12.
シグラッドが成人を迎える誕生日は、いつもより華やかに祝祭が行われた。イーズの――といってもアルカのだが――誕生日もちょうど同じ月なので、二人は一緒に祝われた。各国や属国から多くの贈り物がとどけられ、ティルギスからも酒や食べ物、駿馬や毛皮など、豪勢なお祝いがとどいた。
「こちらは、アルカ様がよく面倒をみていただいたご家族からの贈り物だそうですよ」
最後にシャールが持ってきたのは、簡素なかごの箱だった。受け取ったとき、イーズはそれまでに贈られたどの品よりも顔をほころばせた。実の家族からの贈り物だったからだ。
兄からは弓と矢、弟とアルカからは一緒に狩ってきたというめずらしい動物の毛皮、母親からはティルギスの衣装だった。
「ずいぶん凝った服。どうしたんだろう?」
「婚礼衣装では? これだけ手間のかかっているものは、たぶんそうだと思いますが」
手紙を確認すると、シャールの言う通りだった。赤地にふんだんに刺繍の施されている服は、時に宝石を縫い付けるニールゲンの衣装と比べると一見地味だが、手間のかかりようで宝石以上の価値があった。ニールゲンの侍女たちも感嘆の溜息をもらす。
「きっと、アルカ様が生まれたときから、こつこつ作られていたんでしょうね」
「後で着てみてもいい?」
「今からでもいいですよ」
ティルギスの衣装は、やはりティルギス人にしっくりなじむ。婚礼衣装を身につけたイーズに、シャールはお似合いですと目を細め、侍女たちも賛同した。本人も鏡をのぞきこみ、笑みをこぼす。
「やっと思い出した。イルマ兄さんの結婚式のとき、お義姉さんがこんなのを着ていたや。幼心に、きれいだなあって見とれてたよ」
「その義姉様が、今はアルカ様ですね」
シャールは晴れやかに笑ったが、イーズの表情はくもった。着心地が悪そうに、襟に手をやる。
「今日はそれで行くのか?」
侍女が気を利かせて連れてきたらしい、シグラッドがやってきて、イーズの出で立ちをおもしろそうにした。興味津々という目で、上から下までじっくりながめる。
「ふうん、やっぱりニールゲンとは全然違うな。おもしろい」
「おもしろい、ですか? 陛下」
褒め言葉そっちのけで、皇帝がイーズの衣装をつまんだり、さわったり、帯の結び方を観察するので、シャールは不満そうにした。だが、イーズの方はシグラッドが何かいう前に、話題を他に変える。
「ありがと、シグ。さっそく着てくれたんだ」
イーズはシグラッドの身につけている服を指差した。誕生日祝いに贈った服だ。シグラッドは自分とイーズの服を見比べ、手を叩く。
「そうか、分かった。私に贈ってきた服は、それに合わせて作ったんだな?」
シグラッドは着ている服をつまんで、楽しげにした。イーズの婚礼衣装と同じく、赤を基調として作られた衣装は、金糸の刺繍が入り、飾り紐や凝った意匠の釦がついて華やかな仕上がりだ。イーズの婚礼衣装に負けないほど凝っている。
「ううん、べつにそういうつもりはなかったんだけど」
「違うのか? 普段着るにしては派手だから、そうだと思ったのに」
「ごめん。その点については謝る。シグを想像して作っていたら、そうなっちゃって」
「服の刺繍もどことなくティルギスっぽいし。なるべくその衣装に合うよう作ったのかと思った」
「ちがうよ。ちゃんと着替えるよ。こんな恰好、顰蹙買っちゃうから」
イーズが着替えようとすると、シグラッドは口をとがらせた。
「それでいいだろう。今日は式の日取りを発表するし、婚礼衣装で参加っていうのはちょうどいい」
「そうですよ。お二人ならぶと、そろいであつらえたようで、すてきですよ」
「今見たら、シグの服、手直しした方がよさそうなところがたくさんあるし……」
「では、私どもが今から直しますわ」
シグラッド、シャール、侍女と、全員に反対されては、さすがに反論がない。イーズはすごすごと引きさがった。ティルギスの婚礼衣装を着たまま、髪を結い、化粧をして仕上げてもらう。
「一足早い結婚式みたいですね」
「かわいい花嫁様と花婿様ですこと」
二人の姿に、シャールも侍女たちも微笑する。イーズは鏡に映った自分とシグラッドの姿をちらりと見て、すぐ目をそらした。
結婚に浮かれる気持ちよりも、裏切っているという罪悪感の方が大きい。どうにもならないことだと分かっているが、シグラッドに褒め言葉をもらうことも、伴侶として隣に立つことも申し訳がなく、気が引ける。
「アルカ、手」
唐突に、シグラッドがいった。いわれるがままイーズが差し出すと、指に金の指輪がはまった。王家の紋章である竜の姿が彫られた指輪だ。新品ではない。こまかな傷が表面についていた。
「私からアルカへの贈り物。私の母が先王から賜ったものなんだ。城を去るときに、母が私に残していった」
「いいの? そんな大事なもの」
「アルカが持っていれば、自分で持っているのと同じことだ」
相変わらず迷いない態度に、イーズは泣けてきた。うれしいのか、悲しいのか、よく分からない。ただ、永遠に平穏なときがつづいて欲しいと願った。
会場はにぎわっていた。衛兵たちは目に鮮やかな赤い軍服を着て控え、楽師たちはにぎやかしく音楽を奏で、踊り子たちは軽やかに舞っている。主役が登場すると、人々は二人のかっこうに一瞬目を見張ったものの、次々に祝いの言葉を投げかけた。
「式は来年だそうで。おめでとうございます」
「今やティルギスはニールゲンの両翼ともいえるべき存在」
「お二人のご成婚の日を、私どもも心から楽しみにしておりますよ」
主役である二人のもとには、しばらく人が殺到した。だれもかれも笑顔を浮かべ、なごやかな雰囲気だ。バルクが陽気に歌いながら、滑稽なしぐさで踊ってみせると、人々からはどっと明るい笑いが起きた。
「バルク、ハメをはずしすぎるなよ」
「姉サンってばいつでも固いんだカラ。姫サンのことはオイラが見てるから、今日くらい、ハメ外したら? そんな男装してないで、ドレス着て、エイデさんと踊ってきなヨ」
「ほう?」
バルクの台詞をまっさきに聞きとがめたのは、シグラッドだった。イーズも身を乗り出す。
「シャール、エイデさんと踊る約束してたの?」
「いえ!? 違いますけど」
「一度、ドレス姿を見てみたいですってリクエストされたんだよネー。ああ、きっと貴女は空を疾く飛ぶ鳥のように軽やかに踊られるのでしょう、長い黒髪は」
「何を歌ってるんだお前は! 変な脚色をするな!」
ロマンチックに弦をつま弾くバルクに、シャールは拳骨をくらわせた。違いますからと必死に否定するが、もう遅い。イーズはキラキラと目をかがやかせ、シグラッドは愉しげにしている。
「エイデさんって、パッセン将軍の右腕って評判の方でしょ? 文官試験にも武官試験にも上位で合格してて、将来有望な上にかっこいいって人気もあるって……シャールってば、どうして教えてくれなかったの?」
「まったくだ。不忠義者だな、おまえは。ゼレイアが最近エイデの様子がおかしいとぼやいていたが、そういうことだったとは。いいぞ、シャール、行ってきて。というか、行け。至上命令だ」
「いや、あのですね、別にエイデ殿とは何も」
「えー、姉サンひどーい。エイデさん、こないだ陛下と遠出した時、姉サンにだけおみやげ買ってきてたのにー。何にもないって言い切るなんてひどくなーい?」
「だからなんでおまえがそれを知ってるんだ!?」
「シャール、エイデでは何か不満があるか?」
「とんでもない。エイデ殿は皆様のご評価される通り、素晴らしい方だと思います。しかし」
「しかし、なんだ? 付き合うには何か不満があるのか? 全部言ってみろ。私がしっかりきっちりがっちりおまえの考えを改めさせてやる。じつはおまえを完全にニールゲン側に引き入れたいと考えていたところだ。逃がさんぞ」
「うわあああああ、アルカ様の逃げたくなる気持ちが分かってきたー!」
シャールは主人とまったく同じ反応を示し、絶叫した。
「ふふっ、シャールもおめでたいことになるといいな」
「ですネ」
バルクはシャールの代わりにイーズの横へまわると、おもむろに手を宙に差し出した。なぜか何度も手を握ったり、開いたりする。イーズがきょとんとすると、次の瞬間、バルクの手に花が一本あらわれた。
「わ! すごい! どうやったの?」
バルクが出した花は、黒いロサの花だった。白や黄色、赤や紫しか見たことのなかったイーズはめずらしがり、シグラッドにも見せようとしたが、バルクがそれを押しとどめた。
「見せびらかさない方がいいですヨ。すんごく珍しいけど、あんまりいい意味のある花じゃないカラ」
イーズは妙な顔をした。いい意味がないのに、どうしてそれを祝いの席に持ってくるのは矛盾している。
「ニールゲンの先王の正妃様が好きだった白いロサの花は、純真と献身と幸福の象徴だけど、黒いロサの花は逆でネ。恨み、憎しみ――そして、あくまで貴女は私のモノ」
バルクはイーズの髪に花を挿した。
「黒い竜から姫サンに。お祝いデス」
「地下に来てたの、バルクだったんだ?」
先回、イーズは地下に酒杯が二つならんでおいてあったのを思い出した。オーレックと酒盛りをしていたのは、バルクだったらしい。
「交流があったなんて全然知らなかった」
「竜王祭のときに話したのが縁でね。オーレック様にはイロイロとご協力いただいてマス」
「それにしても、オーレック。いくら私が嫁にいくのが気に入らないからって……恋人じゃあるまいし」
挑発的な花言葉に、イーズは苦笑いした。
「姫サン、それは黒い竜からですヨ」
「うん。だから、オーレックでしょ?」
もう一度いう意味が分からず、イーズは小首をかしげた。バルクは否定も肯定もしなかった。何もいわず、話題を変える。
「そうそう、姫サン。きっと姫サンが気になるであろーお客さんが来てますヨ」
バルクの示した場所には、つややかな栗色の髪の女性がいた。年はイーズより五つほど年上だろう、華やかで大胆な衣装に負けない容姿をしている。口元のほくろが魅力的だ。
「美人だね。さっそくマギー老にかまわれて気の毒だけど」
マギーは相手が嫌がるのも構わず、下品な冗談を飛ばし、細い腰に手をまわした。すると、美女は扇でピシリとしわしわの手をはたいた。とがった顎を高慢にそらす。
「だれか思い出しません? あの強気な態度」
イーズは首をひねり、あ、とつぶやいた。あごに扇を当てるしぐさが、強気に相手を見下す目が、イーズの記憶の底にあった人物と重なる。
「皇太后様?」
「正解。ブリューデル皇太后サマの姪っ子サンですヨ。つまりはアスラインの宗主様の娘サン。レノーラ=デュレ=パルマン嬢。
宗主様がいらっしゃらないから、名代でいらしたんじゃないですかネ。ブレーデン皇子の近況が聞けるかもヨ」
バルクの最後の一言に、イーズは杖をついて立ち上がった。客人たちと話し込んでいるシグラッドに一言いいおいて、席をはなれる。マギーはバルクが珍しい酒をちらつかせて釣った。
「こんばんは。はじめまして、パルマン嬢」
栗色の髪の美人、レノーラはイーズの方から近づいてきたことに、おどろいた顔をした。だが、すぐに優雅な動作で一礼する。きれいに紅を刷いた唇でにこりと笑んだ。
「はじめまして、アルカ殿下。お声をおかけくださり、恐縮の至りです。どうぞレノーラとお呼びください。本日はおめでとうございます。すてきなお召し物ですね。ティルギスの婚礼衣装とは」
「婚礼衣装とまで分かるなんて。よくご存知ですね」
「皇帝陛下が今一番関心を寄せていらっしゃるお国のことですから。一通り、文化や風習について旅人や商人から聞き出しましたわ」
こともなげにいうレノーラに、イーズは感嘆した。宗主が賢いと自慢していたのは、決して身内びいきではない。流行に敏感な才女のようだ。
「私のことは父からお聞きで?」
「いえ、部下から。宗主様は今日、お越しではないのですね」
「ええ。昨年、流行り病で倒れてから、体調が思わしくなくて。今日は私が代わりに」
レノーラは召使を呼ぶと、イーズに宝石つきの小箱を献上した。凝った細工の手鏡と櫛が入っている。かなり値の張りそうな品だ。
「私の年には、まだもったいないようなお品ですね。本当にいただいてよろしいのですか?」
「もちろん。ブレーデンのことをずいぶんと気にかけてくださっているでしょう? この間も、手製のローブを贈ってくださって。父はアルカ殿下の温情に感謝しております」
「本人は、迷惑がっていると思いますけれど」
「父は、ブレーデンが宗主になった後も、変わらぬ付き合いをお願いしたいと申しておりますわ」
イーズは高価な贈り物の本意を悟った。ブレーデンを実際に見舞うことのなかった皇帝の心中を宗主は察している。皇帝に疎んじられるのならば、皇妃になるイーズを頼みにしようと考えたのだ。
「ブレーデンは、どうですか? 元気にしていますか?」
「健康ではありますわ。ですけれど……いまだに部屋にこもりきりです。たとえ部屋から出てきても、だれとも口を聞かなければ、目もあわそうともしません」
レノーラは苛々とため息を吐く。跡継ぎの頼りない様子に憤然としているようだった。
「近頃では、突然どこからかやってきた怪しい男の言いなりという有様で。困ったものです」
「レノーラさんが後を継ぐということは、あるのでしょうか?」
イーズが恐る恐るたずねると、レノーラは長いまつげに縁どられた目をまるくした。
「宗主様はレノーラさんのことを自慢しておいででしたし、実際お会いしてみたら、とても頼りになりそうなお方に思ったものですから……」
「まあ」
レノーラが失笑に似た笑いをもらした。自分はかなり常識はずれな問いをしてしまったらしい、とイーズはようやく気付く。
「変な質問をしてしまったんですね。だいぶニールゲンの風習に慣れたつもりだったのですけれど、たまに肝心なところが抜けているようで」
「大変申し訳ございません。あんまりびっくりしたものですから。失礼いたしました。
そうですわよね、ティルギスでは有り得ることですものね。殿下御自身も、ティルギスの全権大使になっているくらいですものね」
レノーラの失笑は、次第に楽しげな笑いに変わった。イーズの言葉を嬉しそうにする。
「女性が宗主になったり、領主になったりというのは、ニールゲンでも前例がないわけではございませんのよ。
でも、それらは夫が亡くなったり、他に跡継ぎがいなかったり、だれかに引き継ぐまでの短い間であったり、やむにやまれぬ事情があるときです。従弟が生きている限り、私が継ぐことはないでしょうね」
悲しげにいうレノーラの手が、拳を握っていることにイーズは気がついた。悔しいのだ、とイーズは分かった。賢く生まれた彼女は、自分より無能な従弟に故郷を任せたくないと思っている。
「でも……もし、世が変わったなら」
レノーラはイーズの向こう、金の椅子に座った皇帝を望んだ。
「この世を変えてくださる方がいらっしゃったなら、私の望みは叶うかもしれない」
客人と話すのに忙しかったシグラッドが、ふと、こちらを向いた。レノーラとシグラッドの視線が、ぴたりと合う。まるで二つの磁石が引き合うように。
「アルカ殿下」
イーズの腕を引いたのは、ゼレイアだった。レノーラから受け取った小箱を取り上げると、イーズをひょいと担ぎ上げて、元の場所にもどす。その時にはもう、シグラッドの視線はイーズにもどっていた。
「アルカのちょっと、は何分なんだ。長すぎる」
「レノーラ=デュレ=パルマンさんだって」
「何が」
「さっき私が話していた人」
わざわざ教えてきたイーズを、シグラッドは怪訝にした。
「アスラインの宗主の娘だろう。知ってる。近づくな。気性が皇太后そっくりだと評判だ」
「気の強いところはそっくりだけど、知的で理解のある人だったよ。そんなに最初から毛嫌いすることないと思う」
イーズがかばうと、シグラッドは顔だけレノーラの方をむいた。他の客と話していたレノーラも、同じタイミングでシグラッドの方をむく。
合わせたわけでもないのに合うタイミングに、イーズは不思議なものを感じた。予感、とでもいうのか。二人の行く末が、共にならんでいる姿が、おぼろに視えた。
「後で、話してみたら?」
ブレーデンのことを第一に考えるなら、女性の身で宗主の座を望んでいるレノーラと、老若男女は問わず実力主義なシグラッドを引き合わせるのはまずい。
だが、イーズは自分が感じている負い目に負けた。もし、シグラッドがだれか他の女性と幸せになれたなら、自分がシグラッドをだましていることが少しは許されるような気がして、そういった。
「シグにとって大事な出会いになりそうな気がするの」
イーズはさみしそうに、金の指輪に目を落とした。




