閑話―顔のない男たち
クリスの様子がおかしいことに気がついたのは、それから間もなくしてのことだった。大学から戻った彼女が、妙に落ち着きなく過ごしているのを見て、私はローデリッヒが何かを仕掛けたのだろうと考えた。
私は暫くの間、監視カメラから送られてくるクリスの映像を注視していた。思えば、クリスも随分とこちらの「思い通り」に育ってくれたものだ。明るく社交的で、才気に富んだ彼女は、ヴァネッサとは似ても似つかない。
そして、クリスがいなくなったのは、その次の日の夜であった。館に仕掛けられている監視カメラを見事に潜りぬけたセンスは賞賛に値する。少なくとも、「表向き」に、館の警備として設けられている監視カメラには、彼女の姿は映らなかった。だが、クリス自身の監視を目的として、巧妙に偽装して設置された小型カメラの存在には気づかなかったようだ。
私はすぐさま知り合いの警察署長に連絡をし、警官たちにクリスを追跡させるように言った。ついでに、クリスの近くに男がいた場合、その男を拘束することを要請した。男を拘束するための手段は問わないが、クリスを傷つけるようなことは絶対に避けるようにとも付け加えた。
案の定、クリスとローデリッヒは待ち合わせをしていたようだ。
ローデリッヒは焦ったのであろう。焦って、最初に思いついたのが、クリスに記憶を取り戻させ、ヴァネッサを開放する際の妨げとなっているクリスを除くこと。
驚いたのは、クリスが尾行に気がついたらしく、走って逃げ出したことだ。私の娘が優秀だったのか、それとも尾行者が愚鈍だったのか。恐らくはその両方だろう。
――なるほど。もう少し様子を見ていようかと思ったが、どうやらそんなに余裕もないらしい。
私は屋敷の「廃棄物置き場」に向かった。廃棄物置き場も、地下牢獄と同様に、クリスには見せられない場所である。ローデリッヒも知らないだろう。知っているのは、私と廃棄物置き場に置き去りになっている、元人間たちのみであろう。
廃棄物置き場は、もともと真珠の都の人間の遺体置き場である。ヴァネッサの目の前で殺した老若男女が無造作に打ち棄てられている。
だが、最近では新しい「顔のない男」を製造し、保管するという使われ方もされている。
「ふむ……」
顔のない男たちは、私に逆らった愚かな人間の末路であるが、これらの顔を潰しているのは我々ではない。顔のない男の製造過程は、次の通りである。まず、多量の薬物投与によって筋力を膨張させる。根本的に肉体を化け物のそれに変えてしまうのだ。その過程で、顔の骨格が壊れ、皮膚が爛れることになる。酷いときは、顔中に奇妙な突起物が生えてきたりしたこともあったか。この時点では、まだ男たちに理性は残っているのだ。自分たちの身体に起きている急激な変化、激痛にもだえながらも、それでも人間としての正気を保っている。
――そんな彼らに鏡を見せるのだ。
その瞬間、鏡に映る自分の醜い、まるで化け物としか表現しようのないその容姿に、絶望し、発狂するのだ。そして、大抵は自分の顔を徹底的なまでに潰す。潰し続ける。もう、顔という身体の一部をただの肉塊に変える作業に、彼らは二晩を費やすのだ!
その身の毛もよだつ行いは、一つのこの世の真理である。
この世に存在するものは、美しくなければならないという真理。美しくなければ、この世に存在すら赦されないという一つのルールなのだ。だから――おぞましくなったわが身を、彼らは自壊させてゆくのだ!
私は、そんな彼らに一つの救いを与える。彼らの精神を徹底的に薬物で破壊しつくし、彼らの人間としての生命を終わらせる。残ったただの怪物は、私の命令に従順な道具と成り果てる。
あぁ、これも一つの末路なのだ。美という頸木から開放され、人間をやめた物たち。
廃棄物置き場に保管されていた顔のない男を一匹檻の外に出し、私はローデリッヒの写真を見せた。
「この男を殺すように」
顔のない男たちは無言で頷く。
「それと、運がよければ、君は今日で死ぬことができるだろう」
私がそう言うと、顔のない男は少しだけ微笑んだように見えた。