3.
オセロットに入って、わたしはその意外な栄えぶりに驚いた。
ゼロが言っていたイメージだと、ゼロのような者たちは去っていって、そこには魔物しかのこっていなくていたるところに魔物が闊歩しているようなそんなイメージを持っていたのだけれど、実際に観てみると、普通の住人たちも多く行き交うような街だった。
……ここが、カチュア国の元聖地、オセロット。
『思ったよりも猫だらけではないんだね』
バツの言うとおり、町を行き交う人は、ニンゲンこそほぼいないが、犬やトカゲや豹や牛のような姿の者たちがたくさんいた。猫もその中をちょこちょこ走っていたが、普通程度の多さで、あまり目立ったりしない気がしてほっとした。
町の人達は思っていたよりも普通に生活していた。けれど、その心をふと覗いてしまえば、そうでないことは明らかだった。わたしは彼らの心を読んでいることを懸命に隠しながら、オセロットの町を散策していた。ゼロから離れてしまえば、と考えるだけで恐ろしいことである。考え始めたら、カチュア国の首都の異様な静けさがわたしの頭について離れなくなってきりがない。
「ずいぶん、魔法使いが減った……」
ゼロが呟いたことで、わたしは今さっきまで考えていたことを取り消した。その呟いた声があまりに力ないものだったからだと思う。ゼロの顔はどこか寂しそうで、悲しそうで、虚ろな目をしているように思えた。
「俺が居た時は、あんなに……」
ゼロはそう言いかけると、ふと一方を見つめ、突然走り始めた。わたしとエリカは慌ててそれを追った。彼とはぐれることは直接、死を意味しているような気がしたからだ。大袈裟かもしれないけれど、そのくらい危険な香りがし始めていたのだ。
ゼロはまるで、わたしとエリカの存在を忘れてしまったかのように一心不乱に走っていた。どうしたのか訊く暇がまるでない。わたしもエリカも彼を見失わないように追いかけるので必死だった。
やがて、ゼロは、住人以外の誰もが避けそうな路地という路地を走りまわって、何度も何度も現れる角を曲がり続けた。やがて、わたしとエリカがそろそろゼロを見失って路頭に迷うだろうという絶望感を抱きはじめた頃に、やっと、ゼロと何者かが話している場面に遭遇することができたのだった。
ゼロが話しているのは、人間のようだった。しかし、よく見れば、人間ではなく、服を着て、二足歩行をしている猫だった。グレーのふわふわした毛並みが、服の間から見えていて、とても不思議だった。まるで、おとぎ話の挿絵に出てくるケットシーという猫の妖精にそっくりだった。
ゼロはわたしとエリカが追いついたのを見ると、それまでわたし達を置いてきぼりにしようとしていたとは思えないほどナチュラルに、わたし達の傍に駆け寄って、非常に密やかな声で、言った。
「彼はスジコ。別の国からやってきた旅人だ」
手短な説明だった。スジコと呼ばれた猫の男も、周囲を窺っており、落ち着きがない。まるで、のんびりとしているわたしとエリカが無知であるかのよう。……というか、今の状況ではまさしくそうなのだろうなとわたしは思った。
ゼロはさらに言った。
「今から彼の案内する場所へ移動する。質問はその後だ。いいね」
ゼロが言い終わると同時に、スジコはもう歩き出した。
スジコが案内した先は、町の中心に近い場所。
わたしの頭だと一回じゃ覚えられないぐらい入り組んでいて、どこからどうあがってきたかも分からなくなる階段をいくつか越えて、さらに、路地に入って曲がりに曲がって、段々とわたしとエリカがいるのは本当にオセロットの中なのだろうかって疑問に思いはじめたくらいに着いたところだった。
スジコが扉を開けた先には、家というには狭すぎるけれど、自室というには広すぎるくらいの大きさの部屋が広がっていた。真ん中に机が一つ。わたしが見る限り、掃除はあまりされていないわたしの部屋よりも少し狭め。机には、さらに二匹の猫がいた。真っ白な猫とグレーの虎がらの猫。この二人は、ゼロやモモと同じ、普通の猫だった。
『世界的に見て、普通ってどっちなんだろうね』
バツに構っていては思考の渦に飲み込まれてしまうから、無視。今はそれどころじゃない。このスジコっていう男が何者なのか、きちんと説明すらしてもらっていないのだ。別の国からやってきた旅人? まさかそれだけの説明で、終わるってんじゃないわよね?
「さて、君達は《夢の国》から来たらしいね」
「《夢の国》?」
わたしが問い返すと、スジコはこほんと咳ばらいをし、言いなおした。
「失礼、ここカチュアでは《夢幻の国》と呼ばれている場所だったね」
スジコに《夢幻の国》と言われ、わたしは思い出した。そういえば、このカチュアの国の王がわたし達の住んでいる世界をそう呼んでいた。言われてみれば、《夢の国》も似ている呼び方であるけれど、この猫たちにとって、わたし達の世界はどんな扱いなんだろうって、ふと疑問に思った。
「ゼロに紹介してもらったけれど、私はスジコ。こことはほんの少し違う世界からやってきた旅人だ。このカチュアの国に来たのは数年前かな」
スジコは微かに笑みを浮かべて机に寄りかかった。
「君達が魔法使いだってことはゼロから聞いたよ。私は魔法はあまり使えないけれども、魔法使い達の味方だ。オセロットに巣食う赤い悪魔を退治するためにここへ来た」
「彼は剣士なのさ」
ゼロが付け加えた。言われて気付いたけれども、スジコの腰元には確かに剣があった。でも、とてもさり気無くて、ぜんぜん気付かなかった。これなら、辻斬りとか出来るんじゃないかっていうくらいさりげない。まあ、スジコがそんなに俊敏に動けるのかは知らないのだけれど。
「こう見えて、色んな世界を旅して、色んな世界の魔物を倒して来たらしい。俺は知らないけれどね」
ゼロの紹介の仕方はどこか懐疑的だった。けれど、スジコはそんなこと全然気にしていないようで。微笑みを苦笑に変えただけで何も言わなかった。
「ゼロに紹介された通り、私は剣士なんだ。ただ、剣がたつのではなくて、魔法が得意でないからにすぎないのだけれどね」
自嘲的なその言葉の裏に、確かな自信が含まれていることをわたしは見逃さなかった。このスジコという男。只者じゃないかもしれない。
『かもしれないって』
バツに突っ込まれた。本当にバツって目敏い。バツに目があるのかなんてしらないけれど。スジコはけらけらと笑いだした。そうしていると、普通の人間みたいだ。でも、そうでないことは彼が目を見開いた時、彼の瞳が紛れもなく猫であると分かる時に思い知らされる。そのまえに、姿そのものが猫みたいなのは置いておいて……。
「さて、私に関しての説明は以上だ。質問はあるかね?」
スジコにそう言われ、わたしとエリカは口をつぐんだ。疑問がないといえばウソになるし、何もかも分かっているわけでもないことは実感している。だけど、何が分からないかが分からない。今のわたしは、ともかくこの状況にどうにか形を合わせることしかできない。そして多分、エリカも同じなんだと思う。
そんなわたし達のことを察しているのかいないのか、スジコは「ふん」と小さく溜め息をつくと、ゼロのほうを見た。
「ともかく、君が魔法使いを連れて戻ってくるなんて思いもしなかった。私もそろそろ時期を見計らって一人で戦おうと思っていたところだったからね」
「どうしてあなたは……」
ふとエリカが口を開いた。彼女には疑問があるらしい。もしかしたらそれは、わたしの疑問でもあるかもしれないから、じっと口をつぐんで、わたしは耳をそばだてていた。
じっと四つの猫の瞳に見つめられ、エリカはすくんだ。けれど、そのくらいの威圧で治まるほどエリカは臆病でもない。
「どうしてあなたは、そこまでして赤い悪魔を退治したいんですか?」
言われてみればそうだ。色んな魔物を退治したからって、旅人のスジコが赤い悪魔にこだわる理由があるだろうか。わたしには思いつかない。
『彼もカチュアの王に頼まれたのかな?』
スジコは苦笑いを浮かべて、わたし達を見つめた。スジコは二足歩行で人間みたいなのに、その目は本当に猫の瞳をしているから、わたしは奇妙な感覚を覚えた。
「そうだね。それを説明し忘れていた。理由はいくつかある。この世界の人に頼まれたのもそのひとつだ。だが、それだけじゃない」
そう言って、スジコは剣を抜いた。いきなり大きな刃物が目の前に現れて、わたしは怯んでしまった。なんせ、本物の刃物なんて、ハサミとかカッターくらいしか身近でないのだから、仕方ないことでしょう。別にわたしがとびきり臆病ってわけじゃないって信じている。って、誰に弁解しているのかしら。
ともかく、スジコはわたし達の目の前で剣をふるい、その剣を差し出した。切れ味の鋭そうなその剣のことは恐ろしかったけれど、その輝きは妙に美しくて、わたしは目を奪われてしまった。
「理由はこの剣のためさ」
スジコはそう言って、剣を机の上に置いた。まるで、生きているみたいな輝き。活き活きとした瞳のように、剣は輝いていた。そう、この剣、まるで生き物の瞳みたいで、すごく怖い。見れば見るほど、魅入られてしまいそうな剣だった。
『ただの剣じゃないね』
バツの声も強張っていた。どうしてかは分からないけれど、この剣の持ち主が自分じゃなくてよかったって思ったのだ。ぎゅっと、エリカがわたしの服の袖をつかんだ。もしかして、彼女もそんな気配を感じ取ったのだろうか。
「この剣を手にしてしまったから、私は、戦わなくてはならない」
スジコはそんなわたし達の様子を見通してか、にやりと不敵な笑みを浮かべて、剣をつかみ鞘へとしまった。
「この剣は、魔物なんだ」
スジコはさらりと恐ろしいことを言った。
『あれかな、呪いの剣とかそういうやつ』
「この剣は成長し、主に力を与えてくれる代わりに、主の魂を喰らうのだ。その剣の欲望を抑えるには、力のある魔物の血を吸わせなくてはならない」
呪いと言えば、呪いみたいなものなのだろうか。もしも魂を喰われたらどうなってしまうのだろうか。本人は魔法を使えないと言っていたけれど、そんな危ない剣を扱えるということが十分魔法な気がする。
「この剣が、オセロットに巣食う赤い悪魔の血を欲しているんだ。私は戦わなくてはならない。私はこの剣で、悪魔の心臓を突かなくてはならないのさ。だから、君達の協力があるらしいと聞けて、とても心強いよ」
スジコはにやりと笑った。わたしはこの笑いが苦手になってきていた。もしもこのスジコと敵対するような事があったとしたらって想像してしまうのだ。その場合、敵対した瞬間にわたしという存在は消されてしまうだろう。なんとなく、そのくらいの力がこのスジコにはあるような気がしたのだ。
『そうかな、ボクにはただの二足歩行の猫にしか見えないけれど』
バツみたいな感覚だったら、わたしももっとやりやすいのにな。そう思ったけれど、少し前に読んだ本で、「恐れというものは自分の身を守る手段のひとつでもある」と書いてあったのを見たのを思い出したので、すぐに考え直した。だいたい、わたしがバツのような感覚だったら、そもそもバツなんていないんじゃないだろうか。……そもそも、バツは、何者なんだろうか?
『ボクは、ボクさ』
「さて、同志が増えて本当に嬉しい。仲間たちにも紹介しなくてはならないね」
スジコはそう言って、ブラインドを上げた。いきなり部屋の中に外の光が入ってきて、今までこの部屋がいかに暗かったかがよく分かった。
「仲間というと、例の三人かい?」
「今は五人だ」
ゼロの問いにスジコは静かに答えた。
「明日の夜、酒場で会う約束をしている。その後、アルザスの家に皆で向かうことになっているんだ」
そう言うスジコの横顔の毛先とひげは、光に照らされてとても綺麗だった。




