プログラム・ミナ
彼は知っている、この世が理不尽でできていることも。
彼は知っている、世界はある日突然運命を変えることも。
彼は知っている、……失った家族は、もう帰って来ないということも…
そう、和則は1998年8月31日、中学2年の夏休み最終日、交通事故で両親を奪われた。
「今日は日曜だっけ……?」
朝の強い日差しを受け、まだ少し虚ろの瞳をしている少年が呟いた。
少しぼさついた黒髪をしている彼の名は、上田 和則、高校一年にして一人をして生活をしている、特に特徴のない普通の少年だ。
むしろそれが特徴と言えるかもしれない。
彼は寝むそうに大きな欠伸をかくと、枕もとにある目覚まし時計を確認する。時刻は丁度八時に差し掛かったところだった。
二度寝をしようかと考えたが、太陽の光を浴びたためか、完全に目が覚めてしまったらしい。
――いっそ、太陽なんてずっと沈んでいればいいものを……
そうすればとずっと寝ていられるのに、なんて愚痴を考えつつも、特にやることが見当たらないので、和則は朝飯でも食べることにした。
もぞもぞとベッドから出て、和則はパジャマ姿のまま部屋を出る。
階段を下りて、そのままリビングに入ると、電気もつけずに、台所の食パンを一枚取りだして口にくわえる。
――美味しくない。
今度ジャムでも買っておくかと思いつつ、味のない食パンをそのまま一気に流し込むと、バスケットの中に入ってあるミカンを一つ掴みとり、そのまま隣の部屋の和室へと向かう。
襖を開け中に入ると、畳の独特の匂いが鼻をついた。 7畳くらいの部屋にあるのは、親の小さな仏壇が一つ、ポツンと存在している。
仏壇の中には、昨日お供えしたミカンが一つ転がっている。和則はそのミカンを取りだすと、同じ位置に先程取って来たミカンを備え、線香を焚く、和則の数少ない日課の一つだ。
――あれから早くも2年の月日が流れたのか、早いような遅いような。
両親が死んだあとの中3は、ほぼ全部を引きこもりで過ごし、高校はおじさんが行けというから、とりあえず近くの私立に入った。金を払ってもらっている身だ、さすがに引きこもっているわけにはいかず、今は一応学校には今も通っている。
まぁ本当に通っているだけだが。
ただ登校して、授業を受け、帰ってくるだけの作業だ。友達なんていないし、ほしいとも思わない。
いつか失った時の痛みを味わうくらいなら、最低限人とかかわらずに生きていく。それが和則の理想論だ。
それなりにいい成績を取って、適当な会社に就職して、飯を食っていければそれでいい。それ以上求めないし、いらない。
「ふぁぁぁぁ」
やることを終え、大きなあくびを一つかいた和則は、よっこらせっと腰を上げる。
さて、せっかくの休みなんだ、今日は一日中寝て過ごそう。一人暮らしなんだ、誰にも文句は言われまい。
頭をぽりぽり掻きながら今日一日の方針を決めると、自室に戻るため、再び階段を上がった。その時、
ゴトンッ
通り過ぎようとした部屋の中から物音が聞こえ、和則は思わず足を止めた。
音の鳴った部屋は、今は亡き、母さんと父さんの部屋。
いつもなら、ただ物が落ちただけだろうと、素通りするはずが、なぜだろう、今日は何かいつもと違う気がした。
そして何気なく、気づいたら和則は扉を開けていた。
ギィという音をたて久しぶりに開かれた扉の向こう側は、両親が亡くなった日から、一切触れてはいない、当時のままの形を残していた。
床やテーブル、ベッドの上にまで、たくさんの紙が散らかっており、埃が目に見える程積っている。
事故が発生した当時は、両親がいつか帰ってくるんじゃないかと思っていたのと、両親がいた痕跡を少しでも残していたくて、誰にもここの部屋の扉を開けさせなかった。
だが結局そんなものは自分を慰める手段に過ぎないことは気付いている。それでも部屋に入らなかったのは、やはり心のどこかで親の死を受け入れられない自分が居たからかもしれない。
「……いい加減、片づけてやるか」
今日の予定変更、今日は持ち主のいなくなった部屋の大掃除をすることにしよう。
これは中々大変そうだ。と苦笑しながら、散らばっている紙を集め始める和則だった。
何かよく分からない研究レポートを掻き集め、埃まみれの枕や掛け布団を外に出し。部屋中に掃除機をかけ、2年間放置された飲料水を埋めて。
ようやく掃除が片付いた頃には、時刻は4時を少し過ぎた頃だった。
最後に机の上に散らばっている紙を適当に掻き集め、適当な束を作って引き出しに突っ込んだ。
「終わった~~~~!!」
良く分からない達成感と、募りに積もった疲労感を感じながら、椅子に腰掛ける。
それにしても、これだけ徹底的に掃除をしたというのに、部屋から出てきたのは紙・紙・紙、いかに自分の親が研究熱心だったかが良く分かる。
和則の両親は、世界的に有名なプログラマーだった。とはいっても、和則が生まれてからは、研究所から出て、子育てに没頭していたみたいだが、
そういえば、あの時はまたなんかの研究をしている時だったか
確あの時は、世界初のプログラムを発明したとかなんとか騒いで、お祝に旅行へ出かけたんだっけ。
「……それで死んでたら意味ないじゃねぇか、馬鹿両親が……」
既にいない相手に向けて小さくぼやくと、他に何か置いてないのかと、部屋を見渡して見る。
大きなダブルベッドに、クローゼット、まとめられたレポートの山、それと家族3人の写真に、ノートパソコン。
「ってあれ? パソコン、スリープモードになってる?」
机の上に閉じられたノートパソコンを見てみると、電源がチカチカと点滅して、自分がスリープ状態であることを示している。
両親が点けっぱなしでいたのだろうか? 電源が繋がっているため、ずっとこのままだったようだ。
とりあえずこのままにしておくわけにもいかないので、和則はパソコンを開いてみることにした。
パカッとパソコンを開けると、ウィーンという機械ならではの唸りを上げ、パソコンが立ちあがっていく。
そして暗転から少しずつ画面が明確化されていき、やがて画面が復活を果たした。
その画面を見て和則は驚いた。
きっと沢山のフォルダで埋め尽くされたデスクトップが出てくるのであろう思ったら、四角い画面に表示されたのは、電子メールだった。しかもその電子メールは、受信BOXに未開封のメールが一件表示されているだけ、他にメールはなく、送信履歴も0という、ずいぶん異様な電子メールだった。
だが和則が驚いた部分はそこではない。
一件だけ残されたメール。その件名は、
“和則へ”
ドクンと心臓が早まるのを感じた。
――なんで母さん達のパソコンに俺宛のメールがあるんだ?
和則は一度二度深呼吸をしてから、再び画面を確認した。
正面から見ても、斜めから見ても、横から見ても、どの角度から見ても
「やっぱり、俺、だよな」
どうやらこれが和則のメールであることは間違いないようだが、これは開けた方が良いのだろうか。
もしかしたら何かのウイルスかもしれないし、闇金の借金返済用紙かもしれない。
だけど、
「開けないわけにもいかないか……」
和則はおぼついた手取りでマウスを握ると、メールのアイコンに矢印マークを重ね合わせ、カチカチっと素早く2回、左クリックを押した。
二年間ずっと封が開けられなかったメールは、少し砂時計マークを表示したのち、その中身を現した。
「あ? なんだこれ?」
だが現れたのは普通のメールに記載されているような文章ではなかった。突然の警告と、何かのインスト―
ラーが表示され、勝手にインストールを始めた。
表示されているインストーラーには、program、mina、installerと書かれている。
――一体なんのプログラムだろう、世界的大発明とかいってたやつだろうか?
インストールは思いの他早く、和則があれこれ考えている時間、約数分で完了した。
「さて、母さん達の作ったっていうプログラム、熊が出るか蛇が出るか」
和則はマウスを使い、完了の二文字を――
「確かめさせてもらおう」
カチっと押した。
瞬間――!
カッ!!
「おわっ!!」
突然パソコンの画面から白い光が発せられ、おもわず目を瞑る、光はどんどん強くなっていき、やがて部屋全体を真っ白に覆った。
そして光は画面に吸い戻されるように弱くなっていく。
「ったく、一体何が――」
起こったんだよ、という文句を口ずさもうとした口は、開かれた瞳と同時にその動きを停止させてしまった。
理由は簡単だ。
――女の子が居た。
自分でも何を考えているかは分からないが、光が完全に収まっていた部屋に、自分以外の人間、女の子が正座して、こちらを見上げていた。
幻か!
そう思って目をこすったり、殴ったりしてからもう一度確認するが、
やはり幻でも何でもなかった。
「あ」
「お?」
そこで女の子はようやく和則を認識したのか、小さな口と眉を一瞬ぴくっと動かし、すぐに笑顔を作って丁寧に告げた。
「はじめまして、上田 和則様」
………
……
…
「はああああぁぁぁぁぁ!!??」
叫びに叫んだ和則のいる部屋では、疑問符を浮かべる女の子と、展開完了の文字が書かれた画面がチカチカと点滅していたのだった。
「よし、話をまとめよう」
ごほんっと咳払いをして、突然現れた女の子に向き直る、さりげなくお茶を出しておいた。
今はリビングで話をまとめているところだ。
「つまり、お前は親父たちが作ったプログラムで、あのメールが開かれると自動的にインストールするようになっていた、そういうことか?」
「はい、それで間違いないです。ただ私は最新鋭なため、人間の体を完全に復元しています。生殖機能も使用可能です」
「女の子がそういうこと言うな! んで、お前のプログラムとしての命令が……」
「上田 和則に友達を作ること、です」
まぁ、どうしてうちの両親がこんなプログラムを作ったのかなんて知らないし、これがプログラムっていうのなら、本当に世界的大発明だとも思う。ただ
「それはどうなんだ?」
「何がですか?」
「俺の友達を作るって奴」
「和則には友達がいるのですか?」
「そんなの……」
当たり前だろ? と言いかけた口がアラートを鳴らした。
確かに昔の和則は家にいることがほとんどで、友達と遊んだことはそれほど多くはなかったけれど、それでも友達と呼べるものは何人かいた。
――だが今はどうだろうか?
中学の頃に両親をなくし、引きこもりになったことで、小学校から友達だった奴らはみんな離れて行った。そして高校に入学、朝からパンを咥えた女の子に遭遇するなどのイベントは特に発生せず、つまらない学生生活を謳歌している真っ最中だ。
あれ? と嫌な予感で汗を流している和則に気がついた彼女が、トドメの一撃。
「いないんですね」
これでもかという程良い笑顔で放たれたその一撃は、和則のハートを砕くには十分過ぎる程の威力だったという。
和則は勝負に負けたボクサーのように頭を下に下げた。
これは一体なんといういじめだろうか?
今日初めて会った女の子(見た目)に、お前友達いねぇんだろ? なんて言われたら、たいていの高校生は精神的にダメージを与えることができるだろう。
まぁ友達が入れば回避できたことなんだろうが、それは言わないお約束。
その時ようやく和則が落ち込んでいるのに気付いたのか、彼女は両手をいっぱいに広げて励ましの言葉を賭けた。
「へ、平気ですよ! そのために私がいるんですから! もうあれですよ! 私にかかれば友達百人切りくらい余裕のよっちゃんですよ!」
「それで励ましてるつもりなのか? というか普通に日本語に問題が多いな」
「え? そうですか?」
どこが変なんだろう? とか言いながら喉や胸などを触り始めた彼女から何となく視線を外しながら和則は考えた。
――あんなのが本当に世界的発明のプログラムなのだろうか?
おかしなところで変な日本語を使うわ、人の心を平気で抉るわ、そして何よりも、見た目が思いっきり女の子だし。
というか彼女は本当にプログラムなのだろうか。
よくよく考えれば、パソコンが光って後ろに座っていたと言うだけで、彼女がプログラムである証明にはなっていないのだ。もしかしたら、彼女がスタングレネードを投げて、光っている間に部屋に入ってきたのかもしれない。
まぁそんなことしたら警察にお渡しするだろうが、とりあえず聞いてみないと始まらない。
「お前、本当にプログラムなのか?」
「? だからそうだっていってるじゃないですか。私は自立型プログラム、E886―MINAですよ」
「ミナ? だがお前がプログラムだという証拠はあるのか? 正直現段階でお前がプログラムだとはとても信じられないぞ」
「証拠……ですか」
ミナは眉間に皺を寄せると、うんうんと唸り始めた。
その愛らしさに思わず見とれてしまいそうになるのを、和則は首を振って視線を反らす。
しかし改めて彼女を見てみると、その美しさが良く分かる。腰までさらっと伸びている白銀の髪、小さな顔立ちに、ルビー色の瞳に、薄い桜色の唇、全体的に細く小柄なのに、決して小さくない胸。
百人中百人が美少女と言うに違いないであろう程の美少女だ。というより人間にしては可愛すぎるレべル、テレビに出ているアイドルが霞んで見えそうだ。それだけを考えれば、彼女がプログラムであるということも納得できそうだった。
和則が視線を反らして返答を待つこと数分、何かを思いついたようで、彼女の顔が笑顔に変わった。
「そうです! 私、頭がいいんですよ!」
「そうか」
「はい!」
……
……
「まさかとは思うが、それが証拠になるとか考えてるのか?」
「? だめですか?」
「だめに決まってるだろ、頭が良いなんて奴、この世にたくさんいるわ!」
放たれた和則の言葉に少し驚いた表情を見せながらも、彼女は再び腕を組んで何かないかと頭の中で模索を開始した。
そんな彼女の姿を見て、全然頭良くないだろ、と思いながらも口にせず、再び黙って彼女の返答を待つ。
~五分経過~
彼女は未だ悩み中、和則欠伸をかく。
~二十分経過~
和則近くに置いてあったプログラムの本を読む、彼女は未だ黙祷中
~三十分経過~
遂に痺れを切らした和則が言った。
「もういい加減諦めろや」
「ま、待ってください! 今に私がプログラムであることを証明して見せますので!」
手を思いっきり上げて異議を申し込むが、三十分も考えて何も思いつかないのなら、これ以上やっても変化はないだろう。
さて、どうやって彼女を人間と認めさせようかと、和則が思案を練っている時だった。
そいつは現れた。
ミスターハエ、略してハエだ。
窓から侵入したであろうハエは、ミナの周りをくるくると飛び交い始めた。
それに気がついた彼女は、両手でハエを潰そうと手で叩くが、
「くっ!」
全ての攻撃が空を切り、パチッパチッと手を叩く音だけが空しく響きわたる。
それでも諦めずに何度も何度も手を叩く彼女だが、ハエはまるで遊んでいるかのようにスイスイと手をかわしながら彼女の周りを飛び回る。
その光景を見た和則は思わず吹きそうになったが、なんとか堪えながら小声で言った。
「あんなハエと踊っているような奴が、世界的プログラムなのか…?」
「っつ!」
どうやら耳はいいようだ、結構小さい声だったが、聞こえてしまったらしい。
彼女は顔を真っ赤にすると、一瞬和則を睨みつけてから、すぐに目を瞑って黙祷を始めた。
――何をする気だ?
その時、飛んでいたハエは少し飛び疲れたのか、近くの壁にぴたっと止まり、前足を擦り合わせながら休憩を始めた。
そして彼女は動いた!
ハエを仕留めに掛かったのだ。
両目を見開き、掛け声と共に、彼女の右手が唸りを上げた。
「覚悟!!」
バゴンッッ!!!
「……は?」
それを見た和則は、思わずそんな素っ頓狂な声を上げた。
確かに彼女の手は、正確にハエを目掛け、目にも止まらぬ、本当に目にも止まらない速さでハエを叩いた。
後ろの壁ごと粉砕して……
「ふん! 私を怒らせるとこうなるのですよ。ざまぁみやがれです」
なぜかすごく勝ち誇った顔をしながら、彼女は壊れた壁を見下すように見つめていた。
「ふ、ふ、ふ」
そんな彼女を見て抱いた和則の感情は、感動でも尊敬でもない。
「ふざけんなーーーーーー!!!」
純粋な怒りだった。