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猫の国  作者: ねこじゃ・じぇねこ
EPISODE【2】 異世界
18/35

3.

 遠目で見るよりも、城はずっとでかかった。こんな場所に一体何人の人が住んでいるのだろう? さっき通ってきた町の人達がまるまる住めそうなくらいの大きさ。っていうのは、大袈裟かもしれないけれど、でも、ともかく、そんなこと思ってしまう程、大きな城だったわけだ。

 さて、城は見つけたものの、わたしは途方に暮れた。ここからどうするか。だいたい、こんなお城にわたしみたいなどこの馬の骨とも分からないような小娘が扉を叩くなんてことしていいのだろうか。いや、もしかしたら、相当面倒なことになってしまうに違いない。

 『まあ、今のこの状況こそ、相当面倒なことなわけで』

 バツの言う通りなのだが、いまいち、この外門の扉を叩いたり、呼びかけたりする勇気が湧かない。ああ、もう自分が嫌になるくらい、臆病。だいたい、どうして門兵さんもいないわけ? こういうお城の入り口には兵士ってお約束でしょう?

 そんなやり場のない怒りを意識の向こうへと飛ばしつつ、わたしは大きく息を吐いた。

 怖い、といっても、このまま何もしないわけにもいかない。何が起こったのか、何をすればいいのか、わたしがこれからどうなってしまうのか、全てが謎のままだけれども、それが謎であるという事だけは確かなことだ。うん、そう思うと少しだけ勇気が出てきた。

 『正直に話すしか道はないもんね』

 そう。わたしは学校で最愛の友達を探して、その友達がいなくなる直前までいたはずの大部屋に行って鏡を見つけて、鏡に吸い込まれて、気付いたらここにいた。それ以上でも、それ以下でもない。

 あ、つまり、変に身構えても意味がないという事だ。よしよし、勇気がさらに増えてきたぞ。と、わたしはやっと大きな扉の前で、意思を固めることが出来た。明らかに来客用でしかなさそうな鎖を引き、からん、からん、という聞き心地のよい音を響かせる。

 ……あれ?

 『聞こえなかったのかな?』

 誰も来なかった。

 『もう一度、やってみたら?』

 からん、からん。そんなに小さな音でもない。この辺り一帯に響き渡っている音だ。それなのに、足音一つ駆けつけてくれない。さっきの町でもそうだったけれど、この場所、あまりに人気がなさすぎる。

「どうしよう。本当に誰もいないのかな?」

 わたしが一人心細げに呟いたちょうどその時、がちゃりという重く低い音が響き渡った。鍵の開くような音。その通りの音だと直後に分かった。わたしの前で道を塞いでいた大きな、大きな扉は、ゆっくりとひとりでに開いていき、城の内部をわたしの目前に晒し始めたのだ。あまりの唐突さと、その音の大きさに、わたしは、心臓が張り裂けそうなくらい驚いてしまった。

 『開いたね』

 バツに話しかけられて、わたしは息を呑む。

 開いたという事は、入っていいという事だろうか。恐る恐る、一歩足を踏み入れてみる。別に罠なんてない。何かピアノ線的なものが飛んできて、一歩踏み入れたわたしの足をスパンとそれはそれは綺麗に切断するとかそういう事なんてなかった。そんな展開を予想するわたしもわたしだけれど。

 『いざとなったら魔法があるでしょう?』

 何度も思うのだけれど、わたしが出来る魔法なんて全然大したことない。サイコキネシスとテレパシーというと聞こえがいいけれど、結局は、落ちた鉛筆を手元に転がしたり、他人が思っていることを何となく察することが出来たりするとかその程度だ。こんな能力が、何が起こるか分からないこの《異世界》とも呼ぶべき場所で、本当に、役に立つことがあるのだろうか?

 『魔法なんて力の強さじゃないよ。要は使い方さ』

 そんなことを得意げに言うバツだけれど、そういえば彼の方はどうなのだろう? あまり聞いたことないな。そもそも彼は、魔法使いなのかな?

 『さあ、マル、進んでみようよ』

 バツに促され、わたしはもう一歩、足を踏み入れてみた。足元から吹き上げてくる風は、寒々しくて、なんで学校の制服はスカートなんだろうと恨んでしまうくらいだった。たしかに黒ストッキング履いているけれど、冷えるものは冷えるのよね。

 門から城まではお洒落なマーブルのような石畳が敷かれ、、周りは綺麗に剪定された植木に囲まれている。その間に、嘶く格好の馬や、飛び立つ格好の鷲などの立派なデザインの植木が幾数か見受けられる。誰も居ないけれど、それらは全く朽ちていない。やっぱり誰か人がいて、きちんと管理しているのだろうか。

 『どうかな、なんだかここ、変な感じがするね』

 バツが声を潜めた。まるで近くにいる誰かに聞かれたくないように。でも、誰がいると言うのだろう。こんなに人気のない所なんて、初めてだった。こんなに異様で、異常な所は、初めてだった。

 『とにかく、進んでみようよ』

 バツに急かされて、わたしは観念して歩き出した。何か危険な猛獣でも出てきたらどうしよう。いきなり誰かに襲われたりしたらどうしよう。そんな時の武器なんて何も持っていやしないのに。

 『だから、そういう時のテレパシーとサイコキネシスなんだよ』

 バツの呆れ声にわたしの方が呆れてしまう。わたしに身を守れるほどの能力があるとでも思っているのだろうか。長い付き合いなのに、彼は本当に分かっていない。

 『分かっていないのはマルの方だよ』

 小馬鹿にするように、けれど、そんなにきつくない口調で、バツはそう言った。バツがこんな態度を取るのはよくあることだから慣れている。それに、そんなのに構っていられる程、今のわたしに余裕はなかった。

 余裕のないまま、ついに、建物へと到達した。入口は何本もの柱で支えられただだっ広い造り。暗がりで目を凝らすと、何本もの柱を超えた先、その奥にやっと内部へと入れる扉が見えた。それにしても、本当に誰もいない。耳を澄ますと鳥らしき生き物の声や、虫の音は聞こえるのだが、人の気配や動物の気配は全くなかった。

 猫の子一匹いないとはこのことだ。

 『ここって廃墟なのかな?』

 バツがそう言った。しかし、廃墟にしてはあまりに綺麗だ。誰もいない事がおかしいくらい、生活感がある。誰かが住んでいないなんて、信じられないほど、「普通」だった。

 『入ってみようよ』

「うん」

 思わず口にした声が、反響する。その声に、自分でびびってしまった。控え目に返事したつもりだったのだけれど、ものすごく大きな反響だった。靴音も、一歩、一歩、いちいち大きすぎる。空間を刻むようなその音は、何故か、いつも学校で聞くあの古びた鐘の音を思い出させるもので、わたしは、胸の奥が叩かれるような気になった。

 歩きだしてから建物の入口へと到達するのに、そんなに時間はかからなかったと思う。けれど、わたしにとっては、ものすごく長く感じた。まるで、誰か、わたし以外の誰かがが《時》の魔法でも使っているみたい。あれって、たしか、時間を遅くしたりするんだったよね?

 『早く入ろうよ』

 バツってば、こういう所はモモに似ている。モモもよく、わたしの無駄話を華麗にシカトして勉強を教えてくれたっけ。

 ドアノブに手をかけて、慎重に回す。さっきよりもずっと軽い、ぎいっという音がして、建物の内部がわたしの前に現れた。薄暗い中に、所々、陽を浴びて明かりが灯されている。外よりもずっと涼しくて、だけど、少し陰気臭い。それでも、人が誰も居ないのが不思議なほど、中は綺麗でとても広かった。中央に赤くて長い絨毯が敷かれていて、その向こうに、さらに大きな扉が一つ。両脇にはいくつか階段があって、それぞれに扉があるけれど、あまり探索してみる気にもならない。

 『まっすぐ行ってみる?』

 バツの言葉に従い、わたしは長い絨毯の上をゆっくりと歩いた。さっきとは逆に、今度は靴音が全て絨毯に吸収されて静かだった。陽を浴びた赤と、影に隠れた赤が、わたしの行く道を彩っている。右側の階段の上にある窓から陽が射しているのだと気付いたのは、赤い絨毯のちょうど真ん中に来た辺りのことだった。

 その時、ふと、わたしの耳に声が聞こえた。

(……は、……もない……だ……らでは……)

「バツ、なんか言った?」

 そう訊ねたものの、バツがどう答えようと、もしくは答えまいと、彼の声ではないことは分かっていた。聞こえる場所が違う。これは……テレパシーだ。わたしの弱い魔力で感じることのできる、誰かの声。男の声だった。低すぎず、高すぎない声。安定感があるけれど、落胆しきった力のない声。

 『この先じゃない?』

 今度はバツの声だった。彼に言われなくても分かっていた。この絨毯の先。もう一つの扉の向こうに、この声の主がいる。やっぱりこの城には誰かいたんだ。

 『行ってみようよ』

 バツが結構大胆なのは、自分で行動するわけじゃないからなんじゃないかって思う。自分でやるわけじゃない時って、わたしだって、軽い気持ちでつい色々言っちゃうもんね。

 『いや、マルに何かあるのは怖いって気持ちはあるよ?』

 そうは言っているけれど、少なからずそんな気持ちはあるとわたしは思っている。バツが何と言おうと。なんて、バツと会話している間に、扉の前に到達してしまった。わたしの頼りない勘が正しければ、開けた先に、さっきの声の主がいるはずだ。

 『さあ、開けてみなよ』

 バツに言われて、扉を押す。

「……」

 『どうしたの? さっさと開けなよ』

「……」

 開かない。あれ、鍵が閉まっているのだろうか? それとも、わたしの力が足りないのだろうか?

 『そりゃ、鍵が閉まっているんだろうね』

 バツの一切迷いの含まれない断定力には脱帽する。どういう意味が含まれているのだろうか、実に興味深いところだけれど、今日のところはあまり触れないであげよう。

 よくよく見れば、さっきまでの扉とは違って、この扉には二つも鍵穴があった。まあ、もしかしたら、さっきの扉もただたまたま鍵が開いていただけなのかもしれないけれど、ともかく、このままじゃ開かないのは確かだった。……ということは、鍵を探さないといけないのだろうか?

 『この城のどこかにあるんじゃない?』

 この城のどこか。まさか探せというわけではあるまい。探すよりもいい方法は、絶対にあるはずだと横着なわたしは睨んでいる。

 『鍵を探しに行こうよ』

「なにかいい方法は……」

 あった。そうだ。バツの言葉を無視しても、この先に行けるかもしれない方法はあるじゃないか。わたしはそう、魔法を使えるんだから。

 『どういうこと? 鍵を開ける魔法なんて使えたっけ?』

 まったく、魔法は使い方だって言っていたのはバツの方じゃない。

それにしてもこの扉。とても頑丈で、中の音は一切聞こえない。きっと、こっちの音も全然聞こえないのだろう。でも、中にいる誰かにわたしの存在を知らしめる方法はある。そう、わたし達が中に人がいると知れた方法を使えばいいのだ。

 集中力を高めて、わたしは扉の向こうへと意識を飛ばした。

 ――そこにいるのは、誰?

 届いた。それは実感として分かる。言葉に表しにくいけれど、手ごたえが、確かにあった。誰かがこちらへと気付いたのが分かった。このくらいの能力は、小さい頃から身に付いている。それが魔法学校に通うような人だけで、身に付いていない人の中には気味悪がる人もいるんだと知れたのも、ある程度大きくなってからなのだけれど。

(誰かいるのか?)

 はっきりとした言葉。耳に届く声からすると、若いようにも聞こえる。その直後、何か言っているような声が、扉の向こうから聞こえたけれど、何を言っているかは全然分からない。わたしは扉に体をひっつけて、さらに念を送った。

 ――このままだと声が聞こえない。扉を開けて。

(そこにいるのは誰なんだ? 敵か? 味方か?)

 どうやら警戒しているらしい。扉は開けてくれなさそうだ。まあ、そりゃあそうだろう。勝手に人の家に入ってくるような奴をそう易々と信用出来るわけもない。

 ――敵ではないわ。敵って誰? 話がしたいの。ここを開けて。

 わたしは必死だった。だって、ここに来てからバツとしか話していない。「ここ」の住人という存在に出会いたかった。そして、「ここ」という場所に付いて聞きたかった。でも、相手はかなり警戒しているらしかった。

(本当に敵ではないのだろうな? 私を殺しに来たのではないのだろうな?)

 脅すような口調。でも、その意識は確かに怯えていた。

 『マル。言葉だけじゃ通じないよ。もっと意識を向こうに伝えなきゃ』

 バツの言葉に溜め息が出た。バツが言っているのは、つまりは、わたしの頭と相手の頭を繋いで、わたしの素性を明らかにすることだ。けれど、あまりこういう方法を取るのは好きではない。だって、わたしの心や過去や性格のどのくらいが相手に伝わるか分かったものじゃないのだから。

 でも、仕方ないか。

 わたしは覚悟を決めて、扉の向こうにいる誰かに気持ちだけ向き合った。

 ――敵ではない。それは保証します。

 そう伝えて、……始めた。わたしを、わたし自身を届ける様な気持ちで、扉の向こうにいる、声からしか想像できない誰かへと接近する。それは、意識の接近。見えない手を伸ばすように、見えない手でその体に触れるように、わたしは意識を高めていった。

(……人間?)

 扉の向こうから聞こえた声。それは、わたしが人間であることが意外であったということをうかがわせていた。

(……魔法使いか)

 段々と声に警戒が解かれていくのが分かる。どうやら彼の言う敵に、わたしのような者は含まれてはいないらしい。これでやっと話を聞いてもらえる。そう思ったのだけれど。

(鍵ならばなくとも魔法使いの力で開ける事が可能だろう? そのくらいの力もないような非力な魔法使いならば、私が耳を貸す話もないし、話すこともない)

 そんな。非力だから困っているのに。

 『世の中って理不尽だね』

 全くだ。話も聞いてくれないなんて酷過ぎる。でも、嘆いてばかりもいられない。ともかく、この鍵を何とかしなくてはならないというわけだ。

 赤と青の鍵。この広大な城の中から捜し出すというどっかのアクションゲームみたいなことをしなくてはいけないのだろうかって一瞬思ったのだけれど、そういえば、中にいる理不尽なおっさんは、「魔法使いならば」って言っていた。

 『マルに出来る魔法を駆使して鍵を開けるわけか』

 なんだかバツにはこの打開策がもう分かっているっぽい。すごく腹立たしいのだけれど、怒ってばかりもいられないし、怒ったところでなにも解決しない。さて、わたしが出来ること。せいぜいのテレパシーと、物を手元に引き寄せるくらいの力しかないサイコキネシス。……サイコキネシス?

 わたしは二つの鍵穴をそれぞれ覗いた。もちろん、真っ暗で何も見えないのだけれど、この中って、鍵を使う事で動いて、それで鍵が開くわけだよね。なら、鍵があるつもりで、サイコキネシスで中の物をがちゃがちゃ動かすなんてどっかの泥棒みたいなことも、出来ちゃうんじゃないかな?

 『盗賊マルの誕生だね』

 いやいやいや、中にいる人が唆したんだから、わたしは悪くない。そう信じている。そんなわけで、わたしは二つの鍵穴を塞ぐ形で両手を扉にくっつけた。後は、いつも物を転がす時みたいに、力を入れるだけ。ぎぎぎ、と手ごたえがある。鍵穴の中で何かが動いているんだ。これをどうにかがちゃがちゃさせていたら、鍵が開いちゃったりしないかな?

 かちゃり。

 どっちかからそんな音がした。……開いた? 手ごたえ的に青い方だった。赤い方はまだだ。でも、この調子だと、こっちも開くような気がしてきた。

 『こうやってマルは味を占めて……』

 へんなナレーションをつけるバツなんて無視しながら、わたしは鍵に集中した。赤い方の鍵は、なんかこう、青い方とは違って、複雑な気がしたけれど、よくいじってみれば、そういうわけでもないみたいだった。青い方と逆に力を込めればいいんだと、いじり続けているうちに気づいたからだ。

 かちゃり。

 赤い方も開いた。で? どうしたらいいのだろう? 勝手に入ってもいいのだろうか? こういう時の判断って、結構迷ってしまうんだよね。お邪魔しますって入っていいものなのか、それとも、あっちからアプローチがあるまで待つべきなのか。

 『テレパシーで聞いてみたらいいじゃない』

 ああ、その手があったか。

(開けてしまったのか……)

 あんなに好戦的な態度であったはずの中からの声は、やや怯えを含んだようなものだった。それがどうしてなのかは分からなかったが、特にわたしが扉を開けようとしている事に対しては拒否を示そうとしなかった。

 ――失礼します。

 わたしは一応、そう断ってから、扉を開けた。扉は、非常に軽かった。鍵がかかっていた時のことをふと思い出す。あんなに重かったのが信じられないくらい、扉は、ぽんと押しただけで開いた。開けたこちらがびっくりしてしまうほどだった。

 扉の向こうは、今まで以上に広い空間で出来ていた。しかし、特別豪華でもない。豪華さで言えば、うちの学園の食堂の方が豪華かもしれない。そのくらい何もない。ただ、その広さはうちの学園の何処の教室も及ばないだろうと思う。足元にはまたあの赤い絨毯。その細長い道が導くのは、大分向こう、部屋の隅にある壇上の、玉座の膝元だった。

 玉座にいるのは、人間ではなかった。

 それは、猫。いや、猫といっていいのだろうか? 猫に近い何者かだ。獅子のようにたてがみが生えた、虎のような体を持つ獣。美しい斑紋で飾られた毛皮を身にまとい、宝石のような青い目でこちらをじっと見ている姿は、精巧に出来た置物のようだった。

 彼こそが、この静かすぎる地の王であるのだろうか。

「寄るがいい」

 玉座に座る獣が、わたしに言った。獣といっていいのかわたしには分からないが、そう呼ぶしかない。わたしは恐る恐る赤い絨毯を踏みしめて、彼の膝元へと進んでいった。こんなこと初めてだった。わたしのいた国にも王族というものはいたけれども、皆、王族とは無縁の生活をしていたから、こんな状況に立ち会う機会なんて、今の今まで想像もしていなかった。

 玉座の膝元で、わたしは膝をついた。どのくらい礼をすればいいのか分からなかったが、礼をしなくてはならない事だけは分かっていた。

「よい、顔をよく見せてほしい」

 玉座に座る獣は堂々とした声でそう言った。わたしはその言葉に素直に従って顔を上げ、彼の青い目をじっと見つめた。人間にはない美しさがそこにある。猫族特有の美しさというものだろうか。その目に少しだけ、モモの目を重ねてみる。……いや、やっぱり、モモの方が数倍綺麗だとわたしは思った。

「そなた、この国の者ではないな? 見たところ人間の魔法使いらしいが……いったいどこから来た?」

 玉座に座る獣の問いに、すぐに答えられなかった。どこから、というべきなのだろうか。答え方はいくつもある。学園の名前だけ? 学園のある町の名前? もしくは、その町のある地方? その地方のある国? ……いや、もっともっと、広い範囲で答えなくてはいけない、そんな気がしてならなかった。

「わたしが来たのは、文明的生活の場では人間が多数派の世界。魔法は隅に追いやられている。そんな世界です」

 だから、わたしはそう答えた。

 玉座に座る獣は、耳を倒し、何かを考えていると分かる表情を見せた。よくモモもわたしに勉強を教える時にあんな表情をしていたのを思い出した。

「《夢幻の国》か……」

 玉座に座る獣がそう呟いた。

「《夢幻の国》?」

 わたしは即座に聞き返した。そんな国の名前なんて聞いたこともなかったからだ。学校でそのうち習うのだろうか。そんなことを考えつつ、わたしは玉座に座る獣の返答を待った。青い猫の目が、じっとわたしを見据えた。

「そなたが察している通り、ここはそなたが知る世界ではない。恐らく、《穴》に落ちたのだろうな」

 そう言って、彼は咳払いして、姿勢をただした。

 穴? 穴ってなんだっけ? 聞きおぼえがある。

 『習った範囲じゃない?』

 バツがそう言ったとほぼ同時に、玉座に座る獣が再び口を開いた。

「ここは、カチュアの国。そして、わたしはカチュア国の王である。ここは、そなたのような人間は少数派の世界。そなたら人間の住む世界の事は、《夢幻の国》と呼んでおるのだよ。人間がこの国のことをなんと呼んでいるかは知らないがね」

「ここでは、わたしのような人間は少ないのですか?」

 カチュアの王はじっとわたしを見つめ、顎を掻きながら頷いた。

「少ないという程少ないわけでもないが、我が国をはじめとするこの世界では、我ら猫族が多数派を占めておる。それ、そなたの世界にも、仕事に出ている猫が少なからずおったであろう?」

 モモの事だ。

 モモだけじゃなくて、エレクトラも、その他の猫もそうだ。彼らはたいていが他の国から派遣されてきたんだと聞いていた。モモもまた、わたしが生まれ育ったあの世界じゃなくて、他の世界からやってきたんだっていつか話してくれたことがあった。その時モモは、わたしに分かりやすいように、自分の故郷を、《猫の国》と称していた。

「王様、わたし以外にも、こちらに突然来た者はいないのですか?」

「もしくは、突然帰還した猫達はいないのですか?」

 突然、わたしの口から言葉が繋がれていった。バツだ。勝手にわたしの問いにつけ足した。たまにこういう事をするのが彼だ。彼なりの考えがあってのことなのだろうけれど、出来れば予め、教えていてほしい。だって、わたしもびっくりしてしまうもの。

 カチュアの王は渋い表情を見せた。複雑に折り重なった感情をひとつひとつ紐解くように、わたしを見据える彼の目の青さは、段々とその色合いを変えていく。不思議な目だった。角度を変えてみれば、緑にも見える様な気がしてきた。

「もしも、帰還した者たちがいるとすれば……」

 深刻な声で、カチュアの王は言った。

「彼らが無事でいるかどうか、私には分からない」

 深刻で重たいその言葉に、わたしはまた、思考がついていかなくなった。無事でいるかどうか? ああ、この世界がどこかおかしなことになっているだろうということは、ここに来てカチュアの王に出会うまでに見てきた物事で分かっていた。でも、無事でいるかどうかとはどういうことなのだろう? そうだ。ここへ入る前、彼はわたしの事を警戒していた。敵か、味方か、と。

「何があったかを教えてください。何が起こっているのかを、何が起こっているかもしれないのかを、そして――」

「『ボク達はどうすればいいのかを教えてください』」

 わたしが言おうとしていたそのままの言葉で、バツが言った。思わず、一度に問いただすように聞いてしまったことだったが、カチュアの王は落ち着いてわたし達の話を聞くと、ひとつひとつ丁寧に答えてくれた。

「まず、一つ目と二つ目の質問に答えよう。ここは、そなたらの来た世界のように、平和な世界ではない。そなたらの知る平和は、つい先日まで確かにここにあった。けれども、もうそれは去ってしまった……突然にな」

「平和が去る?」

「町を見ただろう? 町には誰がいた? ……誰もいなかっただろう? 皆、つれていかれてしまったのだよ。この世界の水準を向上させるための人柱として、一夜にして攫われてしまったのだよ」

「『あなたは何も出来なかったのですか?』」

「住人達は、笛の音と共に連れて行かれてしまった。あの魔笛を前に、私の力なんぞ、赤子にも満たないものだった。王として玉座を与えられておりながら、私は、何も出来なかったのだよ。そなたらの前にこうして座っているのは、そんな哀れな獣に過ぎない」

 カチュアの王はそこまで言うと、低い声でぐるぐると唸った。猫がごろごろと喉を鳴らすよりもずっと重たくて、気だるそうな音だった。そこから伝わってくるのは、王としての気品、誇り、自信の陰り。重そうな頭を抱えながら、カチュアの王は深くて大きな溜め息を吐いて、わたしをじっと見た。

「そなたは悪い時に落ちてしまったようだな。この世界は平和ではない。早々に立ち去るべきであろう。……だが、見たところ、帰り方も分からぬようだな?」

 わたしは何度も頷いた。モモがこの世界にいるかもしれない。そんな気がしたけれど、だからといって、ただの学生のわたしに何が出来ると言うのだ。ここは一旦、学校へと帰るべきだろうとわたしの頭は考えていた。

 『帰って、先生に報告しなきゃ』

 あの鏡が《異世界》につながっていたこと。《猫の国》……でいいのだろうか? ともかく、あの鏡のせいでわたしが、わたし達の世界を《夢幻の国》と呼ぶ世界へと迷い込んでしまったことを、一刻も早くミドリ先生達に報告しなければとわたしとバツは思っていた。

「そうか……惜しいことだな。以前ならば、すぐさま元の世界へと送り届けてやることが可能であったものを……」

 だが、カチュアの王のその呟きで、わたし達の予定がさらに先延ばしにされた事がすぐに分かった。

 カチュアの王は真っ青な両目をわたしに向け、気だるそうに言った。

「《穴》を開くための杖を、赤い悪魔に盗まれてしまったのだよ。この国の住人ごと、奇妙な旋律の笛の音と共にね。彼らの行方は分かるのだが、わたしはこの地をこの場所で守り続けなくてはならない。この地を離れることは出来ないのだ」

「つまり、その杖さえあれば、わたしは元の世界へ戻れるんですね?」

「そうだ。そして、哀れな人間のそなたに、それを使ってやってもいいと私は思っている。思ってはいるのだがね」

 この地を離れることが出来ないと言っていた。

 つまり、わたしの選択肢は一つだった。

 『いや、二つかもよ』

 どういうこと?

 『このままここを放って、モモ達の行方だけを聞きだすっていう手もあるんじゃないかな』

 それで、わたし達だけでモモを探すって言うの?

 『まあ、決断はさておき、聞き出せるものは聞きだすのもありかなって思うんだよね』

 バツの提案は少々冷血な気がしたけれど、それもそうだなと思うところもあった。第一、わたしは冒険者でも何でもない、一介の学生だ。魔法使いといっても、持っている能力は、僅かなテレパシーと、微細なサイコキネシス。それで向かうには、少しと言わず、大分荷が重すぎるように感じる。

「あの、王様……」

 わたしは再び恐る恐るカチュアの王に問うてみた。

「もしも、その、わたしのような者が突然やってきてうろつくとして、一番、どんな目にあう危険があるとお思いですか?」

 わたしの問いに、カチュアの王はしばしわたしの表情を窺った。そこから何を汲み取ろうとしているのかは分からないけれど、別段気にするような事ではないだろう。だとしても、一国の主に見つめられることは、思ってもみないほどの緊張があった。

「そなたは魔法使い。この世界においては、流浪の人間となるわけだ。奴らがそれを見逃すはずもないだろう。笛の音に気をつけるがいい。あの笛の音が響き渡る時、必ず数人が行方不明になった。まずは、魔法使いから、そして、次第に魔法とは関係のない子ども達から。そして、大人達へと続き、いつしか城にまでその魔の手は押し寄せてきた。そして、わたしが残された。わたしだけが、この城を守る者として、ゆっくりと死に逝くこの国に残されたのだ。この地と共に死んでいく者としてな」

「この国は死んでしまうのですか?」

 諦めきったカチュアの王の顔を窺いながら、わたしはさらに質問を重ねてみた。カチュアの王は煌めく青い目をわたしに向けて、とても深い溜め息を吐いた。疲れて切っていることが分かる、そんな溜め息だった。

「周辺の森、町、村までは分からない。だが、この城と城下町はもうだめだ。住人もなく、王のみ取り残されたこの町は、すでに死んだも同然。連れ去られた者たちが、どうなったのか、わたしには分からないのだ。ただ、この世界全ての水準のための尊い犠牲とだけ称され、己の意思も希望もすべてを摘み取られ、彼らは連れて行かれた」

 カチュアの王の目は、人形のようだった。だが、その目には、少しだけ潤みが含まれている様な、そんな気がした。

「そなた以外に迷い込んだ者がいたとしたら、それが、魔法使いならば特に、すぐに目をつけられただろう。そして、笛の音と共に連れ去られている可能性の方が高いだろう。私から言えることはそれだけだ」

 カチュアの王の言葉尻は吐きだすようだった。わたしには、彼がまるでもっともっとたくさんの感情や情報を言葉にしていくのが億劫であるかのようにも見えた。

 『赤い悪魔……』

 バツが言った。

 『そいつからも情報を聞き出せそうだね』

 彼は正気なのだろうか。このわたしが。学園で劣等生のレッテルを毎回毎回自ら綺麗に貼りなおしているこのわたしが、そんなこと出来るとでも思っているのだろうか。一国の主でさえも止められなかったような悪魔を相手に。

 『魔法は使いようだって!』

 バツがどうしてそんなに乗り気なのかものすごく不思議だ。

 『そうはいっても、これしか道はないだろう?』

 ……バツの言うとおりなのだ。選択肢はいくつかあるかと考えてみたけれど、どちらにしても、その赤い悪魔とやらに会わなければ先に進めない。まったく考えるだけで面倒くさいことだ。それに、不安もあるし、薄っすらと命の危機に似た何かを感じているのか、さっきから、足元がふわふわした感覚に浸っている。

 でも、仕方ない。わたしはこう答えるしかなかった。

「その赤い悪魔の居る場所を、教えてください」

 カチュアの王の威厳に満ちた姿を見つめながら、しっかりとした声で言うしかなかった。

「『ボク達がその杖を取り戻してきましょう』」


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