地下
神宮凛子は二人から別れると、真っ直ぐ八光山へと向かった。最初は単純に川を上に登っていこうかと思ったが、どうやら先程二人といた家は川から遠いらしく単純に遠くに見える山を目指して大通りを進むことにした。車もいない二車線あるいは、四車線の道路の真ん中を進むのは凛子にとって普段の生活では味わえない喜びだった。特に車が殆どない実家周辺の道を歩いていた凛子は、この辺りの道は狭く息苦しいと思っていたのだから。
凛子は身を隠すことをしなかった。そもそも鬼と出会っても、逃げるという行動を取ることが殆どなかったからだ。自分を襲ってきた鬼は日本刀で斬ればいいという単純に考えだったからだ。
実際、屋敷に着くまでの道中に三体の鬼と出くわしたが、その全てを凛子は斬った。理由を聞かれれば向こうがゆっくりと近づいてきたからである。速さがないとは言え人並み外れた膂力を持つ鬼を斬ることは市井の者なら難しいだろうが、常人を遥かに超えたスピードを持ち、剣術を収めている凛子にとって難しいことではなかった。また凛子の持つ日本刀は切れ味が鋭く、鬼を簡単に斬れた。
だが、道中が楽な道のりであっても、凛子は足を急いでいる。走ることはしなかった。体力を出来るだけ温存しながら早歩きで進む。何故なら一刻も早く〝アマシ様〟を手にし、村へと持って帰りたかったからだ。また、この町にあるアマシ様が誰かの手によって移動することを避けたかったのだ。
そして凛子は山へと登っていると、この世界に入った時と同じオレンジの霧に出くわした。それを見て凛子は口角を少しだけ上げて笑うと、霧の中へと進んでいった。そして霧が濃い方へ、濃い方へ視界がオレンジに埋め尽くされるぐらいの場所へ移動すると、瞬間、霧が晴れて怪しげな洋館を見つけた。
門は開いていなかったが、鍵はどうやらついていないようだ。凛子は躊躇なく門を開けると、多数の色があるがどれもどこか色あせている花たちを横目に凛子は真っ直ぐ洋館へと向かう。
洋館の入り口――茶色の扉は大胆に扉が開いていた。薄暗い中を覗くと微かに赤いカーペットが広がっていた。そしてその赤いカーペットの上には引きずるような足跡を目撃し、それは確かに人のものであった。さらにその足音は屋敷の中から外に出るように続き、今現在いる凛子の足元はもちろんのこと門の外まで続いているが、途中で掠れて足跡は消えてなくなっていた。凛子はそのことを怪訝に思うが、今更入ることに戸惑うことは無かった。
抜き身の日本刀を右手で持ったまま、左手で扉を開けた。鈍い音が館に響く。だが、奥からは何も出てくる様子はなく、扉を開けると夕焼けの光が洋館の中に入り、中の様子を見ることができた。
床には一面に赤い絨毯が広がっていた。その上には無数の足跡が、それもどうやら元々赤い絨毯が敷かれたわけではなく、板で造られた床の上に赤い人の足跡が無数にへばりつき、それが赤い絨毯のように見えたようだ。それはおそらく血だろうか。それに幾つかはまだ新しいようで、独特の血液の鉄臭い腐臭がする。
さらに中には置物が飾られていた。凛子が入って右手には人体模型がクリアケースに入れられている。左手にはティラノサウルスだろうか。その化石がこちらもクリアケースの中に飾られてあった。だがティラノサウルスの身長は凛子ほどしか無いので、おそらく作り物だと思った。
天井には明かりのついていない大きなシャンデリアと、玄関の先には木製の扉で遮られた先に続く道、さらに猿の白骨の後ろには二階へと続く階段があり、ティラノサウルスのレプリカの後ろには地下へと続く階段があった。
凛子は聖杯を求めてどの道に進もうか迷った挙句、地下へと進むことにした。遥か地下に続く深淵の中に、凛子は自分が未だ探し求めてやまない聖杯があると思ったのだ。階段をゆっくりと降りて行く凛子。幸いなことに生物の気配はなかった。人、もしくは鬼であってもどうやら地下にはいないらしい。
地下は薄暗く、壁に立てかけてある燭台の蝋燭の火が朧気に光っているだけで、どうやら石の壁で造られた地下は狭いらしく、凛子の足音が地下内に反響する。そして凛子が燭台を一つ手に持ち、辺りを照らすと――そこはまるで牢獄のようであった。凛子が階段を下りた先には通路が一つしかなく、それは真っ直ぐと伸びて行き止まりになる。そんな通路の両脇に、鉄格子の扉があり、その先に区切られたように牢屋があるのだ。それは全部で十個ほどだ。
凛子は光で先を照らしながら地下を歩く。どうやらこの屋敷の地下の牢屋に生物は一匹もおらず、そして閉じている鉄格子も一つもなかった。牢屋の中はシンプルな作りであった。簡易的な木製のベッドの上に布団とも言えないようなお粗末な薄汚れた布が一つ。そしてむき出しの便器と、木製の小さな机と椅子がそれぞれある。十個ある部屋はどれも同じ形状をしており、中の様子が多少変わっているだけであった。
例えば凛子が初めに見た右手の部屋は中が赤く染められていた。ベッドも、机も、椅子も、そして鉄格子や他の牢屋と区切る石の壁であっても、そのどれもが赤い血がぶちまけられたように広がり、そして時間が経っているのか赤黒く硬質化している。またその血の中には肉片のような黒く腐ったものがあり、その臭いなのか地下内は鼻が曲がりそうなほど、肉の腐臭が蔓延していた。
また左手の三個目にある部屋には木材の残骸だけが広がっている。元は椅子や机があったのだろうが、その全てが破壊されており、石で出来た壁には凛子の顔ほどの大きさがあるかと思われる拳の後が無数も付けられてあった。またこの部屋の入口の鉄格子だけが大きくひしゃげており、どうやらそれで出来た隙間から何者かが逃げ出したらしい。
他の部屋は大人しいものだった。ある部屋は壁に無数の引っかき傷が、また別の部屋には人の白骨死体がベッドの上に広がっている。しかし椅子やベッドなどの家具は健在であった。
そして凛子が一番奥の牢屋をロウソクで照らした時、彼女はがっかりしたように肩を落とした。何故なら牢屋がある地下にはアマシ様はなく、最後の部屋は至ってシンプルだったからだ。
中は何一つ散らかっていなく、机や椅子、またベッドやトイレも未だ健在で、ベッドの上の布が少しだけ端の方に雑に纏められていると非常に大人しい部屋であった。凛子はその部屋の中を一瞥して、すぐにアマシ様が無いことを悟った彼女はすぐに地下を後にしようとするが、その前に机の上にあった――一冊の本と万年筆、それにガラスの瓶に入った黒いインクが気にかかった。
あの本は何なのだろうか?
何が書かれているのだろうか?
誰が書いたのだろうか?
ふと好奇心に勝てなくなった凛子はその本を手に取った。心のどこかでこの屋敷内にあるかもしれないアマシ様の情報を知りたかったのかも知れない。もう闇雲にあるかどうかも分からないアマシ様を探し求めるよりも、確固とした証拠を持ってアマシ様を探したかったのだろうか。
凛子がその牢屋の中に入って燭台を机の上に置いて本を手に取った。中をぱらぱらとめくってみると、どうやら全て万年筆のインクで書かれているらしく、本のページの中には水や血で文字が滲んでいるページがあった。そしてこの本は市販のものではなく、どうやら誰かの日記であるようだ。
日記の中に――聖杯、怪物、異界などの単語が目に入ったため、アマシ様の事が何か分かるかも知れないと凛子は最初からその日記を読むことにした。
最初ページには日付が書かれてあった三月二十九日と、どうやらこの日から日記を書いた本人は書き始めたようだ。




