4.
酒場は、オセロットの端の方にあった。スジコとゼロに付いて行く間、わたしもエリカもすごく緊張していた。だってここは、あの赤い悪魔とかいう恐ろしい奴の支配下にあるって言われていたのだから。魔境とまで言われているだけあって、町の中にもかかわらず、普通に魔物が彷徨いているのだから驚いてしまう。元からいただろう人たちは、魔物たちにぺこぺこ頭を下げて暮らしているようだった。
『魔物たちにしてみれば、生かしているだけ感謝しろってところかな?』
バツがそう言ったのは、魔物の子どもたちに、カチュア国民であろう小さな猫が殴られているのを見たときだ。複数の魔物の子どもたちは、何か因縁をつけながらその猫を殴っていた。けれど、同じ誰も助けないのだ。同じカチュア国民であるはずの猫たちは、じっと見ているだけで、助けに入ろうという気配すら見せない。わたしが堪らなくなって動こうとしたら、すぐにスジコに止められた。
「だめだ。騒動を起こしては」
スジコのその剣幕に、わたしは怯んでしまった。エリカはその光景にショックを受けて動けないようだ。わたしも、結局動けなかった。なんだかとても悔しかった。そして、自分が情けなかった。もっと強ければ。自他共に認めるような強さがあれば、あの子たちを助けられるのに……。そんな想いで胸がいっぱいになっている時に、酒場にたどり着いたのだ。入ってみてびっくりした。魔物だらけなのは予想していたけれど、魔物と同じくらい柄の悪い人たちがいっぱいいたのだ。
『どうせ、魔物と同等に渡り歩きたいんだよ』
バツの言うとおりなのかもしれない。見れば、いろんな国の人がいるようだった。でも、わたしやエリカみたいな人間はいなかったので、すごく目立ったようだった。こんなに目立っていて、大丈夫なのだろうか。
ゼロとスジコは何も言わず、すたすたと酒場を歩いていた。わたしとエリカはできるだけ彼らから離れないように、必死でついていった。
「アルザス、みんな、待たせたかな?」
スジコがにこやかな声を上げた。酒場の奥の席で、カチュア国民らしき猫が三人と、スジコのような二足歩行の猫が一人、それに加えて、羽の生えた二足歩行の猫が一人、座っていた。
「いや、ちょうど今揃ったところだったよ」
カチュア国民らしき人物の一人、白いペルシャ猫の姿をした者がそう答えた。声からすると、ゼロと同じくらいの歳のようだった。
羽の生えた二足歩行の猫が、わたしとエリカを見て、驚いたように言った。
「わぁ、人間なんて初めて見た。《夢見の国》なんて、そう行けるものでもないしなぁ」
女性の声だった。ゼロやスジコとは、わたしたちの世界の呼び方が微妙に違う。彼女もまた異国の者なのだろう。
「はじめまして、わたしはマヒル。スジコと同じ旅人よ。こことは少しだけずれた世界からやってきたの。カチュア国はたびたび来ているのよ」
真っ白な毛で覆われた彼女は、とても綺麗な猫だった。人間だったら、きっととびきりの美人なのだろう。そう思うとわたしは少しはにかんでしまった。マヒルと名乗った彼女に続いて、スジコと同じ世界から来ただろう二足歩行の猫が、頭に乗せていた帽子を取って、にかっと笑った。こちらは、オレンジの毛並みが美しい。
「はじめまして、おいらはカフェ。察しているかもしれないけれど、スジコと同じ国から来た旅人さ。魔法が少々使えるんだ。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします」
エリカがそう言ってお辞儀するのに慌てて倣った。そういえば、マヒルにもちゃんと挨拶していない。それだけ緊張しているのだけれど、印象が悪くなかったか心配だった。カフェが紹介を終えるとすぐに、ゼロが机に飛び乗った。
「こっちの三人を紹介するよ」
ゼロはカチュア国民らしき三人の猫をさして言った。三毛猫、グレーの猫、そして、さきほどの白いペルシャ猫だ。
「右から、ホエル、チャリオット、そしてアルザスだ。三人とも俺の古くからの友人なんだ。みんな、魔法が使える」
「貴方よりはね」
ホエルと紹介された三毛猫がからかうように言った。モモと同じくらいの女性の声だった。雰囲気からして、ゼロとすごく親しいことが窺えた。ゼロはけらけらと笑ってそれに答え、すぐに目の色を変えて声を潜めた。
「さて、今の様子を教えてほしい」
その声に、先に居た五人の目の色も変わった。
そして、酒場の賑やかさで誤魔化して、情報交換は行われた。わたしとエリカは黙ってそれを聞いていた。質問をされたら答え、会話の全てを相手に託し、聞くことに力を入れた。そうするべきだと思ったからだ。エリカもまた同じ様子で、じっと黙っていた。
ホエル、チャリオット、そしてアルザスは、ゼロと同じく魔法使いでありながら、オセロットに潜伏し続けていたという。三人とも偉大な魔術師とはいかないまでも、それなりの魔法の力を秘めているらしく、赤い悪魔一派に狙われてもおかしくない存在であるらしい。ゼロがオセロットを脱出した際、三人も脱出を試みたのだが、ゼロだけがこの町を出ることが出来たというのだ。
「この町は入るのも難しいが、出るのも難しい。町の入り口で門番として居座っている魔物達は、町に入ってくる者には何も言わないが、出ていく者にはその理由をしつこく質そうとするからね」
アルザスはため息交じりにそう言った。
「スジコは最初からこの町の惨状を知っていて入ってきたんだが、マヒルとカフェは違う。たまたま巻き込まれてしまったんだ」
「わたし達みたいに入ったまま出られなくなっている旅人は一杯いるの」
マヒルがすかさずそう続けた。
「中には魔物側についてしまった旅人もいるけれど、大抵は傍観者ばかりよ」
傍観者。その言葉がわたしの耳に突き刺さった。わたしだって、もしもこの町の有様なんて関係ないという立場にいれば、その傍観者になっていたかもしれないのだ。だって、わたしに戦える力があるなんて思わないもの。
この酒屋にいる人達は、殆どが悪魔側の人だった。三人もまた、悪魔側もしくは傍観者のふりをして、潜伏し続けているのだという。ともかく、しばらくこの酒場の空気を味わった後に、アルザスが切りだした。
「そろそろ私の家で飲みなおそうか」
ここを去る分かりやすい合図に、皆、各々のタイミングで立ち上がった。
『魔物がついて来ちゃったりしてね』
バツの冗談は、いつも冗談になっていない。本当に起こってしまったらどうするんだっていつもわたしは不安になってしまう。
幸い、アルザスの家に着くまでに誰かがついて来るというような事はなかった。アルザスの家は町の路地裏のさらに裏という入り組んだ場所にあって、隠れ住むには最適の所だった。わたしもエリカも、そんな場所初めてだったので、さらに緊張してしまった。
アルザスの家は、そんな場所にあってこじんまりとしている割に、とてもいい雰囲気で、外見から想像しているよりもずっと普通の家だった。どういう印象を持っていたのかは自分でもわからないけれど。
『安そうな割に良い家って感じだね』
バツから見ればそんな家らしい。
「さて、適当に寛いでくれ」
アルザスの家は、入ってすぐに高い床があって、そこから向こうは座敷になっていた。座敷というものはあまり慣れていないのだが、それでもその居心地の良さは知っていたので、わたしは少しわくわくしてしまった。
座敷へと上がって暫く歩くと、低く広い机の周りに様々な形をした座布団が置いてある。既にアルザス、チャリオット、ホエルは、各々の好きな場所で寛いでいた。猫特有のあの寛ぎ方だ。わたしも同じように寛ぎたいところだけれど、少し遠慮して人間らしく振る舞うこととしよう。
『ちょっと引き締まっている方が、マルには丁度いいもんね』
何故か言われると思ったそのままの事をバツは口にした。
「正直に言おう。このままじゃ、我々が呆気なく制圧されるのも時間の問題だ」
突然、アルザスはそう言った。
「俺が声をかけたのは十人。その中で集まったのは、この五人とゼロだけだ。残りの四人が日和見主義なだけならば問題ない。けれど、一人だけ、声をかけるべきではなかったかもしれない奴がいるんだ」
「シナプスの事かい?」
ゼロの即座の問いに、アルザスは肯いた。わたしにはまだ話が見えない。けれど、シナプスという名前は不思議と頭にしっかりと刻まれた。
「シナプスは赤い悪魔の事をそんなに悪く思っていないようだね。むしろ彼は、国王陛下に反しているのではないかって思われるような思想を持っていたって気がするの」
そう言ったのはホエルだった。彼女の表情はとても批判的なものだった。そのシナプスという人物に対しての敵意さえも垣間見えたような気がした。ともかく、わたしに分かるのは、そのシナプスという人物のせいで、わたし達の立ち位置が危険なものになっているかもしれないという危機感だった。
『突然のピンチだね。さて、どうなるのやら』
まるで他人事のようなバツの言葉に少々苛立ちを覚えたけれど、構っていても仕方ない。わたしとエリカは黙って話し合いを耳にし続けていた。
「シナプスはどうして国家に反逆的なんだい?」
そう訊ねたのは、スジコだった。スジコはコインを投げながら話を聞いていた。コインはアルザスの家を照らす裸電球の光を反射させて、わたしの目を眩ませている。表と裏が交互に目に映り、わたしはぼんやりとその回転している回数を数えていた。リズミカルなその回転が、妙に目に心地よかった。
表、裏、裏、表、表、裏、表……。
バツも同じく数えているようだった。
「さあね。赤い悪魔に味方する奴の事なんて分からないさ」
アルザスがそう言った時、突如、わたし達の身体を怯えという感情が通り過ぎていった。アルザスの家の扉が突然、ノックされたのだ。……訪問者。それは、場合によっては、わたし達にとって、危険であるかもしれないということは、とうに分かっていた。
アルザスは神妙な面持ちで扉へと向かい、声をかけた。
「開いているよ」
その声に反応して、回転式の扉がぐるりと回った。入ってきたのは、ひとりのリビア山猫だった。妖艶な目つきに、わたしはどきっとしてしまった。不思議な魅力と、不思議な威圧感が、その山猫にはあった。
「フルーレ?」
そう呟いたのは、マヒルだった。
「どうしてここへ?」
マヒルの問いに、フルーレと呼ばれた山猫はくすりと笑った。艶っぽい女性の声だった。しなやかな身のこなしでフルーレはわたし達の元へと近づくと、不敵に笑みを浮かべながらぽつりと一言零した。
「バレてる。大勢来るわ」
その言葉に、全員の表情が変わった。




