第八話 クリスの日記③
私はなるべく歩いて大学に行くようにしている。お義父様は、安全を考慮して送迎車を使うようにと言っていたが、そんなにラクばかりしていたら逆に身体に悪い。とはいっても、しばしば寝坊などをしてしまった日には仕方なく利用しているが……
大学に着くと、私は大図書館に向かった。最近、朝は大図書館に寄ることにしている。十年前の『真珠の都の悲劇』について調べるためだ。
十年前、お義父様に助けられたとき、私は災害以前の記憶を失っていた。だが、お義父さまは敢えて、災害以前の記憶を私に取り戻させようとはしなかった。あまりにショックが大きすぎて、幼かった私には耐えられないと判断したということだ。
――辛い過去のことは思い出さなくていい。君は、未来を向いて幸せになりなさい。
いつも、お義父様が私に言っていた言葉だ。
だから、私は未来を向いて生きてきた。前向きに生きよう。そして幸せになろう。
だけど、最近になって夢で見るのだ。真珠の都の夢――その災害の日の夢を。そろそろ、私は思い出さないといけないのかもしれない。過去と向き合う必要があるのかもしれない。
そう思って、私は過去を思い出そうとした。
大図書館で、災害のことを調べるのもその一環だ。
私は『失われた輝き。観光都市、真珠の都のその後』『真珠の都の災害の真実』という書籍を手に取った。7、8年前に出版された本で、災害から少し時間が経ってから書かれた本のようだ。
私は一冊目の頁を捲った。
――真珠の都は、観光都市として非常に栄えた都市であったが、十年前に突如として発生した災害により、一夜にして廃墟と化した。尚、この災害の原因については現在も調査中であり、確かなことは分かってはいない。ただ現時点で有力な説としては、大型地震の発生が挙げられる。一部では、その特異性から、『大型テロ行為』『新型兵器の実験』などの陰謀説や、『宇宙人の襲来』や『終末の始まり』などといった情報までもが飛び交い、一時、現地には正式な調査団のほか、宗教関係者や、似非科学者までもが詰め掛ける事態となった。
(中略)
災害以降、真珠の都は政府機関によって完全に封鎖されており、一般の立ち入りは厳に禁止されている。また、政府機関のこの対応が、突拍子もない噂の蔓延に拍車をかけているとの指摘もある。
真珠の都の災害では、その在住者の殆どが不幸にも亡くなったが、奇跡的に助かった人々もその多くが重軽傷を負っていた。負傷した人々をいち早く受け入れたのが、ルードヴィヒ財団が設立したハイリヒ・グリュックリヒ医院であった。だが、医師たちの懸命な措置によってしても、助かったのは僅かであった。
尚、このときの功績を認められ、ルードヴィヒ財団の理事長、ヴィルヘルム=フォン=ルードヴィヒが国民栄誉賞を――
私は本に掲載されている写真を見た。其処には、廃墟となる前の真珠の都と、廃墟となった後の真珠の都が写っていた。私はその写真に何となくの見覚えを感じたが、はっきりとは思い出せなかった。頭の中に靄がかかった感じで少々気持ち悪い。私は本を閉じ、一冊目を本棚に戻した。二冊目の『真珠の都の災害の真実』は借りていくことにした。
私は大図書館を後にした。
そして今日も、私は記憶を取り戻すことなく一日を終えた。
大学からの帰り道、その日の夕陽の赤はとても鮮やかだった。
――あぁ、そういえば【前にこんなことがあった】気がする。
それは、沈み行く陽光に、町中の白が染められる光景。周りの人はその時間帯のことを「赤真珠」の時間と呼んでいたっけ……
とても綺麗な光景だなぁ、と私は思った。出来れば、隣にアイツがいればもっと良かったかも……
ボーっとそんなことを考えている自分に気づき、私は唖然とした。何を考えているんだ、私は……
頭に浮かんだ「変な考え」を振り払いながら歩いていると、迎えの車が見えた。今日は歩いて帰りたかったが、わざわざ迎えに来てもらったものを無碍に帰すというのも忍びない。私は送迎車に乗って、馬鹿な執事のことを思い浮かべないように、『真珠の都の災害の真実』を開いた。
だが、『真珠の都』のことをいくら調べていても、あの執事のことが頭から離れない。むしろ、『真珠の都』のことを考えるたびに、彼のことが浮かんでくる気さえしてくる。もしかしたら、『真珠の都』と彼が何か関係あるのかもしれない。
――なんて、そんなわけないか。
彼と実は昔会っていたなんて、そんなことはあるわけがないのだ。
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「お帰りなさいませ、お嬢様」
屋敷に戻るとロイが真っ先に姿を見せる。
「ただいま、今日は何かあった?」
「いえ、特になにもありませんでしたよ。せいぜい、お嬢様の下着類が盗まれたくらいですかね」
「ちょっ、それは大変じゃない!」
「冗談ですよ」
「本当なんでしょうね……」
「当たり前じゃないですか。誰が好き好んでお嬢様の下着などを盗もうとするものですか!」
「ローデリッヒ、私には今、貴方を殴り飛ばす権利があると思うわ」
「私も丁度いま、貴女に殴られる覚悟をしていたところです」
私はロイを殴りたいという衝動をぐっと堪えた。駄目だ、いま殴ったらこいつの思う壺だ。これ以上、こいつをつけあがらせてはならない。ここは何も無いように平然を装うべき場面だ。
「そうですか。でも私は人を殴るなどという野蛮な行いは致しません」
「流石、お嬢様!大財閥の令嬢ともなると、心の広さが違いますね!」
私は社交辞令を全面に押し出した微笑をロイに向け自分の部屋に向かった。
今日は疲れた。もう寝よう。