・第一話 消え行く影 ~L'ombre que je disparais, et va~
「レン!」と威勢のいい元気な声が聞こえてくる。
僕はその声の聞こえる方へ振り返るとちょうど彼女が走って僕の下へ駆け寄ってくるところだった。
「おい、ユズキ。走ると危ないぞ。」
「だって、仕方ないじゃない。やっと授業が終わってテンション上がってるんだもん」
彼女は、ユズキ。僕と同じ大学で生物の専攻をとっている。
僕は生物の専攻じゃないので彼女と一緒のクラスではない。
それに今日、僕は授業がない。
昼飯にサンドイッチを平らげた後こうしてユズキを待っていた。
彼女は可愛い。整いすぎた顔立ち、まるで滑らかなシルクのような肌は僕をいつも惑わせる。セミロングのきれいな髪は一本一本可憐な一輪の花びらを思わせる。性格は活発で明るくて一緒にいると嫌なことは全て忘れられて、なおかついざという時は冷静で大人っぽくて、それでいてまだ少女を思わせる幼い表情。
正直たまらない。
こんな完璧なユズキを彼女にした僕だ。大学の同級生には妬まれたものだ。(お前らもがんばれよ)先生にもちやほやされた。
そして今、僕は彼女と大学の白い石畳の敷いたキャンパス内で一日ぶりの再会を果たした。
「昨日はどうしてメールくれなかったの?」
「あれ?すまん忘れてたよ完全に。」
彼女とは一日必ず一回はメールを交代でする約束があった。昨日は僕の番、寝る前に送ろうとしたものの釣りの帰りだったので疲れてそのままベットに潜り込んでしまった。
「すまん!」
「いいよ別に、一日ぐらいならね。……でも次忘れたらお昼ご飯おごって貰うからね!」
「おいおい聞いてねぇぞ!マジかよ。」
「しらないも~ん。今決めた!」
「わかったよ。次忘れたらおごってやるよ。」
本当に、コイツ。可愛すぎじゃないか。オレにつりあってるのか?『やった~』と隣で大はしゃぎするユズキを尻目に僕は大学の校舎側面に設置された大きなディスプレイで流れるバラエティー番組を眺めていた。
『番組の途中ですが、ここからは政府の緊急会見を生中継でお伝えいたします。』
突如様変わりした画面に僕は一驚を喫した。
ユズキも同じように番組を眺めていたのか『あれ、なんで?』と首を横に傾げている。
ディスプレイの中では映像が切り替わり重苦しい会見場の中にスーツ姿の男が入ってくるシーンになった。
『えー。国民の皆様。防衛長官のシノハラです。今年4月、我が弐本国ではアスラン連邦国との対立が激化致しました。この対立の原因は人体兵器プロジェクト技術の競争が背景にあり、すでにアスランは人体兵器を開発できると発表、我々も早急に対応を迫られてきました。アスラン側はさらに我が弐本国から兵器被験者をランダムに拉致するともとられる発言をしております。この発表に我が国は4月4日、緊急対策本部を設置、拉致を未然に阻止する準備を始めました。皆様は出来るだけ外には出ず。自宅待機をしていただくようお願いいたします。我―』
「マジかよ。どう思う、ユズキ?」
僕は振り返る。いない、ユズキ。
どこにいった。
どこに消えた。
忽然と、不自然を自然に変えさせるほどなまでに見事に彼女を消し去る。
なんだろうこのモヤモヤは、
汗にたかる見慣れない虫たちが虫の知らせを思わせる。
僕はキャンパス中を走り回った。先の会見で非常に不安になった僕は全力でユズキを探し回った。
胸が苦しい、
会いたい、
全身になにか恐ろしい寒気が走る。
目の前に見える景色が遅れて見える。
出来得る限りのスピードで僕は足を動かし続けた。
校舎の中を隅々まで見渡す。トイレだって女子トイレでも気に留めない。
出来得る限りの場所は回ったつもりだ。
通り過ぎる誰に聞いてもその返事は一点、「知らない。」
まさに現在は暗中模索。頼るものは目撃者と己の推測しかなかった。
一通り校舎を回った後、校舎を飛び出した。
そして大通りとキャンパスの間にある薄暗い路地に入った所で最悪の景色が眼に飛び込んでくる。
僕は黒服の男たちに強引に車に投げこまれるユズキを見たからだ。
五里霧中の先の光は闇だった。
その瞬間、僕の心臓が一瞬停まったかのような感覚を覚えた。
彼女のその柔らかく細い四肢が車の中に消えていく。
もう会えないかもしれない、確かに心の中でそう思ってしまった。
絶望。
運命はどうして悪戯をするのか。
何をすることも叶わず黒雲の雲の隙間から降り始めた霧雨に身を打たれる。
それは4月4日、昼過ぎのことだった。