11.
ニールゲンの皇帝とティルギスの王女の婚儀は、翌年の夏に行われることになった。およそ一年後だ。
王の結婚ともなると準備も時間がかかる。竜王祭のときのようにまた多くの人が動き始め、イーズも衣装を決めたり、故郷から呼ぶ人間を選んだりしなければならなくなった。
「いよいよか。おまえがいなくなるわけではないけれど、なんだか寂しいな」
結婚の報告を聞くと、オーレックは盛大にため息を吐いた。
「しかも相手が赤竜というのがな。素直に祝福できん。あれがおまえを不幸にしないか心配だ」
「どうして? シグが私を大事に扱ってくれているのは、オーレックも知っているでしょ?」
「自分の欲望が押さえられる限りはな。結局は自分に正直だから、相手のことなんかおかまいなしになる。あれもたぶんそういう性格だ」
オーレックは後ろから大事そうに愛娘を抱え込む。快活で豪快なオーレックにしてはめずらしく、暗い顔をしていた。
「私がそうだった。だめだと解っていても思い止まれない。たとえ先に破滅が待っていたとしても突き進む。そうしてすべて失っても、後悔なんてしないんだ。自分の欲を満たせて満足してる。竜というのは本当に貪欲だ」
イーズは青色の生地に刺繍をいれながら、黙って聞いた。作っているのは、レギンの誕生日祝いだ。自室で作業するのは気が引け、毎日オーレックのところに通って仕上げている。
「相手がレギンだったらよかったのに。あれは信頼できる」
「オーレックってば。私とレギンはそんな仲じゃないよ」
「私は、おまえには赤竜よりレギンの方が合っていると思うんだがなあ」
「私はシグと結婚するの。もう決まってることなんだよ」
オーレックはつまらなさそうにした。そばに置いてある、赤色の生地を足先でいじくりまわす。こちらはシグラッドに贈る分だ。イーズはもう、と怒って、布を手元に引き寄せた。
「もうすぐ完成か?」
「うん、あとちょっと」
模様を一つ刺繍し終わると、イーズは糸を切った。ひろげて出来上がりを確かめる。
「いい具合じゃないか。採寸はどうしたんだ?」
「実は、服自体はレギンのところに出入りしてる仕立て屋さんに頼んで、仕立ててもらったんだ。私は刺繍するだけにしたの」
イーズは完成間近の服を手に、オーレックを上目づかいにした。
「出来上がったら、ここに置いていくから、レギンが来たら渡してもらっていい?」
「あいつ、いつ来るかわからないぞ」
「そうなの? それ、レギンと酒盛りした跡かと思っていたのに」
イーズは木の実とチーズのかけらがのった皿と、仲良く並んでおいてある二つの杯を指差した。
「少し前はよく来ていたんだがな。最近は全くだ。思えば、もう一ヶ月近く会っていないな」
「ふうん……?」
では誰が来ているのだろうとイーズは気になったが、それよりレギンのことが気になった。何か知っているかと尋ねてみるが、返事は芳しくなかった。オーレックも知らないらしい。
「書庫にも来ていないと聞くから、久々に体調を崩しているのかもしれないと思っているんだが」
「シグの側近さんたちも妙だって噂していたんだよね。大丈夫かな」
「行ってみるか? レギンのところ。見つからないよう、こっそり連れて行ってあげるよ」
イーズは誕生日祝いにする予定の服を見つめた。長いこと悩んだ後、首を横にふる。
「行くなら、ちゃんと玄関から行くよ」
「おまえは物わかりが良すぎるよ」
イーズは言い返さず、青い服を赤い布地でくるんでカゴにしまった。結婚まであと一年。もう無茶はできなかった。オーレックに送られて地上にもどり、イーズは変わらない日々を過ごした。
しかし、ある日、いつもと少し違うことが起きた。イーズの棟には決まりきった人間しか出入りせず、来客を迎えることは少ないのだが、めずらしく客を迎えることがあったのだ。
シグラッドの許可を得て訪ねてきたのは、先日ニールゲンにやってきたクリムトの王女だ。ローラはイーズと顔をあわせると、深々と頭を下げた。
「狩猟祭のとき、わたくし、アルカ殿下だとは気づかずとんだことを口にしてしまって、ごめんなさい」
ローラは肩をすぼめて恥じ入る。イーズは最初なんのことか分からないでいたが、思い出した。以前、ローラは狩猟祭のときにニールゲンに来ていた。その際、イーズは男装して弓を持っていたため、皇帝の小姓と勘違されてしまったのだ。
「私も忘れていたくらいですから、気にしないでください。間違えられても仕方ないと思っていましたし」
「いいえ、本当にごめんなさい。アルカ殿下が陛下とご婚約されていたのも、全然知らされていなくて」
「わざと、知らされなかったんだと思いますよ。本当にお気になさらず」
ローラをもてなしていた当時の宰相を思い出し、イーズは苦い顔をした。鷹揚な態度に、ローラはようやく表情をゆるませる。素直な心根の持ち主のようだ。イーズは好感を抱いた。
「口に入れるものはだめだと陛下がおっしゃられたので、こんなものを作ってみたんですけれど……」
お詫びの徴にだろう、ローラは繊細に編まれた肩かけを差し出した。
「クリムト名産の糸を使っているんです。気に入っていただけるといいのですけど」
「もちろん頂きます。白かと思ったら、光の加減で微妙に色が変わるんですね。網目模様もかわいいし、すごくすてき。とてもうれしいです」
お世辞でなく、イーズは喜んだ。眉目秀麗な皇帝の婚約者だということで、同性にはたいていおもしろい感情を抱かれないので、イーズは同性の友達がいない。おまけに、日々、皇妃教育とイーダッドの後任としての仕事に忙殺されているため、同い年と話す機会もない。めずらしい来客がうれしかった。
「バルク、どうしよう。女の子から手作りのものもらうなんて、私、はじめてだよ。生まれてきて良かった」
「姫サンはモテない思春期の男の子っスカ?」
うかれるイーズに、バルクが冷静に突っこんだ。はい、とイーズに籠を一つ手渡す。
「ガールズトークのおトモにドゾ。今旬一番人気のスイーツでーす。ちゃんとヘーカの検査済み。国の未来と政治の話ばっかりじゃなくて、たまには女の子らしー会話をしといで」
「ありがと、バルク」
砂糖や果物できれいに飾り付けられた菓子を出すと、ローラの目がかがやいた。二人は菓子をつまみに、しばらくお互いの国の話のことや取り止めのない話題で盛り上がった。
ローラは第二王女として大事に育てられているようで、のんびりとした性格だった。身分の高い者にありがちな高慢さやとげとげしさもない。悪心を抱くような性質でもなさそうだったので、イーズはすぐに打ち解けた。
ローラが帰る頃になると、イーズは気にかかっていたことを思い出した。レギンの誕生日に贈る予定だった服だ。箱に入れてしまいこんでいたそれを持ち出してきて、ローラに頼む。
「レギン殿下に届けてもらえませんか? 誕生日の贈り物なんですけれど、私、なかなかここを出られないので、渡す機会がなくて。お願いできないでしょうか?」
「仲がよろしいんですね。レギン皇子も、アルカ殿下のことをよく存じているご様子でしたし。
私、アルカ殿下に謝りにいくことを皇子にご相談したんです。そしたら、レギン皇子、アルカはそんなこと気にする性格じゃない、絶対に許してくれるっておっしゃって」
ローラは託された箱をかかえ、少しうつむいた。
「私、今回、祖母の名代というのは名目で、本当はレギン皇子とお見合いするためにきたんです」
「え?」
「レギン皇子の体調が思わしくないものですから、あたりさわりのないお話ばかりで、私も皇子もそんなに楽しく盛り上がれなかったんですけど、アルカ殿下の話のときだけは、皇子は楽しそうで……」
ローラの態度には少なからず嫉妬があった。イーズはあわてて、ちがうというように手をふる。
「レギン殿下は人見知りなさるお方だから、打ち解けるまでに時間がかかると思います。
でも、一度打ち解けてしまえば、ローラ王女もレギン殿下の私への態度を納得なさると思いますよ。レギン殿下は本当にお優しくて親切なお方ですから」
「ふふ、アルカ殿下も、レギン皇子と同じことをおっしゃるのですね。レギン皇子もおっしゃってました。アルカは本当にやさしくて親切な子だって」
ローラはくすくす笑う。うつむいたまま。イーズはさらにあせった。言葉を探しに探して叫ぶ。
「あの、変な誤解をなさらないでくださいね。レギンはただの友達です。本当に。私は、その――陛下一筋ですから!」
ローラがようやく顔を上げた。きょとんと、イーズを凝視している。正確には、背後を。イーズはそろそろと、背後を振り返った。
「その一筋の相手が背後にいてもまったく気づかないとは、どういうことなんだろうな? アルカ」
イーズは思わず悲鳴を上げて逃亡しかけたが、すぐにシグラッドに捕獲された。後からがっちり抱きしめられる。
「おおおおおお帰り。いつからいたの?」
「ローラの目的が見合いだという辺りから。全然気づかないなんて、愛が足りてないと思わないか?」
「そ、そうかな。足りてると思うけどな」
「いや、足りてない。絶対足りてない。私への愛を言葉だけでなく具体的に示せ」
「その方法については、後ほどじっくり検討した後、審議して対応いたしますので、とりあえず、その、はなして――」
「待つ理由はない。よって提案は棄却する。家臣たちにもいつもいっているが、私はまどろっこしいのは嫌いだ。迅速に合理的かつ効果的かつ効率的手法を提案および実行しろ」
「うわあああ、シグの側近さんたちがたまに泣いちゃう気持ちがよく分かってきたー!」
シグラッドはイーズを拘束したまま、ローラの持っている箱を開けた。イーズは、あ、と気まずい声を上げ、抵抗をやめる。
「ふーん。服か。作ったのか?」
「べ、べつにレギンだけじゃないよ。シャールにも作ったし、バルクにも作ったし、ブレーデンにも作ったし、オーレックにも作ろうと思ってるし」
「ブレーデンにも?」
「ど……どうしてるかなって、近況聞くついでに」
怪訝そうな顔をするシグラッドに、イーズはもごもごと答える。シグラッドはそれ以上は特に何もいわず、箱を元にもどした。ローラに注意をむける。
「レギンのところに宿泊というのは、少し変だと思ったが、なるほど、見合いか。お父王の提案か?」
「いえ、マギー老からお話です。でも、父も乗り気でした」
ローラはシグラッドを上目づかいにした。ローラは以前来たとき、シグラッドの花嫁候補として呼ばれてきている。今回、どうしてレギンなのか、納得いかない様子だった。
「クリムトは、私とティルギスの連携を警戒しているんでしょう。ティルギスの機動力を手に入れれば、わが軍は強大な力を手にする。自国の安全を考え、ニールゲンと縁故を結ぼうとしたのでしょうね」
「でも、それなら、レギン皇子でなくとも」
ローラは政に明るくないらしい。シグラッドとレギンが対立している王宮の内情を知らないようだった。
「兄の印象はどうでした? あなたのいい夫になりそうでしたか」
「……まだ分かりません。物静かで、控えめで、お優しいお方だというのは分かりました。いい方だと思います」
「人格は保証しますよ。信頼していい。貴女が妻になったら、レギンは貴女を大事にします。頭の働きもいいから、貴女に不自由な思いをさせるような暮らしはさせない。結婚相手として不足はないはずです。
ただ欠点をいうなら、謙虚というのもおこがましいくらい奥手で気弱、もといヘタレなところでしょうね。少しでも気に入ったなら、押し倒して結婚式場まで引きずっていくことをお勧めします。そうしないと、絶対進展しないでしょうから」
「まあ」
皇帝の乱暴な物言いに、ローラは苦笑した。
「でも、私、レギン皇子は、ご結婚を望まれていない気がするんです」
「レギンは今、体調が悪いそうですね?」
「はい。半月前にお倒れになってから、ずっと寝台を離れられない状態で……」
聞かれるがまま、うかうかとローラはレギンの内情を答える。やっぱり、とイーズは動揺した。だが、シグラッドの方は驚いた様子もなく、話をつづける。
「体調が悪ければ、そういう明るい話題に前向きになれないのは当然ですよ。レギンとの結婚が選択肢の一つに入るのなら、帰って、レギンを介抱してやるといい。貴女のようにかわいらしい王女につきっきりで介抱されたら、レギンもすぐによくなるでしょう」
「そうでしょうか? アニー様やマギー老が、すぐに手を尽くされているのに」
「大丈夫。絶対によくなりますよ」
シグラッドは妙に確信のこもった口調でうなずいた。
「……シグ、ひょっとして、レギンが体調悪い理由で何か知ってるの?」
ローラが帰った後、イーズは不審そうにたずねた。シグラッドは答えず、籠に残っていた菓子をつまむ。気に入ったらしい、もっとよこせとバルクに要求する。バルクは抵抗したが、あっけなく隠し持っていた菓子を奪われた。
「シグってば」
イーズが服の裾を引くと、シグラッドはようやくイーズの方をむいた。自分のかじった菓子を半分、イーズの口に入れる。
「レギンのはただの仮病だ。体調が悪いのは本当だから、嘘ではないが」
「どういうこと?」
シグラッドはいたずらを楽しむ子供のように、楽しげに目を細めた。
「前に、レギンに内密に頼まれたんだ。一ヶ月くらい寝込める様な毒をくれって。元気でいるから、周りが王にしようなんて騒ぐ。具合が悪ければ、そんなことは起こらない。成人と同時に、療養を理由に自分の領地に引っ込むつもりだと私にいってきた」
イーズは目をしばたかせた。
「そんな、レギン……じゃあ、今、わざわざ毒飲んで寝込んでるの!?」
「バカだろう、あいつ。底抜けのバカだぞ」
「どうしてもシグと争いたくないんだ。人が傷つくよりは自分が傷ついた方がいいって言う性格だもの」
「たいした自己犠牲精神だ。だれもそんなこと、望んでいないというのに。あいつは昔から、自分が青い竜だからって、私に変に遠慮するんだ。自分の欲しいものも素直にいわない」
シグラッドはイーズにむかって、長椅子を指差した。命じられるがままにイーズが座ると、その膝を枕に自分は寝転がる。控えめな第一皇子と違い、皇帝陛下の要求はいつもはっきりしていた。
「正直、あれを隠居させておくのは惜しい。ババアが死んで、ジジイが死んで、王宮がもっと落ち着いたら、王宮に呼びもどしてコキ使ってやる」
「……レギンはずっと寝込んでた方が幸せかもね」
イーズはほっと胸をなで下ろした。やり方は捨て身で乱暴すぎるが、レギンが図った通りになれば、最悪の事態は回避されるだろう。
「どうかこのままうまくいきますように」
イーズは祈るように杖をにぎった。
 




