6.
ブレーデンを元にもどす手がかりは得たものの、その後はなかなか進展しなかった。
予想通りシャールたちは忙しくなり、イーズもできる限り手伝った。自身の勉学もある。レギンを訪ねようにも、その暇もない。シグラッドから、ブレーデンが明日城を去ると聞かされる日は、あっという間に来た。
「アルカ、ブレーデンのことをずいぶん心配していたんだな。今日、挨拶に来たとき、アスラインの宗主がアルカにもよろしく伝えて欲しいといっていた」
レギンと同じく、シグラッドもブレーデンを気遣うことをふしぎそうにした。イーズは手元の果物を一生懸命むくフリをして、適当な理由を探す。
「ほ、ほら、シグと結婚したら、義弟になるわけでしょ? 全く知らないフリをするのはさみしいかなって」
「偉いぞ、アルカ。妃としての自覚ができてきたな。じゃあ、明日、ブレーデンの見送りはアルカ妃殿下に任せよう」
「私に?」
「明日はまた視察にでようと思っていたから」
シグラッドはそれ以上、ブレーデンに構う気がないようで、視察の話をしはじめた。明日は朝早くから出ていくらしい。朝食もさっさと一人済ませていくようだった。
「これから、こうやって食事を一緒に摂れる機会が減るだろうな。泊まりで遠出しようとも思っているから」
「そんなに忙しくなるの?」
「ニールゲンをより強く、より豊かにする。そのために国の様々なことを変えていかないといけない。やることが山積みなんだ」
シグラッドは楽しそうに語る。夢と野心にあふれた年若い皇帝は、これからのことで頭がいっぱいのようだった。
「見送り、シグが行った方が、ブレーデンは絶対喜ぶと思うけど……」
「アルカが行くということは、私が行くというのと同じことだ。それより、アルカ。夕食が終わったら、ティルギスの大使を呼んでくれ」
「大使を?」
「ティルギスの内情を詳しく聞きたい。ティルギスを援助するにも、まずはそっちの現状を聞かないとどうしようもないからな」
「援助……って」
「何をおどろいた顔をしているんだ? ティルギスとニールゲンは同盟国。困ったときはお互い様だ。
ティルギスを援助する事に関して、家臣たちの説得ももうした。ゼレイアがうなずいたら、すぐに決まりだ。やっぱりゼレイアがいると早いな。竜将軍様様だ」
シグラッドは切り分けた肉を、イーズの皿にのせた。
「いっただろう? ティルギスは私の夢に不可欠な存在。大事な駒の一つなんだ。こんなところで倒れられては困る」
「シグ……」
「聞けば、アデカ王のお望みは諸国の統一だそうだな。統一し、争いのない世を作ることが夢なのだと。私は世界が欲しいと望んでいる。お互い、利害は完全に一致しているわけだ。おおいに仲良くしようじゃないか」
イーズはまだブレーデンのことに気を取られていて、シグラッドの話についていけなかった。シャールに促されて、礼をいう。皿の肉に手をつけたが、肉を切り分ける作業は、何か自分の一部をそぎ落しているようで、気乗りのしないことだった。
翌日、迎賓館の前は人や荷馬車でごった返していた。イーズがブレーデンの姿を探していると、あれだよ、と声がかかった。レギンが馬車の一つを指差していた。
「よかった。やっぱりアルカ、見送りに来た」
「レギンも見送りに?」
「僕は見にきただけ。正確には、アルカを待っていたんだ」
レギンはイーズを手招きした。アニーはアスラインの召使たちと話すのに忙しく、二人の行動を見ていない。荷馬車の影に隠れると、レギンは服の下から小さな金細工を取り出した。薬入れらしい、中に物が入れられる細工物だった。
「これ。中に、ブレーデンを元にもどす薬が入ってる」
容器を開けると、藍色の玉が転がり出てきた。どこかで見た気がして、イーズは小首を傾げる。
「オーレックの宝物庫にあるものだよ。前にアルカに取りにいってもらったことがあると思うけど」
「発作を止める薬だっけ?」
「確実に効くっていう保証はないけど、試す価値はあると思う。丸薬みたいだけど、お香だから。飲まないようにね」
「……お香?」
「ブレーデンに渡してやって。ただし、僕の名前は絶対出さないで。だれにも知られないように使って。これは本来、僕が知っていてはいけないことだから」
灰色の目にひたと見据えられて、イーズは背筋が伸びた。金細工をもつ手がこわばる。夜来香だ、とイーズは確信した。皇帝と正妃しか知りえないはずの秘密の薬。
「それが渡す条件。約束してくれる?」
「わかった、約束する。でも、レギンは一体だれからこれを?」
「父――先代の皇帝からだよ」
「病気が辛いときに使うようにって?」
レギンは答えなかった。イーズの胸に、不安のもやが立ちこめはじめた。金細工がずしりと重みを増した気がする。
「話は後で。早くしないと、出発してしまうから」
レギンに急かされ、イーズは荷馬車の影から出た。アスラインの宗主が会釈してくる。
「わざわざお見送りに来てくださるとは」
「陛下の代わりに挨拶に。ブレーデンに挨拶してもいいですか?」
「どうぞ。嫌がっていたのを、何とか馬車に乗り込ませたところです」
馬車の中で、ブレーデンは相変わらず頭からシーツを被っていた。泣いていたらしい、目が赤く腫れていた。
「またおまえかよ、ブス」
「メソメソ泣いている子の顔よりはましだよ」
イーズはブレーデンの額を小突いた。
「なんだよ、急に僕にかまいだして。気持ち悪い」
「シグを助けるのに協力してくれたから、お礼をしようと思っているだけだよ」
「お礼? おまえなんかに僕を元にもどす方法がわかるわけないのに」
「……そうだね」
イーズは手の中にある金細工の重みを確めた。渡そうかどうしようか悩んだ末に、掌に握りこむ。薬を受け取ったときから、イーズの胸には不安がある。この薬の存在を公すると、よくないことが起こる気がした。
「でも、いつかは何とかしてあげられるかも」
「いつかっていつだよ」
「ブレーデンが一国の領主にふさわしい大人になったころかな」
「嘘つき。信じられるか、そんなこと」
「信じるか信じないかは、ブレーデンの自由だよ」
「おまえが知ってるわけない」
ブレーデンの非難をイーズはあえて否定しなかった。
「私にいわれても嬉しくないと思うけど、元気で。これからは遊んでばかりいないで、しっかり勉強して、シグみたいにしっかりものの領主になるんだよ」
「ホントにおまえにはいわれたくないよ、ブス。うざったいな」
「じゃあね。やけになって、全部諦めちゃだめだよ」
イーズは去り際に、そばに落ちていた金の仮面を拾った。ブレーデンの顔にあて、うん、と一つうなずく。
「これつけてると、結構いいよ。顔のこと気にならなくなる」
「何もない日に仮面つけてたら、変だよ」
「似合ってるよ」
イーズは最後に握手を求めたが、ブレーデンはそっぽをむいた。それでも、挨拶はできたことに満足し、外へ出る。出発の準備はすっかり整い、旅立つだけになっていた。宗主の号令で、一行が動きはじめる。
「いなくなるとなると、ちょっとさみしいね」
「憎たらしかったけど」
レギンの感想に、イーズは安心した。自分と同じようにブレーデンを心に留めている人がいることが嬉しかった。ふしぎなものだよね、と表情をゆるめる。
「東の棟、これを機に壊して後には練兵場を作るそうですよ」
一行の姿が小さくなった頃、アニーがぽつりと呟いた。
「ブリューデル皇太后の葬儀がまだ行われていないというのに、お気の早いこと。ご遺体がまだ見つかっていないから、行方不明という者もいるというのに、陛下は皇太后の死を確信しているご様子。奇妙なことですわね、アルカ殿下」
アニーに冷ややかな視線をむけられ、イーズは口ごもった。シグラッドがブリューデルを葬ったことを他言していないが、アニーは真相をちゃんと見透かしているらしい。
「聞けば、陛下はティルギスに援助をするおつもりだとか。他に財を費やすことはたくさんあるというのに、一体何をはじめる気なのやら」
「……すみません。詳しいことまでは」
「アニー。シグラッドにはシグラッドの考えがあるし、家臣の同意もあってのことなんだろ? 僕らがとやかくいうことじゃないよ」
レギンが苛立たしげに反論すると、アニーはかるくため息を吐いた。おなざりに、出すぎた口をはさみました、と謝罪する。レギンは緑竜の手綱を取って、早々に歩き出した。アニーを置き去るように。
「アニーもマギーも、口を開けばシグラッドの批判をする。僕はシグラッドが成そうとしていることを邪魔したくないのに。シグラッドの創る国を楽しみにしているのにな」
レギン苛立たしげにいい、声をひそめた。
「あれ、渡せた?」
「ううん、結局、やめちゃった。なんだか怖くて」
「そう……でも、今はそれがいいのかもしれない。僕も本当は少し怖いんだ」
イーズは金細工をレギンに返そうとしたが、断られらた。いつかいいと思ったら使って欲しい、というのがレギンの希望だった。
「さっきの話だけど、レギンはどうしてこれを?」
レギンはまたも、返事をしなかった。イーズの胸にあった不安が、だんだんと形を取りはじめる。何の遺言も残さなかった先王。だが、皇帝しか知らない秘密を、レギンは教えられている。それは遺言に代わる行為ではないのか。
「……アルカ、この後、時間ある?」
「今日は一日大丈夫だよ」
「じゃあ、ちょっと付き合ってもらっていいかな。話しておきたいことがあるんだ」
レギンはいつになく神妙だった。イーズの金細工をもった両手はひざにおき、緑竜の手綱はレギンに任せた。