閑話―拷問内容
私はヴァネッサを牢獄に閉じ込めはしたが、彼女の身体を決して傷つけないようにした。
彼女の体の健康を保つために、人工的に陽光を与えもした。「世話役」には、彼女の身体を傷つけることを厳しく禁じた。私は彼女に精神的苦痛を多く与えた。
ヴァネッサに前には巨大なモニターを設置した。彼女の身体ではちょうど手の届かないところに設置したのは、ヴァネッサに、自分とクリスの立ち居地を分からせるためだ。
ヴァネッサは最初こそ無事な姉の姿に安堵し、それから毎日、目覚めてから声が枯れ気を失うまで、クリスに対し助けを求め続けた。それは痛々しくなるほど憐れな姿であったが、この程度の狂気ではダメなのだ。もっと、身体中を黒い液体が満たしていくような、そんな絶望を彼女に与えなくてはならないのだ。そうでなければ、この幸福への旅路は意味をなさない。
何をもって「幸福」とするのか。この命題に対し、人はそれぞれ異なる解を出す。「生きていることそれ自体が幸福である」と答える者もいるであろう。「財貨に恵まれることが幸福である」と答える者もいるであろう。「愛すべき者と生きることが幸福である」と答える者もいるであろう。あるいは、厭世主義者などは「死ぬことが最大の幸福である」と答えるかもしれない。
私にはこの答えが分からない。
だが、例えば「生きていること」、たったそれだけの事実が幸福であるというのならば、この牢獄に閉じ込められた憐れな少女も幸福であるのだろう。「財貨に恵まれる」ことをもって幸福とするならば、クリスは幸福な少女なのだろう。「愛すべき者と共にあること」を幸福の条件とするならば、互いに引き裂かれた彼女たちは不幸なのだろうか。「死すべきこと」をもって幸福とするのならば、彼女たちは「真珠の都」で朽ち果てることが出来なかったことを呪うだろう。
彼女たちが今後、どのような結末を迎えるのかは私には分からない。ただ、それが幸福な結末であることを私は望む。この悲劇しか考えられないような世界の中で、幸福を見つけて欲しいのだ。
ヴァネッサを牢獄に閉じ込めてから約一ヶ月が経ち、彼女の目から次第に生気が失せてきたとき、私はモニター越しに彼女に話しかけることにした。彼女には選択権を与える必要があった。無論であるが、私はただ彼女を牢獄に閉じ込めている気はない。それでは何の意味もない。蓋に閉じ込められたまま猫に意味などないのだ。
私はヴァネッサに対し、ある提案をした。それは、ヴァネッサが牢獄を出ることを望むならば、代わりに姉のクリスティアーネを殺すというものであった。この提案は、彼女の精神を揺らすであろう。「自らが犠牲になることで、幸福に暮らす姉」という思いを彼女に与えることになるだろう。それでも、彼女は姉を犠牲にすることは出来ない。どんなに惨めで苦しい思いをしようとも、どんなに姉を妬み憎もうとも、ヴァネッサは姉を殺してまで牢獄を出ることを望まない。彼女が過去の幸せ――姉との記憶を持っている限り、自身の片割れである姉を殺すことなど出来ないのだ!
これらの事実は彼女の心を苛み続けるであろう。
だが、これだけでは終わらない。これだけで終わらせてはいけないのだ。こんな生ぬるい葛藤ではヴァネッサを幸福に至らせることは出来ない。幸福に至るためには、彼女には更なる絶望が必要なのだ!
私は顔の無い男――愚かにも私に逆らい、結果として顔を潰された者たちを使って、ヴァネッサの実験を試みた。私は『真珠の都』で生き残っていたものをかき集め、私の力が及ぶ病院に入院させた。彼らは、ヴァネッサの幸福のための「養分」となるには打ってつけであった。もともと、世間的には生きているのか死んでいるのか分からないような連中だ。その大半が欠けてしまったとしても、「全力を尽くしたが、助けることが出来なかった」といえば済む。
私は回復していった生き残りを次々と、ヴァネッサの牢獄に送り込んだ。そして、あらゆる残虐な方法を使って、ヴァネッサの目の前で殺したのだ!
地下で葬られる彼らに対し、私は以下のように告げた。ヴァネッサが牢獄を出れば、君たちは救われる。そして、ヴァネッサは、出ようと思えばいつでも出られる。彼女が牢獄を出たいと一言言えば、彼女は牢獄を出られるのだと。
案の定、彼らは悲痛なまでの叫び声を上げ、ヴァネッサに助けを求めた。だが、ヴァネッサは哀れみの表情をするだけで、彼らの叫びは聞き入れない。当然だ。
ヴァネッサが牢獄を出ることを望めば、クリステルアーネは死ぬのだからな!
顔の無い男は嬉々として、牢獄に送られてくる生き残りを肉塊に変えていった。それはもう芸術的なまでに陰惨なやり方だった。殺す相手が少年ならば、睾丸をちぎり取り、ねちょねちょとしたそれを無理やり、少年の口の中に放り込み咀嚼させた。少年は泡を吹きながら、白目を剥いて悶絶し、涙と鼻水と涎で顔中をぐちゃぐちゃに歪めながら、絶命する際にヴァネッサに向かって呪いの言葉を呟いた。
少年の死骸は打ち棄てられ、また別の人間が連れてこられた。それは、ヴァネッサが見知った顔であった。『真珠の都』に住んでいたころは、クリスと三人でよく遊んだ少女だった。少女はヴァネッサの顔を見て安堵すると、部屋の隅に転がっている無惨な屍体を見て悲鳴を上げた。そして青い顔になって、ヴァネッサに哀願するのだ!「お願い助けて!」と。
少女の哀願を聞いたときのヴァネッサは、少女と同じように青ざめた顔になって悔しそうに俯くのだ。
顔の無い男たちは、ヴァネッサの目の前で少女の指を折った。白く細く美しい少女の指を、小枝を折るように小気味良く追っていった。その度に声にならない叫び声を少女が上げていたが、男は取り留めて気にすることも無く全部折った。そして、その折った指を、今度は一本ずつ千切っていった。折られるときとはまた別の痛みがするのだろう。少女はまたもや喚き散らした。
一通り済んだあと、ぐったりとする少女の髪の毛を掴み、無理やり立たせると、男たちは足を掴んだ。何をされるのか想像がついた少女は、ヴァネッサに対して狂ったように叫ぶ。だが、ヴァネッサは動かない。
此処に至って少女は知るのだ。ヴァネッサは自分を助ける気が無いのだと!足の指も同様にされ、次々に解体されていく少女は、薄れる意識の中でヴァネッサに怨嗟の言葉を浴びせ続けた。ヴァネッサの瞳は濁っていった。
私は、ヴァネッサの身体は傷つけないようにしたが、肉体的苦しみを与えなかったわけではない。後遺症が残らない程度に食事に毒を入れたり、苦しませるためだけの薬を投与したりなどした。姉のクリスが病気に苦しんでいるときなどは、特にこのような手法でヴァネッサを苦しめた。
ヴァネッサの精神は次第に狂気に侵されてゆく。
だが、この狂気こそが、この世界の本質なのだ!
腐りきった禍々しきこの世界!それでも生きることを強要されるという絶望!
その苦しみの中でこそ、真の幸福に至れるのかもしれないのだ。
だから私は心の底から、君の幸福を祈っているのだ。
あぁ、愛しのヴァネッサ!幸福になりたまえ!