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5.

 空いた時間を使って、イーズは書庫で調べものにいそしんだ。ブレーデンの中途半端な竜化を解く方法を知りたかったのだ。


 オーレックと懇意の司書は、オーレックが我が娘同然にかわいがっているイーズのことも知っていたので、調べものを快く手伝ってくれた。


「混血が進んで、今のニールゲン人はだいぶヒトと等しい存在になってしまいましたが、昔はヒトより強靭な身体を持ち、賢かった。

 ですので、竜の血を鎮める方法というのは、ニールゲン人にとって弱点でした。竜の血を鎮めてしまえば、ニールゲン人は徒人と同じになってしまいますから」


 司書は一冊の古書を開いた。皇室の歴史に関する本だった。司書のしわくちゃの指は、およそ百年ほど前、夜来香の秘密を漏らした皇子を死刑に処した、という一文をなぞった。


「夜来香、というものがあるようです。このことに関して他に記述がありませんので、それ以上のことは分かりませんが」

「皇子でも死刑になるなんて、よっぽど大事な秘密なんですね」

「でも、竜姫様なら、何かご存知かもしれません。先々代の皇帝陛下は、あの方が度を越して暴れたときは、どうやってか鎮めていました。たぶん夜来香を使っていたのでしょう」


 調べ物の途中で、司書は席を立った。立派な白いひげを生やした老人に呼ばれたのだ。


 老人の隣には、レギンがいた。イーズは老人のことを知らなかったが、向こうはイーズを知っていたらしい。しわを深めて笑う。


「これはこれは、アルカ殿下。ごきげんうるわしゅう。レギン様の嫁になる気にはなられましたかな?」


 イーズは目をしばたかせた。レギンがあわてて老人を止める。


「マギー、その話はもう終わってるよ」

「おや、そうでしたか。ハルミット殿からは正式にお断りの話が来ておりませんもので、まだ期待しても良いものだとわしは思っとりますが」


 老人の不満そうな言い分に、イーズは肩をすぼめた。


「イーダッドがどのくらい本気でその話をしていたか知らなかったものですから、おなざりに断ってしまってすみません」

「すまんで済むなら罰則はいらんのですよ、アルカ殿下。じつはわしの手元に、ハルミット殿と取り交わした婚姻に関する誓約書があったりするんですがのー」

「えっ!?」

「嘘だよ嘘、アルカ。騙されちゃだめだよ。この人の言うことの七割は冗談と嘘でできているから、動揺しないで」


 レギンは老人をにらみつけた。怪訝にしているイーズに、老人のことを紹介する。


「まともに顔を合わせるのは初めてだっけ。マギーだよ。名前くらいは何度か聞いたことあるんじゃないかな」

「名前だけは。レギンの教育係だっけ?」

「そう。ついでに大酒のみでスケベだっていうのも聞いたかな。気をつけてね。女性と見るや、とにかくまず挨拶代わりにスケベを働くスジ金入りスケベジジイだから」

「酷いいいぐさですのー、レギン様。わしは女性に対する礼儀を果たしているだけですぞ。女性を見たら、口説く、褒める、触る。これは男の義務です」


 マギーはイーズの手をとった。握手かと思いきや、手の甲をなでさする。レギンは老人の手をはたいた。


「マギー、アルカに変なことしたら、シグラッドにいいつけるからね」

「ほ、あの小僧に? どうぞご自由にー。あの小僧が咆えたところで、なーんにも怖いことはありませんからの」


 マギーは笑い飛ばし、イーズの胸に触った。被害者よりも第三者の方が怒り、レギンはマギーを追い払う。


「さっさと調べ物してきなよ」

「ほほほ、怖い怖い。いつもそんな調子でお元気だとよろしいのですがな」


 マギーは司書とともに、資料を探しに去っていった。レギンは深々とため息をつき、イーズは苦笑する。


「元気なおじいちゃんだね」

「むりに美化しなくていいよ。本当にもう、どうして僕はあんなのが教育係なんだろう。シグラッドのところとはひどい違いだよ」


 レギンは嘆き、小脇に抱えていた分厚い本を机においた。イーズの周りに積まれた本を見回す。


「ずいぶん難しい本を読んでいるんだね。宿題?」

「ううん、個人的な調べ物。竜化した人を元にもどす方法ってないかなって。ブレーデンが元にもどれていないから」


 レギンはわずかに目を見開いた。レギンも、ブレーデンの近況を知らなかったらしい。


「レギンは知らない――よね。知ってたら、竜化するたびに苦労してなんてしないもんね」

「シグラッドが知らないのなら、知っている人はいないよ」

「そっか。やっぱりそうだよね」


 イーズは肩を落とした。レギンは積まれている本をぱらぱらとめくる。


「アルカがブレーデンのこと心配するなんて、ちょっと意外」

「ブレーデンには借りがあるから。――ブレーデン、先王様の手紙を手に入れてきてくれたんだ」

「え?」

「大丈夫。約束どおり、もう処分してあるよ。シグが忙しくて渡せないからって、ブレーデン、私のところに持って来たんだ。運がよかったよ」

「なるほど。それでアルカ、気にかけているんだ」


 レギンは納得し、腕を組んだ。難しい顔になる。


「確かにそれはブレーデンが気の毒だね」

「でしょ?」

「皇太后の持っている手紙、本当は気にする必要がないものだったから、余計だよ。ブレーデンはよけいな被害をこうむったんだ」


 今度はイーズがおどろく番だった。え、と口を半開きにする。レギンはイーズに顔を近づけると、小声で事情を話しはじめた。


「先王の最後の手紙を持っているっていうのは、皇太后様の嘘だったんだ。

 いや、嘘っていうのは正しくない。ブリューデル様自身は、最後の手紙を持っているっていっただけで、死に際に託された手紙だとも、遺言状だとも公言していないんだから。先王が健康だった頃に、自分宛にもらった私的な手紙だったかもしれない。嘘はついてないよね」


「じゃあ、皆が勝手に誤解していただけってこと?」

「誤解するように、ブリューデル様が仕向けたんだ。そうすれば、先帝が亡くなった後も自分が宮廷を牛耳れる」


 皇太后に振り回されていただけと知って、イーズはどっと肩の力が抜けた。なんだ、と椅子の背にもたれかかる。


「レギン、いつ気がついたの?」

「シグラッドがブレーデンに竜涎香を渡したときだよ。あのとき、僕も焦ってね。アニーたちに相談したんだ。そしたら“陛下の最期を看取らせてもらえないような皇后が、遺言状なんてもっているわけがないでしょう”って」


 レギンは、ここにはいないが、アニーを恨めしげにした。

 

「ヴォータン夫人、知っていたのに、どうして黙ってたんだろ」

「その方が都合がいいからだよ」


 レギンは苦い顔をした。ブリューデルは先王の手紙を盾に、現皇帝たちに干渉していた。それは、現皇帝と対立するアニーたちにとって望ましい状況だったというわけだ。


「困ったな。どうしようかな、ブレーデン」

「時間がたてば自然にもどるかな? シグは忠告したのに使ったんだから、自己責任だっていうけど、人前に出られないなんてかわいそうだよ」

「なんだかんだいって、アルカは優しいよね」

「だって、方法が分かれば、レギンが発作起こしたときに役に立つかもしれないし」


 イーズは他に役に立ちそうな本はないかと、書庫を見回した。レギンがおもむろに口を開く。


「……方法がないわけでもないよ」


 イーズは期待をこめて振り返った。が、レギンの視線はイーズから逸れ、本棚の影を見つめた。マギーが二人の様子をのぞいている。


「いやいや、何か間違いが起こらないかと」

「マギー、調べ物は終わったの?」


「レギン様はもう少し、こう、柔軟性をもたれた方が。わしがレギン様のお年の頃には、ぴちぴちでむっちむちの若いおねいちゃんと」

「終わったなら帰ろうか。そろそろアニーの怒りも納まっているころだろうし。新米の侍女を泣かせるなんて、スケベをする相手も選びなよ」


「反省しとります。今度は胸でなく尻にしておきます」

「シグラッドに婦女子猥褻取締法を作ろうって提案してみよう」


 レギンはマギーがまた不逞なことをしないように、早々に背を押した。去る間際、振り返って何事かいいたげにしたが、結局何もいわずに去っていく。


「アルカ殿下、終わりましたから、つづきをしましょうか」

「いえ、私も今日は部屋にもどります。ありがとうございました」


 レギンは何か知っている。イーズは司書に頭を下げると、書庫を出た。

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