彼の目的≪本編完結≫
突然だが、私は朝っぱらからとある光景を目にして興奮あまり、その場所から歩き出すことができなくなっていた。
視線の先には私を待っている真野くんの姿。待ち合わせスポットでスマフォを操作して待っている真野くんは、立ち姿だけで様になっている。様になってるって一体どんなんよ!なんて、私にもわからない。私服の真野くんは見慣れない新鮮さからかいつもの何倍もかっこよく見えた。あ、そういえば、元々この人はカッコいいのだったと、友達からの評判を思い出す。
時計をみると、まだ時間は待ち合わせの5分前。
彼の顔立ちは遠目でまだはっきりとは見えないのに、それでも雰囲気からしてかっこいいとうかがえる。顔立ちも整ってるんだけどね。
他の人よりも黒味の強いさらさらの髪の毛が、今日はニット帽の下にほとんど隠れている。紺のピーコートは線の細い彼に合わせたようにぴったりで、スタイルのよさを強調している。下のジーパンは細身のはずなのに少しだぼっとしていて、雑誌のモデルさんが着ているヴィンテージっぽいお高そうなジーンズに似ていると思った。
しかし、私が興奮したのは、ブーツだ!総合的にも悶えるが、ブーツがあってこそと言える。
私はエンジニアの編み上げブーツでズボンをブーツインさせたスタイルが大好きだ。興奮する。つまり萌える!!軍服とか想像してみて欲しい。あれもいいと思う。きっちりしているよりも、野性味のあるラフな着こなしに身悶え震えるのだ。
「……風見さん?」
しかも、まるで私の好みを体現したようなブーツと履きこなしをしている。少し草臥れたような皮のブーツで、指に近い通し穴にはセオリー通り穴に紐を潜らせているけどふくらはぎに差し掛かった辺りで敢えて穴を通さず無造作にグルグルと巻きつけている。そしてあまらせたベロが柔らかく使い込まれたヴィンテージ感を匂わせて……。なんてことだ。私はそのことを真野くんには話していないというのに!知ってたのかと疑いたくなるほどの……シンクロ?フィーリング?ディステニー?何でもいいが運命を感じて鼻血がでそうなほど、細身の彼のブーツイン姿は似合いすぎていた。
どうしよう近づけない!私、鼻血出たことないけど気分だけでいったら鼻血でてる!きっと死んじゃってる!どうすればいい?いつまでも見ていたい。しかし見つめすぎると鼻血で死ぬ。この気持ちって恋に似てる?実際恋してるんだけどね!!ああ荒ぶる自分を抑えきれない……!!
ブーツインによりレベルアップした彼に近づくなんてそんな恐れ多い。難易度が高すぎるよ!あれは10メートルほど離れてみる観賞用レベルだ。日本の美術館の彫像だ。囲い紐とポールに守られつつも眺めるべき対象である。隣で歩いてきゃっきゃうふふには向いていない代物だ!
大体、隣で歩いてたら全身スタイルを堪能できないではないか!!言語道断である。今みた位置は横向きだったが、あれを斜め前から見たい。斜め後ろも、真後ろでちょっと横に顔を向けていてもいいかもしれない。立ち姿もいいが歩き姿もきっと眼福だろう……。
…………。
……いやあ、さすがに動画撮りたいとかそこまではしないよ?でも写真のほんの数十枚くらいなら別にいいよねと思っただけで……。
エスカレーターで3段上に立っていてほしい。そして軽くひっかける程度に足を組んで肘を後ろのベルトにおいて寄りかかって欲しい。そしてちょっと後ろに振り返って……。あれ、どうしてかな。秋葉原にあるエスカレーター盗撮の張り紙を思い出してしまった。いや、全然、違うんだけどね?でも、なんか知らないけど頭に過ぎってしまったの。全然、犯罪行為に及ぼうなんてつもりはこっれぽっちもないけど、男性はスカートではないけどまあ肖像権の侵害みたいな罪に問われちゃったりするのかななんて考えてしまったり、考えが私グレーゾーンレベルにちょっと変態っぽい?って……いや断じて犯罪行為に走る予定はないんだよ!でも……興奮してしまうことは否定しな
「かーざーみさんっ」
肩をポンと叩かれてビクリとしてから振り返る。あ、ディステニー。
…………じゃない。真野くんがそこに立っていた
どうやら興奮するあまり、思考の小波に流されかけていたようだ……。妄想に忙殺されていた反動でぼんやりした頭を落ち着かせていると、真野くんが満面の笑顔で私を見ていた。
私は完全に真野くんのいた方と逆を向いていたというのに、真野くんは私を見つけてくれたのか。
私は、何か言いたげな彼の表情に、問うように首を傾げる。彼は「だってさ」といいながら、しゃがんでいた私を立たせてくれた。
「こっち見たら風見さんがしゃがみ込んだり立ち上がったり頭抱えたり忙しそうにしてるんだもん。びっくりしちゃった」
「え……ワタシそんなことしてまし…た……?」
そういえば、私いつの間にしゃがみ込んでいたんだろう……?少し乱れた服装をちょいちょいと直してくれながら真野くんは言葉を続けた。
「うん。楽しそうにしてたからもう少し見てようかと思ってたんだけど、すごく目立ってたからさすがに声かけちゃった」
ぐああっと全身が熱くなる。な、なんてことだっ!はっ恥ずかしいいい!なっ、ま、待ち合わせスポットなんてクソ目立つ場所の周辺でそんな奇行に及んでいたなんて!!わああどうしよう、ってどうにかできるのかっ!できないわー!
私は気持ちの切り替えが早かった。どうにもならないと判断した私は、これはもう悪目立ちしてしまったこの現場から逃げるより他にあるまいと行動に移すことにした。
思い立ったが吉日(?)。私はすぐさま真野くんの腕をガシっと掴んで引っ張った。
「も、もう!早く言ってくれてよかったのに!ごめん、早く行こうすぐさま逃げよう!先にご飯食べるよね?こっち?こっちでいい?あ、そういえば全然何も決めてなかったんだった!!あれ、どうしよっかー?!」
早くこの場から離れなくては。そう思って私はワタワタと真野くんを急かす。真野くんは掴まれた腕を払うことなく相変わらずニコニコ笑顔だ。
「親からランチのクーポンもらったんだ。パスタ系と肉系ならどっちがいい?」
「え、うーんと……パスタ系で!」
「OK、じゃあこっちだ」
そういうと真野くんは掴んでいた私の手を外して手を繋ぎなおして引っ張った。
なんてことだ、さも当然のことのように手を繋いだぞこの人!繋がれた手を、ついつい目をカッ開いてガン見する。いや、確かに私も、ついつい腕とかつかんじゃったけど……えっ…………あれ、えー!!?焦ってる私がおかしいの?っていうかデートって真野くん言ってたしそれならこれって別に普通って事?普通って何!?あれ?ここは流されておくとこか?指摘する方が自意識過剰?!
何たることか。デート(?)開始数分間、私は焦りモードフル回転である。真野くんは「この店、母さんのイチ押しがガトーショコラでさ。風見さんはガトーショコラ好き?」なんて至って普通に会話続けてるんですけど?!ガトーショコラだと?好きだよああ好きだとも!大好物です。
なんたること……だ!…恐るべし、私服。恐るべし、デート。恐るべし、真野拓真!!
考えてみれば(考えてみなくても)真野くんは恐るべきハイスペック男であったと、私はようやく落ち着いた身体(心)をソファに落ち着けて考えていた。
私たちの前にはそれぞれが選んだパスタが鎮座しており、おいしそうな香りと共に湯気を立てている。
真野くんが連れてきてくれたパスタのお店は駅からは少し離れたところにあった。木目調の店内はアットホームながらもおしゃれで、どちらかというと女性が好みそうな雰囲気のお店だ。「僕もくるのは初めて」なんていっていたけど、特に居心地悪そうな様子もなくリラックスした様子でアサリのスープパスタ(大盛り)を食べる真野くんは、その場の空気に溶け込んでいた。細いのによく食べるなぁ。
もうひとつの候補だったらしいお肉系のお店はステーキハウスだった。こちらは、ここよりも大きい店舗だったらしく、それでもクーポンを見る限りでは女性向けのようだった。ステーキなのにね。
女性が好みそうなランチセットのクーポンで、写真の雰囲気がおしゃれなのだ。デザートもセットに含まれているのが得点高いと思う。
僕の家って女兄弟が多いからか、お父さんがへたれだからか、女の方が強いんだよねと真野くんは言う。小さい頃から、女の子向けの遊びや小物、女性向けの洋服屋さんに女性向けのカフェや食べ物屋さんに付き合い、床屋ではなくお姉さんや妹と一緒に美容院に連れて行かれるなど、女性の好みそうな場所にばかり連れまわされてきたらしい。
「だから買い物したかったら遠慮しないで。付き合うのも慣れっこなんだ」なんて言ってくれる。むしろ買い物付き合うの面白いって。私の考えなんて真野くんにはお見通しのようだ。
勉強も出来る、気が利く、女の子好みのカフェやご飯屋さんにも連れてってくれるし、かっこいいしおしゃれで女の子の買い物にも付き合ってくれる。高校生くらいの年頃の男の子が女の子の買い物に付き合うって退屈なんじゃないかと思っていた私は、彼のハイスペックぶりにただただ感心していた。
考えてみたら(考えてみなくても)、真野くんはイケメンの部類に入ることに、私は改めて気付かされた。
まあ、そりゃあ、高校生として日常的に顔を合わせているから、そんな人相手にイケメンだイケメンだとか騒いだりはしない。私やクラスメートがいい例だ。たまに出会う通りすがりのイケメンやイケメン芸能人の方がよっぽど「イケメンイケメン」と騒ぐものなのだ。
そして、通りすがりの人たちにとっての通りすがりのイケメンである真野くんは、少なくとも多少騒がれるくらいにはイケメンだ。
それに改めて気付くと、じわじわと他人の視線が気になり始めてきて、私は周囲を窺う。漫画なんかでは「街を歩いていると誰もが振り返るようなイケメン」なんてザラにいる。が、現実にはそんなイケメンは滅多にいない。それに人というのは実はそこまで他人を気にしていないものだ。……しかし、"誰もが"ではないまでも、真野くんは確実に他人の視線を集めていた。
ほら早速、真野くんの顔がたまたま目に入ったらしい横の席の女性二人組みがチラチラと真野くんを盗み見ている。コソコソとたまに何かを喋っているが、まあ大方、「ねえねえ、隣の人かっこよくない?」とかそんな感じだろう。雰囲気的に。
ちょっとカッコいいくらいの人なら、一瞬見て「お、この人かっこいいな」だけで終わる。わざわざ何度も見返したり、振り返ったり、話題に上げたりすることは、稀なんじゃないかなと、私は思っている。
「どうしたの?風見さん」
声をかけられて私は改めて真野くんをみた。さらさらの黒髪。涼しげな目元。色白できめ細かそうなお肌。細身だがそれゆえに喉仏が目立ってちょっと色っぽい。シンプルな重ね着のカットソーがむしろ彼を引き立てているようだ。
私はいままで生活していてどうして気付かなかったのか。この人はどっからどう見てもイケメンじゃないか。……もしかしなくても、私は結構ニブイんだろうか。そんなことを考えて、私はハアと小さくため息を吐いた。
「人の顔みてため息とか、失礼だなー。どうしたの?パスタ好みじゃなかった?」
「そ、そんなんじゃないよ、すごいおいしいです!ただ、自分のあまりのニブさに愕然としてただけなの……」
「ああ、なるほどね。っていうか、いままで自覚してなかったんだ。風見さんってすごいニブイじゃん。今気付いたことにびっくりだよ……ああ、だから鈍いっていう……」
「えぇっちょ、ええ?!自覚って……ま、真野くんヒドい!そんな言い方だと、まるで私がニブイことが知ってて当然のことみたいに聞こえるじゃない!!」
私の反論に真野くんは笑みを深めてニッコリ。
「少なくとも、うちのクラスの中ではすでに常識なんだけどね」
「そんな……!私の知らないとこでみんなそんなこと思ってたの!!……どうしよう、私、人間不信になっちゃいそう……深く傷ついたんだけど!」
うちのクラスは所文美さんという女の子を中心に妙な結束力を誇っている。他のクラスに比べて行事でのまとまりがよく仲がいい。そんな失礼なことを言い合っていても、まあ不思議ではないが…。そういえば文美ちゃんは真野くんの幼馴染だったっけ。
「そんなこといっても、常識レベルだしさ。風見さんがとんでもなく鈍いなんて事は、当たり前。普通とも言う。うちのクラスで鈍いといえば風見さんのことなんだよ?」
真野くんがここぞとばかりにからかいを含んだ目で見るので、私はちょっぴり悪乗りしてみる。
わざと口を尖らせて不満そうな顔をして真野くんを睨む。真野くんもそれを面白そうに見返している。ああもう、なんか、こういうノリのいいところ好きなんだけどなー。そう思いつつむーっと恨めしそうに睨む。真野くんは面白そうにしながらも、ワザとらしく肩を竦めてため息を吐いた。
「もう仕方ないなあ。人間不信になりかけるほど傷付いた風見さんに、クラスを代表してお詫びにデザート奢らせていただきます。だから、機嫌なおして、ね?」
「……このガトーショコラの、アイスもつけて良い?」
「うん、どーぞどーぞ」
「よっしゃ!ゴチになりまーす!!」
頭の隅で、お礼なのに奢られてどうするという自分ツッコミが過ぎったが、気にしないことにする。だってデザートは別腹なのだから!
ニコニコ笑っていると、向かいの真野くんが軽く身を乗り出して手を伸ばして軽く私の頭を撫でた。
ドキッとする。
「人間不信の見返りがデザートとか、寛大なのか安いのかわからないね?」
「……もちろん、寛大なんだよ」
女子の多くは頭を撫でられるという仕草に男の人の包容力を感じてしまうんじゃないかな。そんなことを思いながら、私は顔を俯けて、最後に残ったトマトクリームパスタ(並)を口に運んだ。
真野くんは私を駅近くのコスメの独立店舗の集まるお店に連れてきてくれた。ちょっと高級そうな感じがして気後れしてしまう。真野くんは、「くちびる乾燥しやすいから試したいって言えば大丈夫だよ」なんていうけど、問題は値段だけではないことに気付いていない。高校生はこういうところに積極的に出入りしないと私は思うのだ。もっと出入りしなさそうな男子高校生は、とっても堂々と店に入り、あまつさえ、ショップ店員に話しかけているけれど。
「彼女さんにプレゼントですか?」と聞かれて当然のように曖昧に肯定しないで欲しい。いちいち過敏に反応するこちらの気持ちも知らないで!
「お客様はお肌が白いから、こちらとこちらのお色がお似合いになると思いますよ」
「これなんか春っぽくていいですね」
「そうなんですよ。こちらのピンクは今期の春夏の限定色で、今一番人気のお色なんですよ。このシリーズは5年くらい続いてる人気のシリーズなんです。お肌に敏感な方のために毎年ちょっとずつリニューアルされてて、とってもご高評いただいているんですよ!」
「そうなんですか。……どうする?僕もこの色、似合うと思うけど、試してみる?」
なぜか高校生男子とショップのお姉さんが中心となって話が進んでいく。突然、話を向けられて私は一瞬口ごもりつつも、なんとか「うん」と頷いた。なぜだ、なぜ真野くんは当然のように話を弾ませているんだ。
「やっぱりこのお色お客様にぴったりですよ!肌色がブルーベースだから最初に塗ったお色も可愛かったけど」
この春ブランドのコンセプトは"春の待望"とポスターに書かれていた。珊瑚を思わせる温かみのあるピンクの名前は、サロメピンク。可愛らしいピンク色でみているだけで春が待ち遠しくなるような色は、どちらかというと子供っぽい色合いだ。つまりまだお子様高校生の私にはぴったりだ、と思う。
私は結構好きなんだけど。……そう思いつつ真野くんの反応が気になってみてみると、真野くんは口元を押さえて俯いていた。え?具合悪いの?!と感じるようなポーズだ。
「どうしたの真野くん?具合悪い?!」
チョイと服を掴んで顔を覗きこむ。椅子に座っていたので少し身を乗り出せば真野くんの表情はすぐに見えた。真野くんは耳まで顔を真っ赤に染めていた。目が合うがすぐに逸らされてしまう。私はなんとなく居心地が悪いような、むず痒い気持ちになってしまい、身を引こうとした。すると真野くんは何を思ったのか逆に私の手首を掴んで引き止めた。
「これ、絶対買ったほうがいい。すごく似合ってるから」
真野くんは私を説得するみたいに「ね?」と真剣な顔をする。しかしすぐに何か思い出したように呟いた。
「ああ、でも……肌に合ってるか確認しないとダメだよな……」
「よろしければ、こちらに試供品がございますので、お試しいただいてから検討してはいかがですか?」
タイミングよくショップ店員のお姉さんが提案をする。……そこはかとなくプロの手腕を垣間見た気がした。
そこから真野くんはトントンと試供品とパンフレットを受け取り、早々私の手をとってお店を後にした。
今日の真野くんは一体どうしたんだ!と私は言いたい。いくら私がニブイあまり真野くんのハイスペックに気付いてなかったとしても、それを差し引いても、真野くんの今日の行動や言動はいつもと違いすぎる。デート言うし、手を繋ぐし、彼女言うし、頭撫でるし、似合ってる言うし。……これじゃあ、まるで恋人同士のようではないか。私を茹で蛸にする気かと言ってやりたい。いや、でも私は恋人がどういうものなのかなんて、ドラマや少女マンガの知識でしか知らない。え?これって友達の範囲?こんなにドキドキしっぱなしなのに?これが友達同士なんて、私には信じられないんだが……!
そもそも真野くんくらいハイスペックなら彼女のひとりやふたりいても不思議ではないというのに、なぜに私とデート?
私も私だ。今日はずっと興奮し切りだし、ドキドキしてばっかりだしで、自分が正常に作動している気がしない。どこかのネジの1本や15本くらい抜けているとしても、不思議に思わないくらいだ。
腕を引かれながらそんなことを考えていたところで、私は今の状況を気にする余裕が出来た。……あれ?今、私たちはどこに向かっているんだろう?真野くんは迷いなく進んでいるので、目的地は決めているんだろう。でも、なんというか。空気が。えーと、雰囲気が、「これから他のリップも試しに行こうか☆」という感じがしない。
そもそも、今歩いている場所はすでに駅から離れている。それでもなんとなく声をかけづらくて黙ってついていくと、真野くんは駅から程近い公園へと進んでいく。そして私をベンチの前に連れて行くと肩を押してそこに座らせた。
「……えっと、いったん休憩?」
戸惑いつつも尋ねると、ベンチには座らず目の前にしゃがみ込んだ真野くんは顔を俯けてしまった。どこか哀愁すら漂う様子に、私はベンチに座るように促すか放っておくか悩んだ。しかし、答えを出すよりも前に真野くんは顔をあげた。
「ごめんね、こんな予定じゃなかったんだけど……まさかあんな伏兵が潜んでいたとは思ってなくて……」
「……伏兵?」
「ナマモノの破壊力もあるけど……いや、でもよく頑張ったよ僕。ちゃんと我慢できた、えらいよね、うん」
「……ごめん話しが見えないんだけど?」
「つまり、僕を褒めてってこと」
真野くんは褒めてといって頭を差し出した。私はドキドキきゅんきゅんしつつ、真野くんの頭を撫でてあげた。髪の毛柔らかいなー、猫っ毛ってやつだなー。真野くんはかっこいいんだが、可愛いのだ。私はこういう気持ちになるたびに、真野くんは計算してやってるんじゃないかと疑っている。だとしたら、そうとうあざとい。そして、もしそうだとしても、私は変わらず真野くんにきゅんきゅんしてしまうのだろう。恐るべし、真野拓真!!である。
「風見さんにそのグロスが合えばいいのになあ」
「今のところ、乾燥したり荒れたりしてないよ。使い心地もしっとりしていい感じ」
真野くんは私の隣に座りなおして私の唇を覗き込んでいた。とても絶賛してくれるので、私としても合えば購入したいなあという思いだ。
「そっか。……まあ、乾燥は何もしないで2~3時間はもってくれればいいと思う。荒れちゃうのはアウトだけど」
そう言いながら真野くんの手が徐にベンチの上の私の手に重ねられる。
なんとか、ギリギリぴくりと反応するだけに抑えられた。いきなりこんなことされたら、相手が誰であってもびっくりしてしまうというのに、真野くんはどうしてさっきから当然のことのように触れてくるのだろうか。そもそも、唇覗き込んでいた姿勢のときからドキドキしてしまっていた私なのだ。余計に反応は過剰になってしまう。
……そう、恋愛初心者の自分がちょっぴり期待してしまったとしても、誰も私を責めることはできないはずだ。
「女の子が可愛いのってさ。男って上から目線で良し悪し勝手に評価してたりするけど、すごい大変なことだね」
私はぱちくりと瞬いた。どうしたんだろう?と思うほど、急に話題が変わったのだから。しかし同時に、真野くんは重ねている手と指で私の指の股を形を確認するように撫でたり絡めたりする。話題の方も気になるが、それ以上に手の方が気になってしまう。
「元々姉さんとか妹がいろいろやってるの見てたから、他の男子よりかは大変なこと知ってたつもりだけどね。それでも、女の子が可愛いのは当たり前じゃないんだって改めて思った。いっぱい悩んでそれでも一生懸命頑張ってるんだって、風見さんと話すようになってちゃんとわかるようになった気がするんだ」
「……そういわれると、なんだかとても素晴らしいことでもしているみたい。世の女の子の大半はしていることなのに」
視線は重なっている手に向けたままで、真野くんはとても穏やかに微笑んでいた。
「そうかもしれないけど。元々可愛いなって思ってたのが、それを知ることができたらもっともっと可愛くてしょうがないなって思うようになって。だから女の子には男にはないパワーがあるのかなって」
この人は、ぜったいにわかって言っているに決まってる。私はそう思いながら自分の顔が真っ赤になっていることを悔しく思った。
さっきからなんなのだ。この人は。こんな、思わせぶりなことばかり言って。私を期待させて。
黙り込んだ私を覗き込むように見つめて「どうしたの」と聞いてくる真野くん。私の顔が赤くなってるなんて気付いてないわけがない。普段から気の利く彼が、無駄に女の子の、私の気持ちを察してくれる彼が、自分の言葉を私がどう受け取るかわからないわけがない。
「真野くん……は、」
「うん?」
真野くんはやっぱりいつもと変わらない表情で笑ってる。……ううん。なんていうか、これは「全部受け止めますよ」って顔だ。
「真野くんは、どうしてこんなに私の相談に乗ってくれるの?」
「どうしてだと思う?」
「……お姉さんが私と同じ事で悩んでいたから?」
「そう思う?」
「……最初は、本当にそうだと思ってた」
私が初めて、彼の気持ちを不思議に思ったきっかけは、彼のデート発言だ。思えば、彼はそこから一気に思わせぶりな態度を隠さなくなったようにも思う。
真野くんは、ふう、と息を吐く。
「だから言ったんだよ。風見さんはクラス一……いや、学年一鈍い。周りのやつらはみんな知ってるのに」
「そっ…そ、んなこと言ったって……」
「どこまでやったら自覚してくれるのかなぁっなんて気長に構えてたのに、『私にできることなら何でもする』とか言うしさ。ダメだよ、男にそういうこと簡単に言ったら」
悔しいと思う気持ちが少しずつ綻びていってしまう。真野くんはまるで、"私がいけない"みたいに言うのだ。……まあ、確かに、真野くんの思わせぶりな行動の原因は私にあったみたいだけど……。
「風見さん以外の人ばかりに気付かれてたの、僕はずっと嫌だったけどね。だってそうでしょう?」
彼の笑みがぐっと深まった。と思ったら、彼の表情が窺えなくなる。顔が近づきすぎたから。
「僕がどれだけ風見さんを好きかなんて、風見さんが一番知っているべきだ」
耳元で囁かれる音はいつもの聞き心地のいいものより低く響いた。心臓が、もう、ばくばく聞こえてきそうなほど。全身がカッカと熱いのはもうこれ以上にないって程。
真野くんが私を抱きしめるから、2人分の体温が重なってて余計に熱くなるのだ。
「で、風見さんは?」
抱きしめながら、どこか笑いを含んだような声で問いかけてくる。絶対に笑ってる。そしてわざと思わせぶりなことをしていた彼は私の気持ちにも気付いていて、だから、自信満々でいられるのだ。そんな彼に私は再び悔しさを再燃させた。
なんだ、ちょっとニブイくらい!それも個性ではないか。直そうと思って直るようなものでもない。そんなに酷いというなら教えてくれと思う。人というのは得手不得手があるのだ!
私はちょっぴりの反抗心で抱きしめてくる真野くんの胸をグッと押した。真野くんは抱きしめる腕は外さないまま、少しだけ私から離れた。ギリギリ、顔を見られるくらい。
「私は、真野くんはなんて親切な人なんだろう!って思ってたんだよ!」
「え、親切でしょ、僕」
「しっ下心いっぱいじゃない!」
「そりゃあ、男の子ですから、ね?」
「『ね?』じゃない!」
「下心だけどさ、それでも好きになってもらいたかったんだ。やっぱり、仕方ないでしょう?」
「…………っんな」
そんなにきっぱり言われたら、文句なんてこれ以上言えないではないか。"真野くんは優しくて親切"なんて感謝しまくってたときの自分を思い出すだけで恥ずかしい!
「だから風見さん。僕と付き合おう、ね?」
真野くんの右手が私の左頬をさする。そうやって目を合わせられない私の顔をあげさせる。私はその手に抗えない。さすっていた手は頤を捕らえていた。真野くんの視線は私の唇。私はそのちょっと艶っぽい視線に、あれと微かに既視感を覚える。私はまだ何かを見落としているような……。
「時間経ったけど、調子よさそうだね」
「ぅえっ……ああっ、そう……かも」
「……風見さんは僕を好きだから付き合う。だからたった今から僕は風見さんにキスができる」
突然言われた言葉に、私は一瞬だけ理解が遅れてしまった。
「そうだよ、ね?」
「な、なにを……」
「うんって言って」
真野くんの強気がいつになく切羽詰まった様子に見える。完全に真野くんのペースにのまれっぱなしだった私は、その言葉にまともに何も考えられないまま「うん……?」と微妙に頷いてしまった。
次の瞬間には、真野くんの唇が私の唇に重ねられていた。柔らかいふにっとした感触。数秒重なってから離れるまで目に映る光景が、真野くんの目がゆっくり伏せられて再び開かれるまでが、まるでスローモーションのように見えた。
しかし、離れた彼の唇に、私がつけていたグロスの色が見えた瞬間、ようやく私は自分がキスされてしまったのだと自覚した。男の子の唇に自分のグロスの色が付いている光景というのは、こんなにも生々しくも扇情的なものなのか。
真野くんの視線が艶っぽさと熱を孕んだまま細められた。私はあまりにも恥ずかしくて、何か言おうとしては何も言えず口を閉じたりする。すると真野くんは堪え切れないと顔を歪めた。瞳が艶っぽさを帯びていたせいか、不機嫌な印象ではなく、むしろ……。
「あーやばいなぁ……思ってたより、やばい」
「へ……?」
「なんでそんなに可愛いのもう一回」
「な……んぅ」
止める間もなく私の唇にかぶりつく真野くん。私は反射的にぎゅっと目を瞑った。開いた唇に重ねられて真野くんの唇が私の下唇を食む。
柔らかさを確かめるように食んで、押し付けて、舐められて、かぶりつかれて、唇の裏をちろりと舐められ、また角度を変えて繰り返されて。私は漫画でも見たことのないほどの断続的に続くキスに、脳内で『ぎゃあああああ』とか『うぎゃあああぁぁ』とか叫ぶしかできなかった。正しく思考回路を言語にして回すことなどできるはずもない。酸素が足りなかったのもいけなかった。頭の回転を良くするために、酸素が重要なのだと私は身をもって実感した。
ようやく開放されたときには、私は何も考えることもできず、恥もなにもなく、ただぐったりと真野くんにもたれ掛かることしかできなくなっていた。
真野くんは「グロスって色っぽいけど、ちょっと変な味するのが難点かな」なんていって私の頭を撫でてる。
少しして呼吸が落ち着くと、やっぱり私は何かを見落としているような気がして首を小さく傾げた。
「あ、リップクリームだして」
思い出したように言われて、私は言われるままポケットからリップクリームをだして渡した。真野くんはそれをなれた仕草でキャップを外し、そして当たり前のように私の唇に付け始めた。あれ?と思いつつ、相変わらず彼のペースに巻き込まれたままだったので、ぐったりとしたまま口を挟むことができない。
塗り終えて真野くんがそれを確認するように少し離れる。しかし、すぐに顔が近づいてきて、予告もなくキスをされた。どこか子供っぽい触れるだけのキスをして、満足げな顔で離れていく。私はその顔に、自分の中の疑問の答えを見つけかけていた。
「……ふふ、グロスも色っぽくていいけど、やっぱり素の方が柔らかさ堪能できていいかなぁ」
「……え?」
そういってから、真野くんは再び私に唇を重ねた。言葉通り、柔らかさを堪能するようなキスを繰り返されながら、私はようやく自分の中にあった真野くんに対する、とあるひとつの答えを見つけ出した。彼の目的は、私のくちびるだったのだ。
思えば、彼の唇に関する情報は、お姉さんからの情報だけとは言いがたいほど詳しすぎるものだった。そして時折感じていた彼の唇に対するこだわり。彼の言葉通り、下心でもなくちゃこんなにも親身になれない。ただ親切だから、優しいからと信じ込んでいた方が、現実的に考えてありえないことだったのだ……。
「キスに慣れてなくて息継ぎうまくできない風見さんも可愛い……今だけしか味わえない光景だよね」とか「いつもの口角上がって溌剌とした感じもいいけど、いっぱいキスされてちょっとだらしなく口が開いてる唇もいいなあ」とか「もぐもぐパスタ食べてるときも、店じゃなかったらヤバかったかも」とか……。もうこれは彼自身も隠すつもりはなさそうである。
私は再びキスの嵐を降らせようと近づく真野くんの口を、ギリギリのところ手で防いだ。これ以上続けられたら本気でふやけてしまう気がする……。
私は彼を止めるためと……そして、ふと気付いたことを確認するために息も絶え絶え口を開いた。
「真野…くんは、もしかして……くちびるフェチ……とかなの?」
ズバリそう聞くと、真野くんは一瞬キョトンとしてから、ニッコリ笑って、そして……私の手のひらをペロリと舐めた!舐めやがった!!私は「ぎゃっ」と慌てて手を引っ込める。
「気付くの遅いんだから……一目惚れだったんだよ、結衣のくちびる」
もうそれ以上私に真野くんを止めることはできなかった。キス魔と化した真野くんは、健全な公園であるまじきほど長いこと、私の唇を離してくれなかったのだった。
本編は終わりです。
ここまで読んでくれて、ありがとうございました。
この後は、いくつか考え中の番外編を載せる予定です。