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10.

 ニールゲンの援助のおかげで、ティルギスは戦を有利に進め、大きな敵の一つであったイルハラント征服した。戦で得た戦利品は約束通り、ニールゲンにも分けられた。食物や酒、陶器や織物、金銀宝石などをのせた荷車が列をなして運び込まれる様は、ニールゲンの人々をおどろかせた。


「イルハラント征服にたったの二年。ニールゲンとティルギスが組めば火に風をあおるようなもの、最強だ」


 シグラッドはイルハラントの名産である、緻密であでやかな色彩の織物を肩にかけた。いくつもビーズを連ねた首飾りや、黄金の首飾り、大きな輝石のついた耳飾や指輪、金糸を縫い付けた帽子など、ありったけの装飾品を身につけてみせる。


「ほら、おまえたちも受け取れ! 勝利の分け前だ!」


 シグラッドは叫び、たくさんの宝を宙に放った。色鮮やかな布が飛び交い、宝石が宙にまばゆくきらめき、金貨と銀貨が床を打ち鳴らす。大臣はわっと歓声を上げてそれらに手を伸ばした。


「おまえたちも遠慮するな。私の手足となって働く気があるのなら、宝を取れ。これから先、それ以上の報酬を与えてやるぞ!」


 シグラッドは広間の端の方で、競争を遠慮している下級の貴族や官吏、侍従や召使たちにも宝を放った。皇帝の一言で、全員が目の色を変えて宝を奪い合いはじめ、広間は一気に狂騒の渦に落ちる。宝がばらまかれるたび、人々は歓声を上げてシグラッドをたたえた。


 ありったけの宝を身につけた皇帝は、しかし纏った金銀宝石のかがやきに劣ることはない。奔放な振る舞いとはばかる事のない哄笑は無頼者の体だが、堂々とした立ち姿と端正な容貌は貴族のそれだ。相反する要素が同居する姿は、人を虜にしてしまうふしぎな魅力があり、人の視線を奪ってしまう。


「アルカも取れ。なくなるぞ」


 シグラッドは戦利品の一つである上等な絨毯の上にイーズを座らせた。膝にいくつも布地を広げてみせ、首に幾重も飾りをかけ、手首足首には何個も輪を嵌め、十指にそれぞれ指輪をつけた。


 シグラッドと違い、宝石の引き立て役となったイーズは、その重みに辟易したが、シグラッドはお構いなしだった。最後に自分とそろいの帽子をのせ、イーズに詰め寄った。


「すごいな。すごいぞ。なあ、アルカ」

「うん、すごいね。ありがとう、シグ。一時はどうなるかと思って心配したけど、なんとかなっちゃった」

「私と組んで正解だろう?」

「本当にね。兵の損傷も少なかったみたいで、私の家族や友人も皆無事だって。……よかった」


 イーズが心から嬉しそうにすると、シグラッドも目を細めた。イーズににじりよって、訴えかけるように下からじっと見つめる。


「何?」

「寝る間を惜しんで馬車馬そうろうに働いた私に、ごほうび」


 シグラッドは息がかかるほど顔を近づけ、催促するように髪を触ったり、手を握ったりする。イーズは意味が全く分からないほど鈍くはなかったので、とまどいながらも、ありがとう、と頬にキスをした。憮然したのを見て、口にも追加する。


「こんなんでいいの?」


 イーズは怪訝にしたが、シグラッドは満足げにした。押し倒すようにイーズに抱きついてくる。自分で考え、自分で動いた結果が大成功に終わり、この少年皇帝は無邪気に喜び、はしゃいでいた。


 ひとしきり喜ぶと、シグラッドは座っているイーズの腰に幼子のように抱きついた。ねそべって、広間の狂騒を愉しそうにみやる。皇帝の命令により酒食がふるまわれ、場は盛り上がっていた。


 人々をこれだけ騒がせながら、シグラッドの瞳はつめたい。ちらちらと、黄褐色の目は明かりに金属的に光る。イーズはその目を怖いと思ったが、無邪気にはしゃぎ、子供のように自分の膝で寝そべっているシグラッドをかわいいとも思った。怖くて逃げたいのに、いとおしくてはなれられない。


「なんと無茶苦茶な」

「こんな序列を無視した分配の仕方など、前代未聞だ」


 人々の喧噪に眉をひそめたのは、マギーとレギンの側近たちだった。だが、熱狂的な人々を止める力はなく、忌々しげにするだけで終わる。シグラッドは口元に余裕を浮かべて、マギーに酒の入った小さな壺を差し出した。


「どうぞ。後で兄上にもこの櫃いっぱいに何かお届けしますよ」

「そりゃ嬉しいね。ついでに、もう一つもらえるかね。こちらの客人のために」


 マギーの後から、少女が一人、姿をあらわした。イーズもシグラッドも、見覚えのある顔に反応する。


「クリムトの王女、ローラ姫じゃ。しばらくご滞在なさる。一応、おまえさんにも挨拶しておくぞ」


 ローラは緊張した面持ちでシグラッドの前に進み出て、かたいしぐさでお辞儀した。ふわふわとした金の巻き毛がゆれる。大きな目に、ふっくらとした頬が愛らしいこの少女は、以前、皇帝の花嫁候補として名の挙がった隣国の王女だ。さすがに賓客なので、皇帝陛下は立ち上がった。


「またようこそはるばるニールゲンまで。歓迎します、ローラ王女」

「お久しぶりです、シグラッド様。またしばらくお世話になります」


 シグラッドはローラに貴重な石を使った指輪を渡した。残りは後で部屋に届けさせると約束する。


「滞在はどちらで? 迎賓館ですか?」

「いえ、このたびはレギン皇子のところで。今回は私、祖母の名代なんです。レギン皇子に成人祝いをとどけるようにといわれたものですから」

「クリムトの皇太后様は、先々代の皇帝の異母妹でしたね。肖像画でしかお目にかかった事はありませんが、貴女は少し面影がある。皇太后様にも、どうぞよろしく」


 シグラッドはローラの肩に美しい紋様の織物をかけた。緊張しているのか、ローラはぱっと頬を赤く染めた。織物を身体に巻きつけるようにしっかりと握る。


「そうか、レギン殿下はもうご成人でしたね」


 ゼレイアのつぶやきに、他の側近たちもうなずく。そしてそろって怪訝な顔をした。


「妙ですね。成人ともなれば、盛大に祝って、レギン殿下のご健在を皆に誇示するだろうと思っていたのに、何も話を聞かない」

「今年も身内だけでなさるのでしょうか?」


 側近たちは口々に自分の憶測を口にした。マギーの去っていった方角を見やりながら、ぼそぼそと話し合う。そんな中、シグラッドだけは我関せず、レギンに贈る宝石を光にかざし、検分していた。


「きっと、それどころじゃないんだろう」


 シグラッドのつぶやきは、イーズにしか聞こえなかった。大人たちが話し込んでしまい、二人が置き去りになっているのを見て、ゼレイアが話題を転じる。


「レギン殿下もそうですが、シグラッド様もアルカ殿下も、もうすぐご成人ですね。そろそろ婚儀の準備をはじめましょうか」


「よろしいのですか?」


「殿下は私にお約束してくださったとおり、一人で歩けるようになっていらっしゃいますし、皇妃教育をした教師たちも、全員が殿下に合格点を出しています。何も問題ございませんよ」


 ゼレイアに太鼓判を押され、イーズは胸をなでおろした。ちらりとシグラッドを横目にするが、一度決めると迷いのない婚約者に、反対の言葉などあるはずもない。当然のような顔をして話を聞いている。


「盛大にやるぞ。アルカには、どこの国の王女より豪華な、世界一の婚礼衣装を用意させるからな。楽しみにしていろよ」

「あは。そんな豪華な衣装着たら、自分じゃ動けなくなりそうで心配だよ」


「そしたら私が抱えるから大丈夫だ。式が終わったら、一か月くらい旅行に行こうな。遠出したときに、あちこち景色のきれいなところを見つけたんだ。アルカにも見せてやる」

「本当? お城から出られるなんて、すごく楽しみ。早く結婚式終わらないかな」


「式までケガも病気もしないでいるんだぞ。アルカはどこか抜けているから心配だ。何かあったら、連れて行かない。今まで以上に用心して過ごすこと。いいな?」

「分かった。シグってば、式まで私を牢屋に入れそうな勢いだね」


「入れそうな勢い、じゃなくて、できることならそうしたい」

「……絶対やめて」


 金の鎖が首にかかり、イーズはげんなりした。二人のやり取りを見ていたゼレイアがふふっと笑う。とくに、シグラッドに対する笑顔は、肉親に対するもののように温かい。主人が立派に成長し、いよいよ妃を迎える年になったことを我が子のことのように喜んでいた。


「陛下のご婚約者が殿下だったのは、正解でしたね。貴女といて、陛下はお幸せそうだ。本当によかった」


 シグラッドが中座した間に、ゼレイアがぽつりとつぶやいた。思いもよらない言葉に、イーズはきょとんとする。


「殿下のように屈託なく優しいお方がおそばにいるおかげで、陛下は心身ともに健やかにお育ちになられた。ありがとうございます」


「パッセン将軍にそういわれると、本当のようでうれしいですけど。陛下が心身ともに健康なのは、陛下がお強いからです。私のおかげなどではございませんよ」


 イーズは大勢の人間を相手にしても、堂々と立ち振るまっているシグラッドを見やった。出会った時から、イーズの目に映るシグラッドはいつもそうだ。自信に満ちていて、強く、たくましい。外見も相まって燃え上がる炎を連想する。


 だが、ゼレイアは首を横にふった。イーズの意見を否定する。


「陛下は一時、不信のあまり周りに人を寄せつけず、食べた物を吐いてしまうほど弱っていた時もあるのですよ。今のお姿からは、想像できないと思いますが」


「陛下が?」


「一番なついていらしたお兄様に毒を盛られたときの話です。

 それまでは利発で少々腕白な明るいお子様でしたが、事件の後は一変して、およそ子供らしくない方になられてしまいました。

 王位を継がれたこともあったのでしょうが、十にも満たない子供に、この王宮を掌握する方法を教えろといわれたら、びっくりするでしょう?」


 イーズは何度もうなずいた。末恐ろしすぎる。


「エルダに出兵していた時は、陛下がどんな方にお育ちになるか気がかりでなりませんでした。

 陛下のお母上は故郷に帰られてしまい、頼りにできる親族はいらっしゃらない。周りは自分の利欲を満たそうと虎視眈々としている大人ばかりです。王という立場上、対等に付き合える同世代の子供もいらっしゃいません。

 ですので、友と遊ぶ楽しさを、家族と過ごす安らぎを、人を愛する喜びを知らずにお育ちになるのではと憂いておりました」


 ゼレイアの太い眉尻を下げ、目を細めた。イーズに微笑する。


「でも、そのすべてを殿下は教えてくださった。陛下にとって殿下は、友であり、家族であり、恋人です。おつらいことも多いでしょうが――どうか終生、陛下のおそばに」


 大きな武骨な両手が、イーズの左手をつつむ。あたたかな感触に、イーズは胸がいっぱいになった。思わず涙腺がゆるむ。


 しかし、素直に喜べたのは一瞬だけだった。ゼレイアの信頼の言葉が、シグラッドの愛情が胸に染みてくると、苦しくなった。良心がうずきだす。


「ありがとうございます、パッセン将軍。でも、私は陛下にそんなことを教えられるほどの人間ではございません」


 声が震えそうだった。罪悪感に。イーズははなから正体を偽り、シグラッドたちを裏切っている。彼らの信頼を得れば得るほど、イーズの心はむなしい。もし正体が知られたらと想像すると、足元にはいつでも底なしの闇があることを思い知らされるのだ。


「それができるのは、もっと別の方です。陛下にはきっと、私よりふさわしい方が現れる」

「殿下、なぜそんなことを」


 謙虚な姿勢を装うにしては頑なな態度をゼレイアは怪訝そうにした。が、イーズは説明する言葉を持たない。一言断って席を立ち、追及をかわす。


「シャール、これでよかったんだよね」


 すぐに後を追ってきた護衛に、イーズはたずねた。


「私とシグが結婚すれば、皆にとっていいことになるんだよね」

「ええ、もちろん。どうかなされましたか? アルカ様」

「ううん、なんでもないの。……これでいいんだ」


 湧いたやましさを打ち消すために、イーズは強く自分に言い聞かせた。

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