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一方通行

物語に始まりと終わりがあるとするならば、それは一切がフィクションで括られてしまうのだろう。私がこの話の主人公として恐れたことは正にそれだったのだ。

  物語に始まりと終わりがあるとするならば、それは一切がフィクションで括られてしまうのだろう。私がこの話の主人公として恐れたことは正にそれだったのだ。


  その日、私が目覚めた頃には小雨が降っていた。昨日聞いた話だと今日は一日中雨が降るらしい。時計なんてものを部屋に置いていないので何時かは分からないが、大体八時頃だろうと勝手に予測する。

  何日も続けて同じ時間に起きると、どうも感覚で今の時間がわかるようになるそうだ。もしそれが本当ならば私に時計は要らないだろう。離れた村の中心に堂々と建つ時計塔にも劣らずの正確さを誇れるだろうと思っている。これだけ寝る時間を重ねていればそれなりの年季があるはずなので。

  ともかく起きなければとまだ働かない頭をどうにか宥めて体を起こす。誰かがここに来る前に支度を済ませなければいけないから。心配してるからと言われたことを思い出して嫌になるが、ああでも仕方ないと苦しい息を吐いてのそりと寝床から下りる。着替えようと箪笥へ向かい、ふとその横にある姿見に自分が映った。

  何も変わらない。変わらず一つが足りない。

  ああと残念そうな声が漏れる。慣れというのは恐ろしいと言う。姿見は私に似せて動いた。どうしても出来ないから急かさないでくれと昔の医者は私に言ったことがあるけど、その意味が分かったのは最近になってのことだったのだ。


「でも駄目だ、もう遅いよ」


  鏡の中はざまあみろと言う様に嗤った。両の眼の違い、子供心の尾っぽ。

  微かに香る甘い匂いに脳がやっと冴える。私より我儘で愚かしい頭は着替えも支度も早々と済ませ、私に食事をするよう命令するのだ。湿気る空気は妙に冷え冷えしていて寝起きには心地よいのに、朝の光は私を追い立てる。それに私は決まってこう返すのだった。


「おはよう、もう寝てられないや」


  軋む世界にがちりと奥歯を噛み締めた。



  がらんと開いた部屋の外はもう日が上まで昇っていた。開かれる鮮やかな市に行き交う顔も知らない人、ぎらりと焦がされる熱と光に冷たい体は蒸発してしまうような気にもなる。もちろんそんなことは無く、暗さに慣れた視界が一瞬眩む程度に済んだ。ばちりと瞬きをすれば涙が一雫、勿体なさそうに溜まって土の地面に落ちる。はたと人混みの遠くで声がした。


「サングル、おはよう」


  まだぐるぐる溜まる涙を指で押し払うと、ようやくそこに彼を見つけることができて安堵する。

  サングルとは私の名だ。実名は別にあるのだが、その名はこの街だと男性名としてよく使われているため使っていない。しかしこの街で私を知る人など殆どおらず、その限られた中で特に私と会うのなんてもう決まっている。

  人混みをどうにかかき分けると急に開けた場所に出て、そこには彼がいつも通りほうけた顔で立っていた。


「おはようユウシン。相変わらず楽しそうね」


  そういうと彼、ユウシンはにへらと笑う。私を見てひらひら手を振り、今日はちゃんと間に合ったんだね、良かったと私の頭をくしゃりと撫でた。頭一個程度に余分な身長差が憎い。

  紺色の柔らかそうなクセのない髪、松の葉のように深い緑を湛えた穏やかな瞳。目立つ容姿でこれでも男性なのだが、この整い方は女性すら嫉妬しそうだと私は度々思うのだ。彼のような緑の瞳を持つ人間は珍しく、その目を持つ人を信仰対象とする村も此処らには多くあり、生まれつきなんだろうが苦労したんだと漠然と思う。この見ていて苛々する抜けた性格もそのせいなのだろうか。

  まだぽやぽや笑うユウシンの目を睨んで私は言う。


「ああ、今日は時間通りなのね。じゃあもう少し遅れてくれば良かった?」

「えっ、ええそんな事ないよ!ただ珍しいなって思って……」


  出来ることならううだのああだの唸りながら言葉を選ぶ彼の頭を覗き見たい。

  いつも何を考えて生きているのか、もし私が国の主なら毎日を「よく生きて朝を迎えられましたね」として記念したいほどに彼は無心だ。純粋だ純真だ、空っぽ、だ。まだ悩んでいる彼を叩いてやりたい衝動をぐうと無理に飲み込んで、私はまた先程の人混みへ飛び込んで行った。勿論ユウシンの言葉を無視して。

  ユウシンが無なら私は、私は。


「サングルは今日何を買うの?」


  少し遅れて私の手を掴んだユウシンは呑気に問う。私がしたことが何を指しているか分かっているのか、いやこの様子だと分かってないのかもしれない。振り返らずひたすら前に進みながらぶっきらぼうに応えた。


「決めてない。けれどまだ朝を食べていないからそれだけ……と言うか今日は貴方が誘ったんでしょう」

「ああそうか。昼の材料買いにきたんだ」

「馬鹿」


  こちこちと非常に鈍く、時計の針みたいだと思った。前後左右が人で埋められているから身動きが取れない。苛々してぐいぐいと前の知らない人の背を押して見るけど、ぎろりと白く睨まれるだけに終わった。おそらくもっと先で混んでるんだろうな。それで納得出来るはずが無い。


「サングル」

「うるさい路地裏通るよ」

「うん」


  ユウシンの腕を掴んで、強引に、乱暴に傍にあった路地裏へ足を踏み入れた。

  どうして私の言うことを素直に聞くの、どうして私はこんなことしかできないの。もっと言うべきことがあるんだろう。梟は耳元で鳴く。

  時間は限りなく有限であり、これは私がどう足掻こうと覆せない規則となっている。だから言葉は慎重に選べとか言われていたでしょうに、強がっている馬鹿はどちらだかと言われたら最早それは一択でしかなくなってしまうのだ。


「ねえ、ねえサングル」


  必死な声にようやく振り返る。


「何」

「朝ごはんはどこで食べるの」

「そこらへんで見つけた屋台で食べるって」


  細い道にその音はぐらぐら長く反響した。 その苛立ちを隠す方法を不器用な私は知らない。なんて言い訳がましい事なのだろうと、変な自尊心が私を殺す。


「ねえ、」


  この声で何を言われるのだろう。恐怖はどこから来るか分からないから恐ろしい。

  ずっと掴んでいた腕を離して、細い声で私は叫んだ。


「私の心配をしてどうすんのよ!」


  優しい目に嘘をつけると思っていた。



  ばしっと軋んだ世界に目が覚めた。先程まで直射日光を浴びていた身体はまだ焦げているような錯覚を覚え、特に項などは炙られるように痛んだ。ぐらぐら歪む狭い視界に水の膜が張る。

  私の時計は午前の十一時程を示しており、しかし居心地の悪さが劇的に改善するわけでもない。相変わらずしとしと降る雨を窓越しにぼうと眺めながら頭痛を流していたけど、そろそろドアを閉めなければいけないと漠然と思う。私が作った歪なドア。一方通行の貼紙は決して剥がれない。

  風が一瞬強くなった。


「……ああ、もう」


  明日も彼は待つのだろう。律儀に単純に、誰も来ない事は今日だって何度も教えたのに。馬鹿だなあと思う。とんでもない世紀の馬鹿野郎だと暴言を吐く。それが誰を苦しめるかは誰が一番分かっているのか知らないくせに。

  もっともっと早く知ればよかったと後悔するのは私だ。こんなに分かり易い問いは果たして他にあるのだろうか?


「馬鹿、本当に馬鹿、馬鹿野郎が」

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