9.
初めての戦闘を経験したせいか、すごく疲れた。
わたしは気付けば、何度も溜め息をつきながら歩いていた。ゼロの足取りは相変わらず軽くて、わたしもエリカもついて行くのに必死だった。
『もう、気になる事もないみたいだしね』
バツの言うとおり、戦闘が終わったばかりの時こそ、二本角の豚鬼達を殺した者たちの気配がないか、周囲に警戒を払いながら注意深く歩を進めていたゼロだったが、周りが(ゼロにとっては)さほど危険でもないと分かるやいなや、ぐんぐん進みだした。それも、魔物には次々とエンカウントするし、その度にやっとのことで魔物を倒したら、ろくに休みもせずに歩きはじめる。
『疲れないわけがないよね』
そう苦笑するバツの声も、心なしか疲れているような気がした。
わたしとしては、エリカが心配だった。こんなにハードな旅で、果たしてオセロットまで持つのだろうか。ゼロはそこまで考えているのだろうか。ゼロはひょっとしたら、わたし達の能力を過信しすぎているのではないだろうか。
けれど、そんな心配をしているわたしの心を読み取ったのか、ゼロはふと歩みを遅め始め、やがて、わたし達を振り返った。
「休憩しようか」
どんなにその一言を待っていた事か。
わたしの全身の力が抜け落ちる瞬間だった。……と、言いたかったのだけれど、意外にもそんなことはなかった。むしろ、エリカが倒れそうになっていたので、それを支えるのに必死だった。
ゼロはわたし達とは少し離れた場所で、横になった。ああやってみていると、学園のわたしの部屋で、モモが特に何もない場所で落ち着いていたことを思い出す。「どうしてそこで落ち着いているの?」って、何度か訊ねた事もある。その都度のモモの反応は、一定していなかったのも覚えている。猫っていうのは全く、気紛れな生き物なんだからっていつも思っていた。答え方もまちまちだし、それも面倒な時は、耳やしっぽの先をぴくりと動かすだけで答えた気になっちゃっているのだから。
でも、わたしが困った時は、しっかりとフォローしてくれるんだから、そこがすごいなとも思っていた。
『モモ、どこにいるのかな?』
「エリカ、大丈夫?」
わたしは、聞こえてくるバツの声から逃げるように、エリカに訊ねた。バツの声かけが嫌だったわけじゃない。だけど、今は、彼と同調するのがとても怖かった。彼の声かけに答えるのが、とても怖かった。
『感情が二倍になっちゃうもんね』
「あたしは大丈夫だよ。マルも大丈夫?」
エリカの笑顔が、そっとわたしの心を撫でてくれた。わたしはエリカに笑顔を返して、頷いた。
「うん、大丈夫」
まだ半日もたっていないけれど、魔物との戦いにも慣れてきた気がする。一番慣れたのは、魔法の使い方だ。魔力は前と変わらないはずだけれど、その使い方は、前よりもずっとマシになったんじゃないかって自負している。証拠に、魔物の倒し方もだんだんスムーズになってきているし、ゼロがわたしとエリカにあっさり任せてしまうような雑魚なら、不安なく倒せるようになってきた。
それは、エリカも同じだった。エリカはやっぱり体力とか運動能力とかはいまいちだけれど、頭がいいことと、判断能力がいいから、それをいかせるようになってきている。そんな気がするんだ。
「あとどのくらいでオセロットにつくんだろうね」
わたしはぼんやりとそんな事を口にした。
どのくらいかかるかなんて、ゼロにでも聞けばいい事なのだけれど、べつにその返事を期待しているわけじゃない。ただ、エリカと話していないと、なんとなく落ち着かなかったからだ。エリカの声を聞いていないと、そのうちにバツの声しか耳に届かなくなってしまいそうだった。
エリカはそんなわたしの心を読んでしまったのだろうか。それとも、エリカっていう人間が、そういう風に出来ているものなのだろうか。
「わからないや。でも、早く着くといいよね」
彼女はそう答えた。
「学園に帰ったら、エリカはどうするつもりなの?」
ふと気になっていたことを思い出したので、すかさず言葉を繋いでいく。今のわたしにとっては、会話の沈黙が一番怖かった。だって、そうじゃないと……。
『ボクの声が聞こえてしまうからね』
「学園に帰ったら、まずクリス先生に話すわ」
「それから?」
「力のある人達に依頼してもらうように、学園長に直談判するの!」
「それから?」
「それから……」
エリカの言葉は、そこで途切れてしまった。
わたしもじっと自分のこの先を考えてみた。学園に帰って真っ先に会わなくてはならないのは、クリス先生だろう。クリス先生と話をしてから、その先に進む事が出来る。そして、エリカが今いったように、学園で行方不明になっているサポーター猫達と、学園中に不意に現れる《穴》のこと、そして、その、《穴》の先で起こっているこの事態を、話して、話して、話して……。そう、わたし達に出来るのはここまでのような気がしていたのだ。その後にできることなんて、せいぜい待つだけのこと。そんな、待つだけだなんて、どうにかなってしまいそうだ。
モモはいつ帰ってきてくれるの?
そう思い続けて、思い続けて、ただ何も出来ないで学園生活を続けるということを考えただけでも頭がおかしくなってしまいそうだった。どうして、どうして? わたしには力がないからだ。わたしにも、エリカにも、ここから学園という安全地帯へと帰るだけで精いっぱいだというのに、モモがいなくなっている原因に、これ以上首を突っ込む事なんて出来るはずがない。学園も、そんなことを認めないはずだ。
『出来ない? 誰がそう決めたの?』
わたし達は、雑魚の魔物を二人がかりでやっと倒せる程度の者だ。それなのに、物騒なこの世界をうろちょろしていてもいいものだろうか。そのうち、逃げることすらも難しいような厄介な魔物に出会ってしまえば、間違いなくわたしとエリカは死ぬだろう。それに立ち向かう勇気がないわけじゃない。でも、モモが一日も早く無事に帰ってくれる事を考えれば、そして、一日も早く見つけられる事を考えれば、わたし達が知ったことを、わたし達よりももっと力のある人達に教える事が妥当だった。悔しいけれど、わたしはそんな人達を頼るしかないのだ。
『帰ってから、また、探しに行くこともできるんだよ』
出来ない。
『訪れるのがいつか分からない未来を相手に永遠と待っていることも出来るんだよ』
出来ない。
「……もっと、戦いたい。もっと、強くなりたい」
わたしの問いに答えられないでいたエリカが、ふと、そんな事を呟いた。
「……せめて、自分の身は自分で守れるくらい。そして、願うなら、出来るだけ多くの人を守れるくらいの力が欲しいわ……」
学園では聞いたこともないくらい強い意志をもった、エリカの声だった。
「『強くなって、どうするの?』」
聞いたのは、バツだった。バツったら、また、勝手にわたしの口を使って、勝手に質問をした。前もって詫びでも入れていてくれないと、わたしが驚いてしまうんだから。そこらへんをバツには分かってほしいのに。
『だって、気になったらつい口が動いていて』
それは、言い訳っていうものじゃないのかなって思う。それはともかく、バツの問いに対して、エリカは何かを考えていた。追い打ちになっていなければいいのだけれど、と、ふと思った。
『なんの追い打ちなの?』
バツ、ちょっと黙っていて。
「……また、ここへ来る」
わたしがバツを制したその時、エリカは答えた。わたしをじっと見つめて。芯を持った強い眼差しで、わたしを見つめて、エリカは強い口調で言った。
「また、ここへ来て、エレクトラを探すわ」
エリカの芯を持った声に、わたしの方が圧倒されてしまった。けれど、エリカはすぐにまた元の弱々しい表情に戻ってしまうと、急にわたしに抱きついて来た。その細い体が震えているのを感じて、わたしは思い知った。
それほどまでに、わたし達のような《白》にとって、サポーター猫の存在は大きいんだ。
『……モモ』
バツが呟いていた。わたしはエリカを抱きしめて、綺麗な色の髪を撫でながら、そっとその心も撫でるようにぽつりと言った。
「その時は、わたしも同行させてね」
エリカの返事は、嗚咽に消された。




