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幻想旅行記  作者: 乾燥用
4/7

旅行初日(二)

 八

 

 人と触れ合っていないからこんな想いをするのだろうか、そして今、旅に出ているのだろうか、奇貨とは人だったのだろうか、私はこう考えた。しかし、人の世は住みにくい。それを感じたからここまでやってきたのだ、今更変えようがない、それはこの旅も同様だと思った。

 気分を変えるために買った本を見た。一冊目は人生教本のような内容で、見ても全く心に響かず、パラパラと斜め読みでページをめくり、十分もたたずして読み終わった。ここまで行き着いた自分にこの本がどんな意味をもたらしてくれるのかわからなかった。この本で知ることを実行すれば、今までの人生よりかはもしかすると楽になるかもしれない。 しかし、良いことばかりではない。悪いことも必ず起こる。今の人生と新たに作られる人生を天秤にかけて、新しい人生の方が重みがあったとしても、享受できるだけの力は今や自分にはなかった。

 二冊目に手にした本は様々な思想家たちの思想を編集した哲学総論のような本だった。過去の歴史と知恵を様々な角度で描かれたこの本は中々面白い。少なくとも一冊目の人生教本のような強弁はなかった。一つの知識として目の前に提示する謙虚さがそこにはある。それが何よりもありがたかった。

 一人目の思想家の言葉にはこうあった。

「専門家は専門外のことになると俗衆になる。そして俗衆同士がこの世の中を構成し、俗衆たちが他のものよりも秀でた鋭利な部分を切り売りする。こうして利潤に満ちた社会が制度と化してしまえば、そこに本来あった純粋さは霧散し、代わりに利潤だけがそこに残る」

 そして、続く言葉が、「だとするならば社会組織に勝るものはない」とだけあった。

 陳腐化した純粋さは組織によって駆逐される……と私は呟き、目線を本から外して頭を上げた。車外を見ると海が見えてきた。自分の居る車両には人がないので、遠慮せずに電車の窓を開く。強風が車内に流れ込み、幽かに潮の匂いがした。夏はまだ生きていた。

 雲少ない晴天の下、波多い青海の上、白い海鳥が群れて空を舞う。電車と追越し、追いつきながら並行に海鳥と電車が進む。

 あれはカモメだろうか、ウミネコであろうか、あるいは他の海鳥であろうか。五分ほど電車と海鳥がじゃれあって、そのうち海岸線はゆるやかに視界の奥に逃げて行き、海鳥も海岸線に沿って奥に消える。

 海の青と海鳥の白が消えて、海の匂いも消えて、今度は山の緑と木の匂いが少しずつ現れ始め、虫の音も現れる。

 あの海鳥は電車から逃げたのだろうか、海岸線を追って行ったのだろか、単に気まぐれで海岸線へ沿って行ったのだろうか、そして海鳥は海でしか生きられないのだろうか……

 私は消えた海岸線の方向を見る。しかし、山、木々だけが眼前にある。海は一つも見えなかった。

 すると車内に車掌の声が響き始めた。まもなく駅に着くようだ。目的のN市までは山をあと二つほど越えなければならず、あと四駅ほど先にある。だが電車を降りたくなった。あの消えた海鳥追って、どこに消えたか知りたくなった。

 読んでいた本を鞄の中に放り込む。車内の窓から駅のホームが見えてきた。電車を待つものは一人も居なかった。



 降りた駅は無人駅だった。一度も降りたことのない駅で、ここ数年は西方面に向かったこともないので、仁王立ちした田舎駅のホームは新鮮だった。

 辺りは一面木々に覆われていて、駅前に家の一つも見当たらない。駅のホームどころか駅周辺にも人の気配がなかった。誰も居ないおかげで切符をわざわざ改めて買う必要がない状況だったが、生真面目に最初に買った切符を切符入れに放り込んだ。

 いざ、駅の外に出てみるとあの海岸線へ向かう道がどちらになるのかよくわからない。わからなくなるほど、木々が茂っている。駅の前には普通一つぐらい周辺の地図が載った看板があるものだが、それさえも見当たらないので、出かける時に持ってきた地図を鞄から出して、それを片手に海岸線方面らしい方向へと私は歩き始めた。

 何の木かはわからないが、針葉樹林のような木が辺りいっぱいに広がっている。幼少の頃に見た、迷子になった兄弟が歩き回って妖怪の住む家に迷い込む童話、その舞台である森を思わせるほどの奥行きが視界全体に広がる。森から聞こえる夏の虫の音が煩わしいほどに響く。そして道路だけが不気味に海岸線であろう方面へと導いている。

 だが、この道が本当に正しいのかはわからない。五里霧中の心境、しかし行かねば、正しいのか誤っているのかさえわからない現実が、私の足を一歩一歩進めさせた。

 十分ほど無心に歩くと開けた小高い丘に出た。丘の下には海があり、漁村が点々と広がっていた。安堵の一息をつく。道は右に折れ、坂が漁村へと続き、正面には坂を貫く階段がある。安堵の一息が思わず、階段に腰を下ろさせた。

眼下にある風景に、もう海鳥は空を舞ってはいなかった。少し歩いただけなのに、汗が額に滲む。何をしに、私はここまで歩いたのだろうか、そういう気にさえなった。一息ついていると、今度は喉の渇きが押し寄せる、空腹が押し寄せる。嫌に陳腐なものだけが、自分には残る。漁村に行けば軽食を売る店の一つや二つあるのかもしれない。仕方なく私は立ち上がり、階段を下っていった。

 綺麗事を追いかけ続けたらどれだけ素晴らしいことか、とも思う。しかし、霞を食って生きていけるほど現実は美しくはない。それも知っている。しかし、綺麗事は綺麗だからこそ追って行くだけの価値があることも知っている。不自由さだけが身に染みる。そう考えながら、階段を下りていく。階段を下りて丁度半ばに差し掛かったとき、私はふと後ろを振り返った。見上げた所には、階段と森。あとで階段を降りたことを後悔しそうな光景だった。

色々と自分の影響したものが反映されてこの文章が構成されているように思う。

内容的には随分違いがあるように思われるが。コンセプトというか、説明しがたいが、自分のイメージしている今回の作品は漱石の『草枕』のように思う。

あそこまで格調高くは書けないあたりがまた力量なのかとも思う。

また、途中で間テクストをよく利用しているが、そこで主に参考にしている文献は『日本の名著 近代の思想』(桑原武夫編 中公新書)になる。

『世界の名著』というシリーズ化されたもう一つの本も読んではいるが、どうも『日本の名著』の方が肌に合った。

中々面白い本だと思う。

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