旅行前
一
金はある、暇も持て余すほどあるが、やることがない。やるべきことがない。
私の物事の秤はおおよそやるべきか否かという尺度で決まってくる。生きていればそれ以外の尺度で測るものの方が圧倒的に多いにも拘わらず、こんな不便な尺度を用いる。しかし、こんな尺度でも生きてこれたことが未だに尺度を変えない理由である。しかし、一人で居れば、また複数で居ても、であろうが、これほど不便な生活もない。言ってみれば、五桁の計算を電卓が横にあるのに未だに筆算を使っているようなものだ。これほど不便で非合理な話もない。一人で居れば不自由さがたたる。二人で居れば、相手を気遣う。三人以上居れば周りの目を気にする。やるべきことでないこともやらなければならない。
ただ一人で自分の尺度を用いれば息苦しくはない。ただ手を周りに伸ばすことはできないが、それだけの話である。
しかし、やはり不便である。覚悟のおかげでその不便に耐えることは難しくはない。しかし、それでもその覚悟の耐えというものへ、々徐々に不便の水位が増して、最後には決壊することがある。年に一度、二度、そういった時がくる。
そういった時、何をすればいいかわからない。それは長い間、尺度によって一人で生きてきた私にとって、一人で出来ることなど少ないことを理解しているからだ。決壊したものを修復することなど一人で為せるものではない。為せる方法がやっても、平凡な私の頭では到底思いつくことなどない。
時は全ての傷を癒すと何かの本で読んだことがある。自分の経験からも全くその通りだと思うが、時で傷を癒すのには長い年月がかかる。私にとって不便によって覚悟やら何やら、全てが崩壊した今が大事なのであって、傷が癒えるだろう、明日か、一週間後か、一ヵ月後か、はたまた一年後が大事なのではない。今である。
ここまで考えが至って、何をするにしてもたまらなくなった私は、数少ない友人に会うことにした。この不満の解決策、何かの知恵を授かりたくなった。それだけのことである。
二
私が先に書いたことを思い立ったのは秋のことだった。夏は夏で暑くて不満がたまる。冬は冬で寒くて不満がたまる。春は春で眠気がたまって、為すべきことも為さずに、眠りに落ちて不満がたまる。秋は熱くもなく寒くもなく、暮らしやすく、考えることもまとまる。風景も良い。しかし、三つの季節を過ごして、溜まりに溜まった窮屈が押し寄せて、何も為せなくなるのでは話にならない。自嘲すべきことだが、今や笑い飛ばすこともできないほど私は切迫していた。
友人宅へ向かうには東へ電車やらバスやらを乗り継いで、繁華街を経由して、一時間ほどかかる場所にある。普段なら一人で暮らそうと心がけている私にとって、繁華街など雑多なところに行こうともしない。また一時間もかけてわざわざ出向こうなどとも考えない。だが、それほど切迫していたのである。
秋の静かな風が吹く中、電車に揺られながら考えた。友は私にどのような言葉をかけてくれるのだろうか。このような自分の形振りにさえ悩む人にまともな言葉をかけてくれるのだろうか。考えれば疑念しか生まれなかった。一人で生きてきた私にとって、友人を友人と名づけるのも恥ずかしく、また友人をまともに直視することも恥ずかしかった。
それでも知恵を授かろうと長い時間をかけて友人の下へ向かおうとしているのだから、また気を病んだ。
ぼうっとそのようなことを頭の中で巡らせていると電車は繁華街についた。繁華街はいつもどおりきらびやかで、雑多で、自分の存在がより希薄になる嫌な場所である。自己を主張しなければ、到底生きていけそうな気はしない。自己主張をするには他人と触れ合うという前提がいる。その前提の問題をクリアすることも、また気が滅入る。
私は電車を降りて待ち人多い構内を、早足で駆け抜けていった。露出の激しい女性も、煙草を吹かして友達と大声を上げてしゃべりあう男性も、目線を捉われることなく一気に駆け抜けた。
そうして私はバスに乗った。あと十五分といったところで友人宅へつく。バスの乗客はまばらであった。その中で一つ目に付いた親子が居た。おそらく三十代ほどであろう母親と、学校にも通わないほどの年頃であろう幼児、そして赤ん坊がそこに居た。幼児と赤ん坊の性別は検討もつかない。髪型は長くもなく短くもなく、服装も男性とも女性とも取れる。
母親は多少疲れた顔をして、バス座席に座っている。ハンドバッグを膝元に置いて、ベビーカーに乗った赤ん坊を見つめている。疲れた顔をしているのは赤ん坊への気疲れだろう。
幼児は靴を脱いで座席の上へ立って外の風景を眺めながら母親に色々話をしている。私もあのような年頃があったのだろうかと思いながら見つめていると、何やら幼児が喚き散らし始めた。幼児の喚く言葉の断片を拾っていくと、どうやら幼児は母親が赤ん坊の相手ばかりしていて、不満がたまって喚き始めたようだ。母親が「ごめんね」などと幼児を慰めようと色々な言葉をかけているところでバスが友人宅の近くに到着した。
母親の言葉を背中で聞きながらバスを降りた。友人宅は私の住むところと同じぐらいに田舎である。森も多く、背の高い建築物もあまりない。しかし、若干私の住むところよりも南に位置しているからか、私のところでは聞かなくなった蝉か、蜩かの虫の音が鳴り響いていた。
虫の音を聞きながら、友人宅へ歩く。その道中で先ほどの幼児のことを思い出した。
幼児ほど純粋なものも中々いない。思ったことがあればすぐ泣き、すぐ笑い、すぐ誰かに訴える。延々と悩むことを繰り返す私よりも随分と高尚ではなかろうか。もちろん、私のような大の大人が、あの幼児のようでは困る話だろうが、考えようによっては、大の大人が感情を純粋に伝えることが難しくなった世の中に問題があるのかもしれない。こう考えると、ただ他人に責任を転嫁しているだけかもしれないと思う。私の悩みの種は尽きない。
そうこうしているうちに友人宅へついた。友人宅が住む戸建へ来るのは随分と久しぶりだが、相変わらずの佇まいであった。なんとも歴史を感じさせる木の門と正面右脇に見える柿の木。柿は緑の実を結び、膨らみ、かすかに橙の色をつけようとしていた。
三
書くに当たって友人のことをSと呼ぼう。Sとは大学の時に知り合って以来、時々会い、先ほど通った繁華街で酒を酌み交わすこともある友人だ。大学に居た頃から今まで色々話をした。女、金、勉強、将来、そして愚痴。腹を割って様々な話をしたはずだが、今の私にはそれらの過去が友人であることの保障として意味を全く成していなかった。過去が保証の意味を成さないほど人間不信が限界に達していた。
Sの住む家にはSしか住んで居ない。Sの父は大学在学中に亡くなった。その葬儀にも付き合った。Sの母は高齢で体の不自由のためか介護施設に預けてあるとのことだった。そのため、広い戸建にSは一人で暮らしている。女は居るようだが、まだ結婚はしていないようで、そのことがよく酒の席で話に挙がる。
玄関で出迎えてくれたSもこの家と同様に変わった様子は無かった。年がら年中変わっていても困りものだが、この不変の男を見れば、自分が今の今まで変わらず生きていることが不思議と自然に思えてくる。大学を卒業して十年ほど経つだろうか。中年となりつつある私が、この十年間何ら変わりなくこの男と交友を交わしていることへの疑念が消え去らしてくれる。
「大学以来この家に来るのも久しぶりだろう、まぁ上がれ」
「それじゃ、失礼」
他愛もない、気軽に交わす言葉でも、心から染み出てくるものがある。
通された部屋はSの自室ではなく、Sの両親が存命だったころにSの両親がよく座って作業をしていた和室だった。和室はすっきりとしたもので、物らしい物は何一つなかった。仏壇が一つあるだけだった。これほど和室がすっきりしているのは、この部屋の主とも言えるSの両親がいないせいだろうか、とふと頭によぎった。Sの家に着いたのは四時過ぎで、日当たりのよい和室はちょうど西日が差し込んでいた。よくよく見れば、畳が大分日に焼けて元の緑の色から黄色へと変色していた。
「座布団はいるか? いらんだろう?」
少し畳の目でも見ていると、Sは口早で私に問いかける。答える間もなく決め付けられるが、そんなことに頓着なく私は、大丈夫、構わない、などと言って座敷に腰をかけた。
「茶ぐらいは出すよ。少し、待ってろ」
と言ってSは台所に向かった。茶を待つ間やることがなくて、少し周りを見渡す。一人暮らしのせいなのか和室の向かいに見える洋式のリビングは衣服や新聞、雑誌などで少し散らかっていた。窓から見える景色は手入れの全くされていない木々が見える。雑草も目立つ。蜘蛛の糸が西日に反射して目に入る。
何となく寂しい気がした。S以外にここに誰か人が住んでいれば、少しは家の見栄えがよくなるのだろうか。人の息吹を感じる家になるのだろうか。
「茶がなくて、コーヒーしかなかった。まぁ、こっちの方がお前の好みだろうし、いいだろう?」
カップを盆に乗せてSが和室にやってきた。
「あぁ、大丈夫だ」
と私が言うと、カップを机に置きながらSはぼやくように言う。
「しかし、珍しいこともあるもんだ。お前がわざわざ家にやってくるとはなぁ。何かあったのか、ただこっちに来たいと言っただけで、用事も何も聞いていないしな」
私は、うん、まぁなどと言葉を濁しながらカップをジッと見つめた。どう切り出したものだろうかと考えた。単刀直入に自分の思っていることを切り出しても上手くは行かない気がした。だけれども話さなければならない。どういう形であれ、納得できるものを引き出さなければ、何をしにきたのかもわからない。
一、二分カップを見つめていただろうか。如何にして引き出すかはわかったものではないが、呟くように私は話を切り出し始めた。
「もう一人暮らしになって何年ほど経つ?」
「俺の母ちゃんが施設に行ってもう二、三年といったところかな」
「どおりで随分家がひどい有様なわけだ」と、散らかったリビングへ顎をしゃくった。Sは笑いながら、
「お前の家にも数年行ってないが、似たようなものだろう」と切り替えしてきた。
「何、お前の家ほどじゃないさ。しかし、アパートかマンションにでも引っ越した方がいいんじゃないか? お前が住むには広すぎるだろう」
「そうも思うが、自分か生まれてからずっと住んできた家を自分の都合だけで売り払う気にも中々ならないよ。売る手続きが面倒っていうのもあるけどな」とSは仏壇を見ながらそう言った。
「だったら早く女と一緒に暮らすんだな。まだ彼女と籍も入れてないんだろ?」
「まぁな。それにしたって自分の都合と相手の都合ってもんがあるから中々なぁ……」と今度は宙を見つめて考え深げな顔をする。
「まぁ、俺の話はいいんだ。で、お前はどうしたんだよ」とSは身を乗り出して聞いてきた。
「それは……まぁ、暇なのさ。早い話が」
「間違いないな。出不精のお前が来るんだからそうなんだろう」とまたSは笑い出す。
「何か暇つぶしになりそうなもんでもないか? それさえあればお前の家に来やしない」と、私は軽口で返す。
「失礼な話だな。茶も出してやってるのに」
「茶じゃないだろ、こりゃコーヒーだ」と私はカップに手をつける。
「それでも飲むなら筋は通ってるさ。まぁいい、暇つぶしねぇ……いい年こいて遊ぶもの借りに来たってわけでもないんだろ?」
「暇つぶしになる物だったらどこかの店に行ってでも買うさ」
うーん、と唸りながらSは宙に目を向けて少し考えた。次に私の顔をジッと見つめた。私の後ろに憑いた何かを見透かすようだった。
相手の状況、心理、これらを見透かすのがSは非常に上手い。そしてSのかける言葉は非常に的を得るものが多い。だからSには私と比較にならないぐらい友達が多く、社交的で誰からも愛されやすい。社会に出た今でも、私以外の友人からSはよく飲みに誘われる。こういう性格のSだからこそ私は、彼の家に来た。だからこそ今でも私は時々彼と飲みに行こうとするのだろう。
「どこかに旅にでも出ればいい。この前南にある温泉街に社員旅行ってやつで行ったけど、悪くなかったな」
思いついたようにSは言った。その言葉を聞いて、一分ほどその言葉を様々な方面に咀嚼して考えて言った。
「しかし、俺は一人だぜ。お前みたいに給料もらって会社で生活しているわけじゃないから、社員旅行で行くのとはわけが違う」
「別に誰かといって騒いで過ごすだけが旅じゃないだろう。観光名所でも見て回って一週間ほど外で過ごせば立派な旅さ。そんなもんだろう」とすぐに言葉を返してきた。Sは私がこのような反論を返すことを予想していたのだろう。
そうだな、と呟きながら私は少し旅というものに色々頭を巡らした。別に金も時間もそれなりに持て余しているものだから、問題らしい問題などないのだが、どうもすんなり旅行へ行こうという気にならない。自分は旅行、加えて言えば観光というものにそれほど興味はなかった。古城を見ても、何かのモニュメントを見ても、それらしい感動を覚える気が全くしなかった。
私がそのようなことを考えているとSはまた見透かしたのか、
「まぁ、行くか行かないかはお前の自由さ。しかし、もう俺は提案したからよ、これ以上はないぜ」と言い放った。
そうだなぁ、などと濁しながら、それからは世間話が延々と続いた。Sとの話が終えて、感謝の言葉を述べてSの家を出た。
そして旅行について色々と考えながら帰路を歩んだ。結局のところ、選択肢が自分で他に思いつかないので、どこかに旅に出ようと決心した。やはり、それだけのことであった。
特に最後がもうちょっと書き足すべきだと思ったが、面倒くさくなった。