1.
赤い悪魔が死んだ翌日。
今までの事が嘘のように、オセロットの中から魔物達の姿が消えた。まるで、赤い悪魔なんていなかったかのように、彼側についていた者たちも普通の街人として生活を始めたようだった。だけど、赤い悪魔がいて、ここを魔物が闊歩していたのも現実のこと。オセロットが本当の意味で復活するのは、まだまだ先の事だろうなってわたしは他人事の様に思っていた。そして、それを取りまとめるのは、ゼロやアルザス達なんだろうなって何となく思っていた。
スジコとマヒル、カフェは、やっと拘束を逃れられるとさっさとオセロットを出ていってしまったようだった。またここに近い国か、ここに近い世界へと旅立っていくのだろうとゼロは言っていた。
では、わたしとエリカがこれからどうするか。
迷う時間なんてなかった。フルーレだった面影も一切残らないこの杖を、カチュア国王に届けなくてはならなかった。杖で力を取り戻した国王ならば、城下町の人達や連れ去られた魔法使い達を探せるかもしれない。そう期待されていた。結局、赤い悪魔の背後に誰がいたのか、全く分からなかった。ただ一つ言えることは、その者は、ただの人すらも悪魔に変えてしまう程、恐ろしい力を持った人物であるということ。そして、その力は、この世界の神にも等しい扱いを受けるカチュア国王すらもゆするものであるということ。
ただ、気になったのは、それだけではなかった。わたしがバツの声に必死になって、新しい力に目覚めたあの瞬間のことを、エリカが言ったのだ。
「何度かね、光と闇が、あたし達を包んだの。もしもそれがなかったら、あたし達、悪魔の闇に吸い取られていたかもしれない」
「吸い取られて」っていうのは、エリカ独特の表現だった。魔法使いって言うのは、こうやって自分の感性をどうにか言葉にするものだから、わたしには何となくその状況が理解出来た。それにしても、光と闇ってどこから出てきたのだろう。わたし達を守った? わたしには全く分からなかった。でも、バツに聞いてみたら、バツはそれを知っていた。
『そうだね。あれは、いつか見た光と闇だったよ』
いつか見た光と闇。その言葉が、わたしの頭にずっしりとのしかかってくる。そうだ。わたしとエリカを、魔物から助けてくれた光と闇がなかっただろうか。ゼロを驚かせた、特別な力が、かつてわたし達を守ったことがなかっただろうか。
それが何だったのか。今となっては、誰にも分からなかった。あの瞬間、わたしとエリカ以外の人達は、闇色の風を前に焦っていたから。
ともあれ、わたし達の非現実的な冒険は、これで終わるんだ。ゼロ達と別れを告げるとオセロットを抜けていった後に、魔境の中でピグミー村の傍を通った後に、生き物の香りが薄い森の道を歩いて行った後に、相変わらず誰も居ない城下町へと辿り着いた後に、そして、城下町の奥のカチュアの城へと辿り着いた後に、その城の奥深くに潜む、カチュア国王に杖を渡した瞬間に、わたしとエリカの冒険は、終わってしまったんだ。
カチュア国王は静かに杖を受け取った。
まるで、この日、この時間に、わたし達が来ることを分かっていたかのようだった。エリカについても何も触れない。オセロットにて起こった事も何も触れない。ただ、杖をそっとくわえて、彼はじっと目を瞑った。
「人間達よ。帰るべき場所へ、案内しよう。この出来事は、本当にあったこと。きっと、そちらの国でも影響を受けていることだろう。さて、マル、そしてエリカというのかな」
カチュア国王に名前を当てられて、エリカは少々怯みながらも肯いた。
「君達の心を埋め尽くしている恐怖が、少しでも祓われるように、このカチュア王は味方しよう。少しでも、君達に力が湧きますように」
国王がそう言った途端、浮かび上がってしまうかのようなそんな気がしたのだ。そして、わたしとエリカは急に不安になって、手をつないだ。そうしていないと、二人とも離れ離れになってしまう気がしたからだ。バツとですら、離れてしまうんじゃないかって怖くなった。でも、それは一瞬だけのことで、わたし達はすぐに、……目を、覚ました?
起きあがってみると、そこは、学園の医務室だった。
わたしとエリカが目を覚まして、まっさきに飛びついてきたのは、アンナだった。彼女はずっと心配していてわたし達に付き添ってくれていたんだという。しかし、どういうことだろう。わたしには全然分からない。医務室のスミレ先生が言うには、わたしは倉庫で、エリカは中庭で倒れていたらしい。わたし達が言うことは、アンナに至っては、全て夢なんだって思っているようだった。いや、でも、そんなはずない。だって、わたしもエリカも覚えていることは一緒だった。だから、違うはずなんてないんだ。
『大丈夫、スミレ先生は分かってくれている』
バツがそう言わなければ、わたしは何百回もそう訴え続けていたかもしれない。そうだ。スミレ先生は《心》の魔法を使うんだ。だから、わたし達が何をどう感じて受けとめているのか、わたし達以上に把握できるかもしれないんだ。
「ともかく、二人とも、もう少し休みなさい」
スミレ先生は優しくそう言った。その表情は、びっくりしてしまうくらい、フルーレの表情によく似ていた。
ああ、どうなってしまったんだろう。何もかもが気になった。あのまま置いてきたゼロ達のこと。杖を渡した後、カチュアの国王はちゃんと力を取り戻せたのだろうか。そして、わたし達が居ない間、学校はどうなっていたんだろう。
そんな思考で忙しい頭の上から、チャイムの音が降り注がれてきた。
ずっと鳴っている。叩かれているみたい。ずっと金を引っ掻いている音にも聞こえる。チャイム、どうしてあなたはいつも、わたしの頭をかき乱しているの?
『本当にかき乱されているのかい?』
バツに言われて、眠りかけていたわたしの意識がはっと覚醒した。いつの間にか、チャイムの音なんてとうに治まっていた。わたしが聞いていたのは、ただの余韻。わたしの頭を叩き続ける、ただの余韻だった。
こうして、わたし達の冒険は終わってしまった。いや、終わったのだろうか。本当に、終わっているのだろうか。何かとてもつなく引っかかるものがあった。それは、医務室からようやく出ることが出来るようになった、わたしとエリカの耳に入ってきた情報で、確実なものとなった。
「アプリコットがいなくなったの」
アンナが唐突に告白したその夜から。
「それだけじゃない。他にもいなくなった人達がいるの……」
アプリコットというのは、アンナのサポーター猫である。彼女もまた、親鳥を失くした雛になってしまっていたのだ。そして、その次に上げられた人物は、猫ですらなかった。
「……アキラとアリスがいなくなった」
クラスメイトが失踪した。
その事実は、今のわたしにもエリカにもバツにも重たいものだった。チャイムが鳴り始めた。ああ、またわたしの頭を叩きつけるようにかんかんと金具を叩きつけるように、チャイムが鳴り続けている。サポーターの猫達だけじゃない。クラスメイトの失踪。わたし達が安全だと思ったゴールは、決して、そうではなかった。
チャイムの音が、まだ、鳴り響いている。




