6.
エリカは、部屋にこもってばかりいるわけではなかった。ただ、エレクトラがいなくなったばかりの時は、誰とも話したくなかったらしく、一人でこっそりとエレクトラを探していたらしい。
「それが、おかしいの。クラスバッジを落として、それを拾おうと、中庭の階段を下りていたら、転びかけてね、地面に座り込んだって思ったのだけど、気付いたら、この村の真ん中に座りこんでいたの」
エレクトラの行きそうな場所を片っ端から歩き回ったエリカ。中庭の階段といえば、ほんの三、四段くらいしかない。そこから落ちただけで、ここに来てしまったという事だ。わたしが鏡に吸い込まれたのとは違う。
『きっと、地面に《穴》が開いていたんだよ』
バツがそう推測した。なるほど。違う場所に違う場所へ続く《穴》が開いていたという事だろうか。真相がどうであれ、エリカがここに来てしまったことは間違いようのない事実だった。だって目の前にいるのだから。
わたしはエリカにここに来た経緯を事細かに話した。
わたしがあの学園に帰るには、赤い悪魔を倒さなくてはいけない。そして、学園に帰るべきであるのは、エリカも同じことなのだから。エリカはここに来て、ここの住人と話して、エレクトラを探すつもりでいたらしい。だけど、行く当てがあるわけでもない。どちらにせよ、学園に戻るという選択は間違っちゃいないのだ。
だから、エリカがわたしに同行しないわけがなかった。
「でも、マル。赤い悪魔なんてもの倒せるの?」
エリカに言われる前から、それは不安だった。
「……とにかく、今はこれしか学園に戻る方法は分からないの」
せめて、魔法がもっと使える人が傍にいてくれたら安心するのに。エリカもわたしも魔法実技に関しては全くダメなんだから。まったく、どうして《白》の称号も返却できないわたし達がこんな事になっているんだろう。
「赤い悪魔はオセロットって場所の近くにいるんだって。わたしはそのオセロットに向かっているところだったの」
「……オセロット?」
そう聞き返したのは、わたし達の話を何気なく耳にしていたらしいここの住人だった。黒と白のぶち猫の姿をした彼は、金色の目を真丸と見開いてわたし達を見上げていた。
「あなた達、まさか……オセロットの主を倒しに行くつもりですか?」
「オセロットの主?」
今度はわたしが聞き返す番だった。
カチュアの王によれば、オセロットは確か、その昔、女神が降臨していたという聖地だったはずだ。赤い悪魔がその聖地の主だなんて話、聞いていない。
「どういうことですか? オセロットって、女神が君臨していた聖地じゃないの?」
「それはもう昔の話さ」
わたしの問いに答えたのは、ぶち猫ではなく、その隣にいた黒猫だった。右目のふちに傷のある彼は、モモを思い出させる宝石のような目で、わたしを見つめていた。じっと見つめるその目は、水のように澄んでいて綺麗だった。
「俺はゼロ。オセロットから生まれ故郷のここへ帰ってきたんだ。オセロットの主から逃げるためにね」
『よくしゃべる猫だね』
バツはそう言ったけれど、わたしはそうは思わなかった。
ゼロと名乗るその猫は、わたし達に近づいて、言った。
「君達は、赤い悪魔ことオセロットの主が何者で何を企てているのか知らされているのかい?」
ぶんぶんと首を横に振るわたしを見て、ゼロは小さく「そんな事だろうと思った」と呟いた。
「奴はほんの数年前までただの猫だったらしい。魔法もろくに使えないような一般人さ。だが、何があったのか、突然、強力な魔力を手にしたんだ。その魔力を彼はどう使ったか。分かるかい?」
ああ、だいたい分かった。誰もいない城下町を見て。城に閉じこもる国王を見て。その国王の話を聞いて。だいたい分かった。
「その魔力で、城下町を襲って、町の人とカチュアの王の杖を盗んだのね」
「その通り」
ゼロが短くわたしの言葉を肯定した。
「だが、腑に落ちない。いくら強力な魔力を手に入れたからといって、どうして奴にそんな事が出来たんだろうってね。国王陛下は、この地の守り神と言ってもいいような御方だ。そんな御方から、大事な杖を奪うなんて大業、本当に奴ひとりで出来るものなのか……」
ゼロは呟きながら、その辺りをうろちょろ歩き回った。
「……ともかく、その後からです。オセロットが完全に彼の物になってしまったのは」
先程のぶち猫が、ゼロの代わりに続けた。
「今やオセロットは聖地じゃありません。オセロットの主と化した赤い悪魔の巣窟……魔境です」
魔境。それは、わたしの知る世界にはない場所だった。でも、他の世界にはあるんだと授業で習ったのを覚えている。テストに出たから間違いない。でもまさか、そんな魔境に自ら飛び込まなきゃならない日が来るなんて思いもしなかった。
「奴は城下町を襲って以来、何故か魔法使いばかりを狙っている」
ゼロがわたしとヒメを見比べて、言った。
「君達は魔法使いだろう? 俺には分かるんだ。何故だか分かるかい?」
「あなたも魔法使いだからね」
エリカの答えに、ゼロは頷いた。
「そう、その通り」
ゼロはにやりと笑ってわたし達を見上げた。人間でいえば、わたし達よりも少し年上といったところだろうか。猫の年なんて分かりにくいけれど、それでも魔法使いの端くれのわたしはだいたい分かる。中でもゼロは、大人びた猫のようだ。
「俺は《水》と《土》の魔法が得意な魔法使いさ。だから、オセロットから逃げてきた」
その声は得意げであって、同時に、悔しげだった。
「ふたつも魔法が使えるの? すごい」
エリカが溜め息混じりに呟いた。わたしにとってもエリカにとっても、基本魔法で得意なものがあるってことが尊敬に値するくらいだから。でも、今のこの国では、そのことがかえって面倒なことになるらしい。
「俺なんかよりもずっと偉大な魔法使いはいっぱいいるさ」
苦笑いし、ゼロはわたし達を見つめた。
「でも、偉大な魔法使い達は、どうしてか手を出さない。姿すらも見せない。彼らならあんな奴、すぐに追い払えるはずなのに……」
『また考え込みそうだね』
バツの言ったとおり、ゼロはまたぶつぶつ呟きながら歩き回り始めた。そういえば、モモもあんな感じで歩き回っていた事があったな、と、見ていてふと思い出した。あれはいつだっただろう? わたしに勉強を教えている時だったかな?
「ともかく、あなた達が相手にしようとしているのは、とんでもない程の魔力を持った奴なんです」
ぶち猫が、また、ゼロの代わりに続けた。
わたしとエリカは考え込んだ。エリカが何を考え込んだのかは分からないけれど、ともかく、わたしと同じタイミングで黙り込んだ。
そう言われてもなぁ、というのがわたしの本音。まず、実感が湧かない。魔力が強いと言っても、それがどういうことなのか、具体的な怖さがあまりない。だって、本気で命をかけて魔法で戦った経験って全くと言っていいほどないのだもの。命の危機を感じた事だって、今のところない。
ただ、わたし達が頼まれた事が途方もなく無謀であることだけはなんとなく分かった。ひとつの町の住人全員が攫われてしまったり、この地で神に等しい(らしい)国王の杖を盗んでしまったり、ゼロのように逃げ出す人がいたり……。けれど、どちらにしても、それを達成する以外に、ホームへ帰る方法はないのだ。
「それでも、君達は行くのだろう?」
考え事が終わったらしいゼロが、流し目でわたし達を見た。
わたしとエリカは、ほぼ同時に返答した。
「はい」
「もちろん」
ゼロは目を細めた。どうでもいいことだけど、猫の笑った顔って、何だか悪だくみとかが成功したような、ほくそ笑んでいるような、そういう顔に見えて仕方ないんだよね。もちろん、ゼロが笑ったのは、そういった理由ではない。
ゼロは胸を張って、わたし達に向かって、言った。
「いい返事だね。それならば、俺もついて行かせてくれ。道案内にはなるだろう? それに、俺だって、逃げてばかりは嫌なんだ」
控え目だけれど、それでもしっかりと意思の籠った声だった。ゼロの表情を見ていると、わたし達にはまだない強さが、光としてその目に宿っているような気さえした。
わたしとエリカは同時に顔を見合わせた。微かなテレパシーも必要なかった。無意識に分かるレベル。意識しなくても、お互いの考えていることが、ほとんど同じ事であるのは、すぐに分かった。だから、返事もあっという間だった。
「分かりました」
「お願いします」
最初に言ったわたしの返事と次に言ったエリカの返事でうまい具合にひとつの言葉になった。ゼロは満足そうに、でも、どこかほっとしたような表情でわたし達を振り返り、わたし達よりもずっと小さな黒い体を凛とさせて、低めの声で言った。
「よし、ならば、『善は急げ』だね。明後日には出発しよう」
そういうことになった。




