1.
暁の空に竜笛の音がひびき、ファブロ城で一番高い塔の上に火がともされる。それが竜王祭のはじまる合図だった。
開催の儀が執り行われ、皇帝から来賓や臣民に言葉があり、つづいて各国の使者から祝辞や祝いの品が献上され、会食があり、夜遅くまで宴会が催される。あふれんばかりの酒食とともに、劇や演奏や見世物が提供され、人々は自由気ままにこれらを愉しむのだ。
催しに飽きれば、城の広場の大きな焚き火を囲い、飲み、歌い、踊る。倒れている者がいようとお構いなしだ。中には倒れた人間を踏みつけて踊り続けるものまでいた。
「踊れ踊れ! 今日は朝まで騒ぐぞ!」
踊り騒ぐ人々をあおるのは、彼らの主君である皇帝のシグラッドだった。皇帝は焚き火を目に映し、金の瞳の奥に炎を宿らせる。その瞬間、焚き火はさらに燃え立ち、夜空を焦がした。踊っていた人々から、悲鳴とも歓声ともつかない声が上がった。
「シグラッド陛下、万歳!」
「赤竜王様の再来だ!」
大量の火の粉が夜空に舞い、人々に降りかかる。熱いはずだが、皆、酒でしたたかに酔っているのか、頓着しない。赤竜王からの賜り物であると、むしろ火の粉に喜んだ。火の粉を受けようと互いに互いを押しのけ合い、喧嘩まで起こっている。
まるで狂騒の体だ。
イーズは降りかかってくる火の粉を払いつつ、目を点にしていた。あまりの賑やかさに気おされ、一緒に気分を盛り上げるどころではない。人々が喧嘩をはやし立てる中、一人、喧嘩を止めなくていいのかと気を揉んでいた。
「どうだ、賑やかだろう? これこそが本来のニールゲン人の姿だ。血と炎と闘争が赤竜の本能。祭のときくらい、こうやって騒がないとな」
イーズとは対照的に、シグラッドは祭の雰囲気に同化して、上機嫌だった。もう何杯目になるか分からない酒杯を勢いよくあおる。吐息はかなり酒気を帯びており、近寄られると、イーズは息を詰まらせた。
「飲みすぎじゃない? 大丈夫?」
「まだまだこのくらい。飲もうと思えば樽一つ片付けてやる」
杯が空になると、すぐにシグラッドの側近が次を注いだ。竜王祭の初日を首尾よく終えた後なので、シグラッドが多少行儀悪く料理をつまもうが、浴びるように酒を飲んでいようが、だれもとがめない。
それどころか、そんな粗暴な挙動すら、雄々しく頼もしそうにしていた。シグラッドの身体は、いまだに赤いうろこに覆われており、ニールゲンの始祖、赤竜王を髣髴とさせる。皆、目にするのも畏れ多いと、頭を垂れて酒食を捧げ持っていた。
「すばらしいですよ、陛下。このように盛り上がった竜王祭は何年ぶりか」
「竜王祭の様相はその王の治世を反映すると申しますから、陛下の御世は活気にあふれ、賑やかなものになりましょう」
「竜王祭の成功の可否で、王の器が量れるとも申します。属国の宗主たちも、各国の使者たちも、国に戻れば陛下の御世に何の不安もないと広めることでしょう」
側近たちは、つい先日まで小言や説教を垂れていた口で、シグラッドをほめたたえる。シグラッドは王座の飾り物から、王座の主人となったのだ。
「ゼレイアはまだこないのか? どこにいる」
「パッセン将軍でしたら、まだ中にいるようでしたが」
「ゼレイアめ。宴会になったらすぐに来いといっておいたのに」
シグラッドが舌打ちしたところで、広場に巨躯の男が現れた。広場が津波のような歓声に包まれる。
「パッセン将軍、お帰りなさい!」
人々が口々に叫び、男に道を開ける。足も腕も丸太のように太く、胸板の厚い、立派な身体つきの男だ。くすんだ赤色の髪はたてがみのごとく四方に伸び、濃い眉と、引き結ばれた唇が意志の強さを感じさせる。
かがんでも、目線はイーズたちより高い。イーズはあまりの体格差に肩を強張らせたが、すぐに力を抜いた。男の強面が、シグラッドを前にするとくしゃりとくだけたからだ。
「遅いぞ、ゼレイア。何をしていた」
「お待たせして申し訳ございません、シグラッド様。つい方々で話が弾んでしまいまして」
「言い訳はいい。おまえはどれだけ私を待たせるつもりだ。万事につけてそんなふうに余計な手間をかけるから、クノルにもしてやられて北の果てになんかやられるんだ。この頓馬め。ティルギスの馬の方がよっぽど役に立つ。爪の垢でも煎じて飲ませてもらえ」
「はは、手厳しい。ですが、返す言葉もございませんな」
将軍は困り顔で、しかしとろけた表情はそのままに、ぽりぽりと頭をかいた。将軍はシグラッドのことが我が子のようにいとおしくて仕方のない様子で、どんな悪態をつかれてもまったく苦になっていない。
「すぐに戻れと命じたはずだぞ、ゼレイア。それなのに二年も不在とは、どういうことだ。ここへ戻る手はずすらこっちで整えて」
「面目ございません」
「少々、罰が必要だな」
シグラッドは高慢に顎をそらし、侍従に預けていた王笏を手に取った。立ち上がり、杖先をゼレイアのうなじに押し当てる。
いつの間にか、広場は静まり返っていた。人々が歌も踊りもやめて、二人のやりとりを注視している。皆、ゼレイアを打とうとしている王に眉をひそめていたが、シグラッドはかまわず腕を振り上げた。将軍の喉から、苦痛に耐えるくぐもった声がもれる。
「おまえが戻ってきたことくらいで浮かれていられるか。忙しいのはこれからだ。クノルと皇太后は片付けた。だが、まだまだやることはある。分かっているだろうな、ゼレイア」
あまりの痛みに息が詰まったのだろう、すぐには返事がなかった。ゼレイアはつめていた息をゆっくりと吐き、主君を仰ぐ。
「……おどろいた。あなたは私の想像以上に、立派に成長なさった。あなたにお仕えできることを、私は光栄に思いますよ、シグラッド=カナン=フレイド陛下」
臣従の証に、ゼレイアは深く頭を下げ、シグラッドの足先に口付けた。同時に、広場は再び狂騒の渦におちる。だれもが国と王と将軍をたたえ、今日何度目かの乾杯をした。
「一段落したところで、紹介をするか。アルカ、これがゼレイアだ。私の教育係であり、この国の将軍――それも大きな功績を残した証に竜将軍の称号を与えられている――ゼレイア=フォン=パッセン。
ゼレイア、こっちがおまえの凱旋と、奇跡的な帰還のお膳立てをしてくれたティルギスの王女、アルカ=アルマンザ=ティルギスだ」
イーズはゼレイアと向き合った。姿を見る機会はあったものの、祭がはじまってからは、公務に追われて正式に言葉を交わす暇がなかったのだ。これが初の会見になる。イーズは深く息を吸いこんだ。
「はじめまして、パッセン将軍。凱旋、おめでとうございます。陛下が一番信頼しているお方だと聞いていたので、お会いするのを楽しみにしていたんです。どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、とても楽しみにしておりました。殿下の事は陛下からいただくお手紙でうかがっておりましたが、先ほど、城の者と話しておりましても、殿下はとても評判がよろしくて」
「そうなんですか?」
「教師たちは勉学によく励む方だと褒めておりましたし、兵士たちは身分に関係なく、気さくに接してくださると申しておりましたし、召使たちは身を挺して庭師を助けてくださった、勇敢でお優しいお方だと。苦労して陛下の婚約者として迎え入れた甲斐がございました」
「そんな、私、皇妃候補としての自覚が足りないだけで」
「このたびは、ティルギスにはお礼の言葉を言い尽くせないほどのご厚意をいただき、本当にありがたく思います。アデカ王には、わたくし個人から改めてお礼の使者をお送りいたしますので、よろしくお伝えください」
ゼレイアはきびきびとイーズに頭を下げた。外見はいかつく怖いが、言動は礼儀正しく穏やかだ。シグラッドが一番信頼している家臣といっていただけあって、クノルより数倍人ができていた。
「ところで、殿下はお足が……?」
「事故に遭って、この通りです」
イーズが不自由な足をさすると、ゼレイアは心の底から気の毒そうにした。
「いかがです? 調子は」
「陛下がよいお医者様を探してきてくださって、治療をしているおかげで、少しは動くようになってきました。でも……完治は難しいという話です」
ゼレイアは難しい顔をした。イーズはきゅっと唇を引き結び、言葉を足す。
「パッセン将軍、今の私をご覧になって、頼りないと思われるのは仕方のないことです。
でも、どうか三年猶予をください。一人で歩けるようになってみせます。足が不自由でも、皇妃として不足がないようになります。ティルギスとニールゲンの繁栄のために、尽力したいんです。
どうか陛下のおそばにいることを許してください」
イーズが真摯に訴えると、見た目通り、根っからの武人らしいゼレイアは心動かされたようだった。眉間のしわが消える。
「ご安心ください、殿下。陛下と殿下の婚約を解消しようとは、私は毛頭考えておりませんよ。
今回、ティルギスの軍を実際に目の当たりにする機会を得て、強くそう考えました。ティルギスはこれからのニールゲンに必要な存在です。道を共にいたしましょう」
ゼレイアはイーズにも、親しげな、柔和な表情をみせた。イーズはほっと胸をなでおろす。シグラッドも満足そうにうなずいた。
「よくいった、アルカ。もし志半ばで倒れるようなことがあっても、安心しろ、西の果ての島にいるというオルティクスの魔女に命じて生き返らせてやるからな」
「……結婚って、死が二人を分かつまでじゃないんだ」
思わずイーズはぼそりとつぶやいた。シグラッドの寵愛ぶりに、ゼレイアがおやおやと微笑ましそうにする。
「アールーカー! これってどうやって操ればいいのー!?」
叫びに、イーズは広場を見回した。ぎょっと目をむく。群集に混じって、翼のない緑色の竜がいた。地下の番人だ。
番人は手綱をつけられており、手綱はなぜか青い髪の皇子――レギンがにぎっていた。にぎってはいたが、物珍しそうに広場をうろつく番人に、ひきずられていた。
「こっちこっち!」
イーズがかたわらにあった果物を投げると、番人は上手に宙でくわえた。イーズが次の果物を握っているのを見ると、ずんずんとそちらへむかう。
「あー、疲れたあ。あちこち興味もってうろうろしようとするから、ここまで連れてくるの、一苦労だったよ。オーレックにアルカのところへ連れて行ってくれって頼まれたんだけどさ」
「オーレックが?」
「アルカ、移動が不便でしょ? だから足代わりにって。護衛にもなるし」
番人の背には鞍がのせられていた。イーズの足に、親しげに番人が頭をすりつけるのを、ゼレイアがふしぎそうにする。
「そういえばいってなかったな、ゼレイア。アルカは黒竜様の大のお気に入りなんだ」
「黒竜――というと、陛下。まさか、オーレック様のことですか?」
「そう。おまえのあこがれの竜姫様だ。クノルに命を狙われたとき、黒竜のところへ逃げこんで、以来、アルカは黒竜に自分の娘みたいにかわいがられているんだ」
ゼレイアが目に見えて動揺したので、イーズは驚いた。昔、この国の将軍を務めていたオーレックが根強い人気を誇っていることは知っていたが、竜将軍と呼ばれる将軍にまで影響を及ぼすほどだとは思っていなかった。
「パッセン将軍も、オーレックのこと、好きなんですか?」
「ええ、それはもう。私の年代以上で、軍部出身のものなら、ほとんどの者が竜姫様をお慕い申し上げております。軍に入った理由が、竜姫様に憧れてというのもめずらしくありません。かくいう私もその一人です。
――元気にしておいでですか、あのお方は」
ゼレイアは照れくさそうに、鼻をかいた。
「話し相手がいなくて寂しそうですけど、地下の番人たちを従えて、自由に気ままに暮らしてます。今でもとっても強くてかっこよくて、やさしくて美人で、私も大好きです」
イーズの回答に、ゼレイアは顔をほころばせた。あこがれの人が健在なのが、よほど嬉しいらしい。目をうるませてすらいる。
「あの――あとでオーレックのところに差し入れを持っていく予定なんですけど、よかったら一緒に」
「アルカ。一応いっておくが、アレは罪人だからな」
シグラッドに釘を刺され、イーズは肩をちぢめた。ゼレイアを味方につけて、あわよくばオーレックを自由の身と考えたのだが、そう簡単にはいかない。
「罪人っていうけど、オーレックは一体何をしたの? もう絶対に一生、外に出られないようなひどいこと?」
オーレックの処遇を不満に思ってイーズがいうと、急に、場の空気に糸が張った。シグラッドもゼレイアも、レギンもアニーも重たく口を閉ざしてしまう。してはいけない質問だったのだと、イーズは悟った。突然の静寂をもてあます。
広場のたき火がはぜて、ぽっぽと火の粉を噴き上げた。だれかがよろめいたらしい、人ごみが一部雪崩れた。酔っ払い同士で、押すな押してないの他愛のない問答がはじまり、今日何度目になるかわからない諍いがはじまる。
騒ぎ声は壇上のシグラッドたちのところにもとどき、アニーが真っ先に細い眉をはねあげた。
「まったく、騒がしいこと。いくら祭りとはいえ、皆、はめをはずしすぎです。この皇国を一端でも担う身でありながら、見苦しい」
アニーが皆の注意をそらすと、それでイーズの質問はおしまいになった。それぞれ、めいめい、自分の関心ごとにもどる。イーズは緑竜の世話に、シグラッドは食事に、レギンは広場の喧騒に。そしてゼレイアは、広場を物珍しげにながめているレギンに。
警戒から、アニーが主人のそばに寄る。ゼレイアの巨体を前にしても、アニーに物怖じする様子はまったくない。いつもの通りゆるぎない目で、相手を傲慢に見上げる。
「ご挨拶が遅れましたね、ヴォータン夫人。お久しぶりです。お変わりないようで」
「お久しぶり、パッセン将軍。白髪の数が増えたといわない神経のこまやかさをマギー老にも見習わせたいわ」
「ついでにマギー老の健在ぶりもお教えくださるあなたの気の周りのよさには感嘆します」
二人はなごやかに会話しているが、イーズはハラハラした。一見おだやかだが、二人は互いの腹を探り合うように気を張り詰めている。
「レギン殿下にご挨拶をしても?」
アニーのとがった肩に、力がこもった。ゼレイアはアニーの向こうにいる青い髪の皇子をなんとかよく見ようと上体をかたむけるが、アニーは頑としてその場を譲らない。
すると、レギンがゼレイアの方へ進み出た。なんの気もない様子で、にこりと笑いかける。
「お帰りなさい、パッセン将軍。北方の防衛、ごくろうさまでした」
「ただいま戻りました、レギン殿下。もったいないお言葉、身に余る栄誉でございます」
ゼレイアがひざまずき、首を垂れる。ゼレイアが無理に巨躯を縮めているせいか、レギンが悠然とした態度に見えた。ひ弱なはずの皇子が、国の皇子たる威厳を充分にそなえて見え、イーズは意外な気持ちになる。
「民の嘆願を聞き届け、難儀な北の地の防衛を請け負われたこと、本当にありがたく、うれしく思います。将軍のような方がいるおかげで、民は安心して暮らせる。将軍は本当にニールゲンの誇りです」
「レギン皇子にそのようなお言葉をかけていただくなど、恐縮の限り。……それも、まさかこのように直接とお言葉を頂くとは」
最後の方は小さな声で、遠慮がちだった。レギンが笑う。
「はは、そうですよね。二年前、将軍が旅立たれるとき、僕は寝込んでいましたものね」
「今日はお加減がよろしいので?」
「近頃は、外を出歩くのもそう特別なことではなくなりましたよ。といっても、今朝の火事のとき、竜涎香で竜化したせいで、さっきまで身体が痛くて休んでいたところです。まだ丈夫とはいえませんね」
「ほう――それはそれは」
「そのうち、将軍に武術の稽古をお頼みするかもしれませんね。そのときは、どうぞお手柔らかに」
アニーの声音は挑戦的だった。レギンの健在ぶりを誇示するように。ゼレイアは、いつもは青白い頬を紅潮させ、楽しげに祭の様子を見回しているレギンに、厳しい顔をした。
広場の焚火に、新たな薪がくべられ、火勢はいよいよ増す。
アニーとレギンと、ゼレイアとシグラッドと。双方は、真っ赤に燃え上がる炎を挟んで向かい合っていた。