7.
赤い悪魔がいるという場所。
フルーレは何故その場所を知っているの?
そんな疑問はわたしの中からずっと消えなかったけれど、皆がついていくものだから、わたしもエリカも疑問をぐっと飲みこんで、進んでいくしかなかった。
闇が晴れている光景っていうものは、もっと神秘的でもっと綺麗でもっと明るいものだって思っていた。月明かりだってそう。彼らが作りだすのは、心地よい光の世界。そうであるに違いないっていう考えが、わたしの中に自然と存在していた。
だけど、今、月明かりが照らしているのは、……わたしが目にしているのは、間違いなく赤い鬣を持っている人物だった。まるで、何もかもを諦めた痛ましい人間のように、肩を落とし、影の中に潜んでいる。それをじっと見つめているのは、アルザスとフルーレだった。ちらりと、影の中に佇む赤毛の人物が、こちらを見た。目は真っ赤に光っているけれど、威圧的な恐ろしさは皆無だった。何か、訴えてくるようなその目は、見ているこっちが哀しくなるほど、虚無的な雰囲気を湛えていた。
「さて、もう逃れる場所はない」
アルザスの威嚇にも、その人物はあまり動じなかった。
じっと見つめてくるその姿は、間違いなく、このカチュアの国の住民であった。鬣が生えているといっても、その大きさは、アルザスとフルーレともあまり変わらない。カチュア国の王を思えば、子猫のようなものだった。わたしからすれば、抱きかかえる事も容易いような大きさ。そんな彼が、間違いなく、わたし達の探している人物であると分かったのは、その鬣と、双眸が、あまりにも赤かったからに違いない。
「異世界から来たのは君達か。もっと違う者が来ると思っていた」
発せられた声は、思っていたものと大分違った。お人よしの男性を思わせるような声。特に、何かとても辛いことがあった人物の声を思わせる。震えている? もしかして、彼は、泣いているのだろうか。
「君達が思っている通りだ。わたしが、赤い悪魔だ。このオセロットの覇者。赤い悪魔さ」
泣いているように思ったのは気のせいだったのだろうか。今度の声は、震えることなく、しっかりと固まった声だった。ゆっくりと歩いてくる彼の姿全てが月の光に照らされて、わたし達の前に晒されていく。
どう見ても、赤い悪魔は間違いなく、オセロット人でしかなかった。
「わたしにつく者たちは今頃、シラミ潰しに君達をさがしているのだろうね。君達が導かれているとも知らずに」
「こんなこと、あなたは予想していたでしょう? なのに、どうして?」
不意に、フルーレが赤い悪魔に訊ねた。その声は何処までも優しく、知人に物事を訊ねる様子と全く変わらなかった。無邪気さすら感じるその声に、赤い悪魔はくすりと笑って見せた。歪んだ笑い。無理をして作った笑顔ほど、痛ましいものはないってその時思った。わたしが思ったのか、バツが思ったのか、二人で思ったのかは分からなかったけれど。
「さて、どうしてだろうね。分からない。わたしはただ、『従っている』だけなんだよ」
何処かで聞いた台詞そのものだった。でも、フルーレの表情は変わらない。警戒心を解かない顔。わたしも段々と警戒を深めていった。赤い悪魔は単身だったけれど、全然、わたし達を恐れていないのだ。
「何に従っているかは聞かないでおこう」
そう言って、スジコが剣を抜いた。
「だが、どちらにせよ、お前はこの国を荒らし過ぎた。全てを洗いざらい吐き出すか、死か、選ぶなら二つに一つだ」
「その選択なら、とうに済ませているよ」
ふっと赤い悪魔が笑って見せた。
『目を閉じて――ッ!』
その声が聞こえた瞬間、わたしの身体はバツに支配された。わたしがバツの判断よりも早く動けなかったからだと思う。ともかく、バツはわたしに指示したとおり、目を瞑ってしまったので、わたしは何も見えなくなった。暗闇。月明かりさえも届かない暗闇に、わたしは落とされていく。
『耳を澄ませるんだ。君には力があるじゃないか』
バツの声がわたしを叱咤する。そうだ。わたしは魔法が使えるんだ。……魔法が使えるんだ。そう思った瞬間、わたしはすぐに把握した。フルーレが戦っている。闇色の風に怯んでいるわたし達を守るために、フルーレが独りで赤い悪魔に飛びかかっていったのだ。そんな光景が、見えないけれど、頭に浮かんだ。……これは、何の力だろう。サイコキネシスでもないし、いつも使っているテレパシーとも少し違う。透視? それとも、予知? ともかく、見えたことは、確実なこと。そういう確信がわたしの中ではっきりと現れていて、わたしはそれを信じて疑わなかった。
「フルーレ!」
わたしが叫んだのか、バツが叫んだのか、分からなかった。でも、そう叫んだ瞬間、闇色の風の中を剣が舞った。一歩遅かった。そう分かった瞬間、わたしは愕然とした。今、目の前で、ひとりの女が切り裂かれ、ひとりの男が突き刺された。そのどちらも猫の姿をしていても、ずっとモモと暮らしていたわたしにとっては、また、バツにとっては、人間と変わらない。わたしはいつの間にか、自分の目で、この空間を見つめていた。
『マル、見ちゃダメ』
ううん、見なきゃダメ。そう思った。わたしが見ているのは、二つの死体。さっきまで生きていた猫達の死体。スジコの剣に貫かれて絶命している赤い悪魔と、その傍らで目を見開いたまま人形のように動かなくなっているフルーレ。宝石のような目が、じっとこちらを見ている。でも、その目に魂が宿っていないことは、確実だった。
赤い悪魔が死んだ。呆気なく死んだ。フルーレを連れて死んでしまった。そんな現実が、段々とわたしの脳内に沁み込んできた。
「死んだの……?」
エリカが嘆くように声を漏らした。
何の情報も落とさずに、死んでしまったの?
『全ては従った結果』
じゃあ、城下町の人達はどうなるの? こいつに聞きださないと、分からなかったんでしょう? それに、悪魔が盗んでいった杖は何処にあるの? 全てを抱えたまま、この悪魔は死んでしまったというの?
『杖なら、そこに』
バツに言われてみて、わたしは我が目を疑った。フルーレの姿が段々と歪んでいくのだ。人形のような美しい死体となった彼女は、その姿を溶かす様に崩壊させていって、リビア山猫ではない別のモノへと変貌してく。それは、有機物でもなかった。
杖。
ただの杖。だけど、さっきまで生き物の姿をしていた杖。フルーレと名乗り、フルーレと呼ばれ、わたし達を悪魔の元へと導いた女性。それが、杖になった。
「この杖を届ければ……」
フルーレだった杖? フルーレが杖? この杖が、カチュア王の杖なの?
「この杖さえ届ければ……」
わたし達は、学園へ帰れるの?
ぱたりと、エリカが座りこんだ。わたしの全身の力も、次第に抜けていった。今になって、戦いとも、生と死とも縁遠いわたし達は、緊張にうち震えていたのだ。
学園へ帰れる。
この出来事を、先生達に話さなくては。
そんな想いが、わたしの頭を巡っていた。




