あなたがそんな目で私を見るから
「まさか貴女がここまで堕ちるとは思わなかったわ」
夜の礼拝堂は暗闇に不気味に聳え立っていた。
外套のフードを深々と被り、片手に明かり、片手に小さな壺(おそらく酒かオイル入り)を抱えた貴女は息を呑んでこちらを振り返る。
「マデリーン……!」
「この時間なら誰もここにはいないものね? 度胸があるのか小心者なのかわからないわね」
これ以上出来ないくらいに見開かれた青味の強い紫色の瞳が私を見据えている。薄く形のよい唇がぷるぷると震えたまま、言葉は声にならない。代わりにこちらから貴女が聞きたいことを答えてあげる。
「貴女が何かを仕出かすのじゃないかと思って見張らせてたのよ。デイブの所に駆け込むのかと思ったのに、ここに来るのは想定外だったわ」
教会の敷地に乗り物は乗り入れられない。ブリジットの乗って来た馬も、私の乗って来た馬車も外で待たせてある。侍女と護衛騎士はここまでついて来ると言った。しかし絶対にそこから動くなと命じて馬車の中に置いて来た。……まあ、騎士の方はその辺に隠れているのかもしれないけれど。
「礼拝堂を燃やそうとしたのね。ここが無くなって、私たちの式が出来なくなって、それで貴女は満足なのかしら。そんなことをしても後日に伸びるだけだって言うのに。ああ、そうしたら次はそちらの教会を燃やす? その次も? そうやって永遠に私たちの結婚を阻止し続けるつもりだったの?」
呆れたような私の言葉に、ブリジットは被っていたフードをばさりと払い除けた。高い位置で一つにまとめた月明かりのような美しい銀の髪が、さらりと流れる。
「……ここで結婚式をするのがお前の子供の頃からの夢だったな。だからだ。……だから、それだけでも台無しにしてやろうと思った」
「まあ! そんな小さな頃の言葉を覚えていてくれたのね? 嬉しいわ、ビー」
嘘ではない。私は心からほっこりして微笑みを浮かべた。私の微笑みを見たブリジットはさっと顔を背けてしまう。
この場所は本来は我が家の家格には相応しくない小規模の教会だ。それでもここを選んだのは、幼い頃に偶々通りかかって、そこで生まれて初めて見た結婚式というものに涙するほど感動した、というのが理由だった。
さて。
幼馴染の愚行を無事に止められたとして、後はどうしましょう。
馬車に乗せて無理矢理家まで送る? ああ、彼女は馬に乗ってきている。そうか、そちらはうちの騎士に乗って貰えばいいわね。
……などと、これからについて考えていると。
「マデリーン」
ふいに切実な声がして、私は顔を向けた。先程までとは違う、こちらへの敵意を消し去ったブリジットの目が私を見つめていた。
「本当に、結婚するのか」
「おかしいわ。今更何を言ってるの」
「お前はデイビスを愛していないだろう」
「結婚にそんなもの必要ないわ」
「だがお前はそれを盾にして私からあいつを奪ったんじゃないか!」
私は軽く笑ってみせる。
「奪った、だなんて。まるで彼が貴女のものだったことが一度でもあるみたいじゃない」
客観的に見た事実である。
ブリジットの陶磁器の様な真っ白な肌にさあっと赤みが差す。
「私たちはもうすぐ婚約する所だったんだ! お前が横槍を入れて来なければな!」
「仲良しの親同士の間で戯れに話が上がっただけなのでしょう? どうせ、正式にまとまる前にデイブの方から断ったんじゃないかしら?」
「お前に何がわかる、私とデイビスは、」
「デイブの好みは私の様な女性らしい女性なの。知らなかった? 彼、自分より強い女なんてごめんだな、って言ってたわよ? 私が婚約者に立候補してくれて助かったって。貴女と子作りなんてとても出来そうにないからなあって笑ってた……!」
パアン! と音がして、目の前が弾けた。
気付くと目の前にブリジットがいて、私は自分の頬が貴女にはたかれたのだとわかる。
騎士として男性にも負けないくらいに日々鍛えている貴女の暴力はそれなりに破壊力があった。ここで倒れてしまえば私の騎士が飛び出して来るだろう。ぐっと力を入れて、わずかによろけるだけで踏み止まる。
自分のしたことに驚いたかのようなブリジットは、急いで目を泳がせ、辛うじて、自分に都合の良い言い訳を引き当てたらしい。動揺を抑えて私を見る。
「……これは嫉妬ではない。友として、お前に目を覚まして欲しくて振るった愛の鞭だ」
「……愛の」
「私への当てつけで自分の人生を使うのは止めろ!」
初めて私は言い返さなかった。
ブリジットは、憐れむような、蔑むような、そんな感情を込めた目で私を見下ろす。
「お前の病んだ心のせいでどれだけの者に迷惑がかかると思っているんだ。百歩譲って私だけに怒りをぶつけるならいい。だがデイビスもお前の家も何も悪くないだろうが。お前のような不純な目的の婚姻でまともな結婚生活が続く訳がない、己が一人の憂さ晴らしの為に誰も彼もを不幸の道に巻き込むつもりか!」
話す内に、ブリジットはついさっきまで抱えていた疚しさを忘れてしまっていた。自分は正しい側にいる。自分は優位な側にいる。そう、貴女は信じている。
自分という人間の素晴らしさを認め、恋をして破れた哀れで壊れかけの幼馴染を真っ当な道に連れ戻す為に。ブリジットは頭に思いついた自分だけに甘美な言葉をつらつらと並べ続けた。
─── 貴女のそんな傲慢さも好きだった。
皆に愛される環境にしかいたことがないから。ちやほやされている内はものすごく強そうな顔をしているくせに、ちょっと攻撃されたら笑えるくらいに打たれ弱い所もかわいいと思っていた。そんな時に見せてくれるへこみまくった姿は私だけの貴女の様でとても愛おしかった。
あの日、あの時、貴女がもう少しだけ違っていたら。
こんな日が来ることもなかったかもしれないのに。
私とブリジットはデイビスは幼馴染だった。
母親たちが仲良しで、よく子供連れで互いの屋敷を行き来していた。中でも同い年の私たちは他の子たちとは別に三人だけで仲良くなっていった。
私たちは三人でよく集まった。お菓子を食べたりおしゃべりしたり、子供らしいゲームに夢中になることもあった。少し大きくなると、武門の家に生まれ女騎士を目指していたブリジットは、嗜みとして剣を習うデイビスと手合わせしてはよく打ち負かすようになった。そんな時間は私は二人を絵に描いて時間を潰す。
私のスケッチがブリジット一人で埋め尽くされるようになったのはいつからだったか。
私には出来ない剣を振るい、私には出来ない男子を打ち負かすということを難なくしてみせて、窮屈な女子教育は最低限だけにして、のびのびと生きている彼女に最初は憧れた。
兄たちに揶揄われる私を庇ってくれるのはブリジットだった。
彼女が大好きな紅茶色だと褒めてくれたので、私は自分の赤毛を好きになった。
私の下手くそな刺繍入りのハンカチを欲しがってくれるのも彼女だった。
ダンスが覚えられないと言えば彼女が相手役を務めてくれた。本当は自分も女性パートを覚えなければならないのに、何故か完璧な男性パートでリードしてくれた。
大人になんかなりたくない、と彼女は言った。
王族の護衛騎士を望んでいた彼女の望みはうまく進んでいなかった。彼女は正規の騎士団員ではない。騎士の資格はないけれど才能を認められて特別に訓練に参加できている、という立場だ。ある程度の年齢までに近衛騎士団から声がかからなければそのまま退団となってしまう。
ブリジットは嘆いていた。
このままでは自分は普通の女性に引き戻されてしまう。息詰まるコルセットをつけて歩きにくいヒールの靴を履いて。べたべたした化粧、臭いとしか思わない香水、ろくに話したこともない男と肌を合わせて子供を産み、いつしかそんな身の回りの世界だけが自分の全てになって、それを幸せだと思い込んでいくようになるのだろう。我々の母たちのように。
そんな窮屈な世界は自分には耐えられない、と。
「ビー。貴女ほどの人ならきっと、そうでない道をいつかその手で掴み取れるわ」
私が言えばブリジットは切なげに微笑みを浮かべる。
「優しいね、マデリーン。私が男だったらとっくに近衛騎士になって、お前と将来の約束をしていたよ」
ダンスが終わると彼女は私の手の甲に口づけてそう言った。
胸の痛みはもはや馴染み深い不治の病のようなものだった。
そんなふうに私たちは互いの家族よりも心を寄せ合って生きて来た。
ある日、二人だけのお茶会で彼女はぽつりと言った。
「デイビスと結婚させられるかもしれない」
私の心臓が嫌な意味で跳ね上がる。
我が国の貴族の婚約は、基本、成人後に決められる。当人たちの性質や能力や、その時の家の利益などが重視されるからだ。
その年の初めに成人と認められた私たち三人は、まさに縁談市場に放り込まれたばかりだった。
「母たちの間でそういう話が出たそうなんだ。まだ正式な申し込みと言うのではないんだが……」
ブリジットは憂鬱そうにため息をつく。
彼女の憂い顔に私は胸が苦しくなった。
ああ。彼女は。彼女が一番望まなかった未来に引きずり込まれそうになっている。
そう思った私は咄嗟に周囲の侍女たちを見回した。
「今すぐ温かいお茶とお菓子に換えてきて。大丈夫よ、何かあったらビーが守ってくれるから」
そう言ってその場にいた使用人を全て遠ざける。ここは我が家の屋敷の中庭だし、そんな我儘も許されたのだろう。
声が届かなくなったのを見計らって私は身を乗り出した。
「ビー、絶対に受け入れては駄目よ。なんでもいいから理由をつけて断って」
「ああ、私もそうしたいのだが……どうもな、母親たちが乗り気なような気がしてな。断りづらいのではないかと心配してる」
言いながらブリジットは冷めかけたお茶を口にした。
彼女の様子に私は少しもやっとしたが、なんとかそれを押し込める。
「もし。もしもよ、貴方がどうしても誰かに嫁がなければならないとしてもデイブだけは止めておいた方がいいわ」
「……何故、彼だけは駄目なんだ?」
ちらりとこちらに視線を寄越す。私は焦った。
「あのね、これは人から聞いた話なんだけど! あいつ、私たちの前じゃあんなに無害な顔しているけど、実は私たちの知らない所でたくさんの女性とつきあっているらしいのよ。確かに身分はあるしちょっと顔もいいからわからないでもないわ。この前だって夜会で知らない女の子に嫌味を言われたの、私があれといい仲だって誤解をされて!」
「マデリーン。友人をそんな風に言ってはいけないよ。あいつは気さくで親切だから、そのように誤解されるんだろう。そのたくさんの女性というのが我々と同じただの友人でないとどうして言える?」
「っ……」
私は言葉に詰まった。
デイビスは間違いなくあちこちの女の子にちょっかいをかけてる。私自身もあいつが違う女の子を連れているのを何度も見かけている。こちらと目が合ったデイビスがあまりに悲壮な顔をしたのでブリジットや母たちには言わないでいてあげたけど。
ブリジットは高潔な人だ。普段から、人の噂話に参加しない。知り合いの悪口にも嫌悪感を示す。それはとても素敵なことかもしれないけれど、情報を耳に入れておく、という意味では明らかにマイナスな性質だ。
人のよい所しか見ない彼女はデイビスの本質を知らない。知らないままこの縁談を受け入れようとしている……?
私の勘が告げていた。
ブリジットはこの縁談に、口で言うほどの嫌悪感を持っていない。いずれ誰かに嫁がされるなら顔見知りの方がマシだと思っているのかもしれない。
嫌な汗がじわりと滲んだ。よくない予想を振り払う。
これまでに彼女が私に見せてくれた笑顔。言葉。触れ合った温かな温もりを思い出して気持ちを奮い立たせる。
「ねえ、ビー。私をとてもかわいがってくれてる叔父様が隣国で商人をしているの。叔父様を頼れば住む所と生活の糧くらいなんとかしてくれると思うわ」
「マデリーン……?」
私の提案に彼女はとても驚いていた。それはそうだろう。長いつきあいでも、私がこんなことを考えていたとは初耳だった筈だ。
でも私は違った。彼女への思いを自覚した時からずっとずっと考えていた。どうしたら、私たち二人が幸せになる方法があるのか。それとなく匂わせもしてきた。彼女はいつも、夢物語としてだけど受け入れてくれていた。
私は紫の瞳を瞬かせる彼女の手を取る。
「ビー、一緒に行こう。私は貴女とならどこにでも行ける。二人で生きていきたいの」
貴女のことは私が守る。ずっとそう決めていた。
ブリジットは激しく狼狽える。
「待ってくれ、お前、なんで急にそんな……」
「私、貴女を大切に思ってる! 貴女が好きなの、これは恋愛の方の意味よ!」
初めて思いを口にした。
ブリジットは凍り付いたように動かない。
わかってる。彼女はそうしたことに疎い人だ。いきなりこんなことを言われても戸惑うだけだろう。
でも大丈夫。私は何年も待った。ここから少しくらい、彼女が気持ちの整理をつける時間くらい待ってあげられる。
「……マデリーン。それは、我々の間にある深い友情を勘違いして……」
言いかけた言葉が止まる。
私の揺らがない瞳に気付いたからだろう。
ブリジットは片手で自分の頭を抱え込んだ。
「……なんてことだ。まさか自分の親友が神に背く者だったとは……!」
かみ。
最初、何を言われているかわからず私はきょとんとした。
かみ……私たちが信仰する宗教で、神は異性との番しか認めていない。そのことを差しているのだと気付いた時にはブリジットは私の手から自分の手を引き抜いていた。
「……その様な気持ちを抱きながら、これまで私に気安く触れていたのか?」
「っ……」
真っ直ぐな非難に言い訳も出来なかった。そんな私を見て、ブリジットはガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。普段の彼女ならこんな無作法は見せたりしない。
「……これが最後だ。お前と二人きりで会うことはもうないだろう。親たちの手前、突然絶交したりはしないがな」
「ビー、」
「二度と、そんな目で私を見るな。……お前にその様な意味で望まれたことも、それが叶うかもしれないと一瞬でも思われたことも全てが悍ましい! 自分の醜さを顧みて死ぬほど後悔するがいい! この……裏切者が!」
そう言い捨てて。
長い銀の髪と騎士服の裾を翻した彼女はその場を立ち去って行った。
侍女たちが戻ってくるまで、私は魂が抜けたようにぼんやりと椅子に座り続けていた。
……終わってしまったんだ。
ふと、テーブルに置かれたケーキナイフに目が止まる。
いっそこのまま死んでしまいましょうか。
でもそうなったらなったでブリジットは耐えきれない。打たれ弱い彼女はそんな重荷を抱えきれずにすぐに潰れてしまうだろう、それは絶対に嫌だ。
などと、こうなってからも真っ先に彼女の心を案じてしまう自分に自嘲した。
声に出して笑うことで、少しだけ気持ちが落ち着く。
平常心に近づいたところで、思い出すのは最後のブリジットの姿だった。
私に向けられた彼女の瞳は怒りと軽蔑に染められていて。純粋で潔癖な彼女だから、そこに一切の演技や打算はなく、私は自分が取り返しのつかないことをしてしまったのだと嫌でも理解させられた。
私にとっての彼女は私の全部だった。けれど彼女にとっての私はこんなにも簡単に振り切ってしまえるものなのだ。
誰も彼もに望まれる彼女だから、ひと月もすればこれまで私がいた場所には別の誰かが立っているだろう。そうしてブリジットは今まで通りの暮らしを続けていくに違いない。
……だから、だ。
それならば。せめて私は、最後に彼女の心に傷を残してやろうと決めた。
少しでも長く、彼女に忘れられないように。ブリジットの人生に関わる嫌がらせをしよう。
本当に、ただそれだけで良かったのだ。
「ビーの誕生祝を一緒に選んでくれない?」
そう言えば、デイビスはあっさり二人きりの外出に乗って来た。
帰りに寄った庭園の四阿で私は彼と向かい合う。
「デイブ。貴方がビーと婚約するかもしれないって聞いて自分の気持ちに気付いたの。私、貴方が好きなんだわ。どうか私を貴方の奥様にして頂戴」
私が思いついたブリジットへの嫌がらせは簡単だ。それはデイビスとの縁談をこちらが奪ってしまうこと。
プライドの高い彼女だ。自分が心底軽蔑して踏みつけた人間にお相手を横取りされてしまうなんて、最大の屈辱に違いない。
後は、この話が消えればブリジットは嫁ぎ先の選定に困るだろうという意地悪もあった。貴族女性として規格外のブリジットを受け入れてくれる家がとても限られているのを私は知っていたので。
つまりはそんな理由だったから。
私の告白に、デイビスが突然大泣きしながらこちらに抱き着いてきたのは予想外過ぎた。
嬉しいって。彼の方もずっと私を想っていてくれたんだって。
正直、勝率は半々くらいかと予想していた。デイビスからの私たちへの好意はどちらも同じくらいに見えていたけど、その中身が彼の中では友人と恋愛で違っていたらしい。人の心はわからないものだとしみじみしつつ、噓をついたことに少しだけ胸が痛んだ。
そうして彼は涙と鼻水を流しまくりながら、これまで溜まりに溜まっていた感情と誰にも漏らす訳にはいかなかった愚痴を一気に吐き出して来た。
デイビスの愚痴は私には衝撃的だった。
まさかこんなことになるなんて、私としては大きな誤算である。でも、それはもう、仕方がない。
自分が始めてしまったことだから。私は腹を括るしかなかった。
いつもの母たちのお茶会の時。ブリジットは私を避ける為に姿を見せなかったし、普段なら滅多に来なくなっていたデイビスが参加した。
そして私たちは三人の母たちの前で婚約をしたいと宣言した。
私の母にはあらかじめ話を通しておいた。母は何度も私の気持ちを確認したけど、最終的には「貴女が本当にそれを望むなら。お父様は私が説得しておきましょう」と言ってくれた。
私たちの言葉にデイビスの母は無表情だった。気の強い二人の母の間を取り持つただただ優しくおとなしい人だと思っていたけれど、デイビスの話を聞いてから私の印象は少し変わっていた。しばらくの沈黙のあと、彼女は「そう」とだけ言ってお茶を飲んだ。
ブリジットの母は最初とても驚いた顔をした。でもすぐに気を取り直して、「おめでとう」と、朗らかな笑顔で私たちの仲を認めてくれた。
ブリジットを驚かせてやりたいと言えば、母たちも協力してこの件を内緒にしてくれた。
やがて訪れたブリジットの誕生日祝いに私たちは互いの衣装を揃えて参加する。
この時、私は知らなかった。
その日、彼女が生まれて初めて自分の意志でドレス姿で皆の前に出ようとしていたことを。
私へのけん制のつもりなのかもしれない。誰かへのアピールだったのかもしれない。
ブリジットの家の屋敷のホールで。掛け声がかかり、遅れて現れた彼女に思わず目が眩む。
細く引き締まった体は淡いブルーのドレスで包まれていた。足りない所をカバーして美点はよく際立つよう作られたそのデザインは、一目でわかる彼女への賛美に溢れた作品だった。細かい点を指摘するなら、慣れないドレスに着られている感がない訳じゃない。足さばきの危うさも露出への恥ずかしさも見て取れるけど、それを補って余るほどにその日のブリジットは美しかった。
一瞬だけ見惚れたデイビスの目はすぐに私に戻って来る。私が着る女性らしい柔らかさと丸みを強調した薔薇色のドレスはデイビスの好みだ。彼は私の腰に手を当ててにっこりと微笑むと、そのままブリジットの前までエスコートしてくれる。
「ビー、誕生日おめでとう。一体どうした? 一つ歳をとっただけで突然大人の女性になったじゃないか」
「私もそろそろこういうものに慣れておこうと思っただけだよ。それで? ドレスアップした淑女に向ける言葉はそれだけか?」
「いや、とても美しいよ。まるで別の人だ。これからは気軽にこんなことも出来ないな」
ぽんぽん、とデイビスがブリジットの肩を叩く。デイビスのいたずらにブリジットは怒った様なふりをして見せるけど、嬉しそうなのは誰から見てもわかる。そのご機嫌のままで彼女の目はこちらに向けられた。あちらが口を開く前に自分から前に出る。
「誕生日おめでとうビー。見違えてしまったわ。明日からは貴女とドレスの流行についておしゃべりが出来るのかしら?」
「……さあ、それはどうだろう。流行り廃りには相変わらず疎いままだからな、君と違って」
そこでおいおい、と言ったのはデイビスだ。
「流行りを追うのもいいけど。言っておくがうちはマディの家ほど裕福じゃないからな。シーズンごとに大量のドレスなんて注文してやれないぞ」
「ええ、了解よ、大量じゃなければいいんでしょう?」
言ってやればデイビスは大袈裟に肩を竦めてみせた。
そんな私たちにブリジットの顔には明らかに戸惑いの色が浮かぶ。
「ええと? 今のはどういう意味だろう。それに、そのう……気のせいかな、今日は君らの雰囲気がいつもと違うように思えるんだが」
言われて私たちは、いたずらが成功した者の顔で互いを見合った。デイビスの力強い手が私の手を掴み、指を絡めてブリジットの前に出す。
「驚けよビー! 実は俺達、婚約をした! 俺とマディは来年結婚することになったんだ!」
……信じて欲しい。
私は知らなかった。
私はこの時の彼女の顔を死ぬまで忘れない。
そしてそんな私もだけど、ブリジット本人もまた、それまで自覚していなかったのだろう。
大嫌いな息苦しいコルセット、歩きにくいヒール、べたべたした化粧に臭いとしか思わない香水、そんな仮装に身を包んでまで彼女が得ようとしていたものが。デイビス一人の心だったなんて。
多分、彼女の中では言い訳が用意してあったのだと思う。親の勧める縁談を受け入れるのが娘の務めだから、みたいな。
でも本当はそうじゃなかった。
ブリジットは。いつからか知らないけど、幼馴染のデイビスを、一人の男性として愛していたのだ。
小さく息を呑んだ彼女はすぐ唇を引き締めた。
彼女はプライドの高い人だ。
一瞬の揺らぎを抑え込み、みごとな笑顔を作って見せる。
「……それはそれは。確かに驚きのニュースだな。まさか兄妹の様に育ってきた二人がそちらだけ本当の家族になってしまうなんて。知らなかったよ、いつのまに私だけ仲間外れにされてたんだ?」
「大丈夫だ、ビー。こうなっても俺達の関係は変わらないさ。結婚してもいつも通り三人で集まろうな」
「有難い申し出だな」
ブリジットは私に目を向けた。
「おめでとう、マデリーン。君が善き選択をしてくれたようで私も嬉しいよ」
「……ありがとう」
私はかろうじてそれだけ言葉を絞り出した。そんな私からあっさり目を離してブリジットはどこかを振り返った。
「おっと、あちらで呼ばれているようだ。悪いが少し外させて貰うよ。君らは楽しんでいってくれ。あちらにデイビスの好きな我が家特製のパンチ酒があるから、飲み過ぎないように」
「今日ぐらいはいいだろう!」
デイビスは笑い、ブリジットは私達から離れていく。
私は慌ててその背中を追った。
呼ばれていると言ったのに、彼女は真っすぐ会場の外の廊下へ出た。そこで私は声を掛ける。
「ビー」
ブリジットは、ぴくりを肩を揺らして足を止めた。必死に言葉を探した私は、取り繕うこともせずそのままの気持ちを口にした。
「ごめんなさい、知らなかったの。だって私は貴女が、」
私のことを好きでいてくれていると思い込んでいたのだ、ついこの前まで。
言いかけて、続けられない。
こんな筈じゃなかった。
私は貴女の最初の縁談を奪った女になる、それだけのつもりだった。あんな女がいなければもっと早くに幸せになれていたのにねって、いつかの未来で貴女が苦笑いをする、そんな相手になろうと思っていた。
固まる私にブリジットは視線だけ寄越して、
「……何がだ?」
凍えるように冷たい声でそう言い残し、私を置いてどこかへ去って行く。
今度は追いかけられなかった。
その日から数日間、私は自分の部屋に引き籠った。
三日目の朝になり。そんな私の下へ侍女たちがいくつもの箱を抱えて乗り込んできた。
「お嬢様! ブリジット様から贈り物が届いておりますよ! 婚約祝いだそうです!」
「ビーから……?」
最初は聞き間違いかと思った。でも手渡されたカードには明らかにブリジットの字で、一言「マデリーンへ」と書かれていた。
一番手前にあった箱のリボンをほどき、蓋を開ける。
一番上に置かれていた騎士の姿をした熊のぬいぐるみを手に取った。
「まあ、かわいらしい! ブリジット様もお気の早いこと、きっとお嬢様の将来のお子様に向けた贈り物ですわね! ……え?」
比較的最近に来た侍女を、古参の侍女が抑えて首を振る。
そうだ。もちろん覚えている。
これは子供の頃、私が彼女に初めてあげた誕生日プレゼントだ。
他の箱も確かめておく。中に詰められていたのはどれもこれも見覚えのある物、私がこれまでに彼女にあげてきたプレゼントと、二人でお揃いにした小物たちだった。
ぬいぐるみなんて、という彼女が、本当はふかふかの塊を抱き締めたがっていたのを知っていた。だから、彼女にも言い訳が出来るような騎士服の熊を特別に作って貰って彼女へと贈った。次のお茶会の日、耳元に口を近づけて来た彼女から「毎晩あの子と一緒に寝ているよ」と聞かされて心がぽかぽかになった。
三人で行った海辺にある我が家の別荘。この夏の記念に、と現地の特産品の青いガラス製品を互いに贈り合うことにした。ブリジットはデイビスに。デイビスは私に。私の選んだきらきらした小瓶はブリジッドに。ブリジットはそこに海岸の砂を入れて、「この地での思い出を閉じ込めておいた」と喜んでいた。返された瓶の中にはその時の砂がそのまま残っていた。
とても記憶に新しい物。デビュタントの際、ブリジットはどうしても通常のドレスは嫌だと言い張った。そこで私は他国では一見スカートに見えるパンツもあるのだという情報を仕入れて来て、双方の親には内緒でそんな形のドレスを二人分作った。当日は二人でそれを着て、幸い誰にも見咎められなかったけど、ブリジットの方は後でおば様に「あれほど目立つなと言ったのに」ととても叱られたらしい。そんな思い出の服が入った箱もあった。
毎年毎年、彼女の本当の笑顔が見たくて、どんな物を贈っても彼女は喜んでくれるとわかってるけどそれでも精一杯頭を働かせて選びに選んだプレゼントたちがぼろぼろと出て来る。
それらを取り除いた一番下に、小さな布の切れ端があるのを見つけた。箱の中にあったのを一つ残らずかき集めてみれば、それは、いつか私があげた私が刺した刺繍入りのハンカチだった。
生まれて初めて誰かの為に刺した刺繍。図案は馬のつもりだったけど、彼女が犬だと信じて疑わなかったのでそのまま犬ということにした。
今、犬の形は見る影もなく細々に切り刻まれている。
私は思わず呟いた。
「嫌われて、しまったなあ……」
一度嫌になったら思い出まで一緒に消えてしまうものなのだろうか。
一体どこで失敗したんだろう。
なけなしの自尊心を保つ為に、ブリジットに嫌がらせしようと思いついてしまったこと?
彼女のデイビスへの気持ちに気付かなかったこと?
ブリジットに好きになって貰いたいと望んだこと? もしかしたら彼女も私を好きでいてくれてるかもしれないってありえない夢を見たこと?
全部全部含めて私が愚かな人間過ぎたこと?
あれこれと考えてみてももう手遅れだった。
今となっては引き返す訳にはいかない。
私は思い出の詰まった箱たちにしっかりと蓋をした。
それからの私はさらに引き籠りを延長した。
母親にあれこれ言われ、デイビスにも心配されてしばらくぶりに社交の場に出たのはブリジットの誕生日からひと月も経った頃だった。
会場に入って、少しおかしいなと気が付いた。
私と顔を合わせると、皆が軽い挨拶だけしてすぐに遠ざかってしまう。友人たちもだ。
エスコート制でない集まりで私はぽつんと一人になった。
思い返せばここ最近、友人絡みの誘いがぱたりと途絶えていたのを思い出す。
私は明らかに彼女らに避けられていた。
ふた月ほどそんな状態が続いた後、一通のお茶会のお誘いが届いた。それは私の天敵と言っていい存在、侯爵令嬢のミランダからのものであった。
「この私からの招待にのこのこ出向いてくるなんて! よっぽど独りが堪えたのね!」
侯爵邸の庭に用意されたテーブルを挟んで、ミランダは開口一番高笑いをした。
それが事実であるだけに、私は何も言い返せない。
ミランダはブリジットの信奉者だった。いつも彼女の隣にいる私に嫉妬し、何かと突っかかったり、時にはこのポジションを奪おうとして来たとんでもない女性だ。
招待した側だというのにこちらにお茶を勧めることもなく、彼女はえらそうに口を開く。
「一応聞いておくわ。ねえマデリーン様。貴女、今のご自分の立場がわかっていて?」
「デイブとの婚約を恨まれているのでしょう? あいつが人気者なのは知ってたけど、まさか皆からこんな反応をされるとは思わなかったわ」
「それだけだと思ってるなら貴女は大バカ者だわ」
こちらを鼻で笑い、ミランダは繊細なカップを手に取ってお茶を一口飲んだ。
「あのねえ。貴女って、元々女性たちに影で嫌われていたのよ。理由は一つ。イケメンのデイビス様とこの世に舞い降りた奇跡の天使ブリジット様の二人を独占しているように思われていたからね」
「それは、幼馴染なんだから仕方ないじゃないの」
そのことを多少得意げに思っていた私は疚しさを隠す為にお茶を飲んで視線を外した。ミランダの冷めた目が向けられるのを感じる。
「そうして今は。……そのデイビス様とブリジット様の仲を無理矢理に引き裂いて、図々しくも強引にデイビス様の婚約者になったと言われている」
「!」
私は唖然とした。
「無理矢理なんて。そんな筈ないじゃない」
「体を……ンン、淑女としてありえない罠を用いてデイビス様に責任を取らせたんだ、などと囁かれているわ」
「‼」
驚きのあまりに私は何度も首を振った。
「全部、嘘よ。誰がそんなことを言いふらしているの、教えてちょうだい、そいつを締め上げてやるわ」
「この話の大本は……ブリジット様よ」
「……ブリジットが?」
顔から血の気が引いた。まさか。高潔な彼女は絶対にそんなことしない。
「もちろん、あの方は嘘などつかない。ただ、『本当なら、私の方に来ていた筈の縁談なんだがね』と言っただけ。それを聞いた誰かさんたちがやっかみも含めてあることないこと脚色して言い回っている、というのが現状よ」
ほう、と力が抜けた。そうだ。それなら彼女のせいではない。悪意の出所が彼女でないと知れただけで後はもうどうでもいいかとすら思ってしまう。
こちらの様子を伺いながらミランダは菓子を割った。
「ブリジット様の今後の件は知ってるわね?」
「……ええ」
私たちの婚約発表の後、ブリジットは以前から話のあった外国の王族の護衛騎士の仕事を引き受けたようだ。
その方は元々お体が弱かったのだけど、ついに公務を離れて地方に引っ込むことになり、誰かちょうどいい人物はいないかと探していたらしい。それまでのブリジットはこの話に乗り気ではなかった。それを私は私の為だと勘違いしていたけれど、今から思えばデイビスの為だったのだろう。
ブリジットは一年間こちらで向こうの言葉とマナーを勉強して、私たちの結婚を見届けてから旅立つ手筈だと母から知らされた。
「貴女がブリジット様に国を捨てさせたのだって。そのように恨んでいる人たちもいるのよ」
そんなことを言われても。私にはどうしようもないじゃないか。
ミランダは続けた。
「ねえ、マデリーン様。これが最初で最後よ。大嫌いな貴女に私から忠告して差し上げます。……貴女が本当に欲しいものを手に入れる魔法の言葉があるわ。『デイビス様はお返します』……それだけ言えば、ブリジット様はきっと貴女を許してくれるでしょう。その後でデイビス様と多少気不味くなろうとあの方を失うよりはマシでしょう?」
私はハッとなった。ミランダの言葉に引っ掛かりを覚えたからだ。
……そうだ。私の中の重要度がデイビスよりもブリジットにあると知っているのは一人しかいない。
「……もしかして。それはブリジットから頼まれた伝言なの?」
ミランダは無表情にお茶を飲み、カップを戻す。
「どう捉えて貰っても結構よ」
ああ。そうか。
彼女が護衛騎士を引き受けたと聞いて油断していた。
ブリジットはまだ諦めてなんかいない。私たちの結婚までに、どうにかしてデイビスを取り戻そうとしているんだ。私という存在を押し出して、自分がその場所に収まろうとしている。
全身に鳥肌が立った。そんなことは絶対にさせない。デイビスの妻の座は彼女には渡さない。
考えて。考えて。ブリジットの思い通りにはさせない方法を。
「……どうしてブリジットは彼を自分のものであるかのように思っているのかしら?」
「さあ。貴女の知らない所で二人きりの約束があったのではなくて?」
「二人きりの……」
それはないだろう。デイビスは私を思ってくれていると言った。あの号泣と告白が偽りだとはとても思えない。
そうだとするなら……
私は静かに席を立った。
「この話は聞かなかったことにするわ。ブリジットに伝えて頂戴。直接に彼の気持ちを確かめた訳でもないのにおかしなことを言い回るのはやめて欲しいと。ミランダ。貴女もよ。貴女はとても嫌な人だったけど、筋の通らないことはしない人だと思っていたのに、がっかりよ」
言い捨てて立ち去る。
私はやれることをやってみた。
さて。ブリジットは……どう出るだろうか?
それからひと月ほどが経った。
特別に何かはしなくても、いつのまにか私を取り巻く環境は元の通りに戻っていた。
どこかの集まりでそれとなくブリジットとのことを聞かれたデイビスが、「あれは男友達だろう」と大声で笑い飛ばしたからかもしれない。
我が家の家格がそれなりで、噂のネタとして突くより、仲良くした方が得だと思い出した人が多かったからかもしれない。私たち三人の家の格は、我が家、デイビス、かなり落ちてブリジット、という順だった。
もしも私と彼女が対立するのなら、明らかに私についた方が得なのだ。実際に家から叱られた人もあったのだろう。
あれから。デイビスにはブリジットから何度も手紙や伝言が届いているらしい。けれどそれには一切答えないでと私は言っておいた。
社交の場に出る時は、いつも私がぴったりついて彼女が付け入る隙を見せなかった。私がいない時にでも彼女が近づいたら速やかに逃げるようにと伝えてあった。
気が付けば。私たちの関係は、円満な婚約者同士とその片方に付きまとうブリジット、というように人々から見られるようになっていた。
ブリジットは以前より人に囲まれなくなった。それまでブリジッドをちやほやしていた令嬢たちはふわりと遠巻きになっている。いつも隣にいるのはミランダだけだ。
やがて、そんなブリジットは決定的な失態を犯した。
どこの国でもそうだろうが、夜会にはダンスにも食事にも興味を持たずにただ情報収集だけを目的とする人たちが集まる。我が国ではそういう人々は用意された男性部屋女性部屋に分かれて一晩中おしゃべりに興じるのだ。それは同性だけの聖域であり、異性がその場に入室するのはご法度と言っていい。
その男性だけが集まる部屋に、ある日ブリジットはなんでもない顔をして乱入したのだ。
デイビスの言葉が噂に疎い彼女の耳にも届いたのかもしれない。では男友達という立場から近づけばいいのではないかと、愚かにも、彼女は思いついてしまったのかもしれない。
その時その場にいたのはデイビスを含め半分は彼女とも顔見知りの若者たちだった。だけど明らかなルール違反に、全員が顔を顰めたらしい。
彼女が来るまで下世話な話に花を咲かせていた彼らはそれでも最初は気を利かせて、真面目な内容に切り替えてくれたらしい。けれどデイビスと二人きりで話すことだけが目的の彼女はろくな返答もせず、場を白けさせてしまったらしい。
「さすがにあれは俺も叱っておいたよ」
友人の暴挙に困惑したデイビスは一部始終を私に話してくれた。
悪い評判はあっという間に広まった。剣の腕では彼女に敵わない面々など、元から彼女を気に入らない者たちもいたのだろう。婚約者のいる男を追って男部屋に突入してきたと。なんなら騎士団に身を置いているのも嫁ぎ先探しが目的だったのだろう、とまで言われているそうだ。
一年も経つ頃にはブリジッドは完全に孤立していた。
声をかけてくれるミランダさえも遠ざけるようになったらしい。
すべて私の目論見通りとなった。
ブリジットにはミランダを通して『まずはデイビスの気持ちを確かめろ』とけしかけたつもりだった。駆け引きなど出来ない彼女はただ真っ直ぐデイビスに向かっていくだろうと思ったが、案の定だ。そして皆から顰蹙を買った。彼女を汚れない理想の男性像として憧れていた令嬢たちをがっかりさせるにも十分だった。
これ以上デイビスを追えばその滑稽さを笑われる。プライドの高い彼女はそんなことに耐え切れない。
だから、今度こそここで諦めてくれることを願っていた。
そうして私たちの結婚式の前日となる。
三日前からブリジットは騎士団も休んで引き籠っていると聞いていた。
そんなことをすればまた面白おかしく話の種にされるだけなのに。
でも今の貴女は周りなんて見えていないんだろう。
貴女がいるのは、私と言う存在を悪役に仕立て上げた自分自身が悲劇のヒロインの世界だけ。
明日結婚式を挙げる礼拝堂の前で私たちは睨みあっていた。
最後の最後の貴女のとんでもない悪あがきに私でさえ呆れるしかない。
「ビー。いつか貴女は私のことを神に背く者だと言っていたわね? だったら今自分がやってることはどうなのかしら」
貴女はハッとして自分の手の中を見た。そして驚いたことに、私に縋るような目を向ける。
「み、未遂だったんだ、どうかこのことは誰にも言わないでくれ。知られれば私は破門されてしまう!」
随分と都合のいいことを言っている。でも私は黙った。
そう言えば、ブリジッドはあれだけ孤立しても私の告白については誰にも漏らさなかった。以前の私ならそれが貴女の優しさだと泣いて喜んでいただろう。でも今となっては気付いてる。それを誰かに言うことで、自分も同類だと疑われるのが嫌だったのだろう。
私は大きくため息をついてみせた。
「いいわ。ただ、今から私が言う条件を飲むと約束して。それならこの場で忘れてあげる」
「条件……」
ホッとしたような怯えたようなブリジットに私は言葉を叩きつける。
「貴女はもうこの国に戻らないで。もしかしてまだ自惚れているのかもしれないけど、私、とっくに貴女には愛想が尽きているの。いつかまた貴女が私たちの前に顔を出すなんて、想像しただけでもぞっとするわ」
ブリジットは衝撃を受けていた。
次の瞬間、貴女は私に飛び掛かった。手にしていた明かりと壺が落ち、その利き腕が振り上げられる。
「何様のつもりだ! この……クズ‼ 女狐! お前なんか! いつもひゃらひゃら笑ってただけで! 私の百分の一も努力して来なかったくせに! 悪魔の心を持っているのに! どうしてお前なんかが! お前だけ! 幸せになるんだ!」
地面に押し倒された私は馬乗りになったブリジットに容赦なく両頬を叩かれ続けた。
さすがにここまで来ては護衛騎士も飛び出して来る。
彼がブリジットを遠ざけている間に私は侍女に抱え起こされていた。
「痛いじゃないの。帰って急いで冷やさないとだわ。明日は皆に私たちの幸せな姿を見せつけなければならないんだから」
「マデリーン! 地獄へ落ちろ!」
騎士の腕を逃れようとしながらブジリットが叫ぶ。
地獄ならもう落ちてるわ。
そんな言葉は飲み込んでおく。
「それじゃあね、ビー。明日の式には来ないでいいわ。とっととこの国を出て行って」
私は手を振ってブリジットを置いて馬車に戻った。
きっとこれが、貴女が私を見る最後の機会だから。
この顔が醜く腫れあがる前に貴女の前から消えようと思った。
ところで突然だけど、ここで我が国について記しておこう。
現在の我が国は不出来な国王を優秀な臣下で支えるという形で成り立っている。
好色王、と呼ばれる陛下には、国中のあちこちに非公認の落とし胤がいるらしい。
デイビスはそんな陛下の子の一人で、血筋は公式に認められたけど王宮には住まない準王族という立場になっている。
これから私の義母となるデイビスの母、リンダ様はお若い頃に陛下の手がついて、たった一度きりのその夜にデイビスを身籠った。
お遊びだと切り捨てるにはリンダ様の身分が高かった。けれど王妃様が側妃を絶対に認めず、また、陛下の方もリンダ様にそれほどの執着もなかったので王宮外に屋敷を与えてデイビスごと一生面倒をみる、という契約になったらしい。
デイビスが生まれるまで一年ほどは陛下もリンダ様の下へ顔を出していたらしい。けれど元々興味がなかったせいか次第に足が遠のいた。
抗議するリンダ様の親族に、陛下は伝えたのだそうだ。この世には楽しみがいくらでも溢れている。楽しみのない場所へわざわざ出向くことはない、と。
リンダ様とデイビスの身の安全の為に、陛下という後ろ盾を失うことを恐れた親族たちは陛下の要求した通り、屋敷に陛下の楽しみとなるものを……他の娘を用意することにした。
陛下の足は再び屋敷に戻ったという。
ある程度成長してからのデイビスは屋敷に女性たちをおびき寄せる釣り餌にされた。
デイビスは遊び慣れした人か金銭狙いの女性だけをターゲットにしていたので、屋敷で陛下を紹介された彼女たちはほとんどが喜んだらしい。
ちなみに夜会で私へ突撃してきた人は、陛下の好みとかけ離れているとデイビスが判断して声をかけなかった相手だそうだ。
そうしてある日。陛下の目に、一人の美しい少女が目に留まる。
騎士たちの中に混ざるブリジットだった。
それがリンダ様の友人の娘と聞いて陛下はそれとなく探りを入れた。明らかに成人までにまだ間がある相手に急ぐつもりもなかったのだろう。
陛下の目的に気付いたリンダ様はブリジットのご両親と王妃様に相談して、ブリジットが間違っても王族の護衛になどならないよう手を回したそうだ。
けれど陛下の執着は増していくばかりだった。
妾では断られそうならば、側妃として正式に迎えるのはどうだろうと言い出した。
リンダ様は二重の意味で切れた。自分をこのような立場にしたくせに、ずっと身分の低いブリジットに妃の地位を与えようとすること。息子と同い年の息子の友人にそのような欲望を向けること。
そこでリンダ様たちは、では陛下の手が届く前にブリジットをデイビスの嫁として抱え込んでしまえばどうか、という話になった。
しかし。その話を聞いた陛下は残念がるのではなくむしろ下卑た笑いを見せたのだそうだ。「そういう趣向も悪くない」と。
リンダ様たちは血の気が引いた。自分たちの選択は間違いだった。あの男に、息子の嫁に手出しは出来まい、などという良識を求めるのが間違いだったのだ。
直接ブリジットに外国へ逃げろと伝えるのは避けられた。それが家の為になるなら、と彼女が自分の身を差し出してしまうことを家族は恐れたのだ。ブリジットが自身の身に負えない物も請け負おうとしてしまう「かっこつけ」であることをご家族はちゃんとわかっていた。
そして、どうしたものかと皆が悩んでいる所へ私とデイビスの仲が伝えられたのだ。
リンダ様は心底ほっとしたという。
いくら良識のない男でも、姪である私に欲望を抱くことはないだろうと。そんなことが教会に知られれば破門だ。私の母は陛下の妹で、公爵家に降嫁した元王女だった。
けれど、とデイビスは言う。
陛下の下には父親によく似た好色な王子が二人もいた。
彼らはデイビスの家の出来事に興味津々で、そう遠からず自分たちも屋敷に出入り出来るよう陛下に願い出るつもりらしい。
その場合、私の身も安全とは限らない。
「君だけは絶対に俺が守る。……実は前から旗頭になるよう伯父たちに持ち掛けられていたんだ。だがどうしても気が進まなかった。それでも。俺は君の為と思えば剣を取れる。君の為ならこの手を血に染めても構わないんだ」
この時少しだけ思った。私とデイビスは人の想い方が似ているんだなって。私たちは案外いい夫婦になれるのかもしれない。
リンダ様の親族もそうでない方々も、今の王家には不満が溜まり過ぎていた。私なんかの知らない所で随分前から密かに準備は進んでいたらしい。
苛烈な王妃様は陛下の身はどうでもよくても王子たちの排除は徹底的に抗うだろう。
ブリジットの父は職場で着々と味方を増やしているらしい。
この国が二つに割れる。そのきっかけが、私という存在になってしまうのかもしれない。
ねえブリジット。
貴女が私をあんな目で見たから、私、この国の王妃になるかもしれないのよ。
何がどうしてこうなったのか、自分でも信じられなくて笑えて来る。
だからってもう引き返せない。
貴女が私を好きじゃなくても。貴女が私を怪物みたいに思っていても。
貴女が残酷でもみっともなくてもかっこ悪くてもずるくても弱くても私は貴女が大好きだった。
だから貴女は遠い所で、勝手に幸せになって頂戴。
愛してるわ、バカ。




