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猫の国  作者: ねこじゃ・じぇねこ
EPISODE【3】 聖地
29/35

5.

 フルーレに連れられて、わたし達はアルザスの家を脱出した。フルーレが言うには、このオセロットに住む者たちも、のさばっている魔物達も、全てが赤い悪魔の言い成りになっているわけではないらしい。その殆どが日和見主義。ただ、逆らっていないだけであるという。だから、大勢といっても、この町の者たち殆どを敵に回すというような状況には陥らないだろうとフルーレは察しているようだった。

 わたしが分からないのは、ならば、フルーレは味方であるのかどうかということだった。こうやってわたし達をおびき出して罠にはめようとしているとも考えられなくもない。ただ、ゼロ達があっさりついて行くので、わたしも黙って彼女の後を追っていた。

 フルーレはやがて、路地の角を曲がろうとして、急に足をとめた。

「いた。少しだけ」

 短いその言葉に緊張が含まれていることは、わたしでもエリカでも分かった。わたしははっと自分の力を思い出して、すぐに精神を集中させてみた。わたしが出来る魔法と言えば、所詮、テレパシーとサイコキネシス。でも、それらの力は、このオセロットに来るまでに、少しずつ鍛えられてきていたのだ。

(アルザス……とかいったかな?)

 渋い男の声が聞こえてきた。

(人間を連れていたオセロット人か。何にせよ、俺は関わりたくないけれどね)

 二人いる。どちらかと言えば、ここカチュア国人とは何処か違う様子だった。まだ姿は見えない。角から顔をのぞかせているフルーレの双眸が捉えているのみだった。もう一人の声は野太い声だった。声から二人の体型は想像できる。だけど、この声は、少し特殊だった。

(ともかく、赤い悪魔はアルザスに目をつけている。人間を連れ込んだっていうこともあるだろうが、奴が味方なのか敵なのかをはっきりさせたいようだね)

(それで、お前はアルザスを捕まえに行くっていうのか?)

 野太い方の声の言葉に、緊張が走った。アルザスはわたしのすぐ足元にいる。アルザスもまた、緊張を隠し切れていなかった。それにしても、この声は、この場に居る何人の人に聞こえているのだろう。

「ともあれ、赤い悪魔側についている者たちとの接触は避けたいな」

 アルザスの呟きに、スジコが表情を変えた。

「ほう、つまり、その先に居るのは敵かな?」

 そうだ。確か、スジコは魔法が得意でないと言っていた。だから、あいつらの声も聞こえないんだ。スジコの手はすでに剣の柄にかかっていた。その目は鋭くて、普段の落ち着いた雰囲気とは根本的に違っていて、わたしは少し怯んでしまった。

「いずれぶつかることになる」

 剣を抜こうとするスジコに、アルザスが小さな声で諭す様に咎めた。

「待て。無駄に血を流すまでもない。赤い悪魔さえ抑えれば、後はどうにでもなる」

 アルザスの静かな声に、スジコはじっと剣を握ったまましばし思考していた。が、やがて、静かに笑みを浮かべると、その手を剣の柄から離した。アルザスが止めなければ、もうすでに事は起こっていたかもしれない。そう思うと、今こうして息を潜めているのが不思議な気持ちになった。

 いまもしも、アルザスが止めなければ、わたしの目の前に広がるのは血の海だったかもしれないんだ。そんな、わたしにとっては現実的でない想像をしていた。

 『……それって、本当に、非現実的なのかな』

 バツの呟いた意味は、いまいち分からない。

 と、そのとき、ふとフルーレが囁いた。

「こっちよ。大勢出ている今だったら、あなた達だけでも大丈夫かも。赤い悪魔の所に行きたいのなら、案内してあげるわ」

 フルーレの表情は読めない。心もまた、わたしくらいの力で読み取ることは出来なさそうだった。猫の表情を読むってこと自体が難しいことなんだけれど、それにしてもこのフルーレって猫は、表情の読めない笑いを浮かべる妖艶な猫だって思う。フルーレが何者かは知らないけれど、アルザス達があっさり信用している以上、わたしには口を出す必要はないと感じた。そう、何となく皆、フルーレを慕っているようにさえ見えた。

「君は……」

 スジコが歩き出そうとするフルーレに訊ねた。

「確か、裏道をよく知っているんだったね。我々に味方してどうするつもりなんだい?」

 フルーレは振り返り、またあの表情の読めない笑いを浮かべた。

「どうするつもりもない。わたしはただ、従っているだけ」

 そう言うと、あっさり走り出してしまった。向かう先は、さっきとは逆の方向。建物と建物の間をすり抜けていく。どうするという相談の時間もなかった。アルザスがすぐに後を追ったので、わたし達もやむを得ずそれを追う事になった。

 フルーレが進む場所は、建物と建物の間ばかりで、とても住民が通る道とは思えない場所ばかりだった。それは、わたしが人間だからではなく、猫であるオセロットの住人たちも、あまり通らなさそうな道ばかりだったのだ。もはやそれは道ではなくて、隙間。建物の間に生まれた空間に過ぎなかった。そして、不思議と誰も居ない場所だった。ただ、月の光だけがわたし達の進む場所を照らしていて、わたし達を導いているフルーレと、それを追うアルザスの輪郭を、闇に浮かばせているようだった。

 オセロットは魔境と化しているのに、魔物すらもいない。

 それは、とても不思議で、神秘的で、不気味なことだった。

 どのくらい追い続けただろうか。フルーレの姿は、ある地点で、闇に溶けてしまった。わたしは驚いて立ち止まりそうになったけれど、誰も立ち止まらなかったので、どうにか歩みを進めた。アルザスの姿も闇に溶けた。これを追っているわたし達の姿も、闇に溶かされてしまうのだろうか。そう思うと、少し怖かった。

 『大丈夫。闇は怖くないよ』

 バツの声がわたしの耳に響いた。それは不思議と確信を突いているみたいで、わたしにとってはすごく心強いものだった。そして、バツの言葉の直後に、わたし達を闇が包んだ。


 闇に囲まれたわたし達を迎えたのは、数え切れないほどの猫のような何か。それが、猫で会って猫ではない事を、わたしは知っていた。そしてこれは、本物の闇じゃない事も、わたしには分かっていた。だって、わたしにはバツがいるもの。

「フルーレ、君は、我々をはめたのかい?」

 スジコが訊ねると、フルーレはくすりと笑いながら言った。

「もしそうだったら、あなた達を連れていったりなんてしないわ」

 そう言って、フルーレは闇に包まれた猫のような何かに飛びかかっていった。いったい、わたし達を取り囲んでいるこの猫はなんなのだろう。猫のような気もするし、猫じゃないような気もする。猫だったとしたら、どうしてこんなに非現実的な猫が存在するんだろう。まるで、影絵が意思を持ったかのよう。影に囲まれたわたしは、夢に取りつかれたかのような気持ちになった。フルーレはそのなかを駆けていく。猫と猫の身体を飛び移って、軽やかな身のこなしで先へと進んでいく。それを見て、慌てたのはわたし達。特に、わたしとエリカ。わたしとエリカは猫じゃない。果して、あんなに身軽に飛んでいけるだろうか。

 『大丈夫だよ。だって、君達は、魔法使いじゃないか』

 バツの声が、わたしの耳に届いた。そうだけど、でも、魔法でどうにかなるの? わたしは一体どうしたらいいんだろう。闇に囲まれている状態。闇の中に蠢く猫達に阻まれている状態。それを飛び越える力なんて、わたしとエリカにあるの?

 猫のような何かは、ひょいひょいと飛び越えていくフルーレ達を見て、機嫌を悪くしたらしい。その目は血走っているように赤くて、とても怖かった。いつの間にか、一緒に居た猫達は皆、飛び越えて行ってしまっていて、取り囲まれたままなのはわたしとエリカしかいなくなっていた。

「どうしよう、どうしよう……」

 口から自然に焦りの声が漏れる。エリカとわたしは取り残されたまま。飛び越えていった仲間達の姿すら見えない。

 『マル――』

「惑わされないで」

 バツの声と重なって。ふと、耳元で声が聞こえた。それは、最も先に飛び越えていったはずのフルーレの声だった。彼女は何者なのだろう。それは、きっと、スジコ達が知っている。彼らが信じるのならば、それでいい。だけど、不思議だった。まるで、フルーレという存在が、普通でない存在のように思えて……。

 『マル、君はテレパシーとサイコキネシス、どっちを使いたい?』

 テレパシー? サイコキネシス? その力でこの状況を打破できるの?

 考えた途端、わたしは、わたしの身体からは、力が溢れてきた。そうだ。抵抗しなくては。前へ前へと進むために、抵抗しなくてはならない。そうだ。この声の届いてこない猫のような何かから逃れるには、サイコキネシスしかない。影を吹き飛ばせるだけの力。そんな力がわたしにあるのか。いや、でも、わたしとエリカだったら、あるかもしれない。

「マル!」

 エリカに呼ばれた途端、エリカの力がわたしの中に入ってくるようなそんな感触を覚えた。わたしの力とエリカの力が混ざり合うような感じ。その力はわたしの身体を超えて、遠くへと飛び出していく。そんな感じ。そうして、わたしの中のサイコキネシスの力は、どんどんと大きくなっていった。

 『ね? 闇は怖くないでしょう?』

 バツが言った。本当だ。闇は怖くない。怖くはないんだ。

 そう分かった瞬間、わたしとエリカのゆく手を阻んでいた影は、いなくなっていた。いなくなったんじゃない。吹き飛ばされたんだと分かったのは、それからもうしばらくしてから、もうずいぶんと先へ進んでいた同志の猫達が、驚いて振り返っているのを見つめた時だった。

 わたしとエリカの力? それが、こんなにも強い力を生みだしたというの? 

 あんなにも大勢いた猫のような何かはもうそこにはいなかった。あるのは、暗闇だけ。それも、目を眩ます事のない不思議な闇。優しい闇。

 これが、本当に、わたしのエリカの力なのだろうか。

 『それは分からない』

「行かなきゃ……」

 エリカの声に、わたしは、はっと我に返った。


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