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「例えばふと電柱に張り付けてある迷い猫のチラシを見付けたとして、少し離れた所にそこに書かれた特徴と完全に一致する猫の死骸が転がっているとして、キミはどうする? 飼い主に事実を伝えるか、死骸を埋葬して飼い主には黙っておくか、埋葬した上で飼い主に知らせるか、どれにする? 私の場合はね、何もしない。飼い主に一報を入れるわけでも猫を土にかえすわけでもなく、ただ素通りをするだけ。小さい頃にあんなことがあったのに、気付けば私はそういう人間になってしまっていた。そんな私を、私は心底大嫌いだった。だけど、もし今回猫が生きて見付かったなら、何となく少しは報われるんじゃないか、赦されるんじゃないか、そんな気がしてた。でも、やっぱり現実はそんなに甘くなくて、こうやって罰を受ける破目になっちゃった。ま、当然だよね」

 那須野が夏目を見ると、落ち着き払った夏目がそこにはいた。むしろその落ち着きが、那須野には恐ろしく感じられた。

「お母さんにね、聞いたことがあるんだ、いなくなった猫は何処に行っちゃうんだろうねって。普段はろくに取り合ってくれないんだけど、お酒を飲んで気分のいい時だけは答えてくれた。この地上の何処かに、猫だけが乗れる観覧車があるんだよって。それは砂漠の真ん真ん中に建っていて、人間の目には絶対に見付けることが出来ない。猫の三日月のような目だけで見付けることが出来る。その観覧車はとてもとても大きくて、世界中を見渡すことが出来るの。いなくなった猫はその観覧車に乗って、世界中を、かつて自分が存在していた世界を見下ろしながら観覧車の中でずっと暮らすの。そこは一度乗ったらもう降りられない……ううん、違う、決して自ら降りようとは思わない。だって、世界中の全てを見てしまったとしたら、どうなると思う? 人間の、汚くて、ずるくて、腐っていて、糞ったれな面を全て見てしまった猫はどうすると思う? 世界に絶望して、決して今までの世界に戻ろうとは思わない。だから、観覧車の中で独り静かに最期の時を待つんだよって、お母さんは教えてくれた。ろくでもないお母さんだったけど、お母さんのしてくれるこの話だけは大好きだった。そして、何時か私もそこへ行きたいと思ってた。観覧車の中で、世界を見下ろして、静かに死にたいと思ってた。でも私は人間だからそこへは行けないし、どこかで猫が生きてるかもしれないからって、今日までこっちで生きてきた。でも、それももう終わり。条件は全て揃った。思い残すことは、もう、何もない」

 那須野には、夏目が何を言っているのか理解出来なかった。いや、正確には理解するのを拒んでいた。那須野には、これから夏目がどうするのか、本当は分かっていた。

「本当はね、魔法には呪文なんてないの。その代り、魔法を発動させる為の条件が一つだけあるの。最後だから、キミには教えてあげるね。魔法を発動させる条件、それは、大切な人を心底裏切ること」

 そこで夏目は笑顔になる。それは、何物からも解き放たれた末に初めて浮かべられる笑顔なのではないかと那須野は思った。

「ごめんね、素晴らしい世界には、私だけで行くよ。キミを素晴らしい世界に連れて行くって言ったのは、全部嘘。初めからそんなつもりなんてこれっぽっちもなかった。条件を揃える為だけに、キミを屋上に呼んだんだ。私ってひどい奴でしょ? だからさっさと忘れた方がいいよ、私のことなんて」

 夏目はそこで何かを思いついたような顔をした。それは幼い子供がする、無邪気な笑顔によく似ていた。

「そうだ、せっかくだから私のことをみんな忘れるってのも付け加えよう。私は観覧車の中へ、素晴らしい世界へ行く。そしてこっちに残ったみんなは私のことを綺麗さっぱり忘れ去る。ねえ、これって名案だと思わない?」

 両手を広げて笑う夏目に、那須野は何も言うことが出来ない。何か言わなくてはいけない筈なのに、何か言うべきことがある筈なのに、何も出てこない。那須野はただ、戸惑い、立ち尽くすばかりだった。

「じゃあ、私はもう行くね。キミはもう少し、この糞ったれな世界で頑張ってね」

 夏目は笑顔の横で小さく手を振る。

「じゃあね、バイバイ、さようなら」

「おい、待てよ――」

 那須野は夏目に手を伸ばす――が、その手が夏目に届くすんでの所で視界が暗転する。何も見えない。やがて那須野の意識もその闇に飲まれ、程なくして途切れた。


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