3
「やっぱり、アンにはそういう趣味が……」
ラベンダーを殴りつけると、やっと静かになった。このまま地面にめり込ませておこうかな。どっかの美形好きに拾われると良い。ふはは。
……ちょっと反省。
「移動しようか」
「うん!」
とりあえず、ラクアの手を取り宿に向かう事にする。ラベンダーに会ってから、一番の笑顔を見せてくれたラクアに苦笑しつつ、歩き出す。
「脚を掴むな、ラベンダー。この変態め!」
「変態なのは否定しないけど、置いていくのは酷いんじゃない? だいたい、君は僕にもっと色々聞くべきだと思うよ?」
それは、確かにそうかもしれないが……。
「頭の悪い変態に教えてもらう事など、無い。そして今日から、お前は私の友でも仲間でも無い」
「ひ、ひどいいいいいい!」
これでも、長い間旅を続けているのだ。ラベンダーの一人や二人、足に引っ付いていたとしても歩けない程、やわな人間ではない。私はそのまま宿に向かう事、はやっぱり止めた。ラクアは気にしていないみたいだが、周囲の目が気になる。足に残念美形、手に可愛い少年を連れた図というのは、やはり目立ち格好の話のタネになってしまっている。っていうか、周囲の白い目が! 何故か聞こえてくる黄色い声が! 私には耐えられなかった。それに、ラクアの教育にも良くないしね。
足から横に移動したラベンダーは相変わらずケチャップを胸に付けたまま、微笑んでいる。悪いとは言わないが、やっぱり残念でしょうがない。普通に過ごせていたなら、きっとすごくモテるんだろうに。ラベンダーはモテない訳ではないが、どちらかというと「ほっておけない人」に執着するお姉さま方に人気なのだ。だが、彼は別に面倒を見てもらうのが好きかと言われると……答えはNO。だからなのか、あまり彼の隣りに女性を見かけない。
「ねえ、アン。君ってば、僕に対してすごく失礼なことを考えているだろ?」
「どうして分かったの?」
「いや、まあ、いいんだけどね。君のその扱い……。僕の事、横目で見てるけど、何か馬鹿にしているというか、残念そうにしているというか……」
「ずばり、その通り」
落胆を隠そうとしない彼に、軽く笑いかける。
「まあ、そういうところが、ベンの良い所だよね」
さすがに可哀想になってきたので、彼の愛称で呼んでやる。
「ベン?」
「ラベンダーだから、ベンってみんな呼んでいるんだ。ラベンダーって呼びかけると、呼びかけた方が恥ずかしいという不思議な名前だからね。私と彼の共通の知り合いは、花なんて似合わない男むさい人たちが多かったし」
「へえ。じゃあ、僕もベンって呼んだ方がいい?」
今日、初めてラベンダーに好意的な言葉を投げかけたラクアの頭を撫でる。大人しく撫でられているのは、可愛いのだが。どうしてこの風貌で、この仕草ができて……人を簡単に殺す事が出来る悪魔なんだか。
残念というよりは、少し悲しくなってしまう。結局のところ、今は一緒に居られているが、近い将来傍に居られなくなるだろう。彼はどうあがいても悪魔で、私は人間なのだ。お互いが近くに居続けたとしたら、どちらの世界からも迫害されるに決まっている。
私は結局、人間という社会の枠から出て、生きていく事は難しいだろう。そして、ラクアをその枠は、決して認めないだろう。
「アン、君は考えている事が顔に出過ぎるきらいがある事を、もっと自覚すべきだよ」
「それは悪かったね……」
そんな事を言われても、直せそうにはないが。そう思いつつ、ちらりと彼の方を見れば、困ったように笑っていた。これは、私に言っても無駄だって分っているな。加えて、私を心配してくれているらしい。
繋いでいた手が引っ張られたのを感じてラクアを見れば、不安げな顔をしていた。
「……アン。平気?」
「問題無い。大丈夫」
「それなら、良かった」
出来るだけ、ラクアが笑っていられるようにしたい、と思ってしまうのは加護欲だろうか。
「気をつけるよ」
「うん、そうした方が良い」
首を一度だけ縦に振ったラベンダーに、照れ隠しとばかりに小突いてやる。
「そういえば、君たちはどこに泊まる予定なんだい? もしかしたら、同じ宿かもしれないよ」
「確かに、その可能性は高いかもしれないね。この街には泊まれるような場所がいくつもあると思えないから」
「あまり、周囲の気を煽る様な事を言わないでくれないか? アン」
「君は私の気を煽ってばかりだけどな」
「それは仕方ない」
そんなところで即答されたくなかったが、ラベンダーなのですべて「仕方ない」の一言で済ませておく。
「着いたよ」
「うん、やっぱり同じ宿だった。こっちの方向に来ていたから、そうだと思っていたんだよね」
「はやくー。中、入ろう」
「ああ、そうだな」
ラベンダーの言葉を軽く無視して、私たちはその宿の中に入った。
やはりどこかカビ臭い、硬い木製のベットのツインの部屋を私たちは取っていた。ついでにラベンダーは、私たちの隣りの部屋だった。うん、仕方ない。
「君たち、同じ部屋で寝ているんだね……」
私とラクアの取った部屋にラベンダーを招き、適当に座る。私はラクアと同じベットに腰かけ、ラベンダーは部屋に一つしかない椅子を陣取っている。
「やましい事は何にも無いからね。問題は無いでしょう?」
「そうだよ。まだ、やましいことなんてしてないもん」
「ま」
「突っ込むな! ついでに余計な詮索もするな!」
「……アンが良いって言うなら、僕は何も言えないよ」
呆れたようにラベンダーに見られて、なんだか気持ちがざわついた。私は私なりの正しい事をしてきたつもりだったけれど、第3者の目から見るとやっぱり奇妙なのだろうか。でも、今更変える事なんかできない。
「じゃあ、本題に入ろうか。君は誰なんだい? どうして、アンと一緒に居るんだい?」
ラベンダーはラクアに向かってそう聞いた。どこか緊張している様に見えるのは、気のせいではない。だって、ラクアは悪魔なのだ。私より、彼の反応の方が普通で正しい。
「僕はラクア。アンと一緒に居るのは、僕がアンの悪魔だから」
それが当たり前のように、ラクアは言う。
「何故、アンの悪魔になろうと思ったんだい? アンは他の人と、どこが違ったの?」
「そんなの、分からない。ただアンの傍に居なくちゃいけない気がしたから。それで、気づいたらアンのモノになるために、アンの傍にいた。契約を交わしたら、すごく気持ちがよかったんだ」
「そうか……」
分かっているのか、ラベンダーは眉に皺を寄せながら、うんうん唸っている。
「ベン、何か気になるの?」
「気になる事はいっぱいあるよ。人間に使役される魔の属性をもった生き物はいっぱいいるけど、彼は結構高等な悪魔だ。人間の言葉を理解し、一番攻撃のしづらい容姿を持つ。悪魔らしくて、悪魔らしくないというか……。だいたい、君たちの契約だっけ? どうやら、アンが一方的に得をしているだけのようなものじゃないか」
「ラクアはそう言っていたけど、事実なの?」
正直、ラクアの言葉を疑っていた訳ではなく、ただ悪魔との契約なのだから、何かの代償を払っていたのだと思った。
「僕は、アンに不利益になることはしてないよ」
そういう言葉が、私を惑わす。
生きていく上で、純粋過ぎる行為や見返りの無い行為ほど、何か重要な意味を孕んでいるものだ。私自身がその意味を見たしているとは考えづらいし、と言っても、私に特別な事があるとしたらあの師の下にいたという事だけだろう。それだったら、ラベンダーも同じだし。
「どうして、私なの?」
「アンがなんでそんなに難しく考えるのか、僕には分からないよ」
「だって……」
「僕はアンが特別だと感じた。それだけのことだよ」
簡単に言い切られてしまい、押し切られる。ラクアと私の関係はそこに始まり、そこに終わる。
「まあ、アンがラクア君にとって魅力的なのは、分かったけどね……。絶対に正体を知られてはいけないよ? 最近、ウォル国で大水害が起こったのを覚えているだろう? アレ、悪魔とか魔の者の仕業って事になってるから。人に知られれば、ラクア君、王様に献上されちゃうよ」
「面倒な……」
天災まで、他人のせいにしてしまうのは人間のすごい所だと思うけど。
広い意味で自由な師の元で育てられた私たちは、王家や偉い学者さんたちの話を鵜呑みには出来なくなっていた。
「ラクア、気をつけなきゃダメだよ」
「はい」
返事だけは、とても素直なラクアに苦笑を洩らす。
「まあ、そういうことなら。僕も君たちの旅に同行させてもらうよ。いいでしょう? アン」