな。精神的に家族なだけで社会的にお前は居候だ)
邪魔としては最高の、製作過程としては最悪のタイミングで念話を送って来たユキは、訳のわからないことをほざくだけほざき、挑発としか思えない『わかってます顔』で微笑み、先生役に戻った。
まぁいつも通りだ。
「ルーク作業員。フィーネ先生の全身からトンデモナイ量の魔力と精霊と殺気が溢れ出してます。怖いです。今すぐここから逃げ出したいです」
「作業員は作業で忙しいからそっちで何とかしなさい」
わざわざ手をあげて言わなくてもこの場に居る全員がわかってるよ。何なら研究所中がわかってるよ。
どうせユキが名字を入れたのは俺と結婚したからとか脳内IFストーリーを展開してブチギレてんだろ。
妄想で怒る人間なんて相手にしたくない。たぶん全世界が同意してくれるはずだ。
実際作業で忙しいし……あっ、わかったぞ。あの『わかってます顔』は、俺が家族って言うのは照れ臭いから居候って言ったっていう勘違い甚だしいものだったんだ。
じゃあ余計嫌だよ。なんで勘違いと妄想とすれ違いの波に飛び込まなきゃならないんだよ。そんなの自暴自棄になってるヤツでも断るわ。
さ、ってなわけで作業続けるぞ。
「ただ制限を設けるだけではダメなのか?」
「ん~。努力したヤツが有利なぐらいの差にしたいんだよなぁ」
既に基礎は出来ている魔道チェイサーの能力制限をどうするか話し合う俺とコーネル。
ただ魔力の使用量を制限したり重りなどによって身体能力を下げさせて平等化を図るのではなく、老若男女誰が参加しても競技として成り立つようにしたい俺は、その方法が思いつかず先に進めずにいた。
これを解決してくれたなら素人のアドバイスの有用性を認めるし、今後使うであろう時間も彼女達の望む魔道具開発に割こうじゃないか。
「腕輪などで個々に制限を掛けるというのはどうだ?」
「それって遊ぶために腕輪を買えってことだろ? それじゃあ意味がないんだよ。貧乏人だろうと金持ちだろうと参加したくなった時に参加出来るシステムじゃないと」
「ということはやはり識別して制限するのは不可能なわけだな?」
「……ああ」
いくらなんでも化学反応はそこまで万能じゃない。
遺伝子検査だってン十万円も払って数週間掛かるし、今ある能力制限装置は一律に下げるか負荷をかけるだけでハンデを自分で決める必要がある。
「フィーネですら昔似たようなことがあった時に個々への負荷を自力で変えてたんだ。自動化はそれだけ難しいってこと」
「懐かしいですね。ルーク様が卒業されてからはそういった指導もしなくなりましたが、今でも時折重力負荷による授業を求められたりしますよ」
「だろ? そんな声にも応えられる魔道具を作ろうってんだから、そりゃあ一朝一夕に出来るわけがない。だってそうだろ? 逆転の発想をすれば人種差を無くせるってことなんだから」
負荷ではなく付与、もしくは負荷によって能力を平等にした場合、努力とやる気でのみ差を生み出せるという完璧な教育が完成してしまう。
それはもはや神の所業だ。
ぺちん――。
部屋を包む沈黙を破ったのは、本当の意味での不思議ちゃん。
その名はミドリ。
プヨプヨでもヌメヌメでもゴツゴツでもない不思議な質感の肌を持つ彼女の尻尾が床を叩き、気の抜けたような音を出した。
当然のように全員が彼女に注目する。
「……おむつがどうかしたのか?」
ミドリの手に握られていたのは俺の作ったおむつ。それも完成品ではなく試作品。現代社会で主流のゴワゴワしたものだった。
「あっ、なるほど! 色を使えってことだね!」
リンの華麗なる翻訳が炸裂したかと思いきや、ミドリは心なしか悲しそうな顔でプルプルと首を横に振ったので、ただのエキサイトな翻訳だった。
……いや、それどころかエキサイトな翻訳をしたものをさらに翻訳に掛け、最後にもう一度翻訳したぐらい意味不明なのかもしれない。
「違うってよ。大体それなら完成品の方を使うだろ。あと言っておくけど遺伝子の色分けなんて無理だぞ。尿とか体液って明確に用途が決まってる物ならともかくな」
「くっそぉぉ……」
悔しそうに席に座るリン。その目は次こそは正解するという意思に溢れていた。
何か別のゲームが始まっている気もしなくもないが、取り合えず今はミドリの主張の理解に勤めよう。
「ピンポーン! 越後●菓!」
「2か月ほど時を遡って出直せ」
ちなみにユキの回答は『おむつって、ふっくらカット(お餅側面への切込み)のお陰で綺麗に膨らんだお餅みたいですよね!』で不正解。
「ラッキーはどうだ?」
「私ですか!?」
正解を知っているであろうユキがふざけ、フィーネは傍観の立場を貫き通しているので、俺はこの中で一番ミドリと仲が良い少女に託すことに。
「え~っと……え~っと……」
クイッ……ヒョイ……ミョ~ン、ミョ~ン。
俺と同じく彼女が唯一の希望だと思ったのか、ミドリもヒントを与えるようとおむつを裏返したり広げたりして意思を伝えようと努力する。
「ハッ! わ、わかりました! ミドリさんは色を使わない化学反応を使えと言っているんです!」
「――っ!!」
「……違うみたいだな」
「……で、ですね」
希望が、唯一の希望が失われた……。
地べたに突っ伏すミドリからそう言われたような気持になった俺とラッキーは、妙な罪悪感を抱きつつ、改めて全員で彼女の伝えたいことを思案し始めた。
まぁ言われなくてもそうしてたって話だしな。
「吸収性ポリマーの仕組みが使えると言っているんじゃ……」
「bッ!!」
飛び跳ねるように起き上がったミドリは、正解を導き出した知将に、かつてないほど勢いよくサムズアップを送った。




