6.
ゼロやスジコ達に追いつくと、そこも闇で真っ暗だった。だけど、さっきのような行く手を阻む者は全く居なくて、ただただ暗いだけの空間が続いている。どこへ進めばいいのか。どこに道があって、どこに壁があるのか。ここはどこなのか。それすらも、分からないような場所だった。そのなかをフルーレは軽やかに走っていき、ついてきた全員を振り返った。
「こっちだよ。こっち。赤い悪魔に会いたいんだろう?」
綺麗な声でそう言って、フルーレはじっとわたし達を見つめた。
フルーレがどうして行く路を知っているのか。その答えは、ただ一つしかない。彼女が赤い悪魔に近しいからだ。けれど、わたしもエリカもフルーレがいったいどういう人物なのか(猫だけど)分からない。
だけど、そんなわたし達にも納得できるような機会が、ゼロによってもたらされた。
「フルーレ……といったね? 君の事はよく知らないけれど、スジコやアルザスが警戒しないようなので黙っていた。だが、君はいささか不審すぎる。俺にも分かるように、説明をして欲しい所なのだけれどね」
ゼロに言われ、フルーレはくすりと笑った。そんなフルーレの笑みを見て、同じく、マヒルが苦く笑った。
「リビア山猫の微笑みほど怖いモノはないわ」
羽をばさばさと動かしながら、マヒルはそう言った。
「だって、山猫の知る秘密は、聞けば後悔するくらい深いモノだから」
その言葉にも、フルーレは全く表情を崩さなかった。フルーレはきっと、赤い悪魔の仲間なんだ。だけど、何らかの理由があって、赤い悪魔を引き渡してしまいたい。つまり、仲間のように見せかけて、実は仲間じゃない。こういうのをなんて言うのだっけ。
『スパイってやつ?』
そう。スパイみたいなやつ。そうなんじゃないかってわたしは思う。そうじゃないとしても、彼女が赤い悪魔のことに詳しくて、そして、わたし達に秘密を漏らせるところまで漏らしているのはよく分かった。
『それなら、秘密だけ漏らせばいいじゃない。もしかしたら彼女は、マル達を騙しているのかもしれない』
それは……騙された時じゃないと分からない。
「フルーレが疑わしいのは分かっている。それは本人も分かっているだろうさ」
冷静な声で言ったのは、アルザスだった。
「だが、協力であれ、罠であれ、それを無視していてはいっこうに赤い悪魔に辿りつけない。つまりは、フルーレ、君が導きたいところまで導いてくれればそれでいいんだ」
アルザスの言葉に、フルーレはますます笑みを深めた。
その笑み。マヒルが言った通り、リビア山猫の微笑みというものなのだろう。たくさんの事を知っている。それは、わたし達が考えるよりもとても深い秘密。だけど、簡単にはそれを漏らしたりしない。そんな笑み。
「ねえ、マル。……どう思う?」
エリカが不意に訊ねてきた。エリカだって不安だ。わたしと同じく何も分からないから。何も分からないまま、ただカチュア王の言いつけどおりにここに来て、赤い悪魔に立ち向かう羽目になってしまっただけのこと。そもそもエリカなんてカチュア王に会ってすらいない。それなのにわたしの言葉を頼りに、ここまで来ただけの事。
「わたしは……赤い悪魔に近づくことが先決だと思う……」
そう言ったものの、不安はあった。ホームでは考えられないくらいの不安が、わたしの中にはあった。きっと同じ不安をエリカも抱えているのだろう。今、わたし達がいるのは、戦いの最中。命の危険すらも及んでいるのだから。
「騙すつもりなら、あの場に飛び込んだりしないわ」
フルーレはそう言うと、急に表情を変えた。宝石のような目が見つめるのは、闇のなかの一角。何処から何処までが道かも分からないその空間で、確かな場所を見つめていた。
「来たわ」
その緊張気味の声に、来て欲しくない者が来たと言う事が全員に分かっただろう。勿論、わたしにだってよく分かった。
「これは、これは、皆さんお揃いで」
気品のある嫌味な声が響いた。声を聞いただけで、それが敵であることはすぐに分かった。そして、アルザス達の表情もまた、それを知らせてくれた。
「旅人さん達だけでなく、我が都の者どももいるなんて、嘆かわしい事ですなぁ」
くっくっと笑いながら、彼は現れた。彼もまた、この国の住人。グレーの短毛に灰色の双眸をこちらに向けている。
「アルザスに話を聞いた時は、単なる戯れ言かと思ったけれど、全く、そんなことがなくて非常に残念だよ。ホエル、チャリオット、あなた達はいい友達だと思っていたのにねぇ」
「シナプス……」
ホエルの口から洩れた声は、絶句に近いものだった。それだけシナプスがここにいることがまずいという事が伝わってくる。フルーレが敵か否かを問い質している時はこんな緊張は走らなかったのに、シナプスとかいうこの男(ロシアンブルーかな?)が現れた途端、これまで以上に緊張が走った。
「さて、赤い悪魔は嘆いておられるよ。力を失くした古王にいつまでも騙され続けている奴らが減らないっていうことにね」
「騙されているのはあなたの方でしょう」
フルーレが微笑みを崩さずにそう言った。冷静で柔らかな声は、そのまま攻撃へと変わる。まるで見えない魔法で戦う前に力を見せつけているかのよう。シナプスはフルーレを見ると、失笑し、面白くないといった様子で息を吐いた。
「ともかく、これ以上進まれるのは大変困るのでね。残念だけど、ここらでリタイヤしてもらおうか」
シナプスの声が反響していく。段々と彼の姿は消えていった。
「まずいな」
スジコが苦笑しながら剣を抜いた。
「いきなり消える魔法だとか堪らないってもんよ」
そう言って、スジコは走り出した。わたしなんかの目には全然捉える事の出来ない閃光のような動き。これが戦いっていうものなのだろうか。授業でやるお稽古事程度の組み手とは全く違う。体育の成績が良い人とも、魔法技術の成績が良い人とも違う。スジコの動きは、本当に、戦う人の動きだった。
彼は魔法が苦手だと言っていた。それなのに、魔法を使う相手に引けを取らない。まるで、消えている相手が完全に見えているかのよう。どうして、彼は、あんなにも確実にシナプスを攻撃することが出来るのだろうか。
『戦う人って言うのは、感覚が鋭いんだよ』
バツは知ったような事を言う。わたしと同じ体験しか持っていないくせに。
『ほらほら、巻き込まれて邪魔になったらダメだよ』
言われなくても。
「魔法の使えない旅人ごときに私を倒せるとでも?」
何処からともなくシナプスの声が響いてくる。わたしなんかには彼が何処に居るかも分からなかった。ただ、シナプスの動きは、スジコの視線の動きで分かった。本当に、どうして彼はこんなにもシナプスを捉えられるのだろう。
『それは、多分、彼が本物の戦いを知っているからなんだろうなって思う』
うん……バツ。わたしもそう思う。
「この状況、多勢に無勢とは言わないでおきましょうか。だって、あなた方の力と私の力とでは差があり過ぎますからね」
シナプスの居場所が一瞬だけ分かった。ぐらりと濃い紫の光が反転し、辺りを突風が吹きぬけていった。その時、風の生まれた場所に、毛を逆立てる猫の姿が一瞬だけ見えた。これは見逃さなかった。
『すごいや、マル』
バツが褒めてくれると気持ちがいい。
だが、そんな嬉しさに浸っている場合でもなかった。風に怯んだ直後に、辺りを稲妻が走った。《風》の使い手だと思った矢先に、完璧な《雷》の魔法を打ってきたのだ。シナプスは狂ったように笑いながら、さらに、辺りに炎をまき散らした。
「一体、いくつの魔法を使うの!」
エリカが驚愕と恐怖とを交えた言葉を漏らした。
「自慢はほどほどにしてよね」
そんな澄んだ声が響いた。ホエルだった。彼女の周りには、水色の陣形が浮かんでいる。強い魔法を使う時、その者の周囲には魔方陣が浮かぶのだ。ホエルの周りに浮かんでいるのは、まさにそれだった。その色はホエルの三毛の模様にとても映えていて、綺麗だった。
「少しは頭を冷やしたら!」
ホエルが毛を逆立てて威嚇した。その声と共に、水の塊がシナプスを目指して飛んでいった。まるでパチンコ玉のようで、わたしが知っている《水》の魔法とは大違いだった。
シナプスの姿がまた少し見えた。彼はホエルの《水》を避けるために、その場から飛び上がり、追いかけてくる《水》を《木》の葉っぱで止めた。そこへ、チャリオットが放った《木》が邪魔をした。闇の中から生えてくる根っこを、今度は《火》で燃やし尽くすと、シナプスは近くに居たゼロに向けて強力な炎を放った。ゼロはすぐさまその炎を《水》で相殺させると、その場から逃れ、離れた場所から《土》の魔法を唱えた。それを相殺すべく、シナプスはまた強力な風と炎を同時に起こした。
全然、多勢に無勢なんかではなかった。
皆が放つ魔法に合わせて、シナプスは強力な魔法を放つ。今、確認できただけで、《風》、《火》、《雷》《木》と四つもある。
「あなた方のぬるい魔法なんて、私には効きませんよ」
そう言って、シナプスは強力な風と炎をまき散らした。風に乗った強力な炎はわたし達全員に向かって襲いかかってくる。それを阻んだのが、ゼロの《土》で出来た壁だった。その頑丈そうな壁すらも一瞬で粉砕する威力。わたしやエリカが食らえば、一溜まりもなかっただろう。
壁が壊れるとすぐに、カフェが弱い電撃を放った。目暗まし。その隙に、また、ホエルの《水》が襲いかかる。だが、シナプスはそれすらもお見通しのようだった。一瞬にして、シナプスの前に《木》で出来た壁が現れ、ホエルの《水》を粉砕してしまった。そこへ襲いかかるのが、アルザスの放つ《火》だった。
「ぬるい! ぬるすぎる!」
そう言ってシナプスは、大きな力を引き起こした。《炎》も《水》も《雷》も《土》も《風》も《木》も、全ての力が合わさった強力な魔法。それが放たれれば、どうなってしまうかなんてわたしには想像もできない。アルザスの放った《火》は、その五つの力に引き寄せられ、消え去ってしまった。
焦り出す皆に、わたしは逃げ出したくなった。だけど、そんな中でも、前へと飛び出す者がいた。短くて、気が動転するような瞬間ではあったけれど、その者の背中についている翼で、誰かなんてすぐにわかった。
「消えされ!」「消えされ!」
同じ瞬間に同じ言葉がぶつかり合った。一つはシナプスの声。一つはマヒルの声。ぶつかり合うのは、色取り取りの刺激的な光と、色が全くない真っ白な光。シナプスのものは、基礎魔法の全てが合わさった強力なエネルギーだ。じゃあ、マヒルが放ったのは何なのだろう。マヒルは何の魔法の使い手なのだろう。
『あれは、《光》だよ』
どこかで覚えのある魔法。
『いつか、マル達を助けてくれたのと同じ種類の魔法』
バツの呟きが、わたしの耳にだけ響く。
この一瞬で、勝負はついてしまった。シナプスの五つの魔法よりもマヒルの《光》の魔法の方が上回ったのか、はたまた、運がよかっただけなのか、それは分からなかった。シナプスは糸の切れたマリオネットのように倒れ、そのまま気絶してしまった。生きていることは確かだった。恐る恐る皆が近づき、確認した結果だ。
「さて、こいつ、どうするよ」
スジコがにやりと笑いながら言った。
「呪われた剣も《光》程度でのびちまう奴なんか斬ったってつまらないってもんさ。こいつの処遇はアルザスに任せるよ」
アルザスは、ふうん、と息を吐き、そして、チャリオットに言った。
「こいつを蔓で縛ってくれ。事が済むまで、ここに放置する」
冷静な声だった。
すぐさまチャリオットが、気絶したシナプスを、アルザスに言われた通りに《木》で召還した蔓で縛り上げ、何処かも分からない闇の中に寝転ばせてやった。蔓は頑丈で、シナプスの身体にぴったりとくっついていて、炎で燃やす事も出来そうにない。
「これで当分厄介事は防げるだろう」
アルザスはそう言って、ちらりとフルーレを見た。フルーレは笑みを変えることなくアルザスを見つめていた。
「全部終わったのなら、行きましょ」
悪びれる様子もなく、戦いの外にいたフルーレはそう言った。




