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猫の国  作者: ねこじゃ・じぇねこ
EPISODE【2】 異世界
23/35

8.

 リヴィア村の出口を抜けてすぐ、そこは森というよりも、密林といったほうが様になるような場所だった。湿地帯も多いようで、どことなく蒸し蒸しとしている。ゼロによれば、オセロットまでの間、このような地帯がずっと続くらしい。

 『これは魔物が出るっていっても納得できるね』

 バツの言うとおり、猛獣どころか魔物が出てもおかしくないような雰囲気に包まれている中を、わたしとエリカは、ゼロに導かれながらそわそわと歩いた。ゼロが黒い体をしているのが妙に不穏だ。もしも暗くなったりしたら、すぐに見失ってしまう気がする。

 『そんな時の魔法でしょう?』

 バツに突っ込まれて思い出した。

 ああ、わたしって、魔法使えるんだった。でも、わたしの使える魔法が、どのくらい魔物とやらに通用すると言うのだろう。だいたい、体育や魔法実技をほんのちょっとかじったくらいで、魔物と呼ばれるような存在を倒せるだろうか。木に登ったり、ちょっと危ない坂を駆けあがったり、高い所から飛び降りてうまく着地したり、上手い転び方をしたりなんてことは自信があるけれど、だからといって、猛獣と戦える自信なんてない。そして、ここにいるのは猛獣じゃない。魔物なのだ。魔物と言われるからには、猛獣とは違う能力を持っているのは当たり前だった。

 不安はどんどんと押し寄せてくる。でも、ゼロはそんなわたしの不安をよそに、とことこと軽い足取りで先へと向かっていく。彼には恐れはないのだろうか。でも、思えば、彼は、あのリヴィア村とオセロットを行き来しているわけだ。わたし達よりも歩き慣れしているというわけだろうか。でも、ちょこちょこと先へと急ぐ彼の姿は、わたしから見ても、ちょっと不用心なのではと思う程だった。

 例えば、無用人に走って、とんでもない魔物にばったり遭遇なんてことはないのだろうかって、心配になってしまう。そして、ゼロは軽々と魔法で逃げられるのに、わたしとエリカだけが取り残されることになってりして……なんて妄想が膨らんでいってしまう。

 『だから、魔法使えるからこその動きなんだよ』

 魔法、魔法ってバツは言うけれど、本当に魔法がそんなに役に立つのかしら。なんて、疑問にさえ思ってしまう。なんだかんだいって、バツだって、魔物のいるかもしれない場所を歩いた事なんてないのだ。わたしがないのだから当たり前なんだけれど。

「それにしても、湿気の多い場所だね」

 身軽に先を行くゼロを追いかけながら、ヒメがわたしにぼそりと漏らした。見たところ、エリカはやや疲れているように思えた。そういえば、エリカって、筆記は得意だったけれど、魔法実技とか、あと、体育の方も苦手な方みたいだったなとちょっと思い出す。もしかしたら、体が弱いのかなって思う面もいくつかあったしなぁ。

「ゼロ、ちょっと歩みが早いんじゃない?」

 わたしがそう言ったちょうどその時、わたしの体の中で、ぞわぞわとしたものが駆け巡った。ノイズのような耳のざわめき。血管の中に液体状の生き物が入り込んで蠢いているかのような感覚。これは、テレパシーがもたらす感覚だとすぐに分かった。本能的な判断で、拾ってきたのだろう。ナイスな判断だと思う。

 だって、この雑音、明らかに人間の物じゃなかったのだから。

 ゼロの顔つきが変わった。エリカの表情もひきつっていた。やはり皆この感覚に気付いたようだ。相手は複数。多くはない。けれど、わりと近くに潜んでいる。こちらに気づいているのかは分からないけれど、近づいて来ているような気さえする。さて、ここまではいい。ここまで分かっただけでも、わたしとしては上出来なくらいだ。問題はここからだ。わたしに策が思いつくはずもない。ここは座学の出来るエリカと、この地の利のあるゼロに判断してもらいたいところだ。……と、思ったけれど、エリカはエリカで聞こえてくる魔物のおぞましい声に表情をひきつらせたまま固まってしまっている。

 ここは、そういったことも考慮しつつ、ゼロ先生にご決断願いたいところだ。

「ふう、最初の敵は豚鬼か」

 ゼロはすました顔でそう言った。

 ん? 最初の敵?

 『初めての魔物退治だね』

 バツがのんきに言った。違う。魔物退治じゃない。わたしにとっては、退治とかのレベルじゃない。この緊張感、この血の気の引く感覚、この状況、どう考えても、生きるか死ぬかの戦闘以外のなにものでもない。

 ……っていうか、さて高みの見物でもって感じにのんきに構えていないで、バツもなんか手伝ってよね。

 『手伝うって言ったってぇ……』

 そう言葉を濁して、バツは黙り込んだ。

 そんなこんな言っている間に、魔物が姿を現した。三匹もいる。たしか、ゼロが「豚鬼」と口走った魔物だ。その姿は、豚が人間のように歩いているという感じ。でも、普通の豚よりもずっと凶悪そうで、さらに頭には各々の本数の角が生えている。一本角が二匹、日本角が一匹。豚鬼達はお互いに何やら話しあうようなそぶりを見せつつ、手に持っている棍棒を振り上げてわたし達を睨んだ。

 『やる気満々のようだね』

 バツ、今だけさ、立場を交換しないかい?

 わたしのそんな戯言をバツはくすりとも笑わずに殺してしまった。

「さてさて、やる気満々な豚鬼さん達とお遊びしようか」

 ゼロがそんな余裕な事を言ってのける。お前、そう言ったからには、ひとりで全部どうにかしろよ! わたし何もしないからね! そんな心持だったのだけど、そうも言っていられない状況になりそうだ。自分の身は自分でどうにか守るしかない。相手は魔物。それも、言葉もどうやら通じないらしい魔物。さっきから獰猛な声でやりとりしていて、ちっとも何を言っているか分からない。

「ほら、二人とも、そんなんじゃやられちまうぞ。体をほぐして、ほぐして」

 ゼロの余裕ぶりもここまでくるといらっとする。

 でも、この言葉のおかげで、わたしにもどうにか少しばかりの余裕が生まれた。

「ヒメ、こっちおいで!」

 まずはエリカからだ。彼女の怯えぶりは放っておけないレベルにまで達していた。このままじゃ、真っ先にぼこぼこにされるのも不思議じゃない。か弱い女の子をぼこぼこにするなんてっていう言葉も、この豚鬼達には全然通じないだろうし、彼女よりはまだ余裕のあるわたしが傍にいた方がいいような気がした。

 『二人揃ってぼこぼこにされないようにだね』

 そこはもうゼロを信じるしかないだろう。

 エリカはわたしが声をかけるまで目を真ん丸くして豚鬼達を見つめていたが、わたしの声を聴きつけるとその場から逃げ出すようにこちらへと走ってきた。その動きにつられて、豚鬼達の視線が動く。あれ、やばいかも、こっちにくるんじゃない?

「俺は頭を狙う! 雑魚は任せたからな!」

 ゼロがそんな(わたしにとってはとても)非協力的なことを言い残して、二本角の豚鬼へと飛びかかっていった。その様子を、一本角の豚鬼達は驚いて見つめたが、二本角の豚鬼が、けたたましく吠えたのを聴くと、すぐにわたし達へと向き直り、棍棒を片手に迫ってきた。

「うわ~、これ、どうしたらいいと思う?」

エリカへともバツへともなく、わたしは言い棄てた。

 何だかこうなってくると、もう何もかもどうでもよくなってくる。きっと、なるようになる! ……って、信じるしかない。ともかく、わたしが考えるよりもずっとはやく、豚鬼達は棍棒を持って襲い掛かってきた!

 『避けて!』

 バツが叫ぶのよりも少し早く、わたしはエリカの手を引っ張って豚鬼の攻撃を避けた。わたしに引っ張られた衝撃で、ようやくエリカは我に返ったようだ。ならば有難い。自分の身は自分で守ろう!

「エリカ、怪我しないように気をつけて!」

 わたしはエリカの手を放して、豚鬼を睨みつけた。出来るだけ怖い顔で睨みつければ、なんか効果あるんじゃないかなっていう浅はかな考え。でも、いくら睨みつけようとしても、豚鬼達の無表情の方がよっぽど怖かった。

 さて、どうしよう。

 『相手の出方を窺うしかないんじゃない?』

 まあ、バツの言うとおりなわけで、わたし達から向かっていくなんてこと、とても出来ない。だいたい、武器もない。くどいけれど、サイコキネシスとテレパシーしか使えないわたしに、どうしろというのだ。

 『あれ、エリカは?』

 バツの声で気付いた。エリカがいつの間にか、移動していた。豚鬼達に気をつけながら周囲を確認すると、わたしと豚鬼達の睨みあっているところから少し離れた所へ、そっと歩いているエリカの後ろ姿が見えた。

「エリカ……」

 下手に歩き回ったら危険だよ、と言おうとした時、豚鬼達が動き始めた。いや、動こうとし始めた。今のはテレパシーで何となく分かった。こっちへ歩き出すという豚鬼達の意思が、わたしの頭へ危険信号を送ってきたからだ。

 『マル、気をつけて!』

 バツの声につられて、とっさにわたしのサイコキネシスが発動する。わたしに殴りかかろうと駆けだした豚鬼達の足元へと、小石が飛んでいく。魔力はないけれど、わたしには幸運がついているらしい。わりに尖った小石が、豚鬼の片方の脛に当たったようだ。その痛さと反動でバランスを失って転んだ相方に驚いたもう片方の豚鬼も、両足が絡まって、派手に転んでしまった。

 今ので分かった。こいつら、あまり運動能力が高くない。

「マル、しゃがんで!」

 エリカの声に、わたしの体が反射的に反応する。その頭上を、木の枝が飛んでいった。木の枝は割と大きくて、先端は、わたしの飛ばした小石よりも鋭く尖っていた。そして、木の枝が真っ直ぐ飛んでいくその先で、豚鬼の片方が立ち上がった。

 そしたらどうなるか、わたしにはよく分かっていたけれど、理解や予想する速度よりも。時間の進みはずっと早い。

 呆然と見つめているわたしの目には、木の枝が足に刺さって苦しみもがく豚鬼の姿が映っていた。後ろからは、息を切らすエリカの声が聞こえてくる。ああ、なんとなく、今、分かった。エリカはあの枝をただ投げ飛ばしたんじゃない。自分の中に潜在するありったけのサイコキネシスを使って、弓矢のように発射させた。

 豚鬼の片方は、すでに戦意を失ったようだった。それもそうだろう。結構深く突き刺さっているのだ。立ち上がることすらも危ういという状況で、逃げる以外の選択肢を選ぶわけもない。もう一匹の豚鬼は、かなり動揺していた。戦うべきか、逃げるべきか。動揺している豚鬼に向けて、エリカが睨みをきかせる。ひょっとしたら、わたしが思っているよりも、エリカは逞しい子なのかもしれない。

 でも、わたしの希望としては、ぜひとも豚鬼には逃げるという選択肢を取ってもらいたい。なんというか、そうしていただくと、すごく有難い。

 『そんなんじゃ強くなれないぞ、マル!』

 わ、わたしは強くなれなくったっていいんだよ。だって、まだ《白》も返還出来ていないような雛なんだよ!

 って、バツに心の中で反論していると、豚鬼がかなり耳障りな声で雄たけびを上げた。彼(彼女かもしれないけれど)の言葉は分からないけれど、テレパシーでなんとなくの意思は分かる。あっちももうやけっぱちらしい。

 そんな。できれば、やけくそにならないで欲しかった。

 足を抱えてのた打ち回る仲間を飛び越えて、豚鬼はわたしの方へと迫ってきた。ああ、わたしもエリカみたいに間合いをもっと取っておけばよかった。そう思いながら、わたしは地面を軽く蹴って、その場から跳んで、退る。

 そうだ。体育だと、体育だと思えばなんとかなるかもしれない。そうやって自分を誤魔化しながら、豚鬼の攻撃を避ける事に徹した。かなり動揺しているのだろうか、そんなに力のないわたしのテレパシーでも、手に取る様に分かるくらい、豚鬼の攻撃は読めた。でも、読めたところで、避けるくらいしか出来ない。

 せめて、近くに何か落ちていれば、わたしもサイコキネシスを活用できるのに。

 と、考えている所で、エリカの声が響いた。

「マル! どうにか避けてね!」

 すごく投げやりな声。どうも、事後報告のようだ。って、言っている場合じゃない。わたしはエリカの心を素早くつかんで、瞬間的に、後ろで何が起きているのかを察した。さっきと同じ攻撃だ。でも、さっきよりもちょっと威力が高そうだ。それって、どこかからへし折ってきたの?

 ともかく、まともに当たっただけでも相当なダメージを受けそうだ。

 わたしは慌てて豚鬼と間合いを取って、木の通らない場所へと避けた。だが、少し避難するのが早すぎたかもしれない。豚鬼が、エリカの攻撃に気づいてしまったのだ。豚鬼もまた、木のこない安全地帯へと避けていく。

 『外れちゃった!』

「させるか!」

 わたしはとっさにサイコキネシスを放った。エリカが投げた木の枝(というより、へし折られた丸太)を、あの小憎たらしい豚鬼に!

 わたしにしては、すごくうまくいったんじゃないだろうか。木はうまく軌道を変えて、安全地帯に逃げ込んでほっとしている豚鬼めがけて真っ直ぐ飛んでいった。避ける時間なんて、ない。気付けば、豚鬼は木の下敷きになってしまって、ぎゃあぎゃあ叫んでいた。

「やった……!」

 まだ倒していないけれど、とにかく、奴らの動きは封じた! ……まあ、ほとんどエリカのおかげだっていうのは認めるけれどさ。

 エリカはほっと胸をなでおろすと、近づきながら、頭を傾けた。

「で、こいつらどうしたらいいんだろう?」

 それはわたしも聞きたい。このまま放置していていいのか、止めを刺すべきなのか。でも、止めを刺すと言っても、わたし達にそんな技術はない。

 わたし達と戦った二匹の豚鬼は、なおもぎゃあぎゃあ言いながら憎らしそうにわたし達を見上げている。そんな目で見られても、そっちが先に襲ってきたのが悪いじゃないって言い返したいくらいだった。

「わたし達が出来るのもここまででしょう。あとはゼロ師匠に任せちゃおう!」

 と、わたしが言った時、二匹の豚鬼が急に黙り込んだ。

 突然のことに、わたしもエリカもふと二匹の様子を見つめた。何故だろう。豚鬼の周りには、とても冷たいのと、とても熱いのと、二つの気配が取り巻いているように思えた。気になったのは、豚鬼達の表情。さっきとは打って変わって、この世の終わりのような目をしている。

 わたし達がそれについて窺おうとした時、豚鬼のうちの一匹の体が、いきなり白い光に包まれた。もう一匹は、黒い影のようなものに覆われ始めている。ほぼ同時だった。ほぼ同時に起こった出来事だった。わたしとエリカは思わず後ずさりし、二匹から距離を取った。近づくと、わたし達まで巻き添えを食らうと本能的に分かったからだ。

 やがて、光と影に包まれた豚鬼達は、金切り声をあげて、破裂した。

 そこに残るのは、塵だけ。茶色い塵が、砂時計の砂のようにさらさらと地面に落ちていった。何が何だか分からないままに、二匹の魔物達はわたしの目の前で、砂に変わってしまったのだ。

「倒せたのか……」

 声を掛けられて、すぐ近くにゼロがいる事に気づいた。

 わたし達は顔を見合わせた。

「すごい、君達、この魔法はどうやって覚えたんだい?」

 ゼロの歓喜の言葉に、すぐに返答できなかった。わたしだって、驚いていたから。どう答えればいいか、考えるのに時間が要った。

「わたし達じゃないよ、ゼロ」

 返答出来ないでいるわたしの代わりに、エリカが答えてくれた。

「最後、どうして豚鬼達がこうなっちゃったのか、わたしにも分からないんだよ。……マ、マルは?」

 突然ふられて、わたしはぶんぶんと首を振った。

「し、知らない、知らない、分からない!」

「ふむ、じゃあ、誰かが横入りしたというわけかな? それなら、この魔法をうったのは誰だろう。信じられない程の魔法だ……」

「そんなにすごい魔法なの?」

 エリカの問いに、ゼロは目を大きくして頷いた。

「そりゃあもちろん。こんな魔法、滅多にお目見え出来ない。なんたってこれは、光の魔法と、闇の魔法だからね。一体誰のものなのか……」

 また考えだしそうになるゼロに、わたしは、「ともかく」と、声を上げた。

「これで、魔物は倒せたってわけ? ゼロが相手していた奴は?」

 ゼロはわたしを見上げると、にやりと笑んで横目でわたしの後ろを示した。振り返ると、そこには、二匹の豚鬼を引き連れていたあの三本角の豚鬼が、泥水のようなものに包まれて、彫刻のようにのびていた。

「死んじゃってるの?」

「いいや、死んではいない。再起不能にしただけさ。だが、こっちの雑魚達は死んじまったようだね。可哀そうに」

 ゼロは憐れむ顔で地面に積もる二つの塵山を見つめると、ふいに近寄って、両方の端から、ふっと息を吹きかけた。風を受けた塵の山は、ほどなくして空気中に舞い上がり、あちこちへと飛散していった。

「次に生まれる時は、無害な生き物だといいな」

 ゼロはそんな事を言って、塵を見つめていた。


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