九話 初めての魔道具Ⅱ
「よしっ、完成だ!! ほら、フィーネ見てくれよ、元DIY担当者の工作技術! どうよ、どうよ?」
あれから三週間。
幾度もの調整と失敗を繰り返し、ようやく完成した人生初のオリジナル魔道具は、フィーネにしかお披露目出来ないのが残念なくらいの自信作となった。
小さいバケツほどの木箱。その内側では三つの水魔石が青白い光を放ち、四層に重ねた板の内部では立体魔法陣が複雑に連動している。接合は木の凹凸を噛み合わせただけだが、水漏れも歪みもない。強度も性能も申し分なし。
くうぅぅ……魔力のことが秘密じゃなければ……!
「完成したのですね。おめでとうございます。これが水の持ち運びを便利にする魔道具ですか?」
「そう、名付けて『貯水ボックス』だ!」
一見すればただの木箱。しかしその正体は、魔石と魔法陣を一体化させた小型循環装置だ。
底面に刻んだ供給魔法陣へ少量の魔力と水を流し込めば、内部の回路が起動。水魔石は吸収と放出を繰り返し、まるで風車のように力を循環させる。
いわば風力発電ならぬ水力発水。
「普通は水魔石から水を生み出すのに魔力を消費するだろ? でもこれは逆だ。放出特性を抑えて吸収を与えることで、魔石が飽和して力を溢れさせる。その余剰を利用すれば精霊術の効率を一気に引き上げられるんだ」
従来比で魔力効率は三十倍。
「水魔石に吸収特性を付与……! 成功されたのですか!?」
「ああ。お陰様でな」
俺は木箱の断面を指で示す。
それを可能にしたのはフィーネに作ってもらった厚さ三ミリの板。
「……なるほど。一見するとただの分厚い木の板ですが、魔法陣を施した薄い板を何枚も重ねているのですね。この複層構造によって高密度の魔法陣の運用を実現していると」
「正解。水魔石自体に魔力や水を吸収する効果は与えられなかったけど、木材に浸透した水に反応するようにしたら成功してな。合板にすることで無理なく一体化させられたし、循環機能も作れた。おまけに箱に強度も出せて、びっしり刻まれた魔法陣を板の内部に収納することにも成功だ」
それが一番効率良かっただけなんだけど、結果的にカモフラージュになってラッキー。
「たしかに。一見ただの分厚い木の板です。特殊な素材に見えても、誰も精緻な魔道具とは気付かないでしょう」
「だろ?」
魔術でスライスし、魔力で彫り、物理で接着した、現代魔術の粋を結集させた精霊術強化の魔道具だとは御釈迦様でも気付くまい。
いつか作ろうと思っていた建築素材がこんなところで役に立つとは。
「一枚より二枚、二枚より三枚、言うは易しですが構築には途方もない技術が必要ですよ」
「ふふふ、もっと褒めてくれ。ここまで来るのに大変だったんだ」
いやぁ、気分いいわぁ。諦めなくて良かったわぁ。勉強役に立つわぁ。
俺、ご満悦!
「これは水の流通に革命に革命をもたらしますよ」
「ところがどっこい、欠点だらけだ。取り外しも修理も不可能な一点ものだし、貯水可能なのは数時間。しかも1つ作るのに一週間……今なら四日もあれば作れるだろうけど、それにしたってコスパ悪すぎ。連続して作る集中力もないし商品にはならないよ」
俺が求めたのは金策でも物流改善でもなく、水やりを楽にする方法。
俺でも膨大な量の水が作れて、傍から見たらバケツに手を突っ込んでるだけで、数時間だけど貯水も可能で、好きな時に好きなだけ出せる。重さは変わらず、バケツとして使っても良い。パーフェクトだ。
「フィーネには最大容量を調べてもらいたい。本来備わっていない水を溜める機能を無理やり付けたせいで、魔石や木材が壊れやすくなってる可能性があるからな」
一応何度か試したけど、雨水を貯めようと夜中に外に放置してうっかり崩壊したら目も当てられない。
「かしこまりました。ではまず水魔術から」
フィーネが小さく頷き、両手を掲げて魔力を集中させると、何もない空間からドバドバと水が出てくる。
受け皿を作らず部屋中をびしょびしょにした俺と違って、同時に生み出した風の壁は水しぶきすら完璧に防ぐ。
水位はあっという間に上がり、魔石に触れた瞬間――ぴたりと止まった。
水を注ぐ速度は変わっていない。吸収が注水を上回ったのだ。
継ぎ目に漏れもないし、天然水以外でも正常に機能している。
さらに、距離を離したり出力を変えたり試していると、突然吸水性が途切れて水が溢れてきた。
「百リットルほど入りましたね」
「やっぱその辺が限界か。使い心地はどうだった?」
「魔力強化の杖やペンダントに近い感覚です。特に魔法陣に触れている間は水の中に手を入れているようで、魔力を消費している気がしませんでした。出力強化より安定性の向上を強く感じましたね」
「ふむふむ、魔力に余裕がある人だとそうなるのか。んじゃあ次は精霊術……の前に溜まった水をどうにかしないとな」
せっかくなのでサトウキビ畑に撒くことに。さっそく実践訓練だ。
魔力を流し込むと、魔石に蓄えられていた水が一気に放出される。
「おおっ便利! これなら何度も井戸を往復する必要はないし、畝の間に置けば二列ずつ一気に水をやれるな!」
まるで独立した水路だ。草抜きしている間に水やりも終わる。最高の時短技術だ。
「用具を放り出して遊んでいるように見られそうですね」
……普段真面目にやってるから大丈夫だよ、たぶん。
「おや? 底に何か沈殿していますね」
続いて精霊術を試すと、フィーネが何かに気付いた。
「あー、それか。この魔石は不純物を吸収しないんだ。井戸水の時も同じ現象が出た。たぶん精霊術の水には天然由来の成分が混じっていて、それが弾かれるんだろう。栄養まで抜けると困るから、水やりの時は沈殿したものをかき混ぜて撒くつもりだよ」
「なるほど……ですが、これを海水に使えば塩だけが残るのでは? 水は真水になって排出されますし、塩は塩で需要があります」
「――!?」
目から鱗が落ちた音が聞こえた気がした。
いつの間にか完璧なろ過装置が出来上がっているではないか。
塩といえば、調味の要。俺も生産量および品質の向上は真っ先に思いついていた。
塩が高価で不味い理由なんて、海自体か、製造方法か、運送方法に問題があるとしか思えない。そしてそれは技術か人手か善意によって解決可能。
そこまでわかっていながら手を出さなかった理由は、単純に距離と時間と金がなかったからだ。一番近い海まで片道一カ月。調達資金もゼロ。
だが――貯水ボックス一つで全部解決できるじゃないか。
「た、確かに! 泥水や毒物でも使えるかも! 今すぐやろう!」
幸か不幸か毒はなかったが、泥水ならすぐに用意できた。フィーネが菜園と井戸水を使って二種類の泥水を作り、貯水ボックスに注ぐ。魔力を注入して起動。
数分後。底には乾いた砂だけが残っていた。
「……成功だな」
「はい」
正確に調べるためにボックス一杯の砂を水に混ぜ、全て吸水させたら同じ量の砂が残っていた。つまり水分だけを正確に抽出している。
念のために塩水でも試す。結果は同じ。
「なるほどなぁー、これがあれば簡単に塩が作れるのかぁー、海ならとんでもない量の塩が作れるんだろうなぁー」
俺は貯水ボックスの前にしゃがみ込んで、底に溜まった白い粒を味見しながら、フィーネに視線を送る。
しかしフィーネはこれを無視。彼女に気付いていないなんてことはあり得ない。触れたくない理由があるのだ。
だがそれは俺とて同じ。ならばこちらから仕掛けるまで。
「フィーネに頼みたいことがある。無理なら断ってくれて構わないんだけど……できればでいいんだけど……」
俺は忠誠心の塊のフィーネが断りづらくなる前置きをして、意を決して話を切り出した。
「昨日話した貯水ボックスで塩を作る件。あれをやってもらいたいんだ」
「ッッッ!!」
私が貴方の頼みを断るなど天地がひっくり返ってもありません、とでも言うように笑顔を浮かべていたフィーネ。頼られることが嬉しくてたまらないという顔をしていたフィーネ。いつも余裕のある立ち振る舞いを行っていたフィーネ。
そんなメイドの鏡と言える彼女が固まった。
「そ、そそそ、それは海まで行くということでしょうか? ル、ルル、ルーク様の、お、お、お傍を離れて? 何週間も?」
一応の復活をみせたフィーネは、青ざめてガクガクと震えながら、間違い、あるいは勘違いであってほしいと願いの籠った質問をしてきた。
いつも沈着冷静な女性だ。彼女を知る者が見たら驚くこと間違いなしだろう。
だからこそ俺も何か間違いがあったんじゃないかと不安になって、自分で言ったセリフを反芻した。
(そ、そんなにか……? これ、人を殺めてしまったとか言った方がまだ動揺しなかったんじゃ……)
オルブライト家に来るまでは長年一人旅をしていた彼女には造作もないことだと思ったんだけど、よほど俺と離れるのが嫌なのだろう。
――っと、それより早くフィーネの質問に応えないと泣いてしまいそうだ。
「そうだ。貯水ボックスを他人に預けるなんてできない。これはフィーネにしか頼めないことなんだ」
ここは何とか説得するしかない。俺はさらに畳みかける。
「三歳児が親元を離れて遠出するのは無理があるだろ? 家族旅行を提案するにしても、初めての外出が数カ月なんて誰も納得しないし、サトウキビの世話もある」
「それはそうですが……わ、私にはルーク様のお世話という重大な使命が……!」
「なら俺を成長させるための試練だと考えるのはどうだ? 今は問題なくても将来学校に行ったり仕事で遠出したりすることもあるだろう。そんな時、部外者のフィーネが傍にいるわけにもいかない。だからこそ、安全な家の中でしか生活しない今の内にフィーネ離れを経験しといた方がいいと思うんだ」
親離れならぬフィーネ離れが必要だとは前々から感じていた。このままお世話になりっぱなしだと俺は絶対堕落する。
そして何度も言うけど塩が欲しい。あれは俺の望む世界に必要なものだ。
「実は父さん達には話してあるんだ。貯水ボックスについては詳しく伝えてないけど、フィーネが協力してくれたら塩が手に入るかもしれないと言ったら簡単に許可してくれたよ」
つまり全てはフィーネ次第。
「頼む! どうしても塩が必要なんだ!」
「…………」
一向に頷こうとしないフィーネに、俺は最後の手段を繰り出した。
ウルウル……ウルウル……。
見よ、この保護欲を誘う幼子の上目遣いを! そして堕ちるのだ!
「――っ! …………わ、わかりました。すぐに戻ってきますので絶対に家から出ないでくださいね?」
「ああっ、もちろん!」
フィーネは散々悩んだ末、塩を調達しに行く決意を固めてくれた。
まだ震えている事から察するに、おそらく彼女にとっても一大決心だったんだろう。いつも落ち着いている年上お姉さんが震えているのは可愛かった。
それから数日後。
準備というか俺成分をたっぷり貯め込んだフィーネは、貯水ボックスを持ってヨシュアを旅立った。