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「ねえ、ぼくはどこからきたの?」
そんな風に問いかけられて、キレなかった私を褒めて欲しい。私が知りたいわ、そんなもん。知ってたら、早々に家に帰してるっつーの。
しかし、乞食のような服を着ている彼にそんなもの望めそうにない。きっと家も無いんだろう。
それなのに、私にこんな質問して。加えて、純粋な青い目で見つめてくる子どもに苛立つ以外の感情を感じたいとは思わなかった。
「ねえ、しゃべれないの?」
こんな危ない場所で留まっているという事実も頂けない。土気色の町のはずなのに、日が落ちて真っ暗だし、ここは住宅街とはいえ裏道だ。早く大通りの宿まで行かなければいけない。
エデワードというこの町は決して多きくは無いのだが、一部怪しいお店があるという事で有名だ。日が落ちるまで善良な市民は部屋に籠る。
「ねえ、お姉さん」
「ねえねえ五月蠅いのよ! あなた、私に喧嘩を売ってるの?」
結局、私の疑問は解消される事が無く、彼は再び「ねえ」と言い始めた。
「ねえ、お姉さん。僕を連れていってよ」
見目が悪くないガキンチョは、どこかの娼館に売ったらさぞ儲けが出る事だろう。こんな馬鹿で使い道の無さそうなガキンチョだったら、そうするのが正しい。連れて行ってあげればいいわ、可愛がってくれる所に。
「ねえ、お姉さん。連れてって」
「……嫌よ」
私は吐き捨てるように答えた。
売ったら売ったで、罪悪感でしばらくは美味しいご飯が食べられなくなるだろうことは、予想できたから。そんな所に五月蠅いからといって、こんな罪もない少年を連れていきたくは無い。けれど、私は助けようだなんて思えるほど、良い子ちゃんでも無い。
だから、関わり合いになるのを止めた。
「良い子だから、ついてこないでよ」
すると、何故か彼は笑って、私に手を伸ばしてきた。
止めてよ、そんな真似しないで。あんたなんて、何の役にも立たないくせに。
「ねえ、連れていって」
その少年は、手を伸ばしたまま近づいてくる。
「知らない。知らないから!」
私は走り出した。このままこの場所に居るのは良くない。きっと、目の前の青い目の子は、悪魔なんだ。だから、私を魅了しようとしているんだ。綺麗な少年に迫られて、私は錯乱状態にあるんだ。だから、何かおかしくなってしまっている。
――この少年を手に入れてしまいたいと思うなんて。
怖くて、一直線に自分の予約していた宿まで走った。
ドアを開けて宿の中に入れば、呼吸の荒い私を見て、驚いているようだった。
「何かありましたか?」
恰幅の良い50代くらいのおっさんは、私にそう問いかけ、椅子に座らせた。
「なんでもありません。気にしないでください」
少し、息を落ち着けると、私はそのまま立ち上がり、部屋へ向かおうと階段に足を掛けた。
「連れていって、お姉さん」
ドアの近くから声がした。
「弟さんかい? 可愛いじゃないか」
このみすぼらしい着物が目に入っていないのだろうか。いや、私も十分みすぼらしい恰好をしている。だったら、私の連れだと思われてもしょうがないのかもしれない。
だが、私は彼とさっき出会ったばかりなのだ。
「知らない少年です」
「そうか。それは良かった」
「良かった?」
「いえ、何でもありません。さあ、坊や。こっちへおいで」
目の奥に、何か嫌な光を見つけた。その瞬間、私は少年の手を取っていた。
「……すみません。この子、どうやら知り合いの子どもらしいのです。そう言えば、預かってくれと言われていたのを思い出しました」
「ほう。本当ですか?」
まだ汚らしい目で少年を見ている男から隠すように、手を引いた。やっぱり栄養が足りていないのか、酷く身体が軽い。
「ええ、本当です。ほら、ぼうっとしていないで行くよ」
「はい」
きっと怪しまれている事だろうが、そんなの関係無い。明日、夜が明ける前に逃げだせば良い。
階段を上りきり、私の借りたドアを開ければ一息つけた。
ドアを閉めると、少年は部屋の中心に立ったまま、私を見上げてきた。
「着替えるから、向こうを向いていてくれる?」
「はい」
言葉は正直なのに、どうしてこうも意味が分からないんだか。
うんざりしながら、私は来ていた上着を脱いだ。そして、鞄の奥にしまっていた服を取りだした。それは使い古された白い法衣で、それを着る事によって私は力を行使できる。私は法衣を上から被り、胸の中央に填め込まれた宝石を触り、呼吸を落ち着けた。
「部屋の隅にいなさい。それと、絶対に話しかけるな。死にたくないならね」
「分かりました」
私の言い付けには素直に答えてくれるらしい。「連れていけ」という要求だけは、撤回しないのが憎らしいのだが。
「では、始めるよ」
私は部屋の中央に立ち、床に両手を向けた。神経を床の一点に集中させる。その一点から、始まる。
「素は我の五行の色なり。白に秘められし能力よ、ここに結界を表せ」
点が線になり、線が面積になる。面積が体積を持ち、それはこの世界へと根を下ろす。
白い糸が手から放たれ、全身を覆う。そして、その糸は部屋全体に飛び散り、床を、壁を、少年を覆い尽くした。
「うん。これで終わり。毛布だけ貸してあげるから、床で寝な」
「はい」
「あと、この部屋からは絶対に出ないでよ」
「分かりました」
言い様のない苛立ちが、頭を痛める。
これで、明日の朝までは結界が私もこの少年も守ってくれる。
遠く、異国の地で研究続けているであろう師に感謝をしつつ、床に就いた。