3.
三日にわたって行われた竜王祭で、イーズはたいした失敗もせず、無事に役目をまっとうした。
祭の最後の夜、イーズは倒れこむようにして寝台に入り、翌日は昼近くまで起きなかった。三日間緊張しつづけで、疲労が頂点に達していたのだ。起きてからも何度かあくびをかみ殺した。
「お食事を取られたら、午後からまたお休みになられては? 今日は講義も何もございませんし」
危うい手つきで干し肉を切って緑竜に与えるイーズを、シャールが気遣った。だが、イーズの方もシャールを気遣う。
「皆働いているのに、私一人ゆっくり寝ていられないよ」
イーズはシャールの手元を気にした。シャールの手元には書簡があり、傍らにはいくつも書簡が積まれている。竜王祭でシャールも相当疲れがたまっているはずだが、もう仕事を再開している。
「これは全部、イーダッド様宛てに届いていた書簡です。重要な案件が含まれているといけないので確認しているところなのですが、暗号で書かれているので、読むのも一苦労で。大使と手分けして解読中です」
「大使も部下さんたちも、もう働いてるの?」
「いつも通りに働いていますよ。いえ、今まで以上に忙しくですね。ニールゲンの交渉事に関して、全権を委任されていたイーダッド様がいらっしゃらなくなられましたから……」
シャールは気遣わしげに、イーダッドの死について触れた。イーダッドはイーズの実父でもある。
「シャール、私なら平気だよ。気にしないで」
「しかし」
「私、イーダッドおじ様の分までティルギスの役に立とうって決めたんだ。だから泣いている暇なんてないよ」
イーズは形見の杖を強く握った。その表情に気弱な色はない。気丈な言葉に、シャールは目を細めた。
「強くなられましたね、アルカ様は」
「そうかな? とにかくやるしかないんだって、やけになってきただけの気もするけど」
「一国の王女らしい風格が出て来ましたよ」
「あはは、ネズミも仕込めば芸をするってだけのことだよ」
イーズは書簡を一つ手に取った。開いて、たちまちシャールと同じ顔になる。
「これって、何に関する書簡なの? イーダッドおじ様のお仕事って、ニールゲンの交渉事以外にもたくさんあったよね」
「軍事はもちろんんこと、人材の発掘、登用、諜報活動、資金の管理、新しい武器や兵器、事業の開拓など。お一人で尋常でない量の仕事をさばいていらっしゃいました」
「そんなに?」
「大使が“いっそ私も一緒に死にたかった”と」
イーズは祭の最終日、目の下に隈を作っていた大使の姿を思い浮かべた。
「今までおじ様が死んだっていう事実にばっかり目がいって、これからのことあんまり想像してなかったけど……すごく大変そうだね」
「大変どころではありませんよ。イーダッド様の死は、今は伏せて隠していますが、いつかは知られるでしょう。
そうすれば、敵対勢力が大人しくしているとは思えない。併呑した部族が反乱を起こす可能性だってある。油断ならない状況になりますね」
難しい顔のシャールに、イーズは小さく縮こまった。イーダッドを殺害した犯人たちを、イーズはあっさり赦免していた。
「イーダッド様を殺害した男たち――首領はタタールといいます――は、どうします? 今はアルカ様の指示通り、拘束を解いて自由にさせておりますが」
「考えてはあるんだけど。私が決めていいの?」
「最終的な決定は、もちろん大使やアデカ王にゆだねますよ。アルカ様にご希望を聞こうと思いまして」
「私としては、国にも帰りづらいだろうから、大使たちと働いてもらえたらって思ってるんだけど、どうかな」
「いいと思いますよ。ニールゲン語が話せる者もいれば、話せない者もいますが、それでも何かには使えるでしょう。猫の手も借りたい状況です。ビシバシ使わせてもらいます」
「お手柔らかにといいたいところだけど……そのへんはシャールと大使の気の済むようにどうぞ。
タタールたちと一度、会ってみたいんだけど、会えるかな?」
「かしこまりました。連れてまいります」
ほどなくして、タタールたちがイーズの前に現れた。武器は取り上げられているが、警戒の必要もないほど、タタールたちはおとなしかった。自らイーズの前に膝をつく。
「おはよう。よく食べて、よく眠れてる? ティルギスとは違うから、体調崩したりはしてない?」
「戦地の生活に比べれば極楽だ。用件を」
タタールは髭の下でもごもごと口を動かした。無愛想な態度に、イーズは怖気づく。
「……手ほど口は動かん性質だ」
「分かった。さっさと話に移るね」
敵愾心はもう全くないようなので、イーズは安心した。自分の考えた彼らの処遇を話す。すると全員、二つ返事で承諾した。
死刑を覚悟で事を起こしたにもかかわらず、あっさり許されたので、自分で自分の身の振り方を考えることもできず、処分を下されるのを待ち構えていたような雰囲気だった。イーズの方がとまどう。
「それじゃあ、とくに希望がなければ、これで決定にさせてもらうけど……」
話をまとめようとすると、タタールが静かに挙手した。低い声で自分の意見を述べる。
「俺は外交には絶対に向かん。おまえが許すなら、別のことをさせてもらえないか」
「いいよ。ティルギスの役に立つことなら」
「おまえの足を完治させる」
「……何かいい方法を知ってるの?」
「できそうなのがいるのだ。いつもどこかを放浪しているようだから、探しだすのは難しいが」
「名の通ったお医者様なら、シグがもうすでにたくさん連れてきてくれたよ。でも、皆が完治はむりだっていった」
「そいつはなみでない。死人を生き返らせた。医術以外にもいろんなことを知っていて、世のあらゆることを、過去も未来も知っているような、そんなふしぎなやつらしくてな」
「本当か? そんな医者がいるのなら、とうに噂に上っているはずだぞ」
シャールは不審そうにしたが、タタールは動じなかった。
「俺が直接会ったわけではないが、知り合いの男が会った。
知人は戦の後、部隊とはぐれ、何日もさまよっていた。一緒に迷っていた戦友が力尽き、いよいよ自分もだめだと思って、最後に故郷の歌を歌っていたら、忽然とあらわれた。
そいつは息絶えたはずの戦友を生き返らせ、知人の傷も治した。いい歌を聞いたお礼だとか言って、帰り道を事細かに教えてくれ、さらには、男の家族や家畜について助言をくれたらしい。
助言は全て的中。怖いくらいに役立ったそうだ」
シャールが具体的な地名や名前を尋ねると、タタールはちゃんと答えた。適当な作り話ではなさそうだが、シャールはうろんげにする。探すといって、どこかへ逃げる気ではないかと疑っていた。
「なんといっても首謀者ですから。野放しにするようなことは危ないと思います」
「でも、タタールたちが要求していた通り、私はシグの婚約者に納まってる。また何か事を起こすようなことはないと思うけど」
「話は信じるとして、捜索は他の人間に任せては?」
「タタール、ここに残って仕事するより、そういう仕事の方が向いてそうだよ」
イーズが処分を決めかねていると、ひょこっとバルクがあらわれた。シャールの手から書簡を取り上げ、あったあった、と喜ぶ。
「姉サン、コレ、借りてきますヨ。早くお返事書かないとまずいんで」
「は? 返事? 読めたのか?」
「はあ、まあ。大使が担当していた分、全部解読してきましたヨ」
「なんでおまえが読めるんだ」
「なんでっていわれてもナー。なんとなく読めちゃったんだモン」
シャールは思い切り不審そうにし、他の書簡を腕の中に抱えこんだ。が、イーズは自分の持っていた書簡をバルクに渡す。
「シャール、バルクに任せようよ。信用していいと思う」
「たしかに、アルカ様を助けるのを手伝ってくれましたけど」
「大丈夫。たぶん、バルクは最初から私たちの味方だから」
「最初から?」
「私たちが来るずっと前から、バルクはティルギスのためにこの国に潜伏していた。バルクは、イーダッドおじ様が各国に放っている間諜の一人――そうじゃない?」
イーズが問うと、バルクは目線を上にやった。ぽりぽりと頬を掻く。
「ニールゲンの内情に詳しいのは、間諜として情報を集めているから。暗号が読めるのは、自分がそうやって報告をしていたから。シグの命令で、バルクはイーダッドおじ様の監視役をやったけど、おじ様は全然気にしていなかった。味方に見張られているんだったら、余裕なのは当たり前だよね」
「……ご明察。大正解ですヨ、姫サン」
バルクはパチパチと手を叩いた。シャールは驚いていたが、得心し、なるほどとうなずいた。
「しかし、なぜずっと黙っていたんだ? 味方なら味方と最初からいえばいいだろう」
「敵を騙すなら味方からっていうでショ? 最初からオイラが姫サンたちに馴れ馴れしくしてたら、ヘーカに疑われるじゃないですカ。ホントに首が飛びますヨ。
それに、イーダッド様の頼みでニールゲンの情報を送ってはいましたケド、べつに、ティルギスの味方ってワケではなかったし」
「同じことだろう」
「んー、ちょっと違うんですヨ。ま、でも、ティルギスに害意がないのだけはたしかです」
バルクは両手を差し出した。シャールはじっとその手を見つめる。
「本当に信用していいんだな?」
「ティルギスに悪いよーにはしまセン。姫サンにお詫びもしないといけないし」
「私? どうして?」
「結局、ヘーカのところに戻るハメになっちゃったデショ。イーダッド様との約束、守れなかったからネ。尽力しますヨ」
シャールは抱えていた書簡をすべてバルクに渡した。がしがしと頭をかき、イーズを振り返る。
「タタールたちの処分、もう口を挟みません。すべてアルカ様のお考え通りになさってください」
「どうしたの? 急に」
「アルカ様の方が人を見る目がおありです」
幼い幼いと思っていた主人の成長を目の当たりにし、シャールは少しさみしそうにした。そういわれると、イーズは急に自信がなくなったが、大丈夫、と自分に言い聞かせた。もうここに来た頃と同じ自分ではないのだから。
「じゃあ、タタールは、その人の捜索をお願いしていい?」
「了解した。必ず」
「他のみんなは、私たちと一緒に働くってことで。これから大変だけど、がんばろうね」
「はい」
「ういーっす!」
イーズにむかって、全員が敬礼した。