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荷物を抱えながら、全力疾走する。
私が術を行使するためには、時間を要する。第一、集中できない場所で術なんて構成する事は出来ない。だから、今すぐには無理だ。
後ろをちらりと振り返ると、手に剣を持った男が二人、にやにやしながら追いかけてくる。
「ははっ、逃げられると思ってるのかよ!」
「逃げるにきまってるでしょ! このデブ!」
こっちは子連れだ。少しは手加減しろ!
町の外に出て、だいたい3百メートルくらいだろうか。私とラクアは、小汚い男たちに囲まれてた。どうやら、この場所で捕まえる気だったらしい。
あの宿のオーナー、マジでぶちのめしたい!
「さあ、そろそろ観念して貰おうかな」
「つーか、どっちも美味しそうじゃねえか。ははっ、良かったぜ。今回は結構、懐が温かくなりそうだ」
一人は禿げあがり、つるつるした頭を丸出しにしていた。顔には嫌な笑みが浮かんでおり、皺の寄り具合から見るに、もう六十は超えているだろう。良くここまで走ってきたものだ。もう一人は毛はふさふさだったが、でっぷりとした腹をシャツの間から覗かせている。
おぞましいものを見てしまい、げんなりしていたら裾をツンツンを引かれた。
「ねえ、アン」
相変わらず、この子は「ねえ」という言葉が多い。
この殺伐とした中に、こんな綺麗な瞳を持つ子を置いていていいのか。まあ、この状態を持って来たのは彼なんだけども。
「どうしたの? ラクア」
なんだ、怖いのか。少し可愛げがあるじゃないかと思って、優しく問いかけると、彼は嬉しそうに笑った。
「飛ばして良い?」
「飛ばす?」
何を言ってるんだ? この子は。っていうか、物騒な事を平気で言う子だな。私も人の事は言えないけどさ。
「だって、アンに汚い物を見せたでしょ。僕、なんか……」
背筋を寒い物が走ってく。なんだ、この感覚は? 怖くなってラクアの瞳を見たら、その青い瞳は黒くなり、私を固まらせた。
何でだろう。こんな小さな存在に恐怖を感じるなんて。私だって、あの一癖も二癖もある師の元で十年間近く修行してきたのだ。それなのに。
「目を閉じて、アン」
簡単に技にかかるような人間ではないと自負している。だが、しかし。私はラクアの瞳を反らせずにいる。そして、目から後頭部までを矢で射られたような感覚が抜けていく。痛くは無いその感覚の後、私は地面に崩れ落ちた。
「少し、寝ていてね」
閉じていてね、というよりは強制的に閉じさせられた。遠くで、「悪魔だ!」と叫ぶ声が聞こえた。
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ぱちりと目が覚めると、すぐ目の前には青い瞳があった。荷物を枕にしている私の横で、彼も横になっていたらしい。空の様な綺麗な瞳を向けられて、戸惑う。
小鳥がぴいぴい鳴き、日差しが目に入ってくる。なんだ、この平和な風景は。目を閉じる前に感じた恐怖は、澄んだ空気にすべて吹き飛んでしまった。
どうやら、完全に朝になっているようだ。そんなに寝ていたようには思えなかったのだが。
「悪魔だったのか……」
何の悪夢なのだか。
「うん」
「悪魔って全身黒くて人間の話を全く聞かないって聞いたんだけど!」
「アンの言っている事はだいたい合ってるかな。でも、僕はアンの悪魔だもん。特別だよ」
何が特別なのか、全く理解できなかった。だいたい、初めて遭遇する物に対して知識もあった物じゃない。元々、専門としていた学問は違うし、悪魔なんてファンタジーな物、文献にも嘘か真実か分からない物しか残っていない。
「悪魔に名前をあげてしまった……」
「名前が無くとも、使役は完了していたよ。気づいてなかったかもしれないけど。ああ、安心して。アンに僕が使役された形になるから、アンに危害は絶対にくわえないよ。っていうか、加えられない」
悪魔という存在に詳しくない私は、悪魔がどうやって契約を交わすのか知らない。どうやって退けるのかも。だが、悪魔をどうにかできるとは到底思えなかった。
こんな姿をしていたから、安心ではないがそれに近い物を感じていた私は、本当に間抜けだ。
「あいつらは、どうしたの?」
「聞きたいなら、話すけど」
それは酷い惨劇なんだろう。脳味噌が飛び散っていてもおかしくないくらいの。そんな話、聞きたいとは思わなかった。だいたい、私たちが倒さなければ、売られていたのは私たちだ。悪党に同情は必要ない。
「アンに出会った瞬間に、「僕」としての意識が始まったんだ。僕はただの悪魔じゃなくて、アンの悪魔になった。すごく嬉しい」
あんなに私に恐怖を与えておきながら、この純粋な瞳で見つめてくるのがズルイと思う。
昨日出会ったばかりなのに、それなのに。
「どこから来たのか、分かっていたんじゃない」
「ううん。僕という存在は、アンが認識した時点で生まれたんだよ。だから、僕はどこから来たのか、知らない」
「……ラクア」
何で私はこの少年にこんなに傾倒してしまっているんだろうか。
「すてないで、アン」
この悪魔はとても卑怯だ。